前夜祭
円卓に戻ったファジルとムーサ。少々時間が経っており、仲間達は先に大広間へ向かっているかと思われたが、円卓にはまだ数名の人影があった。ウマル、ティマーズとメトロス、フィレーネの夫婦だった。
帰って来た二人を認めたフィレーネは、柔らかく微笑んで頷きを一つ打つとメトロスを伴って部屋を出ていく。ウマルとティマーズは二人に歩み寄ってきた。ウマルはどこか安心したような目付きで、ティマーズは相変わらずのにやけ面だった。
「ふ~ん……」
ムーサの前に立ったティマーズは興味深そうにムーサの顔を眺める。
「なによ……」
勿論不快そうに眉を潜めるムーサ。ティマーズはにやけ面を深めて言った。
「嬉しそうな口角が丸出しだが、もう扇で隠さないのか?」
一瞬固まったムーサは次の瞬間には扇を広げ口元を隠し、ティマーズの脛に鋭い蹴りを放つ。
「ぐぉ……」
脛を容赦なく貫いたヒールに悶絶しうずくまるティマーズ。
「あなたに見る権利をあげた覚えは無いわ。弁えなさい。ほら、うずくまってないでさっさと行くわよ」
そう言い捨ててムーサは足早に歩き始める。ウマルとすれ違う際にちらりとウマルの顔を見たが、それも一瞬の事で直ぐに真っ直ぐ前を見つめて歩いていった。
「へ、へい……」
ティマーズも足を庇いながらムーサに続く。残ったのはファジルとウマルの二人だけとなった。
「その様子だと、わだかまりは解消されたみたいだね」
「はい」
ファジルは感慨深く頷く。ほんの数日前には想像もしていない事だった。
「僕にも責任はあると思っていたけど……下手に介入すると余計に拗れるんじゃないかと思って上手く動けなかった。すまなかった」
頭を下げるウマル。
「ウマルが気にやむ事はありません。それでも気にするなら、もう終わった事だと言っておきます」
ファジルは下げられたウマルの身体を起こして言った。
「分かった……これ以上は言わないよ。……僕らも行こうか」
「ええ」
◇◆◇
大広間は大層な賑わいを見せていた。最奥の舞台では既に音楽隊が舞踏曲を奏でており、中央に設けられた舞踏台で幾人もの男女が踊っている。壁際に並ぶテーブルでは、客人達が酒と料理を楽しんでいたり、会話に花を咲かせていたり、大広間を囲う様に配置されたアイモスの彫刻作品を観賞したりしている。この場を見ただけで、アイモスと言う魔導師の人脈の広さ、影響力の大きさが分かると言うものだろう。
魔導師アイモスは、ウズルダロウムで最も多くの弟子を持つ魔導師である。しかしそれは、彼がプノムやゾン・メザマレックと言ったかつての大魔導師達のような権威であることの証明ではない。彼は決して無能では無く、弟子達の尊敬も勝ち取っていなかった訳では無いが、弟子達がアイモスに求めたのは彼自身の能力では無かった。膨大な蔵書や、その人脈であったのだ。
アイモスの研究所は一種の社交場として利用されていると言っても過言ではないだろう。それをアイモスは良しとしていた。彼自身もまた、そこから得られる人脈を自身の影響力の拡大に利用しているのだから。
ファジルとウマルが大広間に入ると、丁度開始の時刻だったらしい、音楽隊の演奏が止み、音楽隊がいる舞台の上にアイモスが登った。そして、何らかの魔術を使っているのではないかと疑わざるを得ない、恐ろしく通る声で挨拶を始めた。
「お集まりの皆様。大変楽しまれているご様子のところ失礼致します。このアイモス、挨拶の前にして宴の成功を確信しており、この場に一瞬でも静寂をもたらす事に恐縮を禁じ得ぬ思いでありますが、せっかく用意した挨拶文でありますので披露させて頂きたい」
にこやかに言い放ち、羊皮紙数十枚分かと思われる紙束を見せつけるアイモスに、随所から僅かに愛想笑いの様なものが上がったが、大半の参加者の顔はひきつっていた。アイモスの話が異常に長い事は招待客達の間でも周知の事実である。
「さて、本日は私アイモスがこの地に門戸を開き二十年の祝宴にお越し頂きありがとうございます。皆様におかれましては、日頃、魔術を一般化するという私の理念にご賛同頂き、ご助力を賜っております事、誠に感謝を申し上げます。おかげさまで、我が図書棟の蔵書はその数、分類、共に増すばかりでありまして、弟子達は様々な職業の仕事に魔術を適用する研究に励む事ができております。また、皆様のご紹介によって方々から新たな弟子が集まっており、近頃の研究所はかつてない賑わいを見せております。設立当初には夢にも思わなかった盛況ぶりでございます。思えば、設立当初は様々な苦難の連続でありました。魔術を知らぬ一般市民を見下し、魔術を広めようとした私を非難する卑劣な魔導師至上主義達の妨害を受けながらも、私と皆様は――――」
