百合の花
夢を見た。
真っ白な百合の花に囲まれ、ただぼうっとその場に座り込んでいる夢。胸一杯に吸い込んだ香りが香しく、目を閉じてその香りを楽しんだ。
「お母様」
ぽつりと呟いた声は誰にも届かない。
ただゆらゆらと風に揺れる百合の花を眺め、ゆったりと口元を緩ませた。
大好きな母と同じ名前の花。実家であるガルシア家を、己に絡みついて離れない月の魔女という呪いを象徴する花。
大好きで大嫌いなその花は、優しくエラを包んでいた。
「エラ、迎えに来たよ」
背後から包み込まれる感覚。
ほっと安心してしまうその温もりに体を預け、嬉しそうにへらりと笑いながら、耳元で囁かれる優しい声にうっすらと目を開く。
「来てくれたの、アル」
「迎えに来るのは、俺の役目だから」
満月の夜に暴走する度、アルフレッドに優しく運んでもらった懐かしい記憶。
あの頃はアルフレッドの顔を見た途端に眠っていて意識は無かったが、今は夢の中。目が覚めていて、優しく微笑みながら背中から抱きしめてくれるアルフレッドに体を摺り寄せた。
キスでもされるんじゃないかと思う程近い顔。おっとりと優しく垂れた目。左の目尻にぽつりと落とされた黒子。
薄い唇は、優しく微笑んでいた。
「エラ、起きろよ。こんな所で寝るなんて」
ゆすぶられる感覚に、ゆっくりとエラの意識が浮上していく。
ぼんやりとした頭では何がどうなっているのかよく分からないが、呆れ顔で此方を見ているアルフレッドに不思議な安心感を抱いて、エラはふにゃりと笑った。
「おはよう、アル」
「はいおはよう。部屋にいないと思ったら…何でこんな所で寝てるんだ?」
ぐるりと周囲を見回すアルフレッドの視線の先は、ぐっしょりと濡れた地面が広がっていた。
何をしていたんだと溜息を吐くアルフレッドに抱き起され、酷い状態になっている城の裏手で、エラはけらけらと声を上げて笑った。
「変な夢」
夢と現実が織り交ぜられた夢。
アルフレッドは本当に迎えに来てくれた。それがどうにも嬉しかった。
昔迎えに来てもらえるのが嬉しかった。どれだけ凍えて寒い思いをして、心細かったとしても、ある程度魔力を発散して人が近寄れるようになった頃には、アルフレッドは必ず迎えに来てくれた。
外套や毛布を抱えてきてくれるアルフレッドに微笑まれる度に、エラは心の底から安心していたのだ。
一人じゃない、傍に居てくれる人がいる。凍り付いてしまいそうな程寒くて寂しい夜でも、必ず迎えに来て、抱きしめてくれる人がいる。それが、アルフレッド・ハワードという男なのだ。
「どんな夢見たんだ?」
「うん?アルが迎えに来てくれる夢」
「夢と現実がごちゃまぜになったのか」
子供みたいだと笑うアルフレッドに、エラはへらりと笑う。泥だらけの恰好で朝日に照らされるエラは、その場でくるりと回る。
指先から細く流された魔力が、地面に零れ落ちると同時にパキパキと音を立てながら凍った。
「凄いな…」
凍っていく魔力が徐々に形を作り、ゆっくりと百合の花になっていく。
エラが細かな調整が出来ない女であるとしっているアルフレッドが、ぽかんと目を見開いてそれを見る。
たった一輪作り出された百合の花をぱきりと手折り、それをアルフレッドに差し出すエラは、にんまりと嬉しそうに笑う美しい少女だった。
「あげる」
「氷だから溶けちまうな。勿体ない」
「また作るよ。迎えに来てくれてありがとう」
悪戯っぽく笑ったエラは、ぱたぱたとアルフレッドに背を向けて走り出す。
この泥だらけの体を早くどうにかしなければ。サラの小言でうんざりさせられる事になるだろうなと想像しながら、エラは笑顔のまま明るく晴れ渡った空の下を走る。
白銀の髪が、キラキラと朝日を反射して輝いた。
◆◆◆
キラキラと夜空を彩る星と月。
満月と満天の星が飾る夜空は、誰もが美しいと顔を綻ばせるだろう。
王城からそう離れていない広場で、夜空の三人は式典用の軍服に身を包んで立っていた。
それを見つめる民衆たちの目、目、目。そのどれもがまだ若い三人に何か期待しているような、期待しているような目を向けているように思う。
「我が父、魔王ルーカスの代わりに、次期魔王である私がここに誓おう。此度の争いで失われた、我が同胞の魂を忘れないと」
口を開いたテオドールに寄り添うように、エラとサラは両腕を腰に回して真直ぐ立つ。
アメリアが見たいと望んでいた、夜空の三人が揃っているこの場面を、少しでも良いから威厳のあるように見せたいのだ。
