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まおうさまの勇者育成計画  作者: okamiyu
第九章:魔王とは何か、王が王になる前の話――千年前の地獄と九つの罪
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第百六十二話:美は刃、恋は罠――衆合地獄に踊る幻影

美しい森、甘い声、優しい微笑み。

けれど、そのすべては――

「欲望に負けた記憶」を、永遠に抉り続けるための装置。


登れば裂け、

降りれば抉られ、

それでも、また手を伸ばしてしまう。


今回描かれるのは、

剣より鋭く、炎より残酷な地獄。

衆合地獄と、

そこを“最もおしゃれ”に歩く、

色欲の王・アスモデウス。


そして――

「誘惑が通じない男」に向けられる、

本気の“落とし方”。


覚悟して、お進みください。

衆合地獄。

ここは、一見すると美しい森である。

林立する樹木の枝葉は、常に春の若葉のような鮮やかな緑をたたえ、花らしきものも咲いている。しかし、近づいて見れば、その一枚一枚の葉が、みな鋭い剣の形をしており、縁には無数の微細な逆棘が生えていることに気づくだろう。

その木々の梢に、女たちが座っている。

いずれもが、罪人の好みに合わせて形を変える、完璧な美貌を備えている。ある者には初恋の人の面影を、ある者には憧れた遊女の姿を、ある者にはただただ官能の理想形を。彼女たちは、優しく、哀しげに、あるいは艶やかに手を差し伸べ、囁くように語りかける。

「どうか、私を助けに上がってきてください」

「寂しいのです、傍に来てください」

その声は甘く、罪人の耳だけに響く。

誘惑に負けた罪人が、思わず木に登り始める。

しかし、剣の葉はたちまち彼の肌を切り裂く。手の平は千切りされ、足の裏は裂け、服はぼろぼろになる。痛みに叫びながらも、上の女の誘惑の声と、見えてくる美貌に引き寄せられ、登り続ける。

やっと、目の前まで来た。

その瞬間、女の姿が微かに歪み、嘲笑のような表情を浮かべて消える。そして、今度は木の根元から、同じ声が響く。

「まあ、上まで登っていたのですね。でも、私はずっとここで待っていたのに」

振り向けば、確かに同じ女が、下から手を差し伸べている。

罪人が慌てて降り始めると、今度は降りる際に、先ほどの傷口が剣の葉に引っ掛かり、さらに深く抉られる。肉が裂け、血が噴き出す。ぷしゅっという生々しい音と共に、体温のある血が葉を濡らし、地面に滴り落ちる。

が、根元まで降りると、また女の姿は消え、今度は梢から声がする。

「どうして降りてしまったのですか? 私はここにいるのに」

この昇り降りは、やむことがない。

登れば登るほど傷は深くなり、降りれば降りるほど裂け目は広がる。血は絶え間なく吹き出し、やがて罪人の全身が血の霧を噴く細孔だらけになる。痛みは激しいが、それ以上に、追い求めても決して得られないものへの焦燥と、騙され続ける屈辱が魂を苛む。

森の中には、無数の木に無数の罪人がかかり、それぞれが血を噴きながら昇り降りを繰り返している。血の滴りが、剣の葉を伝い、幹を染め、地面を暗紅色のぬかるみと化している。

ここでの苦しみは、剣の葉による肉体的な痛み以上に、己の欲望に愚弄され続ける精神的な地獄なのだ。女たちはただ笑い、また次の誘惑の言葉を投げかける。その声は、罪人の耳には、かつて自らが欲望に負けた瞬間の、甘く歪んだ記憶そのものとして響く。

「男ってバカしかいないのか…」

毛玉の説明を受け、その背中に背負われたレンは呆れていた。

「ここにいる罪人たちは、生前、邪淫の罪を犯した者たちだ。こぞって永遠に追いつかない幻影を追い続けるのが、罰として相応しい」

紅蓮地獄で食事を探し損ねたことで、セリナとレンがそれ以上体力を消耗しないよう、毛玉はレンを、エンプラはセリナを背負って進むことになった。

「起きたら食事が出るんじゃなかったのか? 嘘つき」

レンは少し意地悪く毛玉をからかった。

「すまない。軽いことを言った。だが、あの時はあの言い方しかないと思った。レンが、折れそうに弱って見えたから」

「兄貴が悪いわけじゃないです!悪いのは、栄養のあるパンを出せなかったうちです!責めるなら、うちを責めてください!」

新しく加わったメンバー、ザガンが申し訳なさそうに頭を下げた。

「冗談よ。本気にしないで、バカ」

空腹で衰弱しているレンだが、好きな毛玉に背負われているのは、ちょっとお得な気がしていた。

「あの…ここは、女の子に酷いことをした罪人さんたちが堕ちた地獄ですよね?それなら、セリナたちは危なくないですか…?」

セリナがそう言った直後、一人の亡者が彼女たちに目を合わせた。これはまさかの危機か!?

