塵を踏み、歩く
ファジルは霧の中を記憶を頼りに歩き、円卓派の研究棟を発見する。遮られた視界では玄関の周辺しか様子を窺う事は出来ないが、まだ異常は無いように見えた。
「…………」
――――この建物を調べれば、死んだ一人が分かると言うのか。
震える手でそっと玄関の戸を開く。霧は外に比べれば薄く、玄関の広間の先に、円卓の図書室の扉が見えた。
開け放って図書室に入るが、異常は無い。円卓は記憶のままにそこにあるが、本は霧によって湿気てしまっている。
「……次」
ファジルは仲間達の研究室を順に巡っていく事にした。
ムーサ、ティマーズ、ゴットラム、タラン、メトロス、フィレーネ、ハーロルとファムム、ライラ……特に異常は無い。開きっぱなしの本、紅茶を飲み終わったままのカップ、脱ぎ散らかされたドレス……日常を切り取ったかの様に生活感を残す様相であったにも関わらず、五百年も経っていたという話を聞いた為か、何処か長い間使われていない様な空虚を感じた。
エウフォリオンの研究室の前に至る。ファジルは扉を開ける事を躊躇した。エウフォリオンがここに何らかの罠を仕掛けているのではないかと勘繰った為だ。
「他に何も見つからなければ、ここに来ましょう……」
ファジルはエウフォリオンの研究室の扉から目を反らし、廊下の先に目を向け――――息を詰まらせた。
「……!」
視線の先にあるのは――――ウマルの研究室の扉。それも、一目で異常を感じ取れる状態だった。明らかに、他の研究室の扉とは違う。まるで長年の雨風に晒された廃墟の扉の様に朽ちかけていた。
「あ、あぁ……」
――――まだ、分からない。だが、あの部屋で、ウマルの部屋で何かが起こっているのは間違いない。
一歩、一歩、見たく無いと啜り泣く心と、確かめなければならないと叫ぶ意志に惑いながら、ファジルは進む。
扉の目の前に立った。錆びた金属の取っ手を握ると、ファジルの手に錆び臭さだけを残し、ぼろぼろと崩れ去ってしまう。あまりに腐蝕が激しかったのだ。
「何故ここまで……今日が繰り返され、その度に物体の状況も元に戻るのなら、こんなに腐蝕は起きない筈……いえ、物体に時間を外れさせれば可能……? しかし、扉を時間から解き放って何の意味が……」
取っ手は崩れ落ち、役目を果たしてはくれないが、扉そのものも崩壊する寸前。ファジルが少し触れれば、やはり扉も崩れた。否、塵になった。
舞い散る塵芥にファジルの視界は一瞬遮られる。塵が目に入らないよう、ファジルは目を瞑った。そして、再びファジルが目を開いた時、見えた景色は――――
「……!」
――――研究室の床を覆い尽くす、一面の塵の山だった。
「なんですか……この、塵は」
部屋にはほとんど物が残っていなかった。否、恐らくは塵になったのだろう。一冊分の隙間も無く本で埋め尽くされた本棚、紙が散らばり、片付けられていない様子だった机があった場所には、それらが朽ちればこのくらいにはなるだろうという量の塵が積もっていた。
この部屋のみが、まるで何百年も、否、何百年程度では足りない。幾千幾万もの年月が経った後の遺跡の様な有り様だった。夜明けの光の中、ウマルと結ばれた光景は、最早何処にも無かった。部屋にかろうじて形を残している物と言えば、御影石の彫像くらいのものだ。
そして、部屋の中で最も気になる物は――――部屋の中央に積もった塵の山。ファジルの記憶では、そこにはこれと言った家具は置かれていなかった。ならば、塵の元になったものは、何なのか。
ファジルはそっと部屋に足を踏み入れる。新雪の様に部屋にうっすらと積もった塵に、足跡が付いた。そして気付く。部屋には、ファジルが作るものとは別の足跡が、幾つか残っている事に。
「部屋がこの惨状になった後、誰かが来ている……? この足跡は恐らくは人、そして……少なくとも私よりは大きい」
