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狂い悪夢に一人と一匹  作者: 灰猫 無色
8/13

8.ホルムアルデヒドの天の川を歩く

※深淵にこそ潜るのだ。例えそれが、終わりの始まりだとしても。

『きょーすけぇ……』

「ダメ」

『いいじゃんかぁ、少しくらいぃ』

「ダメなものはダメ」

『バカ! ケチ!!』

「バカでもケチでもいいよ」

『むううううううう!!!!』


 愚図っていてもこれは譲ってはいけない。

 何せ僕の目の前にいるのは白黒大福。


「ほら、走って走って」

『にゃああああああああ!!』

「猫の鳴き真似してもダメ」


 最初こそ換毛期からの冬毛か何かでそう見えると思ったのだけど、気になって計ったら、ダメだった。


「それにしても、今までと同じ量とペースだったと思うんだけどなぁ」

『知らないよそんなの!?』


 叫びながらもきっちりとキャットタワーの一段目を登り降りしている。

 正直なところこれが効果があるかは知らないけど、普通のバクと違うからやれるだけやろう。


『悪夢がないのが悪いんだ……あれで運動してたようなものだから……』

「僕は最近見なくなってありがたいけどねぇ」


 先日、とうとう夢野さんにデートを約束させられたのも、悪夢を見なかったからだと思う。

 それに勉強も捗るし、朝の目覚めも悪くない。

 正直なところ、健全な睡眠っていうのはとても大事なものだと改めて実感することになった。


『それは確かにモルも嬉しいけど……それでこうなるのは嫌だねぇ』

「ご飯を減らすか運動するか、どっち?」

『………………運動する』


 眉根? を寄せてすっごい渋い顔をしてから、口をちょっと尖らせてボソリと言ったバクが運動を再開しようとすると、キャットタワーの天辺からひょいとちー子が降りてきてにゃあ、と一言鳴いた。


『お前に言われなくてもわかってるよそんなの!?』

「ちー子はなんて?」

『まんまるだってさ! やってやる、やってやるぞぉ!! うおおおおおおおおおお!?』

「程々になー」


 ちー子に発破をかけられた獏が、気合の闘志を燃やしてキャットタワーの一段目をせっせと登り降りする。

 それを傍目にちー子は一番上にピョンと登っていってにゃあとまた鳴いた。

 それに対して獏が『あ゛あ゛!? やってやるよ飼い猫風情があああああああ!!』なんて叫んでいるのを横目に、僕は僕で勉強だ。

 多少騒がしいけどまぁ、賑やかなのは良いことだ。

 例えそれが、


「腐りかけが最も甘い果実ではあるけれど、待てと言われて涎を垂らす家畜ではないのよ」

「え?」


 一時の平穏であっても。




『ったく、モルだってこの程度余裕なんだからな! ……って、響介?』
























「うふふフフフふふァハハはぁ!!」

「はあっ、はあっ! クソっ!」

「駆けてネジ巻けネズミのおもちゃ……お茶も真っ赤に染めて優雅に踊りましょう!?」

「っ!!」


 前に飛び込みスライディングをした瞬間、後ろで巨大な質量の物が叩きつけられた音がした。

 大変上機嫌に巨大な注射器をぶん回すピンクナースが追いかけてくる。

 今まで以上の恐怖と、そして明らかに起きていたはずなのに、声が聞こえたと思えば何かに巻き込まれるかのように視界と思考が暗転して、気付けば死の鬼ごっこに巻き込まれている。

 そう、()だ。


 夢であって夢ではない。

 今回のこれは明らかに異質が過ぎた。

 ここで死ねば本当に死ぬという、実際のところわからないはずの事を明確な事実として認識している。


「冗談キツイな……まだ夢野さんとデートどころかお付き合いもしてないっていうのに」

(さか)る猿すら赤い硫黄が迫れば逃げ惑うけれど、このレモンは酸味を上げるのね」

「ふんぬぅ!」


 地面に亀裂が入ったのが見えた瞬間に横っ跳びした途端、鍾乳石のような岩の槍が下から凄い勢いで突き出てきた。

 そしてそれはどんどん範囲を広げていく。

 とにかく走って走って、追いつかれないようにする。


 それにしても、獏はまだか!?