「なんだ、ガキかよ。チッ」

舌打ちして、その亡者は森の奥へ消えていった。

「ねえ、降ろして。今のあいつ、切り殺すから」

「やめろ。元々体力がないんだから、変なことに体力を使うな」

レンは毛玉の背中で暴れようとする。襲われないのはいいことだが、それ自体が屈辱に感じる、難しい年頃だった。

「おかしいでありますね。ロリコンはいないでありますか?ここは」

「ロリじゃありませんけど!」

エンプラの疑問はもっともだ。今まで様々な女性の幻影を見たが、セリナのような幼い女の子は一人もいなかった。

「童女や神職者を汚した犯戒人は、阿鼻地獄でさらに厳しい罰を受けている。ここには、君たちに欲情する者はいない」

「あんたは欲情しなさいよ。バカ」

レンは不満そうに、毛玉の猫耳を弄びながらつぶやいた。

「残念ながら、私にはそんな感情を理解はできるが、催したことはない」

(モリアは苦労しているな…)

セリナとレンは、同時にそう思った。

「やハロー♪」

森の奥へ進むと、一本の木の梢に、明らかにこれまでとは違う女の子がいた。

彼女は、まるで高級ショッピングモールの一室からそのまま現れたかのように、そこにいた。

金髪は、太陽の光をそのまま固めたようなプラチナブロンドで、大胆なツインテールにまとめられている。幾筋かはわざとらしく崩れ、小麦色の頬に軽く触れている。肌は健康的に焼かれており、金色のイルミネーションのような微細なラメが鎖骨や肩に散りばめられている。

服装は、過剰なほどのおしゃれを意識したものだ。黒のレザークロップトップからはへそのピアスが覗き、極薄のデニムショーツの下には、網状のタイツが張りついている。足元は厚底のコンバットブーツだが、そこには無数の銀のスパイクと、七つの異色の宝石が嵌め込まれている。指輪は各指に三つずつ、首には層をなすチェーンのネックレス。

しかし、細部にこそ、その本性が滲む。

サングラスの奥に見える瞳は、一瞬、爬虫類のように縦に細くなる。耳朶には、微かに鱗のような光沢を持つピアス。手に持っているスマートフォンのケースは、なんと微かに脈打つような有機的な質感で、画面を覗くたびに、暗赤色の光が彼女の顔を照らす。

彼女が口元を緩めると、歯列のうち、犬歯だけが異様に鋭く長い。舌先でそれに触れる仕草は、無意識のうちにする、危険な癖だった。

「ねえ、ちょっとそこの毛玉の君♡」

声は甘く、しかし底に冷たい金属音を潜ませている。

「面白いもの♪見せてあげる♡。堕とし方も、壊し方も──全部、アスにゃんが教えてあげる♡」

彼女の背後に、ほんの一瞬、三つの頭を持つ歪な影が、六本の腕を広げて浮かび上がる。が、次の瞬間には、ただショッピングバッグをいくつかぶら下げた、派手好きなギャルの姿だけが残る。

アスモデウスは、衆合地獄を、最も“おしゃれ”な姿で歩き回る。その誘惑は、もはや古めかしい契約書ではなく、SNSの“いいね”や、渇望そのものの形をとって現れるのだ。

「アスモデウス。七十二柱の悪魔の一つ、王クラス、色欲の悪魔。こんなに早く出会うとはな」

毛玉はゆっくりとレンを降ろし、戦闘態勢に入ろうとする。

「嫌だね♪男はすぐ戦うとか暴力に走るから、もっと楽しいことしようよ♡アスにゃんはモリリンの一番の親友。モリリンのかれぴなら、戦わずにコインをあげてもいいよ♪」

アスモデウスはエレガントに木の梢から飛び降り、誘うように舌なめずりをした。

「アスにゃんの誘惑を一日耐えたら、毛玉君の勝ちよ♪コインもあげるし、あなたたちが今一番知りたい『食事』の情報も教えてあ・げ・る♡でも──」

アスモデウスは目を細め、甘い声で囁く。

「耐えられなかったら、アスにゃんの夜の相手をしてもらう。一滴残らず、絞り取ってあげる♡」

アスモデウスは性の権化。彼女と交わるということは、死を意味する。最強のエネルギートレインによって、灰になるまで絞り尽くされるのだ。

「ふざけるな!」

「ダメです!大体、アスモデウスさんはモリアさんの親友ですよね?なんでそんなことをなさるんですか!」

女性陣営から大きな反対の声が上がった。当然のことだ。彼女たちですら毛玉とキスまでしか進んでいないのに、明らかに自分たちより女らしいアスモデウスに先を越されるのは、耐え難いことだった。

