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第2話『壁ドンをしてほしいです』

 6月4日、日曜日。

 今日は午前10時から午後4時まで、マスタードーナッツでバイトだ。

 金曜の夜から優奈と一緒に週末の時間を過ごし、その中で初めて一緒にお風呂に入ったり、肌を重ねたりしたからだろうか。それに、家を出発するときは、


「バイト頑張ってください!」


 と、優奈がいってらっしゃいのキスをしてくれたし。だから、今日は今までで一番と言えるくらいに調子がいい。それに加えて、日曜日でお客様がたくさん来店されるのもあり、カウンターにいるときの大半は接客する。だから、時間の進みがかなり早くて。

 6時間のシフトだったけど、バイトが終わるまではあっという間だった。

 バイトが終わって帰宅すると、優奈が笑顔で出迎えてくれて、


「おかえりなさい、和真君。バイトお疲れ様でした!」


 俺に労いの言葉を掛けてくれて、おかえりのキスをしてくれた。そのことで、今日のバイトの疲れが取れていく。


「ありがとう、優奈。優奈のおかげで今日は凄く調子良かったよ」


 優奈にお礼を言って、優奈の頭を優しく撫でる。そのことで優奈の顔には柔らかい笑みが浮かんで。その笑顔が可愛くて癒やされた。

 



 夜。

 夕食後に、リビングのテレビでお互いに好きなアニメを録画したBlu-rayを観た。俺の淹れたアイスティーを飲んだり、マシュマロを食べたりしながら。

 2人とも好きなアニメは結構あって、俺も優奈も引っ越しの際に録画したBlu-rayや製品版のBlu-rayを実家から持ってきていた。なので、これも優奈と一緒に生活し始めてからの、定番の過ごし方の一つだ。


「このアニメ、実家で暮らしているときに何度も観ましたが面白いです!」

「面白いよな。俺も何回か観たけど、本当に面白いよ。それに優奈と一緒に観るのが初めてだし」

「それもありますね」


 キリのいいところまで観て、俺達はそんな感想を語り合う。

 お互いに何度も観たことのあるアニメなのもあり、キャラクターやシーンのことなどで優奈と話しながら観た。だから、新鮮さを感じながら観ることができた。

 何話も観たから、結構な時間が経っているんじゃないだろうか。そう思って、壁に掛かっている時計を見ると、


「もう9時半か。そろそろ風呂に入るか?」

「そうですね。……あっ、和真君と一つやってみたいことがあったんでした」

「やってみたいこと?」

「はい。……壁ドンです」

「壁ドン?」


 予想外の内容だったので、ちょっと間の抜けた声で復唱してしまった。それが面白かったのか、優奈は「ふふっ」と声に出して笑う。


「はい。壁ドンです」

「そうか。壁ドンか。予想もしなかったな。どうして、俺に壁ドンしてほしいって思ったんだ?」

「日中に読んだ少女漫画に、主人公の女の子が王子様キャラの男の子に壁ドンをされるシーンがありまして。そのシーンを読んだとき、和真君に壁ドンされたらどんな感じなんだろうって興味が湧いたんです」