 連れ去られたのか何なのかはわからないけど、それにしたって来るのが遅すぎる気がする!!


「姉より優れた妹はいないのよ」


 それ多分使い方違うと思うなぁ! なんて思っても、叫びながら走るつもりはない……というかそろそろキツい。

 これだけで夢じゃない、とは言い切れないけど、ここ一体どこなんだ。

 今更ではあるけれど、現実ではないのはほぼ間違いないと思う。

 走っても走っても周りが地面続きだとか、僕の家から移動するにしたって近場にそんな場所はない。


「脱皮した蝉が肉を持つ時、それはどちらが夢かしら?」

「……あ?」

「あの子が待ってる、アイツは知ってる。あれそれこれどれ、君は墨汁なのだから、ただわら半紙に流されれば良いの」


 なんだ、今、微妙に何かがが噛み合ったような。

 いや、僕にもわかる内容で聞こえた……?


「あら、今確かに地を這うネズミと空飛ぶネズミがシンメトリ? 狂楽だわ、楽しいわ! まだまだガラスの靴の魔法が解けるよりも短い電話だけど、ようやくこちらの沼へと踏み入れさせたのだから」

「それは踏み入れさせたんじゃなくて、引きずり込んだの間違いじゃないか……?」

「鳥モモ肉の骨付き唐揚げを揚げるような言葉でも、今ならただの悪あがきにしか見えなくて愉快に笑うヒクイドリになれるわ!」


 少しずつ、少しずつ何かが蝕んでいくような、そんな雰囲気。

 なのに気付けば、僕もナースも足を止めて向かい合っていた。


「上げ足取りたくて取ったんじゃないんだけど」

「事実上げた足を掠め取って背負い投げたじゃない。全て中身を忘れた荷物を運び終わってから気付くような、些末なものだけど」

「確かに喋っても意味はないから無駄だね。けど、まぁ、考えてはいた。こっちの話が通じているかどうか、って」

「しっかりと染み込んでいたわよ。ハングドマンは仲間ではなかったようだけど」

「そっちの会話が全て意味がわからなかったからね。今みたいに推測するのも難しかった」

「けれど今は同じ鏡の中で混ざり合おうとしている」

「混ざる? ヒトと君が?」

「えぇ、バターのように、ゆっくりと、しっかりと。それはハンプティ・ダンプティが塀から落ちて、ジキルとハイドを信仰することと知れ……楽しみだわぁ」


 うっとりとこちらを見つめる目を見る。見てしまう。

 逸らそうにも逸らせず、口は縫われたように開けない。

 沼みたいな汗が出るようだ。


「さて、無意味な回廊の引き伸ばしに呉越同舟していたわけだけど……それは私も同じなのよ?」

意味不明を語るのか(何を言ってるんだ)?」

「あら、確かにこれは深海に落とした財布ね。まだまだだけど」


 少しずつ、少しずつ理解できてきている。

 彼女の言葉が、しっかりと意味を持った内容として聞こえてくる。

 理解不能な恐怖の対象(敵対者)から理解が可能な対象(中立者)として、彼女に向ける意識と感覚が変わる。

 けれど、何故だろう。


「………………」

「あら、どうかしたかしら」

「………………」


 喋る度に。いや、喋らなくても、大事なナニカが薄れていく気がする。


「! うふふ!! その様子だと、かなり辿って来れているわね!? ええ、ええ! 外を知りたがるカメのように待っていたわ!!」


 何故か、ピンクナースがとても嬉しそうに笑っている。

 それは恋をしているようで、魅入られそうな妖艶な雰囲気を漂わせていた。


「悪いけど、僕にはジュリエットと(決めた人が)逃避行の予定がある(すでにいる)んだ。君の相手をするつもりはないよ」

「嫌よ嫌よも空鍋するほどの愛なのよ。それに口ではそう言ってもエッシャーの滝になっているわよ? もう後戻りはできないわ」


 意味がわからない。

 どういうことだ?


