〈5〉友雪、実家に戻る
比都瑠村は見渡す限り田園風景。
その奥に山並みが見える長閑な村。比都瑠村と隣村の境界になっている川にかかっている橋の袂にバス停があり、そのバス停を中心に小さなスーパー、居酒屋、散髪屋、便利屋などが軒を並べている。とりあえずここで最低限必要な生活必需品は手に入る。それ以外に必要なものを買うときは車で一時間ほど走ると在来線が止まる駅があり、大きくはないが商店街がある。
比都瑠村も日本の典型的な田舎と同じく過疎化が進み、村人は高齢になり、離農したり、そのまま跡継ぎもなく耕作放棄地になった田畑は少なくない。
それでも比都瑠村で育ち、村を愛している人がこの村に残り、ひっそりと暮らしている。
そんな生まれ故郷に友雪は帰って来る。
純子は友雪が帰ってくることが嬉しかった。
友雪が東京の大学に進学して以来、実家は純子と栄治の二人だけの生活になってしまい純子は寂しかった。
ただでさえ年々、隣人や友人も比都瑠村を離れ、村は寂しくなっていくのに……。
そんな中、夢を叶えるために友雪が戻って来る。生まれ故郷に戻って来る。
純子は心から喜んだ。
しかし、栄治は違っていた。
栄治は友雪の前では何も言わなかったが純子に愚痴た。
「二十七にもなって、仕事を辞めてどうするんだ」
「いいじゃない。夢を叶えたいっていうんだから」
「叶わなかったらどうする」
「そんなこと言わず応援しましょうよ」
「タダ飯食わせるつもりは無いぞ。お前の畑仕事でも何でもいいから手伝わせろ。あまり甘やかすなよ」
「はいはい、わかりました」
栄治は、どこか解せない顔をしている。
それを見た純子が改まって言った。
「あまり露骨に嫌な顔しないでくださいよ。友ちゃんも考えた末に帰ってきたいって言ってるんだから」
栄治は、渋い表情をしていた。
友雪は家財道具をリサイクルショップに持ち込んだり会社の同僚にあげたりして全て処分した。衣服など必要なものだけ宅急便で実家に送り、身一つで実家に向かう新幹線に乗った。
何もない比都瑠村に向かった。
しかし、その何もないというのが友雪にとってはまさに好都合。出かける場所やイベント、遊びの多い東京と違い、比都瑠村は山と川と田畑しかない。
そして時の流れも、忙しく流れ、まるで時間に忙殺される東京と違い、田舎はなぜだか時間の流れが遅く感じる。のんびり時が流れていくように思える。
おそらく全てにおいて田舎は東京よりも圧倒的に生活行動の選択肢が少ないから時の流れを遅く感じるのかもしれない。
まさにそれは友雪が望んだもの。何もないからシナリオに集中できる。ドラマ作りに集中できる。雑念のない田舎は格好の創作場所なのだ。
友雪は新幹線が停車する駅から在来線に乗り換えて比都瑠村のある駅で降りた。
そこから一時間弱バスに揺られて友雪の実家がある比都瑠村のバス停で降りた。
友雪はバスを降りると真っ先に比都瑠村唯一の居酒屋、シャングリラに向かった。
そこには友雪の先輩、竜司がいる。
シャングリラはもともと竜司の両親が営んでいた。その後、父が死に母が一人で切り盛りをしていた。
そのころ竜司は大阪で和食割烹の料理人をしていた。同じ店で接客をしていた奈美と結婚し子供が生まれたのだが、その子供の夜泣きが酷く、露骨に近所迷惑扱いされ、二人は悩んでいた。
特に奈美が精神的に参ってしまいノイローゼ気味になっていた。
その姿を見て竜司が自分の故郷でのびのび子供を育てないか、と奈美に持ち掛けて、家族三人で比都瑠村に帰った。
「ここならいくら泣いても近所迷惑にはならない」
奈美も気が楽になり、それどころか夜泣きも減ってきたように思えた。
奈美もまたもとの明るい奈美に戻っていった。
竜司は明るさを取り戻した奈美と孫と遊ぶ母を見て比都瑠村に帰ってきて本当に良かったと心から思った。
シャングリラは現在、竜司と奈美が夫婦で営んでいる。
友雪はシャングリラのドアを開けた。
店の中はガランとしていた。
「ごめんください」
友雪は店の奥に向かって呼ぶも誰も出てこなかった。
するとワンボックスカーがクラクションを鳴らして店の前で止まった。
友雪は振り返ってワンボックスカーを見た。
「友ちゃん、帰ってきたの?」
助手席に座っていた奈美が友雪に声をかけた。
「今帰ってきました」
友雪は運転席に座っている竜司に会釈した。
「よく来たな」
竜司は奈美と息子の大を降ろしてから、ワンボックスカーを店の隣にある駐車場に止めた。
友雪はシャングリラのカウンター席に腰かけると奈美がジュースを持ってきてくれた。奈美の後ろに夜泣きが凄かった息子の大がいる。
友雪は奈美に菓子折りを渡した。
「こんなことしなくていいのに」
「これから色々お世話になるんで」
「じゃぁ遠慮なく」奈美は菓子折りを頂いた。
大は奈美が受け取った菓子折りに興味があるのか、奈美から菓子折りをもぎ取った。
「大ちゃん」奈美が注意した。
「大ちゃん、何歳になった?」
大は友雪を見たが、菓子折りの包装紙を破り始めた。
「四歳だよね」奈美が代わりに言った。
「そうか。もうそんなになるのか? でも大ちゃんももうすぐお兄さんになるんだ」
友雪は奈美の大きなお腹を見て、「いつ生まれるんですか?」と尋ねた。
「十一月だからあと二か月」
「なんか賑やかになるね」
「うちばかり賑やかでもしょうがないんだけどね」
すると入り口から竜司が入ってきて、友雪の隣に座った。
「今帰ってきたのか?」
「はい」
「なんだ。駅前の病院に行ってたから、電話くれれば一緒に帰ってこれたのに」
「いいですよ。これから色々厄介になるんで」
「そうか。でも本当に会社を辞めて帰ってきたんだな」
「はい」
「プロになるって難しいんだろ」
「難しいけど自信はあります。自信があるから退路を断って帰ってきたんです」
「覚悟は出来てるってことか」
「はい」
「まぁ、俺たちは応援するから、何かあったら遠慮なくいってくれ」
「ありがとうございます」
「でも、村に人が増えたのは久しぶりじゃない?」
「そうだなぁ。出て行く人は何度も見送ったが入ってくる人を迎えるのは初めてかもしれないな」
「そんなに酷いんですか」
「そんなもんだよ」
「でも、そのおかげといっちゃなんだけど、この子の出産はタダだから」奈美が大きなお腹をさすった。
「そうなんですか?」
「出産に関わる費用は全額、村から助成金が出るから」
「じゃぁ、三人目もいけるじゃないですか」
「いけるじゃなくいくわよ。大家族を作るつもりだから」そういって奈美は笑った。
「でも、友雪の帰還を歓迎するぞ。これでこの村も一人、人口が増えたんだからな」
「そんなに長居するつもりはありませんよ。早ければ来年の今頃には東京に帰るつもりです」
「そうか。それはなんか寂しいな。でも、そうなることが友雪のためでもあるんだよな」
「はい」
「頑張れよ」