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〈4〉夏子からのお願い

友雪は十月いっぱいで退職することになった。

退職願を出したとき一層、身が引き締まった。

戦いはもう始まっている。

友雪は本格的にドラマ作りのために構想を練り始めた。

コンクールで入賞すれば、またすぐ東京に戻って来れる。実家に世話になる期間が短くて済む。田舎に長居するつもりはない。早ければ来年にでも東京に戻ってきたい。「いや、一年で戻る」

友雪は強く決心した。

すると大学時代から住んでいた東京を去る前に、思いもよらぬ人からスマホにメールが届いた。

〈お久しぶりです。服部です。覚えてますか?〉

夏子からだ。

何年ぶりだろう?

夏子が中退してからもう六年ぐらいは経つ。

友雪は夏子に返信をした。

そして夏子が会いたいというので会うこととなった。

会いたいと言っても恋愛沙汰ではないのはわかっていた。けど友雪は会いたかった。

あれから夏子はどうしていたのか気にしていたときもあった。そして今、こうして連絡を貰うと東京を去る前に夏子に会えるのはどこか嬉しかった。

待ち合わせはどこでもいいと伝えたら夏子は銀座を指定してきた。

友雪は察した。

銀座を指定してきたのはおそらく今も銀座のクラブでホステスをしているからではないか。

午後の銀座。

街を闊歩する人々の中には、まるでファッション誌からそのまま飛び出してきたような男女も見受けられる。

友雪は指定された銀座のビルの二階にある喫茶店に行った。

喫茶店に入ると夏子が笑顔で手をあげた。友雪は夏子の前に着席した。

オーダーを取りに来たウェイトレスに珈琲を注文した。

「銀座にはあまり来ないの?」

「地下鉄で銀座を通ることはあっても降りることはないな」

「そんな感じ」夏子は微笑んだ。

「なんで?」

「なんかキョロキョロしてた。ここからでもすぐわかったわ。お上りさんみたいだったよ」

 友雪は窓の外を見た。

「なんだ、眺めてたんだ」

 夏子は微笑んだ。

「確かに銀座には来ないな。何年か前にチャンスセンターに年末ジャンボ宝くじを買いに来たぐらいかな」

 友雪は夏子を見て自分の察しが当たっていると思った。

夏子はカジュアルな装いをしているが色気というか艶っぽさが滲み出ている。抑えきれない。とても普段OLをしているようには思えなかった。

ウェイトレスが友雪がオーダーした珈琲を持ってきた。

友雪は珈琲にミルクを入れた。

夏子はマジマジと友雪を眺めた。

「今井君はほんと変わらないね」

「そうかなぁ」

「うん」

「なっちゃんは変わったね」

「変わった?」

「より洗練された感じがする。とても俺と同い年とは思えない」

「そんなことないよ」

「いや、違うな。外見も、雰囲気も。大学生のときから周りの女子大生とは違っていたけど、今はどこか、ますます近寄りがたいオーラのようなものがある」

「そうかなぁ。私は特段変わったところはないんだけどね」

「いや、変わったよ。でも、あのときは驚いたなぁ。いきなり中退するんだもんな。やっぱミスコンのせい?」

「大学に行く意味がなくなっただけよ」

夏子はアイスコーヒーの氷をストローで突いた。

「もう過ぎたことか。それより話って何?」

「うん。ちょっとね。お願いしたいことがあってね」

「お願い?」

「色々考えていたら、ふと今井君のことを思い出して。そしたら今井君しかいないんじゃないかっと思っちゃって」

「何?」

「私、子供がいるの」

「子供ってなっちゃんの子」

「そうよ」

友雪は驚いた。まさか夏子に子供がいるとは思ってもいなかった。

「結婚したんだ。そうだよな。あれから随分経つし。そりゃ結婚もするよね」

友雪は少し動揺した。随分時が経ったとはいえ、学生時代、好きで告白までした相手だ。遠い昔のことも、いざ夏子を目の前にすると遠い昔の淡い恋心が心の奥で疼く。

「結婚はしてない」夏子はきっぱり答えた。

「結婚してないの?」

「私が勝手に産んだの」

「そうなんだ」その後の言葉が出てこなかった。

友雪は軽い喪失感を感じていた。

しばしの沈黙が続いた。

夏子が優しい口調で友雪に尋ねた。

「もしかしてショック?」

「え、いや」言葉にならない返事を返した。

夏子は微笑んだ。

「やっぱり、今井君って変わってないなぁ。私の知ってる今井君、そのままだ」

