後継者
目を覚ましたファジルは部屋を見回す。
起死回生の一手を不意にした以上、どう対抗出来たかは定かではないが、エウフォリオンが居れば殺意の限り睨み付けてやるつもりだった。しかし……
「……いない?」
部屋にエウフォリオンの姿は無かった。悪辣非道なエウフォリオンの事だ、一度安心させて不意を討ってくるかもしれないと注意深く待機してみるが、やはりエウフォリオンは現れなかった。
ファジルは消え行く意識の中で聞いた呟きを思い出す。
『俺も少し、慎重になるべきだな……』
「つまりこう言うことですか? 一度手痛い反撃を食らったから姿を見せないようにすると? ……臆病者め、居場所も手段も探しだして――――必ず殺してやる」
ふと、ファジルは自嘲を洩らす。
「殺意を言葉にするなんていつぶりでしょうか……母をあの男に殺された怨みをウマルの腕の中で吐き出した時……ウマル、ウマル、ウマル。ウマルは今の殺意に濡れた私も受け止めてくれるでしょうか。今、一体どこに……?」
――――その前に、何かを忘れている気がする。
感じた違和感にファジルは首をひねるが、今すぐにしなければ行けない事に気付き、はっとして声を上げる。
「お父さん!」
言うが早いか、ファジルは部屋の扉を蹴り開け、廊下に飛び出す。瞬間、柔らかい何かにファジルの身体が受け止められた。
「ファジル? 部屋に居たのか? そんなに慌ててどうしたんだい?」
ファジルを受け止めたそれは、マンガイのふくよかな腹の肉だった。
「お父さん……?」
マンガイの身体をぺたぺたと触り、父が確実にここに存在するのだという事を確かめるファジル。そして、目の前に居るのが間違い無く父で、間違い無く生きているのだと確信できた時、ファジルの眼から涙が零れ落ちた。
「お父さん……お父さん……」
「ファジル、一体どうしたというんだ。ああいや、今は理由などいいから、存分に泣きなさい。落ち着いたら話してくれ。何が有ったのだとしても、お父さんが君を助けてやる」
ファジルの顔から流れ出る様々な液体で、高価な服を散々汚されながらも、マンガイは至上の温かさのこもった手でファジルの背を撫でる。
心から、激情に塞き止められていたもの達が溢れ出ていく。身体に入り込む冷たい異物の感触、血が抜け落ちていった後の肉体の寒気、自身がこの世から消えていく様な感覚……死への恐怖。そして、大切な人を害される恐怖。
魔導師見習いだったとはいえ、つい先日までただの少女であったファジルにはあまりに酷な体験が次々に蘇り、その心を再び傷つける。
時間が巻き戻り、肉体の傷がその一切の姿を消そうと、記憶を持って巻き戻るファジルの心は傷が増える一方だ。しかし、その心の傷も、マンガイの温かな愛によっていくらかは癒えて行くようだった。
涙は暫く止まりそうに無い。
◇◆◇
散々泣き散らかしたファジルが漸く泣き止んだ後、二人は食事室のテーブルで向かい合っていた。
「それで……何が有ったのか聞いてもいいかな……?」
優しい眼差しでファジルに問いかけるマンガイ。だが、ファジルは首を振った。
「お答えは……出来ません」
今ここで話したとしても、また時間が巻き戻ればマンガイは全てを忘れてしまうだろう。第一、今に至ってもファジルには事態を説明するだけの情報が無かった。話せる事と言ったら、世界の異常は自分の仲間達によって起こされただろう事と、その仲間だった男に何度も殺された事くらいだ。――――そんな話をされて、果たしてマンガイがファジルを外に出すだろうか?
