第十六話:俺は姫、お前は誘拐犯
「誘拐犯はあっちに逃げたぞ!」
……なぜだ?
「おのれ、誘拐犯め! なんという逃げ足の速さ……!」
私は策を弄せば弄するほど、なぜか予期せぬ事態によって策が崩される。どうしてだ。
「なんで、まだ私に付いてきてるんだ!?」
町中を逃げ回る私が、児童誘拐犯として指名手配されている今――その発端となった張本人、いや“諸悪の根源”が、なぜか私と一緒にいるのだ。
「えい〜、だって俺、誘拐されたんだもん。ね? 誘拐犯さん」
……もっと怖がるそぶりを見せろ! なぜそんなに楽しそうなんだ。
この状況を、彼女は明らかに満喫している。まるで“共犯者”ができたかのように。
「じゃあ、今ここで解放してやる。お前は自由だ。どこへでも行け」
「……どこにも行けないよ」
少女は寂しそうに呟いた。その顔に、なぜかルーの面影を重ねてしまう。あの子も、構ってやれなかったときは、こんな顔をしていた。見るたびに、心が千の槍で突き刺されたような痛みが走る。
「誘拐犯のおっさん、実は俺、この国のお姫様なんだ」
「あっそ。それで?」
「えっ? もっと驚いてくれてもいいじゃん。俺、結構偉い人なんだけど?」
……最初から知ってたし。
「姫様のお家出ごっこは勝手だが、協力者と勘違いされた挙げ句、児童誘拐犯の汚名まで着せられた身にもなってみろ。こっちは大迷惑だ」
私が指名手配されているのは、おそらく彼女が“協力者”と見なされるのを避けるためだろう。公に王女を探すことができないからといって、なんと回りくどく、そして卑劣な手段か。
「はは、ごめん。でも……私は、本当に外の世界に出たかったんだ。姫じゃない人生を、生きてみたかった」
急に変わる一人称。“俺”から“私”へ。心の揺れが言葉に滲む。
「……実はね。私は一度、剣で生きる人生を諦めたの。そうすれば父様も困らないし、マサキ兄様にも目の敵にされない。母様だって、きっと喜んでくれる。みんなが幸せになるって……そう思ったんだ」
――それじゃ、君が不幸がなるじゃないか。
「でも、マサキ兄様が聖剣を抜けなかったとき、“私”には、もう一度剣を握っていいって、そう分かったとき……嬉しかったんだ」
そして、彼女は再び“俺”に戻る。
「たとえ他の誰かが勇者になったとしても……俺は、もう『姫の私』には戻れない。だから――もう一度、この手に、剣を取り戻したい。……おっさん、俺を外の世界に“誘拐”してくれないかな?」
……身代金も取れない誘拐犯か。とんでもない貧乏くじを引いたものだ。
これが“自由都市”? 笑わせる。目の前の少女は、剣を取る自由すら持っていない。ただの牢獄だ。王家や貴族の支配下にある限り、本当の自由など存在しない。
現に彼女は、得体の知れない男――私に縋らなければならないほど、追い詰められている。
助ける義理はない。だが――
「いいだろう。誘拐してやる」
魔王は姫を攫うものだ。そんなロマン体験もせず、ここまでの仕打ちを甘んじて受ける私ではない。
それに――
「報奨はもらうぞ」
「俺、一応姫だけど……そんなにお金持ってないぞ? まさか……」
「そこだ! 身を固めてない! 身体とか狙ってないからな! お尻もだ! そっちも狙ってないからなっ!」
勇者候補にまで立てられたこの国の姫。その剣技と知識は、セリナという少女の成長にも必ず役立つだろう。連れて行けば、剣の指南役として申し分ない。
ならば、利用するまでだ。
見えてきたぞ。我らの勝利への道が――ふふふ。
魔王は姫を攫う。
この国一番の自由貿易都市、“グラナール”という名の“牢獄”から。