6.ポップコーンの髭はカンダタの助けとなるか
※グロ表現の危険性は、想像力と天秤であると思うこともある
目の前にいる桃色のナースから、ミチミチと音がする。
それは肉生理的嫌悪を彷彿とさせる音で、多分肉を力任せに引き千切るなら、こんな音がするんじゃないだろうか。
「点Pと点Sによる平面グラフの縄跳びは、地下水が滴り穿つものであり、木の枝でピザを作ること。なれば火山は深呼吸してカキ氷を食し、五右衛門風呂にご招待」
人間の姿が膨張し破裂し、頭は巨大化し目は頭になって増え、腕はぶちぶちと分かれて八本の手足となった。
分かれたところは硬化してトゲみたいになって、腹が太くなり見るからに蜘蛛という見た目になった。
複眼の代わりにような頭達の両眼が大きくなり、頭が破裂してカラフルな複眼となったのを見届けて、
「『オエエエェェェ!!』」
僕と獏は揃って無を吐いていた。
『おえっぷ……うげぇ……気持ち悪いし趣味悪ぅ……』
「同感……」
獏と僕は二人揃って生理的嫌悪に苛まれていた。
周囲は大量の卵と謎の肉でできた空間、目の前には目を逸らしたくても逸らさせてくれなかった変体を遂げて産まれた、巨大な蜘蛛が一匹。
更には次々と周囲に蜘蛛の巣が張られ、どんどんと空間の密度が高くなってきていた。
「もうさ、これだけで今までの悪夢の精神ダメージ越えた気がする」
『モル、もうおうち帰るぅ』
「僕も帰りたい」
けど、そもそもここは夢の中だ。
つまりは帰るというよりは悪夢から目を醒ましたい、というのが正しいと思う。
そんなことを考えたところで無意味ではあるけれど。
「無垢であることに罪はないけれど、クロノスならざる以上は空気となって下水管と化すべきでは?」
「獏ー、どうするー」
『先手必勝! 汚物は消毒!!』
「了解!」
消防車の噴射口から火炎放射を出し、蜘蛛を炎で包む。
臭いは特にしないけど、炎の中で踊る影がボコボコと変形するのが見えるのがヤバイ。
「炎に耐性でもあるのか」
『というより、響介の夢に介入してる』
「つまるところ?」
『今までみたいに行かなくなった』
刹那、砲弾が直撃して吹き飛ばされ、平衡感覚がわからないぐらいに身体を回転させられた。
おかしい。嫌な予感がしてすぐに夢に意識を任せたにも関わらず、今までみたいに避けられなかった。
僕の名前を呼びながら駆け寄ってきた獏が焦ったように僕の手を引っ張った。
『とりあえず逃げながら説明すると、今まではあいつは響介の夢に溶け込んでいたんだ』
「それはどういう……うわっ」
雨のように降ってくる矢に地面に走りながらめり込み、潜ってやり過ごす。
かと思えばいつの間にか設置されていた地雷の爆発で地上に無理矢理引きずり出されて、蜘蛛の鋭い脚が僕を串刺しにしようと襲いかかってくる。
『夢っていう水に砂糖とか塩って形でアイツは溶け込んでた。響介は本来同じ立ち位置だけど、モルが響介という意識を固定することで、スプーンとかコップとか、ようは水の影響を受けずに動かせるようになっていたんだ。ところが今日はアイツもフォークになって来た。対等の存在として来てるんだ!』
説明下手か!!