アイモスの挨拶は終わる気配はない。終わるどころかますます熱が入っているようだった。羊皮紙はまだ一枚も捲られていない。挨拶が終わるまでに解散の時刻が来るのではないか……? そんな疑惑が参加者達を包んだ頃、アイモスの背後にいる音楽隊が演奏を再開した。しかし、それをアイモスが気にした様子は無い。羊皮紙を凝視し、延々と話し続けている。待っていましたとばかりに先程踊っていた人々も再び踊り出した。会話を楽しんでいた人々も会話を再開した。それでもやはり、アイモスは周囲の様子に全く気づく事無く挨拶文を読み続ける。これは、アイモスが開くパーティーの日常であった。
ファジルとウマルの二人もまた、アイモスの挨拶など耳にも入れずに壁際のテーブルに着いた。周囲を見渡してみれば、いくつか知った顔が見える。フィレーネとメトロスは近くの席で料理を楽しんでいた。少し遠くの席でティマーズが取り分けてきた料理にムーサが文句をつけているのが見える。タランが貴族らしい男女数名に芸を披露している。売り込みをかけているのだろうか。ライラは複数の男性に囲まれ話こんでいる。壁際ではエウフォリオンが床に寝そべっているのが見えた。それをゴットラムが注意しているようだが、エウフォリオンはあからさまに無視をしているようだ。その内、ささやかな喧嘩に発展するのだろう……
ふと、舞踏台の方を見ると、ハーロルとファムムが踊っていた。一糸乱れぬとはまさにあの二人を指す言葉だ。ファムムの差し出す手も足も身体も、ハーロルは完璧に受け取って見せる。ただハーロルが上手いだけと言う訳では無い。ファムムのハーロルに対する絶対の信頼があって成せる業だった。とても楽しげに、幸せそうに踊っている。
「いいなぁ……」
無意識に、ファジルの口から感嘆と憧憬が洩れた。ファジルは一度もウマルと踊った事はない。踊りは苦手だと言ってウマルに逃げ続けられたのだ。(今思えばウマルが踊れないのは当然なのだが) しかし……
「……僕らも踊るかい?」
「……え?」
ファジルは呆けた声を上げてしまう。聞き取った言葉が信じられず、踊ると言うのは何かの難解な隠喩ではないかと邪推した後、ようやくウマルにそのような意図は無く、単純な誘いであることを認識した。
「踊れるのですか……?」
「彫像と違って自分の身体はある程度自由に動かせるんだ。恐ろしく不恰好にはなってしまうけどね……いや、やっぱり辞めておこう。本当に不恰好なんだ……君に恥をかかせるわけには……って、ファジル?」
言葉が頭に届くよりも早く、ファジルの手はウマルの手を掴んでいた。
「私は全然構いません、全然。むしろ、恥と言うものにこの機会を逃す程の価値を一切感じません。あ、ウマルが嫌なら辞めておきますが……」
一緒に踊りたいという思いが駄々漏れながら、ファジルは掴んでいた手を離しウマルに伺いをたてる。物欲しさが溢れんばかりの上目遣いであった。愛しい少女にここまで言われては、ウマルに断るという選択肢は無い。
「嫌なもんか、不恰好さについて笑われるのは慣れてる。君が一緒に笑われてくれると言うなら、是非踊りたい」
改めて差し出された手を、ファジルは地平線から顔を出す陽光の様にパッと眩しい笑顔で受け取った。
「ええ!」
二人は舞踏台に上がり、群衆に混ざって踊り始める。ウマルと共にステップを踏み、彼の手に導かれて回り、身体を預ける。ファジルの動きは丁寧で踊りとして十分評価できるものだったが、ウマルの動きは彼の言う通り、練習を始めたばかりの糸操り人形より僅かにマシかと言った程にはぎこちなく不恰好なものだ。周囲のこなれた紳士淑女の幾人から失笑が上がる。それでも、ファジルは笑顔だった。
「本当に、大丈夫かい?」