「やはり自身では気付かないものね。コオロギの鳴き声ならば問題なく理解できるとは思うのだけど」

「どういう……」

「それは『響介ええええええぇぇぇぇぇ!!』」


 ドンッ! と重たいものが激突したような音と同時に、ピンクナースがピンボールのように弾き飛ばされた。


『良かった! 響介無事!?』

「あ、ああ。うん、無事」


 ペタペタと僕の身体を触りまくる獏にちょっとだけホッとしつつも、僕は土煙で見えなくなっているピンクナースの方を見た。


『響介、すぐにここから逃げるよ!!』

「え? あ、了解。どうしたらいい?」

『モルを抱っこする! ってぎゃー!? 急いでぇ!?』


 けれど獏が、明らかにただ事じゃない雰囲気だったから、とりあえず獏を急ぎ抱えた。

 瞬間、急に足場が崩れたような感覚に襲われて、立っているのに転けそうになった。

 獏を潰すわけにはいかないので、ひとまずクルリと獏を上に向けて方向転換して、背中から落ちる。


「痛っ!」

『帰れたやったあああああ!!』


 痛みに堪えて瞑っていた目を開けると、あの声が聞こえるまでいた僕の家の天井が見えた。


『あっぶなかったぁ!! もう少しで響介が死んだかもしれなかったぁ……そうなったらあの猫に殺されてたかもしれない……』

「ちー子?」

『そうだよ! 響介がいなくなった途端、早く連れて帰らないと、って言いながら爪を出し入れするんだよ!?』


 それはそれは、ご飯のためかもしれないけど嬉しいね。

 獏には恐怖でしかなかったかもだけど。


「ちー子は普段から下水道の毛玉で(ネズミを)遊んでいる(狩ってる)からね」

『なんて?』

「ネズミだよ、ネズミ。たまに家に出てるのを狩ってるから」

『なるほどねぇ……それでモルの想定よりも野性味が強いのか……』


 うんうん唸る獏だったけど、まぁいいかと僕の上から退いた。


『とりあえず、生きてて良かったよ、響介。あんな場所に連れて行かれてたなんて、全然気付かなかった』

「うん、ただいま。ところであの場所って何? やけに死ぬ、って感覚がしてたんだけど」

『そりゃそうだよ。あそこは現実と夢の境で、生と死が交わりやすい場所だから』


 おっとぉ、モルくん急に賢くなった気がするぞぉ。


『何か失礼なこと考えてない? ……まぁいいや。で、あの場所は色んなものが曖昧になるんだ。例えば記憶、例えば言葉、例えば存在……色々だね』

「その曖昧になることで、何か問題は」

『あるよ当然』


 ピシャリ、と獏が珍しくはっきりと断言した。


『記憶が曖昧になればあらゆる行動が曖昧になって、自分の首を自分で、唐突に掻き毟ってるかもしれない。そのことに気付かないだろうし、何かを行動してもわからないどころか、何をされてもわからないよ』


 は?


『言葉が曖昧になれば意思疎通が曖昧になるから日常生活もまともにできなくなるし、存在なんて曖昧になりすぎたら、その存在そのものが消失する。最悪、歴史そのものから消えるんだ』

「なんだ……それ……」

『長く居続ければ居続ける程、あらゆるものが曖昧になっていくんだ。自分と他人の境界も曖昧になるだろうから、あの女に響介が取り込まれる危険性もあったんだよ。……響介?』


 ああ、なるほど。

 蝕んでいくような雰囲気だと思ったけど、違ったんだ。


『おーい、どしたぁ? 危険性を認識したら安心してボケっとしてるのかぁ?』


 獏が言うことは半分当たってる。

 危険性を認識して、手遅れである事に気付いただけだ。


 僕は恐らくすでに、ナニカが曖昧になっている。

拙作を読んでいただきありがとうございます!


良ければ評価やレビュー、ブクマ等頂けると、大変嬉しいです!


次回投稿は11月21日20時予定です。

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