更に気付く。扉から入った足跡はあるが、扉から出ていこうとする足跡は無い。
「っ!」
ファジルは咄嗟に辺りを見回した。部屋に入った何者かがまだ居る可能性が高かったのだ。しかし、部屋に人が隠れられる様な場所は無い。強いていうならば、部屋の中央に積もった、塵の山の中。
漆黒の鎖を構え、ファジルは恐る恐る塵の山に近づく。大理石で出来た床は幸い床としての強度を保っているようで、足元を気にする必要は無かった。
塵の山に近づいた所で、ファジルの視界の端に異様な物が映る。それそのものが異様なのでは無い。この部屋の惨状の中に存在する事が、ある種異様な物だ。
「巻物……?」
塵の山の直ぐ側に、羊皮紙の様な紙で出来た巻物が転がっていた。うっすらと塵を被っている。有機物で構成された物がことごとく塵と化している部屋の中で、その巻物は古ぼけていながらも、しっかりと形を保っていた。
塵の山に警戒しながら、ファジルは巻物を拾う。塵を払い、少し広げてみた。
「……カルナマゴス」
巻頭には、恐らくは著者であろう名が書き込まれている。ファジルには聞き覚えが無い名だった。
難解な言い回しを用いてはいるが、文字そのものはハイパーボリアで普段使われているもので書かれていた。中身はどうやら魔導書のようで、幾つかの魔術や怪物の知識、更には魔導師の謎めいた予言などというものまで書き込まれている。平時であれば、ファジルが学術的興味から飛び付いたであろう代物だった。ゴットラムなどはファジル以上に興味を示したに違いない……
遺言の様な側面もあるのか著者の生涯らしき文章も書かれている。しかし、ゆっくり読んでいる暇は無いと読み飛ばした。
読み進めていく中でファジルは一際異彩を放つ記載を見つける。
「クアキル・ウッタウス……塵埃を踏み歩くもの……塵?」
その文章は、クアキル・ウッタウスなる正体不明の神性についての言及だった。それは、塵埃を踏み歩くものと呼ばれるらしい。――――この状況では、関連があると見て間違いないだろう。
ファジルは食い入る様に文章を読み進めていく。
「彼のものの到来、幾星霜の経過に似て、肉体にまれ石にまれ、彼のものの歩みに堪えるもの無し。あらゆるものがその下に塵と積もる。つまり……クアキル・ウッタウスが現れればその場に膨大な時が流れ、全てが塵と化す、と言うこと。ならばやはり……」
――――この部屋にはかつて、クアキル・ウッタウスが現れたのだ。
「何故この部屋に? だれかが……ウマルが呼んだ? もっと、もっと調べないと……!」
大きく巻物を広げ、ファジルは更に記述にのめり込もうとする。――――魔導書に魅入られる事がどれだけの危険を孕んでいるかを、十分に承知していたというのに。
ファジルの意識の外で、部屋が軋む。大理石の床が、壁が、更に年月を経た様にひび割れていく。これは魔導書の魔力か、はたまた存在を知られた神の怒りか、いずれにせよ、これ以上の探求が危険である事は明白であった。それにファジルは気づく事が出来ていなかった。だが――――広げた巻物から落ちた紙が、ファジルの意識を反らした。
「……これは?」
それは手紙の様だった。恐ろしいまでに規則正しく整えられた文字で書かれている手紙だった。まるで物差しに沿って書かれたかの様なその文字は――――
「っ! ウマルの文字……!」
ファジルは巻物を取り落とし、手紙を広い上げた。
◇◆◇
『ファジルへ
君がこれを読む時が来ない事を祈りながら、僕はこの手紙を書いている。いや、君が読んでくれているなら、それは良い事なのかもしれない。何故なら、君がこれを読めているという事は、今世界を覆っている脅威が取り除かれ、君が未来を歩めている筈だからだ。だけど、その時はきっと、僕の未来は閉ざされた後なんだろう。
