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〈28〉急変

比都瑠村の七月の風物詩が終わる頃、日本中に大きなニュースが流れた。

一人の若手代議士が事故死したのだ。

若手代議士、本庄実巳、四十一歳。

明治から続く政治家一家に生まれて、地盤は本庄王国とまで言われている生粋の政治家一族。その本庄王国のプリンスが死んだのだ。

原因は逆走してきた八十一歳の高齢ドライバーが運転する車と正面衝突。

即死だった。

友雪はこのニュースを家族三人、晩御飯を食べているときテレビのニュースで知った。

純子がそのニュースを見て呟いた。

「逆走車で政治家が死ぬなんて」

「でも、これで高齢ドライバーに対して何らかの規制強化に本腰入れるんじゃないかな。なんせ将来、日本の総理になると言われている人だったからね。このままじゃ済まないでしょ」友雪が言った。

「それは無理よ」

「なんで?」

「選挙に投票するのはほとんどが高齢者よ。そんな高齢者を締め付けたら選挙で受からなくなるわ」

「でも、政治家が死んだんだ。身内が死んで何もしないということはないでしょ」

「そうお?」

友雪と純子の会話を栄治は黙って聞いていた。

三人はそのまま晩御飯を食べ続けた。

この時、このニュースが友雪を巻き込んでいくことなど考えも及ばなかった。


本庄和香は失意の中にいた。

それは夫である実巳を失ったこともある。

しかし、和香を更に傷つけたのは周囲から聞こえてくる心無い声。

和香と実巳の間には子供がいなかった。

それ故に周りから財産を奪っていくだけの女呼ばわりされていた。

「戸籍上、紙切れだけの繋がりしかない女になんで財産の半分も取られなくてはいけないの!」と財産の入らない亡き夫の姉妹や親せきに露骨に陰口を叩かれていた。

そんな和香に希望をもたらせたのが本庄家の顧問弁護士の一人、柿沼守也だった。

柿沼は生前、実巳に相談を受けていた。

実は実巳には実子がいる。

和香と結婚する前から付き合いがあった女性との間に生まれた子。

実巳も和香も不妊治療をしていたが子供には恵まれず、和香は気に病んでいた。それをなんとかしたく、実巳は自分の実子を養女として迎え入れることは出来ないか、と柿沼に相談していた。

相談を受けた柿沼は実巳の気持ちはわかるが和香が実巳の愛人に産ませた子を自分の子供として認めるとは思えず、この話は保留になっていた。

しかし今、夫は死に和香は本庄家に居場所がないと柿沼に愚痴た。

「いっそ、相続を放棄して本庄家から離れた方がどれだけ楽か」

 柿沼は和香の様子を窺うように切り出してみた。

「実は、実巳さんには実子がいます」

「愛人にでも産ませたの?」

「はっきり言えば」

和香は平然と受け止めた。和香には分かっていた。夫の女性問題で本庄家の家名を汚すわけにはいかない。それが政治家の妻ということを。

「主人の女性関係なら知りたくなくても、お節介にも色々教えてくれる人が沢山いるわ。大体、交通事故に遭った時も運転席にいたのは私設秘書という名の愛人でしょ」

「……」

「その私設秘書との間に子供でもいたの?」

「いえ違います。それに実子は一人しかいません」

「一人?」

「はい」

「もっといるかと思ってたわ」

「いえ、それも愛人というか奥様と結婚する前から付き合っていた女性が産んだ子です。そのことで実巳さんから相談を受けていました。その子を養子として迎え入れることは出来ないか、と。でも、その子は奥様の知らぬ愛人の子。奥様を傷つけるだけで、到底受け入れられないのではないとご忠告して、その件はずっと保留になっていました」

「そう……」

「……」

「その子、柿沼さんは知ってるのね」

「はい。一応、調査だけはしていましたから。そして今も内密に見守ってます」

「そうなの」

「はい」

「主人はその子のことを気にしていたのね」

「はい」

「その子の両親は今何してるの?」

「母親はこないだまで銀座のクラブでホステスをしていました。今は保険の営業マンとして働いています」

「名前は知ってるの?」

「服部夏子といいます」柿沼はホステス時代の夏子の写真を見せた。

 和香は写真をまじまじと見た。和香は急に微笑みだした。

「この人、私、知ってるわ」

「ご存じですか」

「ええ。私が実巳さんと結婚したばかりの頃だったかな。実巳さんに愛人がいると言われて調べたのよ。そしたらこの人、確か女子大生で学園祭のミスコンに出ていたわ。私、この人をミスコンから排除するよう仕向けたのよ。私もまだ若かったから嫉妬しちゃってね。ほんとよく覚えてる。後にも先にもそんなことをしたのはこの人だけだったから」和香は笑った。

「そうですか。ご主人とは彼女が女子大生でホステスをしてた頃から付き合っていたそうです」

「そう。この人が産んだ子供がいるのね」

「はい」

「男の子、女の子?」

「女の子です」

「名前は」

「服部鞠子さんです」柿沼は隠し撮りした鞠子の学生服姿の写真を見せた。

 和香は写真を手に持った。写真には制服姿の少女が映っていた。

「高校生?」

「いえ、中学生です。二年生です」

「養父か何かいるの?」

「養父はいません。母一人子一人の二人暮らしです。結婚も一度もしてません。実巳さんは認知するつもりだったのですが母親が拒否したみたいです」

和香は考えた。

自分に子供がいないから、周りから財産を奪っていく女呼ばわりされる。だから本庄家に私の居場所はない。私が本庄家にいるには、実巳の血を継ぐ子供が必要なのだ。その子供の養母になれば本庄家に居場所を見出すことが出来るのではないか?