周囲の反応を見て、ウマルはファジルに気遣うように囁いた。やはりファジルが悲しんでいないかが心配なようだった。返答として、ファジルはこれ以上無い幸せそうな笑顔をウマルに贈る。そして、周囲にもそれを見せつけた。愛しい人と何かを共にする時に幸せを感じるのは、行いの出来の良し悪しでは無く、愛しい人と何かを共にする事そのものだ。ファジルはそれを忘れて技巧に耽る周囲の人間を可哀想だとすら思った。そして、この場を最も楽しんでいる人間は自分だと確信していた。
ファジルがあんまりにも楽しそうに踊るので、ウマルも周囲の事など気にせず楽しむ事にした。彼の滅多に動かない表情が僅かに笑みを形作る。そんな二人を見て、失笑を贈った者達は気まずくなったのかその場を離れて行き、二人の周りには、二人を微笑ましく見る紳士淑女のみが残った。その中には、ハーロルとファムムの姿もあった。最早邪魔者も居なくなった二人は、この時を噛みしめながら暫く踊り続けた。
◇◆◇
「――――皆様のより良い未来を祈りまして、私の挨拶と致します……む、何故もう宴が始まっているのだ?」
二人が踊り疲れ、休憩にテーブルに戻った頃、ようやくアイモスの挨拶が終わりを迎えた。アイモスはしばし挨拶文の途中で宴が始まっていた事に不満げだったが、招待客がこぞって挨拶に向かうと不満も言っていられず対応にまわる。流石のアイモスも客人一人一人に普段の長話をする程の狂人ではなく、短い会話のみにつとめた。
「アイモス殿、しばらくですな」
「おお、ウーズ卿。先日頂いた『ヴーアミタドレス山脈の蛮族の魔術について』は大変興味深い代物でした」
「それは喜ばしいことです。蔵に眠っていたものでしてな。お役にたてるなら書物も本望でしょう……そういえば、アイモス殿はかのムー・トゥーランのエイボンとも親しいとの噂を聞いたのですが今日はいらしていないご様子、噂は本当なのですかな?」
「勿論、私はエイボンとも親しい仲ですよ……しかし、ウズルダロウムはご存知の通り、豊穣の女神イホウンデーを信奉する教会の支配下です。彼はイホウンデーの神官が権勢を振るう地域にはなかなか来たがらんのですよ。いかに大陸一の魔導師といえど幼少期の心の傷は克服できぬようですな。しかし、エイボンと言う男は――――」
「エイボン! 今まさかエイボンと申されたかアイモス殿」
突如、招待客の列に割って入り、アイモスに尊大に怒鳴り付ける男が居た。宴に静寂が訪れる。男の顔を見たアイモスは僅かに頭を下げた。
「イホウンデーの大神官、ヨーク様とお見受けします。貴方に招待状をお送りした覚えは無いのですが、私の記憶違いですかな?」
ヨークと呼ばれた肥えた男は、訝しげに尋ねたアイモスを一蹴するように勢いよく鼻息を吐いた。
「招待? 知らんな。どうやら宴の途中のようだが知ったことではない。私は勘当した愚息のエウフォリオンがこちらに潜んでいるという話を聞き付けてわざわざやって来たまで。勘当された身とはいえ由緒ある家の息子、随時監視してやらねばどこで醜態を晒し我が家の名誉を傷つけるか分かったものではないからな!」
あまりの傲慢な物言いにアイモスは絶句し、開いた口も塞がらない。珍しく返答に詰まるアイモスにヨークは指を突きつけた。
「今は愚息の事よりも貴方だアイモス殿! エイボンなどと言う穢らわしい魔導師と付き合いがあるのか! エイボンと親しい魔導師の下に身を寄せるとは、やはりあの息子は愚か者である事に変わらんようだ! エイボンと言う男は、イホウンデーを冒涜しゾタクァと呼ばれるおぞましい神を信奉する背教者! 唾棄すべき陰惨極まりない魔術の研究に明け暮れる罪人にして―――― 」
ヨークがアイモスに匹敵しそうな長尺でエイボンをこき下ろすのを、アイモスはうんざりとした表情で聞き続けた。しばらくして耐えられなくなったのか、側に居た弟子数人にヨークを連れていくように指示を出す。弟子達はこれが普段のあなただと言いたい気持ちを抑え、指示に従った。
「何をする! 薄汚い魔導師の弟子が私に触れるな!」
尚も喚きちらすヨークを弟子達は数人がかりで拘束し、外へと連行する。喚き声が聞こえなくなった所でアイモスは周囲に向かって頭を下げた。
「イホウンデーの信者達はやはり信心深いですな……お騒がせした。皆様は引き続きお楽しみを! 私は少々この場を離れさせていただく。今宵の記憶を夢のようなものにして差し上げなければならぬ方が現れたのでね」
そう言って大広間を出ていくアイモスを見送り、宴は元の喧騒に包まれる。