「親友の男を寝取るとか、最高に気持ちがいいのよ♡」

アスモデウスは自分の両肩を抱きしめ、瞳の中が♡の形にした。

「モリリンにね、『あなたのかれぴの初めての相手は、あなたじゃない、このアスにゃんだ!彼は昨日の夜、凄かったよ♡』って言って、彼女の悔しそうに歪む顔が見たいの。あたしに嫉妬するその顔が──あん♪最高にハイになるわ♡」

呼吸を荒くして、その想像だけで興奮が止まらないらしい。

「わかった。受けるにしよ。」

その姿を見て臆せず応じた毛玉も、さすがと言うほかない。

「あんた、性欲がないとか言って、やっぱり胸が大きい女の子に発情するのかこのケダモノ!!!」

「不潔です。セリナ、失望しました。今後はスケベさんで呼んであげます。スケベさん」

「阿呆!」

毛玉は二人に一人ずつ、デコピンをした。

「戦うなら何日かかるかわからない。アスモデウスに食事を出せる能力はないだろう。でなければ、情報ではなくそっちを条件にするはずだ。一日で終われば次に進める。君たちも限界に近いだろう」

「でも…」

セリナとレンはもう一週間以上食事をしておらず、さらに王クラスの悪魔たちと生死をかけた戦いを続けている。体にはとっくに限界が来ている。これ以上時間を無駄にはできない。

「鼻の下を伸ばしたら、後ろから小太刀で刺すからな」

「わかった。どうせそうなったら負けで、アスモデウスに吸い殺されるんだ。その前に君に殺されるなら、悔いはない」

「だからあんたはバカなのよ」

レンは後ろから毛玉を強く抱きしめた。

「できるわけないだろ。分かれよ…」

「はいはい、そこまで。これからはアスにゃんのターンよ♪アスにゃんに落とせない男なんて、あのホモ明星以外いないんだから♡」

アスモデウス──世界で最初の女性、「女」という性を創造した彼女は、『男の天敵』とも言えるほど男に対して強い。毛玉は果たして、彼女の攻勢から自我を貫き通せるだろうか。

アスモデウスが指を鳴らすと、周囲の環境が一気に変わった。まるで映画館の観客席に座っているかのように、セリナたちは椅子に腰かけていた。

照明が落ち、大きな白いスクリーンに映画開始のカウントダウンが映し出される。

3…2…1…

シチュエーション1:待ち合わせ

「毛玉くーん!」

アスモデウスが小走りで駆け寄り、毛玉に向かって手を振る。

彼女のスカートが軽やかに揺れ、息が少し弾んでいる。

「待った?」

「ああ、10分遅刻だな。社会人は10分前に集合するのが常識だろう」

「え……?」

容赦がない。あまりに予想外の言葉に、アスモデウスは面喰ってしまう。しかし場外では──

「ははは、ざまぁ!」

「ドクターは時間にすごく厳しいであります。よく遅刻する度胸がありますね」

「ザガンちゃん、ポップコーンある?石で変えたやつでいいから、なんか口が寂しくて」

「はい!塩味とバター味、どちらがよろしいですか」

「バター味でお願いします」

気を取り直して。

毛玉の説教が終わり、二人のデートが始まった。

最初は何か食べようと店に向かう。もちろん、これら全てはアスモデウスが作り出した幻影に過ぎない。店に向かう途中、アスモデウスはきょろきょろしながら、

「えっ、ここ初めてです」

「そんなわけないだろう。昨日、君がSNSでこの店の写真をアップしたのを見たぞ」

「へえ~、アスにゃんのことよく見てくれてるんだ、嬉しい♪」

「たまにモリアが出てくるから、仕方なく」

「毛玉君、デート中は他の女の子の名前出さないで……」

「え?モリア以外の女の子の名前なんて出してないが」

「……」

昔のコメディのような、映画の外から観客の爆笑が伝わってくる。

店に着くと、

「わあ、センスいいですね、毛玉君。こういうの詳しそう」

「君は私のことをどう見ているんだ。私がよく行くのは古本屋か本格的なコーヒーショップだ。こんなぱっとした店に来るわけがないだろう。君だって、出された料理より『こんなもの食べている私って可愛い』でバズりたいだけじゃないか」

