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ある意味での敵と味方


鼻は無事だったらしいアルフレッドは、血で汚れてしまった服を着替えてご満悦だ。

隣を歩くエラは今にも死にそうだとぐったりしているが、アルフレッドに命令された女中たちは、注文通りエラを美しく飾り立てた。


折角細身なのだからと、最近はやり始めた膨らみの少ないスカート。魔王の前に出るのだからと露出はかなり少ないが、準備をしている間にすっかり暗くなってしまった時間にぴったりの、夜会に合うであろう黒地に銀糸のドレスだ。


「重い…」

「まあ軍服よりはな。大丈夫か?」

「コルセットがきつすぎる。大体何でわざわざドレスなんか…」

「仕方ないだろ。父上の思い付きだから」


また魔王の思い付き。

どれだけ振り回せば気が済むのだと小さく舌打ちをするのだが、アルフレッドは苦笑しながら不機嫌そうなエラをそっとエスコートしてくれる。


「そのドレス綺麗だな。髪が長かったらもっと似合うだろうに」

「短いと楽なんだけどな。でも寝起きは寝癖が酷くて面倒なんだ」

「知ってる。鳥の素みたいだよな」


そこまで酷くないとむすくれるエラを見下ろしながら、アルフレッドはうっとりとした表情のままゆったりと歩く。

呼ばれている玉座の間。別にアルフレッドがエラをエスコートする必要は無いのだが、珍しくしっかりドレスを着ているエラの隣に立っていたくて、わざわざエラの部屋まで迎えに行ったのだ。


「あー…行きたくない」


目当ての部屋の前に立つと、エラは心底嫌そうな顔をして溜息を吐く。

エラの腰に回していた手をトントンと叩くように動かし、行くぞと合図をした。


警備担当の衛兵が、恭しく重たい扉を開く。中にいる数人の視線が、エラとアルフレッドに突き刺さった。


「お待たせ致しました」


アルフレッドと共に、ルーカスに向かってお辞儀をする。

きつく締め上げられたコルセットのせいで「折れそうだ」と悲鳴を上げる腹回りが苦しいが、必死でそれに耐えた。


「何、私が早く来すぎただけの事。ガルシア嬢、今宵はとても美しいな」

「ありがとうございます、陛下」


頭を下げたまま返事をするが、その声はやや苦しそうだ。

主に紐を握っていたあの女中の顔は覚えたからなと心の中で毒づいて、エラはゆっくりと頭を上げる。


呼ばれていたのはエラだけではないらしい。アルフレッドの他に、テオドールとサラ、金色の髪をした少年も皆、正装をして立っていた。


「戻って早々呼び立ててすまんな。ガルシア嬢の今後について話をしようと思ったのだ」


それくらいならわざわざ呼び出さずに書面にでもしてくれれば良いものを。

そんな思いを押し殺し、エラはゆったりと口元を上げたままじっとルーカスの言葉の続きを待つ。


「ガルシア嬢には、暫くの間国内のあちこちを回ってもらいたい」


遠征だ。

望んでいた通り、自分はルーカスの元を離れて動き回れる。その事に心が浮ついたが、その心はすぐに荒れた。


「それと、我が息子ブライアンとの婚約を考えている」

「は…?」


思わず漏れてしまった声。

ブライアンとはテオドールとアルフレッドの弟の事だ。

まだ会った事すらない三番目の王子との婚約は、何年か前にテオドールが潰してくれたと思っていた。

思わずテオドールの顔を見るが、彼は心底申し訳なさそうな顔をするだけだ。


「ガルシア嬢は月の魔女。ブライアンはテオドールの即位後公爵として国の為に働く。身分としても文句は無かろうし、民も王家と偉大な魔女との婚礼は大いに喜ぶだろう」


一人満足げな顔をしているルーカスが、玉座から立ち上がり、黙って立ったままだった少年の傍らに立つ。


「確か初対面だったな?」

「はい、父上」


父上。がつんと頭を殴られたような衝撃に、エラの視界がぐらりと揺れたような気がした。隣に立つアルフレッドの手を反射的に握ってしまったが、その手を握り返してもらえることはなかった。