あー、つまり、なんだ。
獏が来てから僕は夢の中で比較的自由に動けたし、あの悪夢の元凶らしき奴らに対抗できていた。それは獏の力で僕が夢に干渉する力を得たから。
一方でアイツらは夢に干渉するためには僕の夢に入らないといけない、つまりは夢の一部となっていた。だから限度はあったのだろうけど、アイツらが悪夢として好きな状況を作り出しても、僕が干渉することで夢の上書きをして無効化することが容易だった。
ところが今日はどうやってか、獏の力を借りた僕のようにアイツは夢の一部としてではなく、夢に干渉が可能な存在としてやってきた。
だから状況の上書きができない、ということか。
「それで?」
『だから今みたいに地面の中に何もない状態で走っていても、地面の中に地雷を埋め込む事ができるし、響介の意思で地雷を消せないから安全と言えなくなったんだ!』
「それ、わかったところでどうしようもなくない?」
『………………うん』
とりあえず今は空中を駆けながら、突如出現する空中機雷を大理石の柱でまとめて薙ぎ払って爆破しつつ空を泳ぐ蜘蛛から距離を取る。
『幸いというべきか、距離に関しては操作できないみたいだね』
「速度もかな。とはいえ、あの巨体だからどう足掻いてもいずれ追いつかれるとは思うけど……」
今度は複眼がバラバラに解けて、自由自在に飛んで襲ってきた。
流石に当たったら何が起こるかわからないから、余裕を持って大きく避けることにした。
そんなことをしていたら、どんどん追いつかれるわけだけど、当たって何か起きる方が問題になる可能性の方が高い。
「肝臓の愛をその手に。定規で図るマリアナ海溝は月面旅行……記載済みの婚姻届けに顕微鏡を覗き込みなさい」
「それにしても、毎回このピンクナースとかが喋るこれはなんなのさ」
『うーん、良くわからない』
「そんなものか」
『そんなものだよ』
雨が降ってきたので傘を差す。
パラパラと振り始めたら一気に勢いが強くなり、かと思えばカンカン! と硬質なものが当たる音に変わる。
瞬間的に傘の材質を変えた途端、耳の奥まで響く硬質な激突音が響き渡った。
「あだだだだだだ! 耳が、頭がー!?」
『響介のおバカ! いやおバカと言い切れないけどおバカ!!』
「舞台の上で無節操に響き渡る叫びはただの真夏の蝉の声。空洞は天然のアンプになるのね……」
思わず耳を塞いでしゃがみ込んだけど、どうやら蜘蛛の方にもダメージはあったらしく後ずさりしている。
そして周囲に降っているのはいつの間にか槍になっていて。
『明日は槍でも降るか、なんて言葉があるけど、実際に降るとこうなるんだねぇ』
「というか雨って……環境は変えてくるのか」
『そう言いつつ君も上空に海を作ってるじゃないか』
「上書きできないならこうするか、って感じだよ」
おかげで槍は海の中で失速して、傘に当たる頃には鈍い音がなる程度になっていた。
蜘蛛にも当たっていた槍も同様に速度が落ちたみたいだけど、蜘蛛は当たるのを嫌がっているようだ。
良くわからないけれどこれはチャンスだ。
「やるぞ獏」
『おっけー! やっちゃえ、ってあ゛ー!!』
巨大な杭を蜘蛛に向かって射出する。
ひとりでに動く巨大構造物、というのはとても迫力があり頼もしいものの、それを蜘蛛の巣で絡め取られ拿捕されたのなら話は別だ。
「やばっ」
『きょーすけぇ! なんとかしろよぉ!?』
「無茶言うな!!」
慌てて跳ね返されるだろうタイミングを見て動けるように意識する。
涙目で獏が抱きついてきたけど、状況変化も杭を消すこともできないからどうしようもない。
ガード……はできるかわからないからひとまず回避。
あの蜘蛛の巣の張り方から見て今か? それとも……。
「騒ぐ機械の地下で遊んでいるわけではないのよ……」
蜘蛛が脱力すると同時、蜘蛛の巣ごと杭が自由落下をしていった。
『あ、落とした』
「槍も止んだか」
頭部と思わしき箇所を青色にして、蜘蛛はまた後退りをした。