「そうなんだ……」

アスモデウスは顔を引きつらせながら相槌を打った。

シチュエーション2:飲み会終盤

仕事終わりの飲み会、席替えで毛玉が立ち上がろうとした時。

「……待って」

彼女は小さな声で言い、毛玉の袖をくいっと引いた。

「まだ毛玉君と話してないです」

「話すほどのことあったか?君、今週の仕事で何回ミスしたか言ってみろよ。いつまで新人気分でいるつもりだ?同期のモリアはもう一人前なのに」

「あ、ごめんなさい……」

「言葉より行動で示せ。過程より結果を出せ。ここは学校じゃないんだぞ。あああ、もう腹が立ってきた。ちょっとこっち来い」

容赦はない。観客席のエンプラはトラウマが発作したかのように頭を抱え、「ごめんなさい」を連呼している。

二人きりになると、アスモデウスは声のトーンを一段階落とした。

「ねえ、毛玉くんってさ、意外と気配り上手ですよね」

「君、今までの会話からしてそれはないだろう」

「そういうとこですよ。自覚ないの、ずるいです」

くすっと笑ってから、すぐにフォロー。

「でも、そこがいいんですけど」

「それはよかった。気配り上手な私は、君のために学習資料を作った。来週の会社の朝礼前にレポートを提出しろ」

「……」

「すごく優しいです、自分の時間を削って専用の学習資料を作るなんて。セリナなら感激しすぎて、一生の宝物にします」

アスモデウスの反応とは裏腹に、観客席のセリナは目を輝かせた。

シチュエーション3:駅前の別れ際

改札前で立ち止まる。

「今日は楽しかったですね」

毛玉が答えようとした瞬間、

「じゃ、これ!」

彼女はタイミングを合わせてハイタッチを求める。

毛玉はそれを避けた。

「なんで、避けるんですか……」

「いきなり攻撃を仕掛けてきて、避けないバカはいない」

アスモデウスは頬を少し膨らませる。

「酷いです……もう帰るんですか」

語尾がほんのり伸びる。

「まだ話したかったのに」

「じゃあ、後でメールしてくれ。要点をまとめて簡潔に、箇条書きで頼む」

「え?あの……ドキドキしないんですか、毛玉君」

「なんで?私は別に君のこと好きじゃないけど」

「ふん、ならばこれなら♡」

アスモデウスは服の上の二つのボタンを外し、わざとらしく胸を寄せて、毛玉に谷間を見せつけながら上目遣いをした。

「ね、これでドキドキする? なんなら手で直接ためしてもいいんだよ♪ 今日のアスにゃん、つけてないから。下の方も…」

少しスカートを揺らし、太ももに下着のラインが見えない。直球で攻めてきた。

「あの野郎っ! さっきまでのあざとさは我慢したが、これ以上は無理だ! 女の意地をかけて切り殺してやる!」

「落ち着いて、レン君。さっきからちょっと変な違和感を感じています。レン君と私、なんでここまで動けるんですか?」

「どういうこと?」

「いくら休憩を取ったとはいえ、限界まで消耗した私たちはもう動けないはずなのに、今は少し空腹も感じないくらい元気です。おかしいです。恐らくここは…」

「アスモデウスの幻覚だ」

スクリーンの中の毛玉が、第四の壁を破るように、向こう側のセリナたちに言いかけた。

「ここはアスモデウスの幻術の世界だ。君たちは最初からその術にはまっている」

依頼期限まで、残り21日。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

衆合地獄は、

「エロい地獄」ではなく、

“満たされなかった記憶を、永遠に再生される地獄”として描きました。

そして登場した、

色欲の王アスモデウス。

彼女の武器は、

裸でも、契約でもなく、

承認欲求・嫉妬・比較・奪う快感。

なお、毛玉が落ちない理由は

「無欲」ではありません。

価値観が致命的にズレているだけです。

次回、

アスモデウスの誘惑は、

さらに“手段を選ばなく”なります。

誘惑とは、

気持ちよくなることではなく、

自分が何者かを忘れさせること。

次話も、どうぞお付き合いください。


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