本当は怖い。
今すぐにでも逃げ出したい。
自分たちを見つめるその目が怖い。
期待をされるのが怖い。
本当の自分はただの問題児。それを知らない者たちは、この国最強の盾、至高の宝、戦乙女として見ているのだろう。
期待なんかしないで欲しい。本当のエラを知っている者だけに見てほしかったのだが、それは無理な話だ。
「お前たちが私たち三人に何を望んでいるのか知っている。かつての王、この国の始まりとなった三人のようになれと望んでいるのだろう」
じろりと前を睨みつけながら、テオドールはぐっと拳を握りしめる。
そんな三人がいたから、この国が出来た。迫害されるだけだった魔族の安寧の地を作り出す事が出来た。
そして、何世代も後に生まれた三人を縛り付ける呪いとなった。
大嫌いな戯曲。大嫌いなかつての偉大な王と魔女。大嫌いな存在。
逃がしてもらえる筈もない。ただ黙って受け入れ、諦め、民の為に理想の夜空を演じるしかないのだ。
それがどれだけ辛く苦しいのかを、此処に集まる者は誰も知らない。考えもしない。
「かつての偉大な王のようになれるか、私には分からない。だが亡くした同胞を忘れることは無い。亡き同胞の為、残された我らの安寧の地を守る事を、ここに誓おう」
テオドールの言葉に、何処かで拍手の音がした。望むがままに演じてやろうと決めたのはテオドールだけではない。三人で決めた事だ。
今でも考える。好きに自分の生きたいように生きられたらどれだけ良いだろうと。
なりたい者になって、やりたい事をやれたらどれだけ素敵だろう。
望んでも叶わない「普通の人生」というやつを手に入れられたのなら、どれだけ良いのだろう。
「我が同胞とその家族の哀しみに、ほんの少しの癒しを」
ゆったりと両手を天に向けたテオドールが呟いた。
ずず…と低い音と共に盛り上がっていく広場の地面の一部。そこに現れた真っ黒な固い石は、城の床を飾る大理石のように見えた。
恐らく大理石とは違うのだろうが、それが何なのかエラにはよく分からない。
「忘れる事は私の罪。この国の為に戦ってくれた者誰一人として忘れない事を、この場で皆に誓う。その証を此処に置かせておくれ」
哀しそうに笑いながら、テオドールはその石に手を置いた。
パンと渇いた音が響く。石のあちこちから細かな破片が飛び、ぱらぱらと地面に落ちる。
何だと目を見張る民衆たちの視線の先には、びっしりと文字が刻まれた石が佇んでいる。
戦場で死んだ兵たちの名前。一人残らず刻まれているであろうその数が、この戦いでどれだけの犠牲を出したのかをまざまざと見せつけているように見えた。
「私たち魔女からも、少しばかりの贈り物を」
「どうかゆっくりと休めるように」
サラの言葉に続き、エラも与えられた台詞をきちんと吐く。
テオドールと同じように開かれた両手。それを二人は口元へ持っていき、ふっと息を吐く仕草をした。
エラの手元から漏れる、淡い水色の魔力。それが地面へと流れていく。
サラの手元から漏れる、淡い赤色の魔力。それが天へと昇っていく。
「おやすみなさい、アメリア」
小さく囁くエラの声と共に、魔力は華やかに形を変えた。
石の周りを飾るように咲き誇る大輪の百合の花畑。空を彩る星のように輝く紫苑の花。
本当にやりすぎなんじゃないかと思う程、戯曲を忠実に再現した。
集まっていた民衆たちは皆嬉しそうにしているし、家族を失った者は涙を流していた。
少しは喜んでくれているだろうか。綺麗だと思ってくれているだろうか。
もう二度と会えない、大事な友人。もう泣かない、もう謝らないと決めた。
同じ所に立ち止まっていてはいけない。少しずつ、前に進んで行かなければならないのだ。
エラとして生きるにしろ、月の魔女として生きるにしろそれは変わらない。
立て。立って歩け。それが亡き友人への贖罪となる。
「…ふふ、上手い事いったわ」
「本当嫌な女だよ、お前」
「褒めてくれてありがとう」
こそこそと言葉を交わし合いながら、三人は恭しく頭を下げた。
夜空よ、我らの夜空。口々に叫ぶ民衆に割れんばかりの拍手を送られながら、三人は広場から離れていく。
此処から先は、亡くした友人や家族の思い出話を楽しむ時間だ。その場所に尊き者とされる三人がいては邪魔になる。
「役目は果たした。これで満足か?」
「いいえ、まだよ」
にいと笑ったサラがこれ以上エラに何をさせようとしているのかは、ほんの数十分後に分かった。




