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式典は一時中止、後日改めて追悼式典だけ行われる事となった。

罪人たちの処刑は、王家不在のまま速やかに実行されたと聞いたが、今のエラはそれどころではなかった。


アルフレッドの容体が思わしくないのだ。攻撃自体は大した事はない。だが当たり所と数が悪かった。

体のあちこちから出血し、そのうちの一つは心臓のすぐ傍だった。


「まずいな…誰か、追加の魔石を」


城の回復術師の一人が、アルフレッドの傷を見ながら眉間に皺を寄せる。幾つも回復術用の術式が描かれた紙を使っているが、半分人間であるアルフレッドの回復は思っていたよりも時間が掛かった。

治療が行われているアルフレッドの部屋で、エラは血で汚れた式典服姿のまま立ち尽くしていた。


アルフレッドの呼吸が細い。死んでしまうかもしれないと思うと、肺はいくら酸素を取り込もうとしてもなかなか膨らんでくれなかった。


「どういう流れでこうなったんだ」


エラの隣で同じように立ち尽くすアイザックが、何があったんだと問う。だが、エラはそれに答える事が出来ない。

カタカタと小刻みに震える体。今にも崩れ落ちそうな体を必死で支えながら、真っ青な顔で意識を失っているアルフレッドの横顔を見つめる事しか出来なかった。


「あーあー、大騒ぎじゃないか」


無遠慮に開かれた扉から、やけに間延びした気の抜ける声がした。その声には聞き覚えがある。ゆっくりと声の主に目を向けると、訓練戦時代によく世話になった回復術師、ハンネの姿があった。


「やあエラ、アイザックも久しいね」

「ハンネさん?何で…」

「弟を助けてくれってテオドール殿下から直筆の手紙と一緒に早馬が来てね」


ひらひらと手紙をひらつかせるハンネは、さっさとアルフレッドの傍に寄ると、手早く傷の具合を確認しだした。

思っていたよりも状態が宜しくないのか、ふむと小さく呻きながら眉間に皺を寄せる。


「他は兎も角…これが厄介だな」


胸の傷に手を翳し、どうしたものかと首を捻る。何故訓練生たちの治療を仕事にしている筈のハンネがテオドールに呼ばれたのかだとか、アルフレッドは助かるのかだとか、あれこれ頭の中を駆け巡るが、エラはそれを言葉にする事が出来なかった。


ただぽろぽろと静かに涙を流すだけだ。


「いつからそんなにか弱いお姫様になったんだい?」


何があったんだと苦笑するハンネだったが、その手はてきぱきと治療する為に動いていた。持ってきた鞄の中から術式を描いた紙を束で取り出し、魔石をころころと二つ取り出す。


城の術師と共にアルフレッドの治療を進めて行くのだが、どうしても治癒していく速度が遅い。


「エラ、ただ立って泣いてるだけなら出て行きな」

「や、やだ…」


ふるふると首を振り、何でもするからここに居させてくれと懇願する。

ちらりと視線を寄越したハンネの顔は冷たい。ハンネの知っているエラは、もっと煩く喧しいガキで、仲間の為に何だってするような女だった。

少なくとも、幼馴染が死にかけているこの場面で、ただ静かに泣いているだけの女ではない筈なのだ。


「君の魔力をちょっと借りたい。こっちにおいで」


手招きされ、恐る恐るベッドに近寄ったエラの表情は硬い。

辛うじて呼吸はしているが、固く閉ざされたアルフレッドの顔は痛むのか険しい。出血のせいか、ひゅーひゅーとか細い呼吸が頼りなかった。


「私の手に手を重ねて。魔力を注ぐんだ」

「でも…加減が」

「大丈夫、目を閉じて想像するんだ。アルフレッドの体に注ぎ込まれた魔力と同じだけの魔力を石に注ぐ。それだけだよ」


簡単だろうと言われても、エラにとって繊細な加減というのはとても難しい事だった。

いつだって細かな調整なんて出来ず、攻撃魔術は巨大な氷を生み出すばかり。


いい加減少しは加減出来ても良い筈なのに、どれだけ練習をしても細かな加減なんて出来ないままなのが悔しかった。


「ごちゃごちゃ言わない。死なせたくないならさっさとやるんだ」


ハンネに睨みつけられ、エラは反射的にハンネの手に自分の右手を置いた。深呼吸を繰り返しながら、魔力の流れを探ってみる。


ハンネの手の中にある魔石。そこからアルフレッドの傷に向かって流れる魔力を感じた。徐々に少なくなっていく魔石を満たせるだけの魔力を、細く水を注ぎ込むイメージで細く、少しずつ注いでいった。