「そうか……君の事情はきっと外の異常にも関係しているのだろうと思ったのだがね。話せないなら、仕方ない」
「良いのですか?」
「君を信用している、と言っておこう。君は危険を省みない事も多いが、それでも話すべき事は話してくれる子だとね」
ファジルは俯く。罪悪感から全てをぶちまけたくなった。だが、何も行動出来なくなる事は許容出来ない。手をこまねいていれば、いつまたエウフォリオンが襲ってくるか分からないのだ。
「私は……外に出ます。許してくださいますか?」
マンガイは腕を組んで唸った。
「正直な所、外に出て欲しくは無い。だが……行かなければいけないんだろう?」
「はい」
返事に込められるだけの真剣さを込めてファジルは言った。伝わってくれたのか、マンガイは深く頷いた。
「そうか、ちなみに、私も同行するというのはどうだい?」
「駄目です」
「即答だね……まぁ良い。少し待っていなさい」
そう言うとマンガイは席を立ち、食事室から出ていく。暫くして部屋に戻ってくると、マンガイの手には一本の鍵が握られていた。ファジルに見覚えのある鍵だった。
「それは……倉庫の」
「ああ、君が勝手に倉庫の物を持ち出さない様に私が管理していたものだ。中にある物を好きなように使いなさい。今の君なら、扱って危険過ぎる物は無いだろう。鍵は私の書斎机の右の引き出し、一番下で保管しているから、終わったらそこに戻してくれ」
マンガイから鍵を受け取りながら、ファジルは感慨深い思いに胸が占められていた。かつてファジルが懲罰官を志し、勝手に出入りしていた倉庫。危険だとマンガイに閉められ、この五年間一度も入ることの出来なかった倉庫が今、開かれたのだ。
「君の成長は噂に聞いている。いずれアイモス一派の中でも指折りの魔導師になると。その時点で職には困らないだろうが、それでも君が望むなら……もう、私も認めない訳にはいかないな。この騒動が片付いたら、君を正統に後継者とする。懲罰官のね」
――――だから、無事でいてくれ。
そんな想いがファジルに伝わってきた。マンガイの望みを叶えられるかは分からない。何より、そんな望みすら次には消えてしまうのだ。だが、マンガイがそうまで想ってくれた事を、例えどんな目に合おうとも、心に刻み込んでおこう。ファジルはそう決意し、深々と頭を下げた。
◇◆◇
扉の錠に鍵を刺し、重々しい音と共に扉を開けば、埃っぽさと共に懐かしい記憶が漂ってくる。
「特に物は増えていませんね……」
部屋を見回しながら、ファジルは何気なく棚に積もった埃の層に一筋の空白を作った。
この倉庫にファジルが探しに来たのは、この家の家宝とも呼べる物だ。普段であれば、家宝を持ち出すなどマンガイからの大目玉では済まないだろうが、倉庫の物を好きに持ち出せと言ったのだから勿論今回は許されるだろう。
倉庫を歩きつつも、ファジルは現状の整理を行っていた。エウフォリオンは何も確信を語らなかったが、多くの手掛かりとなる言葉を口走っている。
特筆すべきは、『何十年分も繰り返された今日』『俺達は一度死んだら終わり』『蛇女』だろうか。
ファジルはぶつぶつと独りごちる。
「まず、『何十年分も繰り返された今日』ですが、どうもこの時間の溯行は自身がそれに気付く以前にも起きていたようですね。エウフォリオンの言葉を信じるなら、少なくとも二十年以上。……信じたくはありませんが」
ファジルはエウフォリオンの変貌を思う。人は切っ掛けさえあればたった一日で全くの別人に変わる事だって出来てしまう。二十年もあれば、ああなってしまっても不思議ではないのだろうか。――――他の仲間達もああなのだろうか。ウマルも――――
不吉な考えをファジルは頭を振って追い出す。
「……私はこの繰り返しを、今まで全て『自分の死』によって締めて来ましたが、どうやら私が死んだ後も『今日』自体は進むようですね。――――繰り返しが起こる時刻は何時なのでしょうか」
それは、繰り返しが起きる時刻まで生き残っていれば分かるだろう。ファジルは考えを次に進めた。
「次に、『俺達は一度死んだら終わり』……彼は死んでも次の繰り返しで元に戻らないという事? いえ、『繰り返す世界に縛られていない』とも取れますか。恐らく繰り返しの直後であろう『私が目覚めた瞬間』から私の部屋に居れた理由もそれなら説明がつきますが……本当に一体、何がどうなっているのやら」
あまりに複雑だとファジルは思う。考えすぎで頭が熱を持ったようにすら感じた。
「次……『蛇女』。あの神はやはり重要ですね。恐らく、今回の事件の全てを知っている筈。……一度思いきって話しかけてみるべきですかね? っと……」
ファジルは遂に家宝を見つけた。それは、見覚えのある漆黒で形作られた鎖だった。
「まさかとは思いましたが、やはり似ていますね……」
鎖を持ち上げ、魔力を込めて見れば、鎖の両端がうねうねと動き分銅を象った。形を変える様に魔力を込めれば、刃物にも姿を変えた。流体であるようなのに金属光沢を帯びており、叩けばやはり金属の堅牢さを感じる。
これは、旧都のコモリオムの時代から続くファジルの家に代々伝わる鎖だった。あまりに禍々しい為、表での使用を禁じられ長く倉庫で埃を被ってきたのだが、今回はおあつらえ向きだろう。
「あの蛇と同じ鎖……私がこの異常な状況において更に異常な事と関係があるのでしょうか……」
ファジルは鎖を自身のローブの裾へと隠すと、倉庫を出た。