「ブライアン・ハワード。この国の第三王子だ。まだ二十歳になったばかりだが、優秀な男だぞ」


じっとこちらを見つめてくるブライアンの、美しく晴れ渡った青空を思わせる瞳。そこから目を離せず、口を開く事も出来ないまま、エラは「たすけて」と言いたげにアルフレッドの手をぎゅっと握りしめた。


「私は…」


まだ結婚なんてしたくない。

自由に生きられないなら、せめて大嫌いな王家と繋がりたくない。王子の妃になどなりたくない。


嫌だと答えたら、ルーカスはどんな顔をするだろう。

穏やかに笑うだろうか。怒り狂うだろうか。実家になにかしないだろうか。親しい友人は、優しい家族は。


ぐらぐらと揺れる頭で必死にどうすべきか考えてみても、コルセットのせいで酸欠気味な頭はあまり動かない。


何故テオドールは何も言わない。

何故サラは助け舟を出してくれない。

何故アルフレッドは手を握り返してくれない。


何故、こうも好き勝手にされなければならない。


ツンと痛む鼻の奥。熱くなってきた目頭。泣きそうだと自分でも分かる程、エラは狼狽えていた。


「父上、宜しいでしょうか」

「どうした?」


漸く口を開いたアルフレッドが、エラの手をそっと振り払った。


「王家に嫁ぐ女性の条件を、エラは満たしておりません」


王家に嫁ぐための条件はいくつかある。

良家出身、上位貴族出身の子女である事。

正当な血筋である事。これは妾腹の娘では条件を満たせないという事だ。

そして、清らかな乙女である事。一度も男を受け入れた事の無い、清らかな体である事が最も重要な条件なのだ。


「ガルシア嬢は貴族出身ではないが、ガルシア家の正当な息女。ランドルフ家と並び我が国最古の由緒正しき家柄だろう」

「そこは全く問題ないのです。エラは確かに、ガルシア家の美しき魔女でしょう」


にっこりと微笑むアルフレッドが、そっとエラの腰を抱いてうっとりとエラを見つめる。

「ごめんね」と口だけを動かすアルフレッドの顔を見つめながら、エラはそっと抱き寄せられるがままにアルフレッドに体を任せた。


「まさか…」


ひくりとルーカスの口元が引き攣る。隣に立っているブライアンも信じられないと目を見開いて固まっていた。


「すみません、既にエラは俺が純潔を奪いました」


そんな事実は一切ない。

無いがこれはアルフレッドの言葉に乗るしかない。


「…それは、本当かガルシア嬢」


真っ赤な顔をして、こくこくと何度も頷きながら、エラはそっとアルフレッドの体に腕を回す。

恥ずかしくて今にも消えてしまいたいが、今はこうするしか逃げ道が無いのだ。


視界の端で頭を抱えるテオドールが見えた気がしたが、完全にルーカスを諦めさせられなかったのはテオドールの落ち度だ。

約束したくせによくもとあとで恨み言を言うとして、額に青筋を浮かべているルーカスをどうにかする方が先決だ。


「魔王を謀ったらどうなるか、知らんわけではあるまいな?」

「謀るなど…ここで私が純潔であると宣言する方が憚られます」


嘘はいけないと子供の頃母に厳しく言われていたが、これは仕方のない嘘なのだ。

何度も自分にそう言い聞かせ、エラは必死でアルフレッドに縋りついた。


「…父上、王家に月を迎え入れたいのならば、何も私でなくとも宜しいのでは?あれもまた、この国の王子なのですから」

「アルフレッドではいかんのだ。正当な王子、グレースが産み落としたお前だからこそ良かったのだ!」


苛々と思い通りにならない事を嘆きながら、ルーカスはフラフラと玉座に戻る。

がしがしと頭を掻きむしり、ブツブツと何か呟いているが、何か思いついたかのようにぱっと頭を上げてにんまりと笑う。


「この場の話だ、他の者はこれを知らん。ガルシア嬢、君は純潔だ、清らかな乙女だ。良いね?」


良くない。

純潔はまだ守っているが、今は「いいえ」と首を振るしかない。

どれだけエラという女を引きずり込みたいのだと恐怖すら覚えるルーカスの顔に、エラは背筋が寒くなる。


「アルフレッド。お前はガルシア嬢と距離を取れ。今この瞬間から、ガルシア嬢はブライアンの婚約者なのだから」

「お言葉ですが」


コロコロと、鈴を転がしたような声が広間に響く。

にっこりと穏やかに微笑むサラが、ルーカスを真直ぐに見つめていた。


「いくら王家といえども、ガルシア家ご当主であられるアルバート様に許可を得ず婚約など無理なお話。聞くところによりますと、アルバート様は近いうち新しい奥様をお迎えになられるとか」


