開戦
「ひっ……」
自身を見下ろすエウフォリオンに気付いたファジルは、反射的にベッドの隅に身を寄せ、自身の身体を抱き縮こまらせた。
胸を貫くナイフの感触も、全身の神経に刻み込まれた苦痛も、まだその余韻を残すところ無くファジルに感じさせている。
「な、なん、で……」
――――私の部屋に……? 疑問は声に出来ず、がちがちとぶつかり合う歯の音にかき消された。
エウフォリオンは頭を掻く。
「まぁ、目覚めた瞬間、目の前に男が居ればそりゃ怖いよな。ウマルだったら嬉しかったんだろうが……だが、お前が怯えてるのはそれだけじゃねぇ。覚えてるんだろう? 前を」
ナイフを取り出し、見せつける様に手で弄ぶエウフォリオン。
「や、やだ! もう、もう辞めて……エウフォリオン……お願い……お願い……」
自身を二度も貫いたナイフを見たファジルはあからさまに顔に恐怖を浮かべると、頭を抱えてうずくまり、エウフォリオンに懇願した。
「ああ、辞めてやるよ。お前が大人しく俺の質問に答える内はな」
ファジルは恐る恐るエウフォリオンを見上げる。
「わ、分かりました……何を、聞きたいのですか」
従順になったファジルを見てエウフォリオンは頷いた。
「まずは……そうだな。お前は俺に殺された記憶が有るな?」
「はい……」
「何度だ?」
「二度……」
返答を聞き、エウフォリオンは怒りを払う様に大きく息を吐きながら頭を振った。
「あーあ、やっぱりそう言うことかよ……やってくれたなあの蛇女め。俺のして来た事は全て無意味だ。何が公正だくそったれ」
「……? どういう……」
ファジルが疑問を口にしようとした瞬間、エウフォリオンはファジルの鼻先にナイフを突き付けた。ファジルは狼狽え、服従を示す様に跪く。
「お前は質問される側だ。俺が求めた時以外声を出すな。いいな?」
「は、はい」
エウフォリオンにひれ伏しながら、ファジルは考える。今まで通りなら、そろそろ父が部屋に入ってくる筈では無いか? 娘の部屋に侵入し、娘にナイフを突き付けている男に父は容赦しないだろう。父も腕の立つ魔導師だ。今のエウフォリオンは強大な魔導師のようだが、父と二人がかりなら倒せるかもしれない……
目の前の男を倒す算段に頭を巡らせ、扉に気を向けるファジル。その一瞬の視線の動きが、エウフォリオンの目に止まった。
「扉が気になるか?」
「いえ、そんな、事は」
ファジルは冷や汗をかいてなんとか誤魔化そうとする。そんなファジルを、エウフォリオンは嘲笑った。
「もしかしてよ、大好きなお父様が助けに来てくれる事を期待してるのか?」
「…………え?」
見透かされた。エウフォリオンは当然、父の事も把握していたのだ。――――ならば、エウフォリオンが父に何もしない事があり得ようか?
「お父さん、お前の事を凄く大事にしてるんだな? 親子仲が良いようで羨ましい限りだよ。そんなお父さんが後でお前の死体を見つけると思うと心苦しくてなぁ……」
続く言葉を、ファジルは悟ってしまった。嫌だ、聞きたくない。言わないで――――
「――――先に殺しておいてやったよ」
「ッ~~~!」
ファジルが最初に感じたのは吐き気、そして罪悪感。父を巻き込んでしまった。死なせてしまった。だが、殺したのは誰だ? エウフォリオンだ。悪いのは誰だ? エウフォリオンだ。死とそれを与えるエウフォリオンへの恐怖の山を貫き、ファジルの怒りが火口から噴き上がった。
「そんな顔すんなよ。お前と違ってお父さんは次に記憶を持ち越さない。今回の今日が終われば元通りさ」
「この……腐れ外道っ!」
殺意、久しく誰かに覚えることの無かった衝動がファジルを焦がす。
「何かするつもりか? 辞めとけよ。どうせ何もできやしないんだ。俺とお前では年季が違う」
エウフォリオンはファジルに向かって腕を伸ばし、魔術を発動する。ファジルの身体は見えない何かによって押し付けられた。
――――あの魔術は対象に腕を伸ばすことが条件だ。腕を自分から反らす事さえ出来れば……!