「狼の遠吠えは椅子の上で立つ押しピンだけではないの。ユーラシアが喧嘩別れする日に液状化する猫を脱水したわ」
そう言いながら、少しずつ姿を薄くしていく蜘蛛にホッとし、けれど先日の事を思い出して油断しないように気配を探る。
『大丈夫みたい』
「本当に?」
『うん。多分アイツ、音に酔ったんだ』
「音に酔った」
あの五月蝿い音を聞いてダメージを受けたんだろうか。
何はともあれ蜘蛛は完全に消え、僕は地面に着地した。
『槍が当たった時に嫌がってたから、多分』
「痛かったとか痒かったんじゃないのか」
『うーん、なんでだろ。なんとなくそんな気がする』
「ふーん」
「はーい、というわけで今後のための会議をやりまーす」
『ぶーぶー』
「そこ、プリンアイス食べながら文句言わない」
目が醒めて真っ先にプリンアイスを所望されて、コンビニまで買いにいった僕の労力分くらいは有意義がある内容にしたいところだ。
「じゃあ早速だけどまずはできなくなったこと」
『ワープが使えなくなった!』
「意識外に近づいたり離れたり、ができなくなったね」
『シェルターが作れなくなった!!』
「いざという時のための緊急回避手段が使えなくなったのは痛い」
『夢に意識を委ねても攻撃を当てられるようになった!!』
「あれも緊急回避としては良かったんだけどなぁ」
テンポ良くシュタッ! と手を上げながら言う獏に相づちを打ちながらノートにメモしていく。
こうやって纏めてみるとたったこれだけでもなんていうか、つくづく反則だったんだなぁと思う。
『でもあの女以外は今まで通りだと思う!』
「ふむふむ……うん? 今までの悪夢って全部あのナースが襲ってきてたんじゃないの?」
『そこからぁ? 響介は馬鹿だにぇー』
「………………今日の獏の晩ごはんはキャットフードかな」
『ごめんなさい許してくださいカリカリは嫌です』
即座に土下座? を決めた獏をコロンと転がしてお腹をわしゃわしゃとしながら、僕は無言で続きを促した。
『響介上手いな……ん゛ん゛!! えっと、まず響介を襲っている悪夢は基本的にはあの女だけど、たまに別のがちょっかいをかけてるんだ。悪魔や妖怪、悪霊もいるね』
「えぇ……なんでそんなに狙われてるのさ……」
『そういった奴らは色んな人に悪夢を見せてるんだ。特別、響介ばかりを狙ってるわけじゃないよ』
御伽噺とか創作話だと思っていたものが真実だったことは、獏がいるから特段驚きはない。
けれど何故毎日のように悪夢を見るのだろう。
考えるためにだらんと身体の力を抜いてなすがままにされている獏から手を離そうとして、何故か手を抱きかかえられたので引き続き撫でる。
獏のくせにあざとい。
『あの女の影響で、響介は悪夢に対してのバックドアみたいなのが取り付けられてるんだ。そのせいで本来人間が持っている抵抗の力場を抜けて、毎日悪夢の影響を直接受けているんだよ』
「なんという大迷惑な」
『けどモルがいるからね! そんじょそこらの雑魚なんて相手じゃないよ!!』
「そうだなー。あのナースはどうも別格みたいだしなー」
『あれはおかしいんだよ!! どう考えてもそこらの悪魔じゃ話にならないくらい馬鹿強いんだからな!?』
凄い剣幕で言っているけど、いつの間にかちー子にのしかかられてるわ、僕の手は離さないわでナースの話がそこまで重要に聞こえない。
「それで? 僕らがそのバックドアに対して何かできることは?」
『今の所はない、かな。モルも頑張って考えておく』
「了解。じゃあそろそろ洗濯でもしようかな」
『モルはまたアイス食べにゃー!? この猫、僕で遊ぶな!! きょーすけ助けてー!』
なんだか声が聞こえてくるけど、とりあえず獏がちー子と仲良く遊んでいるうちに家事を済ませておこう。
夢を見ないようにする方法も、調べたいからね。
拙作を読んでいただきありがとうございます!
良ければ評価やレビュー等頂けると、続きを書く気力が上がります!
次回投稿は11月7日20時予定です。
※今回は予約投稿が上手くできていなかったようです、申し訳ないです……。