そうだそうだと味方を得たとばかりにまた頷いて、エラはもっと言ってくれとサラに視線を向けた。


「同じ家に婚約のお話が二つもあっては、準備が大変ですわ。それに、おめでたい話はいくらあっても宜しいですが、当の本人たちには邪魔をされたと思っても致し方ないかと」


折角の結婚話なのだから、主役として輝ける時間を作ってやれと笑うサラに、ルーカスは鼻で笑う。


「王家からの申し出だ。此方が優先されるべき話だろう」

「いくら王家といえども、それはあまりに無礼な話でしょう。父上、あまり急いては外聞が宜しくありません」


やっと口を開いたテオドールが、良いから落ち着けとルーカスを睨んだ。


「ただでさえ弟に反乱を起こされた王として、民たちは父上をそう認識しております。このままガルシア嬢とブライアンの婚約を推し進めれば、今度は何を思われるか」


やれやれと首を左右に振るテオドールが、とどめとばかりにルーカスに言ってのけた。恐らく彼が今一番言われたくない事だろう。


「父と息子の軽口と思っていただきたいのですが、父上はただでさえ人間の女と交わり息子を作った王と言われているのです。その上弟に反乱を起こされ、今度は自分の望みの為に恋人たちを引き裂き、末の息子に宛がうなんて…」

「悲劇ですわねぇ」


ああ可哀想に。口元を覆い、ゆったりとテオドールにしなだれかかるサラの口元は、エラの方向からはにんまりと笑っているのが見えた。


「父とは言え私は王だ。王に向かってなんたる…」

「軽口だと言っていたではありませんか」


カツカツとヒールの音を響かせながら、グレースが広間に入ってくる。

酷く不機嫌そうな顔をして、狼狽えるルーカスの前に仁王立ちになると、僅かに魔力を滲ませて夫を睨みつけた。


「ブライアンとの婚約には反対した筈です。貴方もわかったと仰せでしたわね?」

「いや…だが…」

「アルフレッドとエラの関係も理解しておいででしょう?何故わざわざ引き裂く必要があるのです?」


やはり、ルーカスはグレースに逆らえないらしい。

うろうろと視線をさ迷わせたかと思うと、しゅんと力なく項垂れたルーカスに、グレースはフンと鼻を鳴らした。


「無駄に正装までさせて何をしているのかと思えば…しかも私が反対しているからとこの場に呼びもしないだなんて!」


怒った母が怖い事を知っているのか刷り込まれているのか、実の息子であるテオドールとブライアンはそっと目を伏せる。

ぎゅっとエラを抱きしめたままのアルフレッドでさえ、小さく苦笑していた。


「この話は既に決着がついております。ブライアンとエラの婚約はさせません。二人が望んだ時初めて結ばれるものとした筈ですわ」

「あの…私が呼ばれたのはこれが理由でしょうか?」


勝手に婚約者を決めようとされ、くだらない茶番に巻き込まれたブライアンは酷く不機嫌そうだ。

眉間に皺を寄せ、父親を睨みつけると今度は抱き合ったままのアルフレッドとエラを見た。


「私は人間のお下がりはお断りです。まして乙女でもない女は断固拒否します」


例え王の命令であろうとも。

そう吐き捨てると、ブライアンはさっさと広間を出て行ってしまった。


「貴方たちももう良いわ、戻りなさい」

「母上…」

「これからこの人と話す事が沢山あるの。ゆっくり過ごしなさいね」


にっこりと微笑むグレースからは、「さっさと出て行け」という圧しか感じない。

何だったのだと疲れ切った四人は、言われた通りに広間を出る。

これでブライアンとの婚約は完全に無いものとなるのだろう。


ほっと胸を撫でおろし、エラは窓から覗く満月に視線を向けた。

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