〈6〉ままごとの始まり
友雪は竜司と奈美と少し話してからシャングリラを出て実家に向かった。
シャングリラから実家までは徒歩で三十分ぐらいかかる。友雪にとっては幼い頃から歩きなれた道。徒歩三十分は別に苦にならない。
友雪は『やってやるぞ』という決意を新たに歩いていると後ろからクラクションが鳴った。
友雪が振り向くと軽トラックに純子が運転席にいた。
純子は軽トラックを友雪の傍に止めた。
「友ちゃん、おかえり」純子の顔から満面の笑みが零れた。
「ただいま」友雪は照れ臭そうに笑顔で言った。
友雪は助手席に乗った。
「これから暫くお世話になります」
「何よ、他人行儀ね」
純子は友雪が帰ってきたことが嬉しいのか終始笑顔。純子は車を走らせた。
「でも、暫くって、どれぐらい?」
「長くても三年。俺としては一年で東京に戻りたいと思ってる」
「随分急ぐのね。もっとゆっくりしてもいいのよ」
友雪は苦笑した。
「そんなにゆっくりしてたら、逆に俺が辛いわ」
「そうか。夢は早く叶えたいもんね」
「叶えるさ。一日も早く」
純子は真面目な声で言った。
「でも、友ちゃん。お父さんはどうもあんまり快く思ってないから気を付けて」
「そうなの?」
「二十七にもなって、いきなり無職になって帰ってくるのがどうやら気に入らないみたい」
「話したとき、何も言わなかったのに」
「だから気を付けて。とりあえず、形だけでいいから私の畑仕事、手伝って」
「わかった」
「友ちゃんの荷物、玄関に置いてあるから帰ったら片付けなさいよ。部屋まで持っていこうとしたらお父さんが友雪にやらせろっていうから置きっぱなしなの」
「帰ったらすぐ片付けるよ」
すると純子が思い出したように言った。
「あ、そうそう! そういえば、封筒、届いてたわよ」
「封筒?」
「女の人から」純子はニヤニヤした。
「……」
「服部夏子って書いてあったわよ」
「ああ、はいはい」
「何? もしかして彼女?」
「違うよ。ただの友達だよ」
「ほんと?」
「ほんとだよ」
「本当は彼女と色々あって帰ってきたんじゃないの? 例えば彼女の両親に反対されて友ちゃんが帰ってきて遅れて彼女がうちにやってくるとか。それなら大歓迎よ」純子は好奇心旺盛に言った。
「違うよ」
「ほんと?」
「ほんとだって」
「なんだ、つまんない。本当は実らせてはいけない恋の逃避行だと思ってたのに」
「変な妄想するなぁ。そんなこと全くないよ」
「なんだ、残念」
友雪は母と他愛ない会話をし、田舎に帰ってきたことを実感した。
純子は終始笑顔だった。
友雪はその笑顔を見てまた決意した。
〈俺は必ずプロになる。そして、母さんに喜んでもらう〉
実家に着くと友雪はまず部屋にバッグを置いてから玄関の入り口の端に置いてある宅急便で送った段ボールを部屋に運んだ。すると純子が友雪のところにやってきて「はい」と言って封筒を差し出してきた。
「ありがと」友雪は封筒を掴むも純子が封筒を離さなかった。
「何?」
「お父さんには言ってないから。彼女じゃないの?」純子は囁いた。
「違うよ」
「残念」純子は封筒を掴む手を離した。
純子は友雪の部屋から出て行った。
友雪は純子の去っていく足音を確認してから封筒を見た。封筒の裏には服部夏子と書いてあった。
「早速、送ってきたのか」
友雪は机の上のペン立てからハサミをとって封筒を切った。封筒の中に紙が二枚入っていた。一つは便箋で夏子からの手紙だ。
手書きで書かれた綺麗な字。
〈今井君へ。先日、お話した娘の手紙を送ります。名前は鞠子、四歳です。そんなに気張らず、「お手紙ありがとう。パパ、がんばるよ」と一言、そんな感じで構いませんので、お手すきの時にでも返事が頂けたら幸いです。鞠子もきっと喜びます。ほんと、こんな私の娘のままごとに付き合わせてごめんなさい。暫くの間ですが宜しくお願いします。追伸、鞠子が紙に書いた文字は「パパ、お仕事がんばってね」だそうです〉
友雪は、もう一枚はB4サイズの紙が折られており、広げるといかにも幼子の文字の形を留めてないが一生懸命書いた字が書いてあった。そして、アンバランスの大きさの三人の人の絵も描いてあった。おそらく、夏子と鞠子と想像のパパなのだろう。
友雪は暫く、その純粋な幼子が書いた絵を眺めた。
