狂喜
窓から柔らかな光が差す円卓の部屋。青い瞳をした青年が、本を広げて熟読している幼い少女に声をかけた。
『お前が円卓に入ったっていう娘か?』
少女は本から顔を上げ、愛想の良い笑みで応対する。
『はい、ファジルと言います。よろしくお願いいたしますね。エウフォリオンさん』
『エウフォリオンで良い……ムーサとウマルの幼馴染だったな。何でまた魔導師に?』
『父の後を継ぎたいんです。父が懲罰官でして』
一瞬、青年の顔が強張る。
『後継ぎ、か。……親父さんはなんて言ってるんだ?』
『父は私に継がせたくは無いようです。でも、知ったことではありません。誰にも文句を言わせない程に力をつけて、自分が後継だ! って言い張るんです。見返してやるんです』
腕捲りをして意気込む少女の言葉に、青年は目を見開いた後、表情を崩した。
『……フッ、そうか。継げると良いな』
『はい!』
夜明けに差す光の様に眩しく微笑む少女を、青年は青い瞳を細めて見つめていた。
◇◆◇
陰鬱な緑の空の下、寒気を走らせる霧が立ち込める路地の中で、ファジルとエウフォリオンは対峙していた。
「無事……だったのですね。てっきり先生の塔に居るのだと思っていました」
当たり障りの無い会話を投げるファジル。その間に、頭は巡りに巡っていた。主に、彼が自身の殺害の犯人では無い証拠が何処かに有るのではないかという願いの為であった。
しかし、どれだけ探してもそんな証拠は何処にも無い。むしろ、確信は深まるばかり。場所も、服装も、状況にそぐわない余裕綽々な態度も……
それでも信じられない、ファジルはただそう思った。エウフォリオンはあまり柄の良い男とは言えなかった。だが人を、それも仲間であった少女を殺し、あんな余裕の笑みを浮かべられる様な男では無かった筈だ。第一、エウフォリオンが一体何故自分を殺そうとすると言うのだろうか。
本当に目の前の人物は、エウフォリオンなのか? 自身の前に現れた黒い人影の様に、エウフォリオンを騙る偽物なのではないか? そうであって欲しかった。しかし、ファジルにはどこか諦めにも似た確信があった。この男はエウフォリオンなのだ……と。
当のエウフォリオンはと言えば、ただ笑みを浮かべてファジルを見つめている。
「一体今、何が起こっているのですか?」
警戒をしながらも、ファジルは質問をする事にした。霧の中よりも見通せない現状を少しでも晴らしたかったのだ。だが、エウフォリオンは何も答えなかった。
「他の皆はどこに居るのですか?」
エウフォリオンはやはり、黙して何も語らない。
「……返事の一つくらいして欲しいのですが」
「おいおいファジル……今日は随分と顔が怖いじゃねぇか。せっかくの綺麗な顔が台無しだぜ?」
漸く口を開いたかと思えば戯れ言を飛ばすエウフォリオンに、ファジルの眉間は一層狭まる。
「質問に、答えてください」
語気を強めるファジルに対し、エウフォリオンは口角を吊り上げた。
「その前によぉ……俺から一つ聞かせてくれや」
「……なんですか?」
「もしかしてお前……俺が何をしに来たのか、知ってるんじゃねぇのか?」
そう言ってエウフォリオンは、懐に手を伸ばす。
「っ!」
――――自分を死に至らしめたナイフが出てくるのではないか。喉を切られ胸を貫かれる痛みを思い出したファジルは、半ば無意識に裾から鎖分銅を取り出し、構えた。
しかし、エウフォリオンが懐から取り出したのは……液体の入った瓶だった。どうやら酒瓶の類いの様で、エウフォリオンは蓋を開けて中身を思い切り呷ると、満足そうに息を吐く。
「ハハハ! 大事な仲間にいきなり武器を向けるんじゃねぇよ! 俺ぁ酒が呑みたくなっただけだ!」
上機嫌でひとしきり笑ったかと思えば、急に顔を俯かせた。
「しかし……そうか、武器を向けるくらいに嫌われちまってるってことはやっぱりそうだよなぁ……! 知ってんだなぁ!? そうだよなぁ!?」
叫びと共にエウフォリオンは顔を上げる。ファジルは、そこに怒りが見えるのではないかと思った。しかし、実際に顔を上げたエウフォリオンの表情は――――喜びで歪んでいた。
ふと気が付くと、ファジルは宙を舞っていた。否、大きく吹き飛ばされ、突き当たりの壁に向かって叩きつけられる過程だった。――――不可視の強大な力によって。
