〈8〉友雪のスケジュール
十一月、奈美が女の子を出産した。名前はひかる。
* * *
友雪が目指すテレビ局のシナリオコンクールは毎年二月末が締切。そして、一次審査の発表が七月、二次審査の発表が九月、三次審査の発表が十月、最終審査の発表が十一月。そこで受賞者が決まる。
しかし、十一月の結果発表を待たずに七月の一次審査で八割が落ちる。
応募総数は毎年千人ぐらいで一次審査には二百人しか通らない。
二次審査通過者は大体五十人と一次審査通過者の四分の一が残る。
三次審査通過者は二十人前後と二次審査通過者の約半分。
三次審査は更にその半分の十人ほど。
最終審査はその十人ほどの中から大賞と優秀賞、合わせて四五名が決まる。
応募者千人から四五名と聞くとまさに狭き門だ。
しかし、プロになるということはその狭き門を突破しないとなれない厳しい世界。
友雪はそれに挑んでいる。
うわさでは審査に落ちても審査員が気に入ればチャンスが巡ってくると聞いたことはあるが、それもまた狭き門に過ぎない。
いずれにしてもプロへの門は狭いのだ。
友雪の生活は二月末の締切を中心に回る。それはどこか受験生と似ている。
受験生もまた二月の入試に向けて猛勉強をする。受験地獄を勝ち抜かなければ楽園は来ない。
ましてや友雪は会社を辞め、安定を捨て、退路を断って実家に戻りプロのシナリオライターになるという夢を選んだのだ。人生を賭けた戦いに身を投じたのだ。門が狭かろうが関係ない。その門を突破しない限り先はないのだ。
しかし、創作というのは時間があれば良いものが出来るというものでもない。それほど安易なものではない。
だが実家に戻ってきた以上、時間がないから出来なかったという言い訳はもう通用しない。
友雪はそのことを重々承知していた。
友雪は二、三年以内にプロになる、と啖呵を切って実家に戻ったからには最低でもテレビ局からお声がかかるぐらいの結果を生み出さなければいけない。
〈ここにはプロになるチャンスを掴むまでの一時的なもの。こんなところで長々と過ごすわけにはいかない〉
友雪は午前中、純子の畑仕事を手伝いながら他の時間は全て創作活動に充てた。
創作活動とは全く地味な生活である。
ネタを考えて、構想を練って、イメージがつかめれば机に向かってパソコンのキーを叩いてドラマを作っていく。
必要な資料は田舎に住んでいてもインターネットで調べることが出来る。専門書が欲しければ図書館で借りたり、なければネット通販で買ったりもする。
そんな地味な生活を送ると当然、フラストレーションは溜まる。友雪はそんな一日を過ごすにあたって意識していることがある。
それはオンとオフ。
何事にもオンとオフは必要である。
オンとオフの使い分けが上手い人は、仕事と遊びのメリハリも上手い。
それは東京で会社員として働いていた時に学んだ。
出来る人ほどオンオフの使い分けが上手いと。時間を上手に使う。
友雪は毎日毎日同じ日々をダラダラ過ごさないようにオンとオフを意識しながら生活していた。
その友雪のオフが夜に飲みに行くシャングリラだった。
シャングリラに行き、竜司や奈美に「今日は良い日だった」「充実した日だった」と言うだけでオンのモチベーションが保て、オフでいい酒が飲める。地元の常連客と他愛ない会話をすることでストレス解消にもなり社会との繋がりを感じることが出来た。
片田舎にはそれぐらいしかない。それぐらいしかないから友雪はここに帰ってきた。
創作に集中するために。
それが友雪の一日のルーティーン。
こんな日々を来る日も来る日も送っていた。
受験勉強に打ち込む受験生と同じように楽しいことは合格してから。
友雪もまた受験生と同じように変わり映えのない日々を送っていた。
しかし、そんな日々にもたまに変化が訪れるときがある。
それは鞠子から届く手紙。
鞠子が書いた手紙や絵を夏子が封筒に入れて送って来る。
手紙が届くと送り先として使わせてもらっているシャングリラの奈美から連絡がきて手紙を受け取る。
鞠子は覚えたての字で手紙を書き、兎に角、絵を書くことが好きらしく描いた絵をパパにも見せたいといって手紙と一緒に送って来る。子供の絵だから決してうまくはない。うまくはないが熱意は感じる。
そして、パパと書いてある絵を見ると、友雪は、鞠ちゃんはパパのことを想像して描いているのか、それともなっちゃんが俺の写真を持っていてそれをパパと偽って見せて書いているのか、そんなことをふと思い、感慨にふけってしまう。
ほんと他愛ない手紙。
このやりとりもままごとの延長。
やがて小さな女の子も少女になれば気づいてしまう仮初のパパ。
そう考えると寂しさもあるがそれは仕方のないこと。なぜなら親子でも何でもないのだから……。
* * *
実家に戻ってきて、年の瀬の十二月三十日に友雪は二十八歳の誕生日を迎えた。
純子は夕食を食べ終えた後に、「今夜は、まだいいものがあるの」と上機嫌に言って冷蔵庫から「ハッピーバースデートゥユー、ハッピーバースデートゥユー~」と鼻歌を歌いながら手作りの誕生日ケーキをテーブルの上に置いた。
「別にこんなことしなくていいよ」
「何言ってんの! こんな風に友ちゃんの誕生日を祝うなんて、ほんと久しぶり。誕生日に帰ってこないじゃない」