「一体、このパパは、誰を想像して描いたパパなんだろう……」友雪はポツリと呟いた。
二枚の紙を封筒に戻した。
友雪は封筒の宛先を見た。
「そうだな。この手紙が家に届くたびにいちいち母さんに詮索されるのは厄介だな。それに親父には知られたくないし……」
友雪は夏子からくる手紙の宛先を実家ではないところに変えた方がいいと考えた。
「兎に角、なっちゃんにここには送らないで欲しいと知らせないと」
友雪はスマホでショートメールを打ち込んだ。
夜、栄治が会社から帰宅すると友雪は改まって「暫くお世話になります」と挨拶をした。
栄治は息子の帰宅を喜ぶこともなく何も言わなかった。
友雪は母から父があまり歓迎してないことを聞いていたので、父の態度は薄々想像していた。
しかし、友雪はそれでいいと思っていた。その方がありがたかった。
あまり口うるさく干渉されるとそっちにも気をとられ実家に帰ってきた意味がなくなる。何も言わず黙って干渉しないでくれた方が創作活動に専念できる。
友雪が実家に戻った目的は創作に専念することであって親孝行をしに帰ってきたわけではない。賞をとってプロになるために一時的に実家に戻ったに過ぎない。親孝行は賞を取ること。そう思っていた。
その日の夕食は母が息子の帰りを祝うかのように、料理の品数も多く豪勢なものだった。
友雪はテーブルに一杯並んでいる料理を見た。
「随分、作ったね」
「そりゃ、友ちゃんが帰ってきたんだから。よく食べてくれる人がいると作り甲斐がある」純子は笑った。
純子の明るさがこの家を明るくしている。その純子の明るさが友雪はどこかリラックス出来ると思い、感謝した。
栄治はいつもより多くテーブルに並んでいる料理を見ても何も言わず、何も変わらなかった。
純子はそんな栄治の心中を察して友雪に言った。
「ドラマ作るっていっても一日中、部屋に籠って作ってるわけじゃないでしょ?」
「そりゃまぁ、そうだけど」
「なら、午前中は畑仕事、手伝ってよ。それぐらい出来るでしょ」
純子は友雪に伝えていたことをあえて栄治の前で言い、栄治の顔をチラッと伺った。
友雪もそれを察した。
栄治は黙々と夕食を食べた。
「わかった」
「おてんとうさまの下で母さんと一緒に健康的に働きましょう」
「うん」
栄治は干渉することなく終始無言だった。
夕食後、友雪は部屋に戻ると早速、夏子から来た手紙の返事に取り掛かった。
友雪は封筒から手紙を出して、改めて鞠子の手紙と絵を眺めた。
鞠子、夏子、そして、想像のパパの絵。
夏子の手紙も一読した。
友雪はパソコンに向かい文章を書いた。
〈お手紙ありがとう。パパ、がんばるよ。〉と夏子が手紙で書いてきた例文をそのまま書いてみた。
「さすがにこれじゃ味気ないな。でも、四歳の女の子に一体何を書けばいいんだ? こっちはなんの情報もないし……」
友雪は名前を付けくわえた。
〈鞠子ちゃん。お手紙ありがと。パパ、がんばるよ。〉
友雪は文章をプリントアウトし、紙を眺めた。パソコンで書かれた文字はゴシック文字。文は一行であとは余白だらけの用紙。
「これじゃぁ、ちょっと味気ない。見栄えも悪い。せめて直筆だな」
友雪は机の引き出しを開けてレポート用紙を取り出した。その用紙に〈鞠子ちゃん。お手紙ありがと。パパ、がんばるよ〉と書いて眺めた。ふとある考えが浮かんだのか別の紙に文章を書いた。
〈パパ、頑張るから、鞠子ちゃんもママの言うこと良く聞くんだよ。〉
友雪は文章を見て満足げな顔をした。
「なっちゃんの文言をそのまま書いたんじゃ、シナリオライターを目指す俺としては芸がない。それにシングルマザーは大変だし、少しはなっちゃんの助けになること書いた方がいい。その方がいかにもパパらしいだろ」
友雪は、レポート用紙に直筆で書いた文章を眺め、鞠子の子の部分に×を書いた。
「鞠子ちゃんより鞠ちゃんの方が良いな。その方がより距離が近い感じになる」
友雪は改めて紙に鞠ちゃんと書き直した。
友雪は書き直した文章を眺めて首をひねった。
「四歳の女の子に手紙を書くのにレポート用紙じゃ味気ないだろ。せめて女の子が好きそうな可愛らしい紙に書いた方がいい。それぐらいはしないと」
友雪は返事を書いたレポート用紙を折り曲げ、夏子から来た封筒と一緒に引き出しにしまった。