遠巻きに騒動を眺めていたファジルとウマルは同一の感想を抱いていた。
「「あれがエウフォリオンのお父さん……」」
エウフォリオンの家族について、ファジルは何一つ知らなかった。勿論、勘当されていたと言う事実もだ。それも当然だとファジルは思う。知られて良いことは一つも無さそうな秘密だ。こんな大勢の前で自身の秘密を確かな事実と共に暴露されたエウフォリオンはさぞ心穏やかではないだろう……
先程エウフォリオンが居た壁際の方を見てみれば、そこにエウフォリオンの姿は無かった。否、アイモスの彫刻の裏側に向かってゴットラムがなにやら慰めるようなそぶりで声をかけている。きっとその先に居るのはエウフォリオンなのだろう。
「あのゴットラムが……あんなにエウフォリオンを気にかけるなんて……」
同じ光景を見ていたウマルが驚愕の声を洩らした。
「あのお父さんが騒いでいる間にエウフォリオンがどんな様子だったのかは見ていませんが……ゴットラムが気にかけてしまう程には見ていられない様子だったのでしょうね……」
「今声をかけに行っても逆に彼を傷つけてしまうだろうね。そっとしておこう」
「ええ……」
ヨークが会場にかけていった冷や水の冷たさは極北の氷河もかくやといったもので、二人はいまいち楽しむ気分に戻ることが出来ず、宴の終了まで料理ととりとめのない会話のみで過ごした。
◇◆◇
宴の終了時刻よりも遅れてアイモスが大広間に戻り、舞台に上がると同時に、音楽隊の打楽器が宴の終焉を告げる音色を奏でた。
「大変お待たせ致しました。なかなか、今見ている世界が夢であるのだと理解してくださらなかったものでしてね……さて、皆様への挨拶回りもろくに出来ぬままではありますが、お時間となりましたので締めの挨拶をさせていただきます。とはいえ、時間が押しておりますので、簡潔に」
簡潔にと言う言葉を聞き、この場で夜明けを迎える覚悟をしていた群衆はあからさまに安心を顕にする。しかし、アイモスの発した「ですが」と言う繋ぎに再び硬直した。群衆は戦々恐々として二の句を待ちわびる。
「実を言うと私は締めの挨拶で重大な発表を……正確に言うならば、発表の予告、になりますが、行おうと思っておりましたので、それだけはさせていただきたい」
群衆はどよめいた。アイモスが何かを発表するなど初めての事だった。それも、溢れんばかりの自信を漂わせているのだ。群衆は数秒前の恐怖とは打って変わった期待に言葉を待ちわびる。アイモスは群衆の反応に気を良くしたように、勿体ぶって大げさな抑揚をつけながら続けた。
「私は今夜のこの宴を、明日、私が引き起こす変化の前夜祭であると認識しておりました。宣言しましょう、明日、ハイパーボリアの魔術史が塗り替えられます。ハイパーボリアの常識が塗り替えられます。直ぐに、今日までのこの世界を懐かしむ日が来るでしょう。それほどの成果を発見し、今日から明日にかけて、実行に移します。幸運にもあなた方はこの歴史的な瞬間に、自覚を持って立ち会う事になる」
人々が想像していたのは、全く新しい魔術を開発しただとか、魔術史の闇に消えた真実について新たな発見をしただとか、そういった類いの小さなものだった。しかし、これはどうも勝手が違うようだと群衆のどよめきは最高潮に達する。そんな中をアイモスは宴を締めに向かった。
「今宵は眠らずに夜を明かされよ。その行為があなたを変革の目撃者としてくれましょう……さて、改めて本日は我が宴にお越しいただき誠に感謝申し上げる。非常に簡潔にはなりますが私の号令をもって宴の終幕とさせていただきたい。それでは……解散!」
解散の号令が発された直後、宣言の詳細を引き出さんと人々はアイモスの元に殺到した。招待客だけでなく、弟子達もだった。あまりの勢いにアイモスの背後に居た音楽隊の楽器を打ち壊さんばかりだった。人々は散々揉み合いへし合い、肝心のアイモスがどこに行ったのかと冷静になった頃には、アイモスの姿はその場のどこにも無かった。そして人知れず、円卓派の魔導師達も大広間から姿を消していたのだった。
次話で序章、つまるところの平和パートが終了します。序章が想定の二倍以上の分量に膨れましたが、タグにある通り拙作はダークファンタジーであり、この先は鬱展開を多分に含むものとなっております。お気をつけて。




