10.ドッペルゲンガーの招待状
※あいつが笑う、あいつが指差す。
置かれた手紙は招待状。
お前は俺で、俺はお前だ。
けれども今いる存在は、果たしてどちらなんだろうなぁ?
最初に研究室から僕の名前と、存在したという記憶が消えた。
例外は夢野さんと教授の二人だけど、教授はところどころ僕に関する記憶が抜けているのがわかった。
次に卒業アルバム等の写真に映る僕や名前が薄れてきた。
獏曰く、記憶が曖昧になって無と溶け合いつつある前兆ということらしい。
完全に名前が消えた時、僕という存在そのものが消え始めるとのこと。
そして、知らない間に何かをしていたことが増えた。
いつの間にか書いた覚えのない内容がノートに書かれてあったり、まだだと思っていたちー子の餌があったり。
一度だけ獏が封筒を切るためのカッターを持った右手を抑えていた、なんてこともあった。
なんでも封筒を切らずに手首を切ろうとしていたらしい。
「本格的に、不味いね」
『だから言ったじゃん、出かけるの禁止って!!』
「ごめん」
夢野さんとのデートで、僕はまた夢と現実の狭間に誘われた。
いや、無意識に自ら飛び込んだのかもしれない。
そうしたら以前獏が言っていた通りになった、それだけだ。
「マザーボードに付いた筋肉が、それと織りなす肉体言語にそれぞれ南を見る北極星になっている、か」
『ちゃんとした言葉で、喋って、欲しいな……』
そして、とうとう短文で区切っても意味がなくなってきた。
何なら教科書の文字ですらおかしく見えることがあるし、自分で書く文字も見返すと異なる文字になっていたりして、何が実際のものなのかがわからなくなってくる。
「獏、いや、モルペウス。どうしたら治ると思う?」
『わからない。ここまで曖昧化が進んだ人を見たことがないから』
「そう、か」
治る見込みはない、と考えて置いた方が良さそうだ。
そうなると唯一の可能性は、
「彼女、か」
『駄目だよ!?』
獏が、モルペウスが否定する。
『響介がモルたちみたいな存在を日常に取り込ませにくくするために、名前を語らせないようにしていたんだよ!? なのに自分からあの女に関わりに行ったら、意味がない!!』
「存在を呼ばれた」
『そんざ……もしかして名前!? クソっ、あの女……モルに気付かれずに防壁を抜けて情報を掠め取ったの? 意味がわからない……どうしよう……』
絶句しているところを見ると、どうやら僕が考えていた以上に不味い状態だったようだ。
わなわなと震えながら、何事かぶつぶつ呟いている。
「じゃあ、三角定規の頂点で」
『行くなって言ってるでしょぉ!?』
とにかく出かけようとすると、モルペウスがドアの前に陣取って邪魔をする。
『ヤケになるんじゃないよ!』
「悲しみに暮れる織姫と彦星じゃないよ。決して交わらない酸素と宇宙でも、次元観測は無能じゃないさ」
『……響介?』
「………………」
一瞬、記憶が飛んだ。モルペウスが心配そうな顔でこちらを見上げているということは、何かまたやったんだろう。
「とにかく、狭間にもう一度行ってパンドラの奥底を潜水してみよう」
『無理だ! あの女は響介を狙ってるんだぞ!?』
「孔明の二の矢は?」
『孔明? ああ……他の手は一つ、思いついたものがある』
まずは首の後ろを強く叩いてもらって、と言われたので多分寝ろってことだろうと解釈。
割とあっさり眠りについたと思ったら、そのままいつもの夢の中だ。
赤い空に黄色い雨、小さなグミが霧のように舞った世界。
コウモリがどこからともなくやってきて、そのまま吸血鬼に変身すると「お前が最近サンクチュアリを犯す不届きも!?」とか言いながら墜落した。
それからジタバタして、しばらくしたらコウモリに戻ってその形のまま飾りになって急に生えてきたモミの木の飾りつけになった。
「まだ冬には早いと思うんだけどなぁ」
『夢に何かを求めるなんてナンセンスだと思う』
そう言いながら空から降ってきたのはいつも通りのモルペウス。
綺麗に着地すると、周囲からアラビア数字で十と書かれた看板が宙を舞った。
「それで? 思いついたものって言うのは何かな」
『夢を見続けること』
「……は?」
夢を、見続ける?