和香は手に持った写真をひらひらと揺らした。

「この子、養子として迎え入れることが出来るの?」

「まだわかりませんが、おそらく出来ると思います」

「どうして?」

「母親がホステスを辞めたのは娘のためというのがもっぱらですが、どうやら肝臓を患い、健康に不安を抱えています。もっとも今すぐどうにかなるというわけではありませんがもしものことを考えれば。娘が本庄家の養子として迎えられるのなら何の心配もありません。そこら辺を突けばおそらく母親は養子の申し出を承諾すると思います」

「人の弱みに付け込むの?」

「違います。手を差し伸べるのです」柿沼は微笑を浮かべた。

和香は苦笑した。これもまた政界に生きる者の常套手段。

「でも、その子。本当に主人の子?」

「間違いありません。一応、念のため本人にわからないようにDNA鑑定はしました。実巳さんのお子様です」

「このことを知っている人は他にいるの?」

「実巳さんと自分。そして奥様の三人だけです」

「……」

「ああ、あと娘さんの母親は知っています。その母親が他の人に言っていればもっといるかもしれませんが、おそらく誰にも言っていないでしょう。認知も拒否したぐらいですから」

「そう」和香は写真の少女、鞠子を見た。

「……」柿沼は和香を見た。

和香は柿沼を見て言った。

「この話。進められるのなら進めて」

「母親になるおつもりですか?」

「主人の子供の母親になることが、私が本庄家の人間として生きるための担保なのよ」

「わかりました」


 柿沼は夏子の自宅マンションに訪れた。

「本庄家の顧問弁護士をしている柿沼です」

「……よくここがわかりましたね」

「これ、つまらないものですが」柿沼は手に持っていた菓子折りの入った紙袋を夏子に渡した。

 夏子は柿沼から本庄家の名前を聞いたとき、薄々この時が来るのでは、と予感めいたものを感じていた。

実巳の交通事故死のニュースは夏子も知っていた。

 夏子は驚きと悲しみをもってこのニュースを見た。

 鞠子の実の父が死んだのだ。

 どう鞠子に伝えたらいいのだろうか?

 伝えた方がいいのか、伝えない方がいいのか、夏子は悩んでいた。

 そこに柿沼の来訪。

「本庄家は実巳さんの実子、鞠子さんをぜひ本庄家の跡取りとして迎えたいと望んでいます。いかかですか」

「お断りします」

鞠子を手放すのは身を引き裂かれるのと同じ。反射的に本能が拒んだ。

「お母様。別にお母様から鞠子さんを取り上げるつもりはございません。鞠子さんには好きな時にいつでもお会い出来ます。それに失礼ながらお母様のことも調べさせていただきました。健康状態に不安を抱えているとか。前職を辞めたのは鞠子さんとの生活の見直しを考えてのことは知っていますが、ご自身の健康面での不安も辞める決断の要因になったことも知っています」

 夏子は息を吐いた。

「全部、お見通しってわけね。そうよね。生粋の政治家一族ですもんね」

「失礼とは思いましたが、これも私の仕事ですから」

「わかってるわ。嫌というぐらい」

「本庄家は鞠子さんを跡取りとして本気で迎え入れたいと思ってます。それは鞠子さんにとってプラスしかありません。鞠子さんの将来になんの不安もありません。学校でいじめられることもありません。鞠子さんは本庄家に守られます。お母様も鞠子さんの将来を案ずることがなくなれば健康面の不安も少しは軽減されるんじゃありませんか?」

「……」

「子供はいつか巣立っていきます。鞠子さんが本庄家の跡継ぎになってもお母様は鞠子さんのお母様であることにはなんら変わりはございません。この申し出、考えていただけないでしょうか?」

「……分かったわ。ちょっと考えさせて」

「わかりました」 柿沼はあっさりと答えた。変に押して意固地になられては意味がない。本人が考えるというのだからまずは本人にしっかり考えてもらう。それもまた駆け引き。

柿沼は夏子のマンションを出た。


 夏子は柿沼が帰ったあと考えた。


自分にもしものことがあったとき鞠子を託せる人はいない。頼るすべがない。

だが、柿沼の申し出を受ければ鞠子は本庄家という強いバックアップを手に入れる。

自分の健康状態に何があろうと鞠子の将来を案ずることはなくなる。

自分のことで鞠子の負担をかけることはなくなる。

鞠子は本庄家によって守られる。

この話は決して悪い話ではない。

 それに鞠子は実の父親が誰だか私に聞いてきたことがない。

 今井君がパパでないことは知っているのに。

 でも、その実の父親は亡くなってしまった

 そのことをどう伝えればいいのか?


 夏子は悩んだ。

 いきなり鞠子に「実の父親が亡くなったのよ」とは言えなかった。

 一体、どう伝えればいいのか……

 夏子は悩んだ末にある結論を出した。


 今、この時が、鞠子が全ての事実を知るのにいい機会なのかもしれない。

そのうえで鞠子が判断すればいい。

別に結論を出すのに即答する必要はない。

ただ鞠子が実の父親がいた本庄家の人間だということを知ってくれればそれでいい。

そのことを知ったうえで判断してくれればそれでいい。

本庄家の跡継ぎの話は鞠子にとってプラスしかない。

鞠子の将来を思えばそれが最良であることに間違いはない。


夏子はそう確信した。

 夏子にとって鞠子を手放すのも苦痛。

鞠子に実の父親の死を伝えるのも苦痛。

全てが苦痛。

しかし、避けて通ることは出来ない道。

〈この機会に鞠子に話そう。あの子も中学二年生。もう全ての事実を知っていい年頃だと思う〉

 夏子は私情を捨て、鞠子の将来のことだけを考えた。

 夏子は鞠子の母親として柿沼の申し出を了承した。




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