悪魔のレシピと良心の謎(7)
「待てー! 待ちなさい!」
美月は鬼のような形相で男の子を追いかけていた。
追いかける相手を激安卵だと思い、走り続けた。相手は子供といえどすばしっこい。むしろ子供だから身軽さを感じた。
気づくと商店街を抜け、市立公園の中に入った。
「待ちなさい!」
さすがに男の子も疲れを見せた時、美月は彼のシャツを引っ掴み、ようやく確保できた。
「美月ちー、怖いって」
後ろからノロノロついてきた秋人は、苦笑しつつ、男の子を宥めて近くにベンチに座らせた。あまりにも怖い形相の美月に、男の子はすっかり怖がっていた。
「何で逃げたの?」
「怖いよ、おばさん!」
「何か言った?」
「まあまあ、美月ちー、落ち着こうぜ」
秋人は、近くの自動販売機からジュースを買って来てくれた。こうして3人でベンチに座りながら話す事になった。
「やっぱりタダのジュースは美味しいわ」
そう言ってご機嫌になる美月を見て、秋人は引いていた。
「ところで、君。何で逃げたの? ケーキ屋で何してたの?」
男の子は、明らかに何か知っているようだった。よく見ると男の子のズボンやシャツがよれていた。
もしかして洗濯していない?
あとこのご時世でもマスクをしていない。こんな子供が、陰謀論にハマって反マスク派などになっているとは考えにくい。何か事情がありそうだ。
男の子の名前は原口浩くんといった。あの商店街の近所に住む子供で、シングルマザーの家庭だという。母親は看護師だが、仕事が忙しくてなかなか大変だという事を語っていた。美月も浩と似たような状況なので、あまり笑えない。洗濯していないと思われる服やマスクをしていない事情などが察せられた。
クッキーをあげると浩はとても喜び、口が軽くなっていた。
「浩くん、クッキー美味しい?」
「うん! おじさん、美味しい!」
おじさんと呼ばれているのに、秋人は嬉しそうだ。確かにこれだけニコニコ顔で食べてくれると、作る方も嬉しいだろう。結局秋人は、残りのクッキーを全部浩にあげていた。
「それはいいけど、あなたケーキ屋の前で何してたの?」
和やかなムードになりかけたが、美月は肝心な事を聞くべきだと思った。こうして走って逃げたという事は、浩も何か知っているのだろう。
小さな男の子を責めるのは気が引けたが、もう少しでこの謎も解けそうな手応えを感じた。犯人はおそらく高原と酒井だろう。ただ、この二人をせめてもどうしようもない。悪いのは噂だ。噂を取り消して、倉橋の名誉を回復すれば解決できるかもしれない。
「実はさー。倉橋のおじさんには……」
浩は言いにくそうではあったが、タダでクッキーを貰えた事もあり、ペラペラと事情を話していた。
浩の家計は苦しいようだった。毎日学校の帰り、倉橋の店に行き、色とりどりのケーキを眺めては帰っていく日々。そんな浩の胸を痛めた倉橋は、閉店後に店に呼ぶ、無料でケーキをあげていたという。
「たぶん、倉橋のおじさんの家に入って行く僕を見て、酒井さんとかが誤解したっぽい。ロリコンだって」
これで話が繋がった。やっぱり倉橋は無罪だった。
「それにしても噂って怖いね。どうしよう」
浩は、この事にかなり心を痛めているようだった。今にも泣きそうだった。いわば倉橋は濡れ着で変な噂を立てられたわけである。本当にかわいそうな状況だった。もちろん、商店街の連中の底意地の悪さには、美月もドン引きだが。前に秋人は、義人はいないと言っていたが、本当にそう思った。むしろ人間は悪魔とか悪と親和性が高すぎやしないか?
「倉橋のおじさんのケーキ美味しかったよぉ。ショートケーキもモンブランも夢みたいに美味しくてさぁ」
ついに浩は泣いてしまった。どうにかして欲しいと秋人に泣きついてきた。
「どうにかって。秋人さん、どうしますか?」
「そうだなぁ……」
秋人は、腕を組んでしばらく考え込んでいた。
「とりあえず、浩くん。倉橋さんちに案内してくれないか?」
秋人は、倉橋と話したがっているようだ。相手がどう出るかわからないが、それが良いだろうと考えた。
また全速力で走ってしまった。美月は、秋人の家でカロリー過多の食事をしているが、これで少し体重計の上に乗る不安が消えていった。




