ある意味での敵陣
ぐいぐいと背中を伸ばしながら、エラは白銀の髪をきらきらと輝かせる。
その顔は長距離を馬で移動してきた事で疲れていたが、久しぶりにのんびり出来たとすっきりした顔のようにも見える。
長旅ご苦労と撫でてやりながら、エラは厩舎に愛馬を繋ぐ。ひひんと小さく鳴いた愛馬は、山にされた干し草を美味しそうに頬張っている。
「お、やっぱお嬢だ。おかえり」
「ザック!ただいま!」
厩舎の入り口から投げられた声に、エラはぱっと顔を輝かせて振り向いた。
ひらひらと手を振るアイザックは、嬉しそうな顔をしてくれているエラに安心したような、嬉しそうな顔をしてくれた。
「随分早かったな。もうちょい休んでも良かったんじゃねぇの?」
「厄介な客人が入り浸ってて気が休まらなくてな。まだ王都の方がマシだ」
「そりゃ難儀な」
何があったんだ?と小首を傾げるアイザックに連れられて、エラはげんなりとした顔を手で覆いながら歩き出す。
父親が色ボケただの、後妻を迎えるのは構わないがもう少しきちんと落ち着いて考えるべきだの、あれこれ文句を並べ立てた。
「大体!何で初対面の女に結婚云々の話をされねばならんのだ!」
がっと怒りを露わにしたエラの隣で、アイザックは微妙そうな顔をしているのだが、まだ怒り狂っているエラはそれに気が付かない。
まだどこにも嫁ぐ気なんて無いし、そのうちその気になったとしてもロージーにとやかく言われる筋合いは無い筈だ。
もしこの先、ロージーが正式にガルシア家の妻となったなら、その時初めて口出しをする権利を手に入れる筈なのだ。
それを聞き入れるかどうかは別の話だが。
「ま、お嬢もお年頃ってやつだしなあ」
「なあにがお年頃だ馬鹿馬鹿しい。散々戦場で戦う事を望んでおきながら、戦争が終わったら今度は嫁入りしろなんて勝手もいいとこだ」
ふんふんと怒っているが、エラはアイザックに誘われるがまま大人しく歩き続ける。
向かっている先が城の中だろうが、エラはそこに部屋を貰っているのだから行くしか無いのだ。
王都に屋敷を持っていないガルシア家は、王都に滞在する時には最高ランクの宿をとる。
今回エラはどれだけの期間王都にいるのかも分からず、何度城に呼び出されるのかも分からないからという理由で、ルーカスから広々とした客室の一つを好きに使えと与えられていた。
前線から帰還した直後に使っていたその部屋を、もう一度エラの部屋としたのだ。居心地は悪くないし、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる使用人もいる。
大事に扱われる事に悪い気はしないし、自分の世話を誰かにさせるというのも慣れていた。
正直大嫌いなルーカスの城で世話になるのは嫌だったが、城にいればアルフレッドとアイザックに構ってもらえる。その為だけに、エラは再び城に戻ってきたのだ。
「話はもっときちんと聞いてやりたいんだけどさ…悪いな。お嬢が戻ってきたって聞いた魔王陛下から呼び出しだ」
「早すぎないか…」
「首取れるんじゃねぇかなってレベルでお嬢の事待ってたからなあ」
どうりでがっしりと肩を掴まれている筈だ。
心底嫌そうな顔をしながら、エラは旅の汚れを落とそうと待ち構えている女中の群れに、アイザックの手によって投げ込まれたのだった。
◆◆◆
頭の先から足の先まで念入りに磨かれ、手入れを殆どしていなかった髪のパサつきはどこへやら、艶々と輝きを取り戻した。
肌にも念入りに何やらクリームを塗りこまれ、すべすべとした気持ちの良い手触りへと変わっている。なんだか発光していないかと疑う程真っ白になったような気がした。
「やめろ!ドレスは勘弁してくれ!」
タオルを一枚巻いただけの姿で、エラはぎゃあぎゃあと騒ぎながら部屋の隅へと逃げていた。
「いけません魔女様。これから魔王陛下の御前に立たれるのです。正装を」
「私は軍人だ!軍服も正装になるだろう?」
軍服が駄目なら式典用の衣装でも何でもいい。城でドレスなど着たくない。
真顔のままじりじりと距離を詰めてくる女中たちの顔と気迫が恐ろしい。以前城で着せられたドレス。それを着せてくれた女中たちは容赦が無かった。実家の女中が優しく思える程、それはそれはぎっちぎちにコルセットを締めあげてくれたのだ。
あの時は食欲もなく、どれだけ締められようがどうでも良かった。だが今は別だ。今あれをやられたら、肋骨が三本は折れるに違いない。何より実家でたんまり食べたおかげで少し肥えたのだ。
正確には元の体に戻っただけなのだが、あれは本当に嫌だ勘弁してくれと何度も懇願するように首を左右に振った。
「エラー?まだ着替えてるのか?」
コンコンと扉をノックする音と共に、間延びしたアルフレッドの声がした。
助けてくれと叫んだ。もう何でも良いからこの女たちを何処かにやってくれと言いたかっただけなのだが、何か大変な事が起きていると勘違いでもしたのだろう。
慌てた顔で扉を開いたアルフレッドの顔が、足が固まった。
「アル!こいつらどうにかしてくれ!」
タオル一枚で泣きそうな顔をして助けを求めるエラ。
成程女中の群れに囲まれてあまり見えないが、出るとこは出て引っ込むとこは…なんて考えた辺りでアルフレッドは「ふむ」と口元に手を当てて小さく頷いた。
「服、着ようか」
「…っ、この馬鹿!」
真っ赤な顔をしながら、エラは勢いよくアルフレッドに向かって腕を振った。
ぶんと勢いよく飛んで行く氷の塊が、アルフレッドの顔面に突っ込み、痛みに呻きながらアルフレッドはその場にしゃがみ込む。
流石に仮にも王子であるアルフレッドがぼたぼたと鼻血を出しながら蹲る姿に、女中たちは狼狽える。
エラの髪を拭いていたタオルを引っ掴んだ女中の一人が、アルフレッドにそれを差し出した瞬間、顔を抱えたままエラを指差し命令した。
「エラをとびきり綺麗にドレスアップして」
「お任せください」
「あ、アル!裏切者!」
「あー…流石にこれは痛い…」
折れてないかなと鼻を確認するアルフレッドの目は涙目だ。
王子の命令という後ろ盾を貰った女中たちに迫られるエラもまた、同じように涙目だった。