「エウフォリオンの魔術…………ぐぁっ!」
ファジルの小さな身体は大理石の壁にめり込まんばかりに激突した。頭を強く打ち、視界が明滅し、意識が朦朧とする。後頭部からぬるい液体が流れ落ちるのを感じる。不可視の力で壁に身体を圧迫され続け、言葉を発する事すらままならない。
――――魔術が強力すぎる。朦朧としながらもファジルは思った。ファジルが知っているエウフォリオンの魔術と言えば、ハーロルが全力で対抗すれば破れない事は無い程度のものだ。ファジルでも破れないにしろ抵抗くらいは出来ただろう。しかし、今ファジルを押さえつけている力はその比では無い。ファジルは指先を僅かに動かすことすら出来なかった。
―――― ヨク=ゾトースがエウフォリオンに知恵をもたらしたのだろうか? それとも、別の何かが――――
ファジルに向かって手を伸ばしたエウフォリオンが、路地の先からゆっくりと歩いてくる。処刑台に上がる執行人の様な勿体ぶった足取りだった。
「長かったぞ……」
懐から、今度こそ見覚えのあるナイフを取り出し、エウフォリオンはファジルに迫る。
殺される。だが、何も出来ない。魔術を扱おうにも、ろくに声も出せなければエウフォリオンに対抗できる様な強力なものは使えない。
だからと言って、無駄に命を散らすのは御免だ。次が有るかは分からないが、もしまた機会を得られた時の為、少しでも情報を得なければ。
ファジルは押さえつけられた声帯を限界まで酷使し、声を出そうとする。
「な……ぜ……わた……し……を……こ……」
エウフォリオンはわざとらしく耳を傾けた。
「何故私を殺すのか……か? 分かってる癖によ」
エウフォリオンはナイフをファジルの左胸に突きつける。
――――分かっている……?何を言っているのだ?
「お前が死ねばこのくそったれな『今日』が終わる。何十年もの間停滞していた時間が動き出し、明日を迎えるんだ」
――――何十年? 停滞? 体験した時間溯行はまさか、自分が認識する前から起きていたのか? 自分が死ねば『今日』が終わるとは……?
「な……ん……じゅ……?」
「あぁ……お前にとっては精々数時間の出来事なんだったなぁ? 俺にとっては! 俺達にとっては! 何十年分も繰り返された『今日』だってのによぉ!」
一点して憤怒に顔を歪めるエウフォリオン。しかし、冷や水を浴びたかの様に直ぐ平静に戻った。
「はぁ……羨ましいよ、お前はこの地獄をたった数時間味わっただけで死ねるんだ。だから――――死ぬ時くらいは、存分に苦しむと良い」
そう言い放って笑うエウフォリオンの顔は、笑顔と呼ぶのも憚られる様な残酷さに満ちたものだった。
エウフォリオンが魔術を強め、ファジルは遂に一声も発する事が出来なくなる。突き付けられたナイフが、ゆっくりとファジルの心臓に向かって動き始めた。ファジルのローブを貫き、皮を破り、肉に突き刺さり……じっくりと痛みを味あわせる様に、少しずつ、少しずつ、肉を掻き分けられていく。
「ッ~~~!」
叫びに痛みを逃す事も出来ず、身動ぐ事も出来ず、ファジルはただひたすらに与えられる痛みを味あわされた。全身の筋肉が収縮し、失禁するが、太腿を流れ落ちる液体に気を回す余裕はファジルには無く、全ての神経が心臓へと集中させられる。
「お前の死に顔を見るのもこれで最後かと思うと名残惜しいねぇ……お前も胸に刺さってるナイフを良く見ておけよ……自分が死ぬ瞬間なんてそう見られるもんじゃない。俺も、じっくり眺めさせて貰うことにするよ」
エウフォリオンがそう語りかける頃には、ファジルの目は既に虚空に向けられていた。身体も、ナイフの動きに反応して僅かにびくびくと震わせるのみだった。
「ちっ……もうか。最初に左胸から行くべきじゃなかったな」
苛立ちにまかせ、身体の外に残った刀身を一気に刺しこむエウフォリオン。魔術を解けば、ファジルの身体は石畳に崩れ落ち、二度と動く事は無かった。
ファジルに最後に残された聴覚がエウフォリオンの言葉を拾う。
「終わったぞ……漸くだ。これで、これで『今日』が終わるんだよな!?」
◇◆◇
ファジルは再び自室で目を覚ました。辺りを見回せば、見慣れた家具の数々。そして――――
「よう、ファジル。また会いたくは無かったぜ」
無表情でファジルを見下ろす、エウフォリオンが居た。




