悪魔のレシピと良心の謎(1)
今年に体育祭が無事に終わった。どちらかといえば運動が苦手な桜と直恵は死んだ目をしながら参加していたが、美月はリレーのアンカーに任された。
プレッシャーで押し潰されそうな美月だったが、リレーで優勝したクラスには景品が出ると知り、鬼の形相で走り込んだ。結局美月のクラスが優勝した。
陸自部員がいる上級生にも勝ってしまい、教師達も美月のドケチっぷりにひいていた。
景品は、近所の商店街にある買い物券だった。アンカーを務めた美月には特別に1000円分商品券を貰えた。
「見てみて、抹茶さん。こんな素晴らしい券を貰ってしまいました!」
体育祭が終わった翌日、代休になった月曜日に美月は秋人の家に訪れていた。もちろん、タダ飯を食べに来たわけだが、抹茶にゲットした商品券を見せびらかしていた。
「それは、それは。良かったですねぇ」
事の経緯を聞いた抹茶は、少し引きながら紅茶を啜っていた。
リビングのテーブルには、紅茶セットとクッキーは並べられていた。
クッキーは、野菜が練り込まれた緑色のものだった。あれ以来ギルティなお菓子を作っていた秋人だったが、さすがに体重が増えてきたらしい。という事で最近は野菜入りのヘルシーなスイーツを開発しているようだった。
ちなみに美月は、リレーのアンカーになった為、連日走り込みの練習をしていた為、かえって痩せたぐらいだった。
「この野菜クッキー、意外と美味しいですね」
「そうですね、美月さん。これは秋人さんの秘伝のレシピで作ったみたいです」
美月は、野菜クッキーをもう一枚摘んで齧った。ホッコリとした優しい甘味が広がる。ギルティなスイーツと違って、食べていても罪悪感がない。いくらでも食べられそうで返って危険だ。
「ところで、その商品券は何を買うんですか?」
「それが、迷っているんですよねぇ」
日用品を買おうと思ったが、せっかくの記念品でトイレットペーパーや洗剤を買うのも勿体無い気がした。
「だったら、私が貰いましょうか?」
「嫌です!」
ちょっと意地悪そうにニヤリと笑う抹茶は、単なる優しいおじさんでは無いようだ。そもそもニートバージョンの秋人からキラキライケメン料理王子にプロデュースしたのも抹茶である。なかなか計算高そうなタイプに見えてしまった。
「ところで、秋人さんは仕事ですか?」
そういえばさっきから姿が見えない。調理室の洗い物を手伝おうかと思ったのだが。
「実は今、秋人さんは大変な時期なんです」
「大変な時期?」
「ええ。新しくレシピ本作りをしているんですが……」
大手出版社でレシピ本作りの計画が進行中らしい。美月でも聞いた事がある有名な出版社で、思わず「すごい」と呟いてしまった。
「ただ、大手の編集者はけっこう厳しいようでして。私の知り合いの知り合いの編集部でもあるんですが」
ここで抹茶は、ため息をついた。その編集者は涼木政太という敏腕編集者らしいが、売れる為には手段を選ばないタイプらしい。秋人の新しく出るレシピ本のタイトルも勝手に決めてしまったらしい。そのタイトルはなんと「悪魔のレシピブック」というものらしい。
「え、秋人さん。クリスチャンですよね?そのタイトルは、不味くないですか?」
美月は詳しく知らないが、聖書では悪魔は完全に悪い存在として書かれているらしい。日本の娯楽では、むしろ悪魔が可愛く描写されているものも多いが、海外ではあんまり無いらしい。美月の母がアメリカで作家をしているので、そう聞かされた事がある。
それに悪魔とタイトルにあるレシピブックは、他の料理研究家も出していた。二番煎じじゃ無いか。美月は緑茶の二番煎じは普通に作るが、こういったクリエイティブなものの二番煎じは微妙だと思ってしまう。
「涼木編集者によると、悪魔とタイトルにつくものは売れるそうです。全く日本の文化は、悪魔的ですねぇ」
「それでいいんですか、抹茶さん。秋人さんは納得してるの?」
とても納得しているように見えない。秋人の見かけはおっとり温厚なタイプだが、意外と正義感が強く、頑固な一面もある。
「納得してないですよ。だから涼木さんと揉めてるんです。今日も彼とテレビ通話で打ち合わせです。調理室や秋人さんの部屋には入らないでくださいね」
「それはわかったけれど……」
なかなか秋人の仕事は大変そうだった。藤部や丸山の一件で、意外と大人は脆い事を知った。秋人の心情は想像する事しかできないが、今の状況は苦しいんじゃないかと思う。
「そうだ、この商品券、秋人さんに何か買ってあげようかな」
ケチな美月は、普段はそんな事は思わない。ただ、丸山の件ではとても世話になったし、これぐらいの事はしても良いと思った。というか普段もタダ飯食べているし、これぐらいの事は人としてやっても良いと思った。
「それは良いですね」
抹茶は、美月の提案に賛成だった。ニッコリと笑顔を見せる。
「何が良いと思う?」
「そうですねぇ。あぁ、秋人さんは商店街のケーキ屋のモンブランがすごく好きだったんでしよ」
「モンブラン?」
「ええ。あそこのケーキ屋は今は息子さんが継いでいるんでしたっけ? 美味しいんですよねぇ、あそこのケーキ屋」
美月はよく知らないが、街の商店街の一角に小さなケーキ屋があった事を思い出した。
「じゃあ、この商品券で秋人さんにモンブラン買う。決定!」
ドケチな自分だが、この商品券を秋人の為に使うのは、一番良い方法だと思った。