『今のところ、あの女が狭間に引き込む、あるいは響介が狭間に入り込むのは起きている時だ。だから寝ていれば、少なくとも狭間に行くことはない、はず……』
「いや、それは無理があるのでは」
人間、どうやったって延々と寝続けることはできない。
それこそ昏睡状態や植物人間状態と言った、およそ通常ではない状態でないと不可能だ。
けれどモルペウスは大丈夫、と笑った。
『モルの力を使って響介を眠らせ続けるよ』
「食事や排せつは」
『そこは気合で』
「……期待した僕が悪かった」
『待って待って! 言い方が悪かった!!』
隠せないレベルで落胆していると、モルペウスが慌てて違うと腕を振り回した。
『寝ている時間を増やすんだよ! 食事や排せつは最低限、できる限り寝る時間を増やせるようにするの!!』
「なるほど」
どこからともなくやってきた巨大な鉄杭が、そのまま分解して建物になる。
「で、それをしたからと言って何とかなる……いや、待って。おかしくないか」
砂利を突き破って出てきた一本だたらが、その勢いのまま空へ浮かんで気球になった。
「なんで、僕はモルペウスとまともに話せている?」
『………………』
「モルペウス、何をした」
火山が噴火して砂利が割れて土が盛り上がる。
流れ出る溶岩流が僕らの周りを囲いだす。
けれど僕もモルペウスも、動じることなく見つめ合う。いや、僕は睨みつけていた。
「今までまともな会話が成り立つことが難しくなっていくばかりだったのに、急に今まで通りに戻ったなんて怪しすぎるだろ。答えろ、モルペウス」
『響介……』
警戒度を高める僕に一瞬、悲しそうにぎゅっと眉根を寄せて、それから『あのね』とモルペウスは語り始めた。
『モルも、何から話せば良いか迷ってるんだ。ただ確実に言えることは、モルは絶対響介の味方だよ』
「………………」
今まで、確かにモルペウスに僕は助けられてきた。
恐らく今もそうなのだろうと信じたい。
けれど、それでも、警戒せざるを得なくなってしまった。
だからこそ、モルペウスには悪いけどこのまま話を聞かせてもらうことにする。
『まず最初に、曖昧化についてなんだけれど、響介は多分普通の人に起こる曖昧化とは、また別のものを受けているんだ』
そう言いながらモルペウスは、両手の上に普通と書かれた白い珠と、響介と書かれた同じく白い珠を、そして頭の上にモルと書かれた赤い珠を浮かび上がらせた。
すると、普通の珠はゆっくりと薄れて消えていくのに対して、僕の名前の珠は徐々に色を黄色に変えていった。
『普通の人は曖昧化すると、こうやって存在が曖昧になっていって、最終的に消えちゃう。けれど、響介の場合は曖昧にこそなっているけれど、その実態は消えてなんかいなかった』
黄色に染まった僕の珠はふわりと浮いてモルペウスの珠と同じ高さまで浮かび上がる。
そして二つの珠は周囲の空気を、互いの色に染め始めたと思ったら橙色に交わり、徐々に黄色が赤に侵食され始めた。
『響介はね、人間という存在が曖昧化していると同時に、人外という存在の定義と交わりつつあるんだ』
そして最終的に、僕の珠はモルペウスの珠と全く同じ色に染まって、モルペウスの珠ごと消えた。
「つまり、今の僕は――」
『人間と人外のどちらにも属していて、どちらでもない存在である、と言えるね』
そう言ってため息をつくモルペウスが、降り始めた熱い雨の中肩をすくめた。
あまりのことに言葉も出ないけれど、モルペウスはただこちらを見続けているだけ。
「……僕とモルペウスが今、普通に話せているのは」
『テレビのチャンネルと一緒……というわけじゃないけど。響介の曖昧化は結局のところ人と無じゃなくて、夢と言う形で関わってくる人外との曖昧化なんだ。だから、モルが人外としての一番強い力を出し切れる夢の中なら喋れる、ということだと思う』
「今までは夢の中でも怪しかったのに?」
『徐々にモルたち人外の側に固定されつつある、ということじゃないかな』
うーん、と腕を組んだモルペウスの後ろから無音で新幹線がやってくるが、近づくにつれて小さくなったかと思うとおもちゃのサイズになってモルペウスの足の間を抜けていく。
『何とかして人としての存在に戻ることができれば、多分全部元に戻ると思うんだ』
「それが一つの手、って事か」
『そういうこと』
大きいマカロンに座りこんだモルペウスが、けれど、と続けた。
『確証はないよ。そもそもどうやって人としての存在に戻るか、なんて、モルには検討もつかないから』
「あら、簡単な話よ」
唐突に、女の声がした。
モルペウスは毛を逆立てて、僕は咄嗟に大剣をぶん回した。
「ふふふ、怖い怖い。私も嫌われたものねぇ」
音もなく剣をつまんで止めているのは、いつものピンク色のナースだ。
『お前!!』
「さて、私たちの側に来てくれてたのに戻るだなんて、つれないことを言わないでよ。せっかく楽しく遊んでたら予想外の結果になって続きが楽しみなのに。途中で棄権なんてされたらつまらないわ」
「生憎、僕は今の状況を望んじゃいない」
力を込めてもビクともしない。
かといって引こうにも、今度は足が、手が動かない。
干渉されている、ということか。
そんな内心の焦りを見抜いているのか、彼女は心底面白そうにニヤリと口元を歪ませた。
「そうねぇ。どうしても、何をしてでも人に戻りたいのであれば、そうね――」
「夢野 華を殺しなさい」
一瞬、時間が止まったかのように感じた。
何故、とか、意味が分からないだとか、何でここで夢野さんがだとか。
思考が空回りする僕と、理解ができないと言った風のモルペウスに彼女は嗤う。
「どういう――」
『夢野 華? 確か響介が追いかけまわしてる女……?』
「あの子は私、私はあの子。幼い子供は無知で、それを知っているのは私だけ。そんなのつまらないじゃない?」
それだけ言うと、彼女は時間ね、と呟いて姿を消した。
「待っているわよ、その時を。そうすれば助けてあげる――」
そう、言い残して。
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次回投稿は12月5日20時予定です。