「なるほどな」


 その漫画のキャラクターに自分と俺を重ね合わせたのかな。

 壁ドンは恋愛系の作品ではキュンとくるシーンの一つ。優奈に壁ドンをしたことは一度もないし、俺に壁ドンをされたらどうなるんだろうって興味が湧くのも分かる。


「いいよ。壁ドン、やってみようか。壁ドンをしたことがないし、優奈に壁ドンしてみたらどんな感じなのか興味があるから」

「ありがとうございます!」


 お願いを聞いてくれるからか、優奈は嬉しそうにお礼を言う。可愛い。


「参考のためにも、読んでいた漫画を持ってきますね」

「ああ、分かった」


 優奈はソファーから立ち上がって、リビングを後にする。

 壁ドンかぁ。漫画やアニメ、ドラマでは見たことがあるけど、まさかそれを実際にやるときが来るとは。しかも、大好きなお嫁さんに。

 それからすぐに、優奈は漫画を持って戻ってきた。ソファーに座ると、優奈は漫画をペラペラめくる。きっと、例の壁ドンシーンを見せるためだろう。


「ありました。これです」


 優奈は漫画を開いた状態で俺に渡してくる。

 開かれているページには、セミロングの黒髪の可愛い雰囲気の女子が、金髪と思われるイケメンの男子に壁ドンされて、


『おもしれー女。気に入った』


 と言われている。


「このシーンを読んで、俺に壁ドンしてほしいと思ったんだ」

「はい。和真君にしてもらったことがないので、興味が湧いて。好きな人ですからやってもらいたいなぁって思って」

「なるほどな」

「……あと、壁ドンしたときには、この男性キャラのような言葉を言ってほしいのですが……いいですか?」

「分かった」


 おもしれー女、みたいな言葉は一度も言ったことはないけど、大好きなお嫁さんからのお願いだし頑張って言ってみよう。


「じゃあ、さっそく壁ドンをしてみるか。どの壁でやろうか」

「テレビの横の壁でやりましょう。そちらは外壁側ですから。隣の家の方で壁ドンをしたら、本来の意味での壁ドンをされてしまうかもしれませんから」

「本来の意味?」

「ええ。集合住宅で、隣の家の音がうるさいときに壁をドンと叩く行為のことを言うんです」

「そうなんだ。その壁ドンは初めて知ったよ」


 優奈との夫婦生活が始まるまで、ずっと一軒家の実家に住んでいたし。こういうことを知っているとはさすがは優奈だ。


「ご近所さんのことを考えたら、テレビの横の壁が一番いいな」

「はい。では、そこでやりましょう」


 俺達はソファーから立ち上がり、テレビの横の壁の前まで向かう。

 優奈は壁を背にして立ち、俺は優奈の目の前で向かい合う形で立つ。優奈と向かい合うことなんてこれまでたくさんあったけど、これから壁ドンをするからちょっとドキドキする。

 優奈の頬がほんのりと赤くなっている。俺に壁ドンをされるからかな。可愛いな。


「……じゃあ、するぞ。壁ドン」

「はいっ」


 普通、壁ドンをするときは予告なんてしないんだろうけど。

 俺は優奈の顔を見ながらにゆっくりと近づき、

 ――ドンッ!

 と、右手で壁を強めに叩く。その際に大きめの音が出たからか、優奈の体がピクッと震えた。

 俺は優奈に顔を近づけ、


「おもしれー女。……好きだ」


 優奈のことを見つめながらそう言った。

 見せてくれた漫画の男性キャラとは違って「好きだ」と言ったのは……その方が、優奈がよりキュンとなってくれるかなと思ったからだ。それに、俺達は好き合う夫婦だからな。

 壁ドンされて、好きだと言われたからだろうか。優奈の顔は見る見るうちに赤くなって。強い赤みを帯びた顔に嬉しそうな笑みが浮かべ、


「凄く良かったです! いつもの和真君と違ってキザな感じでしたし、好きだと言われるとは思わなかったのでキュンキュンしました!」


 と、今の壁ドンを絶賛してくれた。こんなにも喜んでくれるなんて。俺も嬉しい気持ちになるよ。好きだってセリフをアレンジして正解だったようだ。


「そう言ってくれて嬉しいよ。好きだって言ったのは……そっちの方が俺達らしいかなって思ってさ」

「ふふっ、なるほどです」

「あと、壁を強めに叩いたとき、優奈の体がピクッと震えたよな。怖がらせちゃったかな。もしそうならごめん」

「ちょっとビックリしただけで、特に怖くはありませんでしたよ」

「それなら良かった」

「ふふっ、優しい旦那さんです。……素敵な壁ドンをありがとうございました」


 そう言うと、優奈は俺のことを抱きしめ、キスしてきた。壁ドンをしてくれたお礼かな。これまでたくさんキスしたけど、壁ドンをした流れでのキスは初めてだから結構ドキッとした。

 数秒ほどして、優奈から唇を離す。優奈は恍惚とした笑顔で俺のことを見つめている。


「お風呂、入りましょうか」

「そうだな」


 それからは優奈と一緒にお風呂に入ったり、明日の授業の予習をしたり、優奈のベッドで一緒に寝たり。優奈との時間をたっぷりと過ごすのであった。

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