「まぁ……」
確かにこうやって人に誕生日を祝ってもらうのは久しぶりなような気がした。
十二月三十日の誕生日というのは厄介なもので、二日後には正月になるし、その前にはクリスマスというビッグイベントもある。
東京の大学に進学してから、まず自分の誕生日を祝うということはあまりなかった。
友達は大体、年末年始は実家に帰省したが友雪は満員列車を嫌い、時期をずらして帰省した。それは会社員になっても変わらず、それどころか年を追うごとに自分の誕生日も自分の中で段々おざなりになっていった。
「お誕生日おめでとう」
「ありがとう。でも、もう祝う年じゃないよ」
「何言ってんの! お誕生日はいくつになっても祝うものよ」
友雪はチラッと栄治を見た。栄治が何か言ってくるんじゃないかと。
しかし、栄治は何も言わなかった。いや友雪が実家に戻ってきて以来、基本黙っている。別に友雪を無視しているわけではない。ただ何も言わない。
友雪もまた栄治と話をすることもないので自然と会話はない。
物心ついてからそういう関係だったので二人の間に違和感はない。
その分、純子が話す。この家の明るさは純子の明るい性格で成り立っている。
この家が明るいのは明らかに母の陽気な性格のおかげ。
もし純子がいなくて栄治と二人きりだったら実家に戻るという選択肢はなかったかもしれない。正直わからない。それほど純子の存在は友雪にとっても大きかった。
純子は友雪に話しかけ、他愛ない話をした。
その傍で栄治は黙って純子が取り分けたケーキを食べた。
* * *
「あけましておめでとう」
正月は友雪と純子と栄治の三人で迎えた。
友雪は純子の作ったおせちを食べてから、午後、先輩の竜司の家に年始の挨拶に行った。
友雪は大と生まれたばかりのひかるにお年玉をあげた。大は喜びで奈美に即され「ありがとう」と言った。
「友ちゃんの娘さんから年賀状が届いているわよ」と奈美に言われた。
「年賀状?」
「パパって呼ばれてるんだ」奈美はニコニコしながら年賀状を友雪に渡した。
友雪は年賀状を受け取り、裏を見た。
〈あけましておめでとう。はやくパパがかえってきますように〉と鞠子が書いた拙い字が書いてあり、最後に夏子の字で〈服部鞠子、夏子〉と書いてあった。
「この子にもお年玉あげた?」
「お年玉どころか年賀状も出してない」
「うわぁ、酷いパパだなぁ」
「パパはいいよ。ままごとみたいなものだから」
「でも、年賀状は出さないと」
「うちに年賀状があるかなぁ」
「もう! ちょっと待って。うちに余りがあるから」そういって奈美は家の中に戻っていった。
友雪は思った。
〈年賀状どころかお年玉もクリスマスプレゼントもあげてない。誕生日も知らないから結局何もあげてない〉
友雪はシャングリラから帰ってきてから部屋で年賀状の返事を平仮名で書いた。
〈あけましておめでとう。はやくかえれるようがんばるよ。それまでママのいうこときくんだよ〉
友雪は書いた年賀状を見た。
「そう早く帰れるようにシナリオコンクールで大賞を取らなければならないんだ」友雪は呟いた。
友雪は夏子宛ての封筒も書いた。封筒の中には年玉袋に千円入れて、便箋に〈クリスマスプレゼントも何もあげてないから、せめてお年玉だけでも渡してあげてください。それと鞠子ちゃんの誕生日も教えてください〉としたためた。
すると二日後、スマホに夏子から電話がかかってきた。
「あ、なっちゃん」
「今井君、そんな気使わなくていいわよ。鞠子には私からパパからといってお年玉あげてるから今井君がわざわざあげなくてもいいわ。ほんと手紙だけで十分だから。おかげで鞠子も一生懸命、字を覚えるようになったから。ほんとありがたいわ」
「いやぁ、でも」
「ほんとにいいわよ。クリスマスプレゼントもちゃんと私がパパからといってあげてるから」
「誕生日は?」
「誕生日もそう。わたしがちゃんとあげてるから気にしないで」
「わかった。でも、鞠ちゃんの誕生日ぐらい知っておきたいな。そのときぐらい俺から手紙を書いてもいいと思うから」
「いや、そんな気使わないで」
「お誕生日おめでとうぐらい訳ないよ。誕生日はいつなの?」
「誕生日は、八月十一日」
「夏女か。なっちゃんはいつ?」
「一月五日」
「なんだ、今日か。でも、なっちゃん、夏子なのに冬女なんだ」友雪は笑った。
「おかしい?」
「いや、俺はてっきり夏女だと思っていたから」
「私のことは別にいいじゃない」
「いいよ、冬女でも」
「それより、鞠子へのプレゼントはほんとに気にしないで。こっちでちゃんとやってるから」
「わかった。俺は手紙だけにするよ」
「それで十分。それにシナリオライターになるために実家に戻ったんでしょ」
「うん」
「鞠子にあんま、気使わず、そっちを頑張って」
「わかった。鞠ちゃんには俺がプロになったら、そのとき沢山プレゼントあげるよ」
「そうね。そのとき沢山いただくわ。シナリオ頑張って」
夏子との電話は切れた。友雪は我に返った。
「そうだ。俺はシナリオライターになるためにここに来たんだ。シナリオコンクールで大賞とって東京に戻るんだ」
友雪は改めて身が引き締まった気がした。
「よし! 大賞とってその賞金で鞠ちゃんにプレゼントしよう!」