そう、僕は間に合わなかった。自分の寿命が尽きる前に、病への対抗策を作ることが出来なかった。詳しい説明は省くけど、僕は君が知らない内に、君よりも遥かに年上になってしまったんだ。その期間に僕の側に居れなかった事を君は悔いるだろう。だけど、どうか悔いないでくれ。引きずらないでくれ。これは、僕自身が招いた事なんだ。
今、僕の身体は全てを魔術で補っている。内臓もね。その魔術を作り上げるまでは出来た。だけど、魔力が持たない。生命維持に必要な最低限の機能だけに搾っても、身体に満ちる魔力より、消えていく魔力の方が多いんだ。その内、僕の魔力は完全に枯渇し、死を迎える。
でも、ただ死を待つ気は無い。残っている魔力で、最後に賭けに出る事にした。探求の旅で見つけた魔導書で言及される、クアキル・ウッタウスと呼ばれる存在に契約を乞う。彼のものは、契約者に永遠の命を与えるとされている。本当かも分からないし、本当だとしてもきっと、代償も大きい筈だ。だけど、少しでも君にまた会える可能性があるなら、僕はどんなことでもやるよ。
契約に値しなかった者は、塵にされるらしい。僕の部屋に塵の山が積もっていたなら、そう言うことだと思ってくれ。
君を愛している。
ウマル』
◇◆◇
「はは……」
その場に踞る。床に水滴が落ち、塵を湿らせた。
「……言ったというのに……側にいると、一人にしないと……! 言ったのに! 私は! 本当に……!」
拳を握りしめ、何度も床に振り下ろす。血が滲む。だが、そんな事はファジルにはどうでも良かった。むしろ、こんな何も出来ない身体は壊れてしまえば良いとすら思った。
皮が裂け、肉が潰れた手で塵の山にすがりつく。今からでも取り戻せはしないかと散らかる思考の中で探るが、全ては無駄だった。
「~~~~~!」
悲鳴の様に泣き叫ぶ。肺の空気が抜け、窒息するまで吐き出し終えると、ファジルはふらりと立ち上がった。
魔力を込め、漆黒の鎖の先を短剣に変える。
「あなたが死んだら……後を追うと言いましたよね……ウマル……」
剣先を自身の左胸に向ける。そこで気付いた。――――そうだ、自分は今、死んでもまた繰り返すのだ。
「いえ……死のうと思えば、死ねる」
ファジルはグォウ=ヴに与えられた魔術を思い出した。『時間から外れる』は自らをこの繰り返す時から解放する。これを使ってから死ねば、蘇る事は無い。
「結構な事ではありませんか。私が死ねば、私とヨク=ゾトース達以外の皆が得をするんです」
呪文を唱えようと口を開く。だが、死ぬ前にもう一度手紙を読もうと紙を拾い上げた。
「……?」
手紙の裏にも何かが書かれている。
◇◆◇
『君は僕が死んだら後を追うと言ってくれたね。僕はあの時、それをおぞましくも、嬉しいと思ってしまった。 手紙を読んだ君はきっとそうするだろう。だけど、はっきり言うよ。今、僕はそれを望んでいない。
僕は結局、あれから君に何もしてあげれていない。幸せも、思い出も、何もあげられていない。そんな状態で会いにこられても、僕は後悔に濡れた死後を過ごすだけだ。僕の為にはならない。
君は生きてくれ。長く生きて、幸せになってくれ。それでもまだ僕だけを想っていてくれたなら、その時は、君を残して早々に死んだ僕を叱り飛ばしに来てくれると嬉しい』
◇◆◇
「ウマル……」
ファジルの目から涙が一つ零れると共に、口の端が歪んだ。
「酷い人……私に、この地獄を抜けて幸せを掴めなんて。私も……あなたがそう望むのなら、何だってやりますよ」
漆黒の鎖を裾に戻す。
「死ぬ訳にはいかなくなりましたね……」
ファジルは塵の山に背を向けた。
「待っていてください、ウマル。全て終わらせて……いずれ会いに行きます」
そう言い残し、ファジルは塵の中を歩いて外に出た。




