お茶会とマリッジブルーの謎(9)
「うぅ。本当は明日香の弁当は嬉しかったよぉ。でも、手料理だと思うと、ウィルスとか気になちゃってさぁ。手捏ねハンバーグとか無理無理無理」
勇人の情け無い声を聞かされていた美月の目は死んでいた。
心情的には嬉しかったらしい。ただ、コロナやウィルスがどうしても気になってしまい、口にできなかったという。
「でも写真は残してるんだよぉ」
「へぇ……」
勇人は半分身体を起こし、スマートフォンのためてある写真を見せてくれた。明日香の作ったと思われる弁当の画像ばかりだった。中には加工して可愛くしてあるものもあった。心情的には嬉しかった事は伝わるが、やっぱり拗らせすぎている。いい大人がこんなのコロナを怖がっている事も、美月の目を死なせた。
確かに勇人の行動は意識高い系で立派かもしれないが、一方で明日香の心を深く傷つけている。勇人の行動は、正しいのかさっぱりわからない。いつか真澄が出した英語のクイズを思い出す。同じ言葉でも日本語と英語でも発音がだいぶ変わる。意識高い行動も、一方では素晴らしいが、一方では残酷な行為になってしまう事は十分あり得ると感じた。
「そんなに好きだったら、食べてあげればいいじゃないですか」
いつの間にかやってきた秋人が、心底呆れたように言った。片手にはコンビニの袋がある。どうやら勇人の為にスポーツドリンクやおにぎりを買ってきたようだった。
なぜか勇人は、スポーツドリンクやコンビニのおにぎりを食べていた。それこそ工事の様子は、本当に衛生的かわからないはずなのに、勇人は、普通にそれを受け入れていた。
「既製品のスポーツドリンクや、おにぎりはいいんだ?」
秋人も死んだ目をしながら、勇人に聞いていた。
「そうだよ。見た目は綺麗だから」
勇人の衛生基準が全くわからない。見た目で何でも判断しているだけなのか?
美月も秋人の目が完全に死んだ時、チャイムがなった。
明日香がやってきたようだ。
秋人が明日香をここに案内するが、彼女の目は吊り上がっているのが確認できた。
「ちょっと、勇人さん。コンビニのおにぎりやペットボトルのドリンクは飲むんだ?」
明日香の声は静かだったが、それゆえの怒りが滲んでいるのが伝わる。
一方勇人は、バクバクとコンビニのおにぎりを食べ続けていた。明日香の怒りには1ミリも気づいていなかった。どうも意識高い事をやって満足しているだけで、心底コロナを怖がっているようには見えなかった。本当に怖がっていたら、のこのこ秋人の家に来ないだろうし、ベッドも借りないだろう。ガスマスクでも生活していた方が筋が通るが、勇人の行動は一貫していない。上部だけなぞっている事が伝わってくる。
「明日香、何でここ来たわけ? 呼んで無いんだけど?」
ヘラヘラ笑っている勇人だったが、明日香の表情が固まっている事は気づいていない。美月も秋人も、忠告しようと思ったが、その前に明日香はつけているマスクを床に投げた。
「いい加減にして! これからは、トイレも寝床も風呂もずっと一緒よ? コロナ怖いとか言って生活できるわけ?」
明日香の声は怒っているというより、悲しげだった。
「あんたの事は好きだから。別に私は変な菌を移されても気にしないよ。菌とか病気とか汚さを受け入れるのが夫婦だろ!!!!」
飛沫を飛ばしながら、明日香は叫ぶように訴えた。
顔に明日香の唾がついた勇人は呆然としていた。
「うぅ。気持ち悪いぃ」
勇人はその場で吐いてしまったが、明日香は平然とした顔で片付けていた。さっき言った言葉は嘘では無い証明だった。そういえば、母親は赤ちゃんのウンチを食べても汚く無いと思うらしい。汚さを受け入れるのも夫婦というのは、美月も本当じゃないかと思い始めた。
さすがに勇人もそんな明日香に頭が上がらなくなったらしい。
「明日香、ごめんよぉ」
勇人は、床に降り、土下座までしていた。
「秋人さん、これで一件落着?」
「うーん、まあ。勇人さんは戸田ちゃんに頭が上がらないだろうね。戸田ちゃんがこんな怖い人とは知らなかった……」
明日香に土下座しつづける勇人を見て、美月も秋人もため息をついた。
「わかればいいわ」
明日香もため息混じりに言っていたが、この夫婦のパワーバランスは、今後妻の方がずっと上になる事は容易に想像がついた。