ファジルは状況を打開する方法を探しながら、力だけで抜け出せれば幸いと抵抗し続ける。エウフォリオンは呆れた様に首を振った。
「いちいち殺して出直すのも面倒なんだ。大人しくしてくれよ。さて、質問に戻るぞ。お前は何処まで現状を把握している?」
返答までの刹那、ファジルは思考の海に沈む。魔術は集中が命だ。彼の集中を削ぐ様なハッタリをかますことが出来れば、魔術を解けはせずとも弱らせる事くらいは出来るかもしれない。
では何が最もエウフォリオンを動揺させるか? 蛇女とエウフォリオンが呼んでいた存在が鍵になるとファジルは考えた。その存在の行動でエウフォリオンの何かしらの行動が意味を無くしたと。そして、その存在は公正な筈であるのだと。
蛇と聞いて思い当たるのは、塔に居た鎖の怪物。あの存在が女かどうかは分からないが、かの蛇と似た漆黒の存在である黒いローブはファジルと同じ顔――――つまり女だった。仮に蛇と黒いローブが同じ存在であるのなら、蛇女と呼んでもおかしくは無い。
ファジルは決めた。彼女が自分の仲間であると言い張ってみようと。全くの的外れである可能性は星の数程あり、危険すぎる賭けだが。憤怒に冷静さを失ったファジルは気にも止めなかった。
「聞こえなかったか? お前が把握している事を教えろと言っているんだ」
エウフォリオンが再度問う。ファジルはエウフォリオンを睨み付け、口を開いた。
「さぁ? あなたが思うよりも余程何も知らないと思いますよ。一つ分かっているとすれば……あの鎖の蛇が私の完全な味方であり、私に有利になる様に動いてくれている事ですかね」
エウフォリオンは目を見開いた。
「おいおい……冗談だろう? しかし、そうか……」
指を顎に当て、考えに耽るエウフォリオン。相変わらず腕はファジルに向かって伸ばされたままだが、思考に没頭するあまりファジルを視界から外しているようだった。
ふと、見えない力の魔術が僅かに弱まる。ほんの些細な差であったが、変化を起こすには十分な差。
――――やった。
ファジルは僅かに動く様になった手で、裾の中の鎖分銅の位置を確認する。そして、反対の手でエウフォリオンが伸ばす腕の横の宙空をそっと指差した。
――――懲罰官としては越権行為も甚だしい。だが、彼の所業を知れば裁判官も許してくれる筈――――
ファジルは宙を差す指をエウフォリオンの腕に向かって動かした。
途端、虚空から一筋の暴風がエウフォリオンの伸ばされた腕に向かって吹き荒れ、腕がファジルとは全く別の方向へ吹き飛ばされる。
「なに!?」
驚くエウフォリオン。身体が自由になったファジルが間合いを詰め、鎖分銅を――――エウフォリオンの横っ面に向かって振り抜いた。
空気を切り裂く音の直後に響く、骨が砕ける音。エウフォリオンは口から血や歯の破片を吐き出しながら床に転倒する。
ファジルは倒れ伏したエウフォリオンの頭部に狙いを定め、鎖分銅を振りかぶり、そして、絶叫と共に思い切り振り下ろした。
「ハァァァッ!」
――――しかし、殺人への忌避か、仲間だった男への情か、振り下ろした分銅は手元の狂いによってエウフォリオンの顔の真横の床を粉砕するに留まる。
「っ!」
ファジルは再び振り上げようとしたが、時既に遅く、エウフォリオンの腕がファジルに向かって伸ばされた。
不可視の力に吹き飛ばされ、壁に激突するファジル。
「いってぇなぁ……」
ゆらりと幽鬼の如く立ち上がるエウフォリオン。
「いってぇなぁ……いってぇなぁ……」
ぶつぶつと呟き、ふらふらとファジルに近づく。その手には、ナイフ。
「いってぇなぁっ!」
口から唾と血を吐き出し叫ぶと共に、エウフォリオンはナイフをファジルの身体に突き立てた。
「いってぇなぁ! いってぇなぁ! いってぇなぁ!」
突き立てては直ぐに引き抜き、何度も何度も、執拗にファジルを貫く。引き抜いた際にナイフを伝って撒き散らされる血が雨の様に部屋を赤く濡らす。
最後に、鍔で肉が潰れる程強く心臓にナイフを突き立て、エウフォリオンはファジルを床に投げ捨てた。だが、それでもファジルの眼はエウフォリオンを強い殺意を持って睨み続けている。
血にまみれたファジルを見てエウフォリオンは呟いた。
「はぁっ……はぁっ……狡いよなぁ……俺達は一度死んだら終わりだってのに、お前は何度だって蘇る訳だ……記憶だけを持ってよ。俺も、少し慎重になるべきだな……」
次は殺す、必ず。そう誓いながら、ファジルの意識は三度目の闇に堕ちていった。