「なっちゃんも中身は変わってないんだね。なっちゃんにはいつも驚かされる」

「性格ってあまり変わらないものよ」

「そうだね。それでお願いって何? 驚かされるようなこと」

「んん、違うわ」

「……」

「実は私の子供に手紙の返事を書いてほしいの」

「返事?」

「そう。うちの子、四歳の女の子なんだけど、うちはどうしてパパがいないのって言ってくるのよ。そんな子供に大人の事情を言ってもわからないでしょ。だから、パパはお仕事で遠いところに行ってるから家にいないのよって誤魔化してたんだけど、手紙書くって言いだしたのよ。ちょうど幼稚園で、なんか覚えたての字で手紙や絵を書くようになって。それで終わってくれたら良かったんだけど、こないだ、パパはどうしてお手紙くれないのって言ってきたの。それで私がパソコンで返事を書こうと思ったんだけど、なんかパソコンだと手書きの良さというか、字に暖かみがないでしょ。それに味気ないし。私が手書きで返事を書いたらおそらくすぐばれそうだし。それで代わりに手紙の返事を書いてくれそうな人を考えたら今井君のことを思い出しちゃって。今井君、シナリオ書いてたでしょ。もしかしたらこういうの、得意なんじゃないかと思って」

「手紙の催促か」

「もしかしたら今井君なら引き受けてくれるんじゃないかっと思って。ちょっと虫が良すぎるかな。私の甘えなんだけどね」

「別にいいよ」

「ほんと?」

「俺で良かったら、返事、書くよ」

「いいの?」

「いいよ。なんか微笑ましいじゃん。俺の手紙で娘さんが喜んでくれるなんて。でも、結果的に娘さんを騙すことになるんじゃない。そっちの方が良くないんじゃないの」

「いいのよ。あの子、今、手紙や絵を書くのに夢中だから返事が来ればそれでいいの。それより今井君、ほんとにいいの?」

「いいよ。これも何かの縁だし、俺、子供いないから、というか彼女も結婚予定も何もないから、ほんといい経験になるし、この経験が後々シナリオにも生かされてくるかもしれないし。別にいいよ」

「ありがとう。助かったわ」夏子は安堵した。

「でも、俺、もう東京離れて実家に帰ることにしたんだ」

「そうなの?」

「仕事も辞めて実家に帰ってプロのシナリオライター目指そうと思ってる。東京にいないけどそれでもいいの?」

「その方がいいかもしれない。パパは遠いところに行ってるって言ってるから」

「そうだね。でも、俺、字汚いよ」

「いいよ。ようはあの子は手紙の返事がくればそれで満足なのよ」

「そうか。でも、どれぐらい続くのかなぁ」

「そんなに続かないと思う。それに今井君が辞めたいと言ってくれればいつでも終わりにするから」

「いや、別に俺はいいけど。そんな大したことじゃないし。続くんならいつまでも付き合いますよ」

「ありがとう。でも、そんなに続かないわ。ほんと今だけ。兎に角、手紙を書いて出したいのよ。ままごとよ。でも、ままごとも小学生になれば大体、終わるわ。そしたら自然になくなると思う」

「自然消滅か。それはそれでちょっと寂しいなぁ」

「ゴメンね。娘のままごとに突き合わせて」

「自然消滅するまで付き合います。それに相手はなっちゃんの娘さんだし」

「ほんと、こんなこと頼めるの、今井君しか思いつかなかったのよ」

「それだけで十分。東京を去る前にこうしてなっちゃんにも会えたし、なっちゃんの娘のパパ役になるのも楽しそうだし、なんか俄然やる気が湧いてきたわ」

「やる気? 手紙の?」

「いや、シナリオ。絶対、プロのシナリオライターになって娘さんをビックリさせたいっていう気になった。君のパパの代わりをしていた人は実はテレビドラマを作ってる人なんだよって。そして娘さんに出演依頼しようかな」

「そうなったらあの子、喜ぶわ」

友雪と夏子は笑った。

友雪は軽い気持ちで夏子の一人娘の鞠子の手紙のパパ役になった。

二人は喫茶店を出て夏子はクラブに向かった。

友雪は夏子の去り行く後ろ姿を見た。

〈五年経った今でも俺はなっちゃんにとっていい人であって、なっちゃんの恋のいい人にはなれなかったってことか〉

友雪は夏子の後ろ姿が見えなくなると帰路についた。

東京を去るのにもう何の未練もなくなった。

「あとは実家に帰って一日も早くプロになって戻って来るだけだ」

この時の友雪はやってやるぞという気概しかなかった。それだけで十分だと思っていた。



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