石を弾けさせないよう、勢い余ってアルフレッドを凍らせないように。慎重に、ゆっくりと。


「駄目だ、離せ」


パンと渇いた音がした。

石を弾けさせたのかと慌てて目を開いたが、ハンネの手の中に転がる魔石は無事だった。だが、アルフレッドの顔が更に苦し気に歪んでいた。


「やっぱり駄目みたいだ。君の魔力は本当に特殊だね」


君にしか従わない。


苦々しい顔をしながら、ハンネはアルフレッドの傷をもう一度確認する。血液が凍り、傷の表面を覆っていた。


「アイザック、誰でも良いから魔力量に自信のある人連れてきてくれないか」

「え…あ、わかった!」


慌てて部屋を出て行くアイザックを見送りながら、エラはへなへなとその場にへたり込む。


助けたいだけなのに、魔力を分け与える事すら出来ない。

自分なりに上手くやれたつもりだった。石は弾けなかったのに、何故傷が凍ってしまったのか全く理解が出来ない。


「氷の精霊ってのは、君以外に加護を与える気は無いらしいね」

「どういう…?何で、助けられないんですか」

「君の魔力が特殊だから。多分君はこれまでで一番上手に魔力の調整が出来ていたよ。魔石は魔力で満たされている」


ころりと転がる魔石は、キラキラと光を反射して輝いていた。

調整は上手く出来ていたのなら、何故傷が凍ったのだと呆けた顔をハンネに向ける。ハンネの視線は、アルフレッドから外れない。


「詳しい事は私にも分からない。でも確実に、氷の精霊はアルフレッドを助ける気が無いんだよ」


本当に、何処までも忌々しい。欲しくも無い唯一無二の力。守れるだけの力を持っているのに、思った通りに制御も出来ない。回復する為の助けにもなれない。


無駄に有り余っている魔力の使い道が、ただ戦場で戦う為だけの物であると思い知ったような気がした。


「相変わらず、寂しい部屋です事」


静かに開かれた扉。響いた女性の声に、その場に居た全員が反射的に頭を下げた。呆けているのはエラだけだ。


「妃殿下…?」

「治療していると聞いていましたが、あまり状態が宜しくないようですね」


すっと目を細め、グレースは静かにハンネの隣に腰かける。アルフレッドの前髪をさらりと撫でると、治療を再開したハンネの手の上に手を重ねた。


「まさか妃殿下を連れてくるとは」


くっくと小さく笑ったハンネが、少し遅れて戻ってきたアイザックにちらりと視線を向ける。引き攣った顔をしているアイザックが、小さく首を横に振った。


「私が此方に向かっていたのですよ。彼は途中で私にぶつかってきただけです」

「妃殿下にぶつかったんですか」


何をしているんだかと声を漏らして笑うハンネが、穏やかに微笑むグレースの手ごと手を移動させる。

小さな傷から大きな傷まで、順々に全ての傷を撫でていった。


グレースの手が、ハンネの手が血液で汚れて行く。グレースについて来た女中は顔を顰めているが、汚しているグレース本人は何てことない顔をしてアルフレッドの顔を見つめていた。


「何故…アルを助けてくださるのですか」

「母が息子を助けるのに、何か理由が必要ですか?」


エラの問いに、何を言っているのだと笑うグレースが答える。

腹を痛めて産んだ息子は、テオドールとブライアンだけの筈だ。今死にかけているアルフレッドは、夫の不義によって生まれ落ちた裏切りの象徴である筈。出来ればいなくなってほしいと思っている筈なのに、何故今こうして命を救おうとしているのだろう。


「恨めしいと思わないわけではありません。出来ればいなくなってほしいと思っていました。ですがこの子は、ルーカスの為に、テオドールの為に生きると誓ったのです」


エラの疑問が分かっているのか、穏やかに微笑みながらグレースは語り出す。


幼いアルフレッドは、本当に心の底から憎かった。いっそ殺してしまおうと思った事もあると。だがそれをしなかったのは、夫であるルーカスの血が半分流れた子供だからだと、そっと額を撫でてやりながら笑った。


「この子はね、何も強請らないのよ。いつだって私に遠慮して、菓子の一つも強請らなかった」


傷の手当が終わったのか、ハンネの手から自分の手を離すと、女中に差し出された布巾で手を拭う。


「気紛れにたった一度だけ菓子を与えたわ。そうしたらね、この子とっても嬉しそうな顔をして、小さな両手で大事そうに抱えて笑ったのよ」


こんなに小さなクッキーだったのよと、手でジェスチャーしながら笑うグレースは、エラの知っている無表情の王妃ではない。

ただの穏やかな女性だった。


「美味しいですってはにかんで、たった一口で食べられるような大きさのクッキーを大事そうにちびちび食べるんだもの。いじらしいったら」


その時の事を思い出したのか、グレースは綺麗になった手でもう一度アルフレッドの額を撫でた。


自分の母親ではない、嫌われているのだと分かっていた幼いアルフレッドは、いつだってグレースに遠慮し、一歩下がっていたのだとグレースはまた小さく微笑む。


「不思議よね。クッキー一枚をあげただけで毎年私の誕生日には花束をくれるのよ」

「花束!王妃殿下に?」


けらけらと笑うハンネだったが、アルフレッドにはそれくらいしか差し出せるものが無かったのだろう。

何も持たない王子様に与えられる最低限の金では、王妃に相応しい贈り物など用意出来ないのだから。


「本当に憎らしいと思っていたのに、いつの間にかこの子は私の息子になっているんだもの。少なくとも、死なせたくないと思う程度には」


話過ぎたと小さく息を吐いたグレースがさっとベッドから立ち上がる。

血で汚れた布巾を女中の一人に渡すと、またいつも通りの無表情を作ってエラを見つめた。


「この子は何も望まない。けれど、貴方を望んだ。どうか私の息子をよろしくね」


それではと小さく残し、部屋から出て行くグレースの背中を見つめながら、エラはまたぼうっと呆けるしかなかった。

よろしくと言われも困る。何をどうすれば良いと言うのだろう。

ただ一つ分かるのは、アルフレッドの呼吸も顔色も落ち着き、もう命の危険はないという事だけだった。


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