〈3〉友雪、夢に向かう
友雪は決断した。
案外、安産だった。
自分は一体どうすればいいか、考えているうちに段々煮え切らない自分に腹が立ってきたのだ。
腹が立った末の決断。
決断の仕方としてはあまりいいものではないが、決断してしまうとどこか気が楽になった。
その決断を中島に電話で伝えた。
「会社辞めるよ」
「辞めるって、随分急だな。もしかしてあれか? 穂高が原因か?」
「なんか見えちゃったんだよね。このままいくと俺の人生、サラリーマンのまま普通に終わるって。なんか夢とは無縁の人生送ってそのまま終わる。だったら勝負した方がいいんじゃないかなって。たった一度の人生、夢を追ってもいいんじゃないかって。そう思ったらもうそれしか見えなくなったよ」
「今も追ってるだろ? 仕事の合間に書いて応募してるんだろ?」
「してるけど、なんか全身全霊で戦っているって感じがしない。どこか受かったらいいなっていう生半可な気持ちでやってる」
「なら、このままの状態で本気でやればいいじゃないか。何も会社を辞めてまでリスクを冒すことはないと思うぞ。第一、会社を辞めたからって受かるようなもんじゃない」
「でも、それじゃ、結局、甘えが出て惰性でダラダラ続けていくだけなんじゃないかって」
「こういっちゃ悪いけど、今まで一次審査だって通ったことないんだろ。ちょっと無謀過ぎないか」
「通ったことないけど受賞作に負けたと思ったことは一度もない。テレビドラマを見てもダラダラ実のない人間模様に負けてるなんて思ったことはない。俺はやれる。いや、必ずやる」
「確かにつまらないドラマも沢山あるけど。でもそれって業界となんらかのツテがあるからやれるてんだろ? 業界との繋がりなんて何もないんだろ。コンクール一択だろ。コンクールで大賞獲るなんて至難の業だぞ。大体、ドラマだってお前がいつもいってるように何がいいか悪いか明確な答えがあるわけじゃないんだ。宝くじに当たるようなものだ」
「そんなことはない。明確な答えはないけど面白いドラマを書けば必ず獲れる。現にテレビドラマの視聴率はほとんど右肩下がりのドラマばかりだ。日本のドラマを見ないで韓流ドラマを見る人も多い。それは韓流ドラマが面白いからだ。国も文化も違うのに。だから、面白いものを書きさえすれば必ずチャンスはある」
中島は友雪の声から熱意を感じた。
「そうか。でも、もしものことを考えて、やはり会社は辞めない方がいいと思うぞ。それにどうせ辞めても生活するためにバイトしなくちゃいけないだろ」
「バイトはしない。実家に帰る」
「実家に帰るのか」
「ああ。実家に帰って生活の全てをドラマ漬けにするつもりだ」
「そこまで考えてるのか」
「ああ」
「恐ろしいなぁ。俺には出来ん。そんな不確かなものに将来を委ねるなんて。もう二十七なんだぜ」
「二十七だからだよ。今やらなければもう出来ない。今動かなければこれからどんどん動けなくなる」
「いやぁ怖い。怖いよ。今あるものを捨てて、保証のないものをやり始めるなんて」
「人生を夢に賭けるってそんな悪いことじゃないだろ?」
「悪くはないよ。でもそれは理想だ。会社を辞めてまでっていうのがどうも。叶わなかったことを考えると」
「叶うよ。俺はやるよ」
中島は暫く黙った。
「まぁ、友雪の人生だ。そこまで本気なら俺はただ応援するだけだ」
「ありがとう」
「プロになったら、俺も誘ってくれよ。なんでも手伝うよ」
「わかった。待ってろよ」
友雪は中島に話したことで腹は決まった。
友雪は毎年、夏休みには実家に帰省する。ただ今年の夏はいつもと違っていた。それは会社を辞めてプロのシナリオライターを目指すため実家に帰ることを許して欲しいと許可を得るための帰省だった。
友雪は夕食後にプロのシナリオライターになるために会社を辞めて実家に戻りたいと切り出した。
「二、三年以内に必ずプロになる。それまで実家で暮らすことを承知してほしい」
「友ちゃんが考えた末のことならやりたいようにやればいいわ。ね、お父さん」
「……」
母の純子は優しい言葉をかけてくれたが父の栄治は何も言わなかった。
顔色一つ変えず友雪の言うことを聞いただけで、母が父に相槌を求めてきてもうんともすんとも言わなかった。もともと友雪と栄治が会話することは物心ついたときからほとんどなかった。
しかし、友雪は今回は何か言ってほしかった。反応して欲しかった。
栄治は何のそぶりも見せず黙っていた。
純子は友雪の気持ちを察したのか栄治を横目に見て言った。
「はい。沈黙をもってお父さんも賛成ということでいいわね?」
栄治は何もしゃべることなくお茶を飲んだ。友雪の申し出に触れようとはしなかった。
「はい。お父さんオーケー」純子は微笑みながら言った。
今井家は陽気でおしゃべり好きな純子と寡黙で口数の少ない栄治がいて純子が了承すれば何事もオーケーになる。
今井家の明るさは純子の明るさであり、純子が主導権を持っていた。
とりあえず、事なきを得たことに友雪は安堵した。
友雪は部屋に戻った。
「よし、帰ったら退職届を出そう。善は急げだ」