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終戦

殆ど何も入っていない胃袋がひっくり返りそうだ。

式典服に身を包んだエラは、また真っ白な魔女にされていた。短くなった髪を何とか編み、後頭部にはキラキラと宝石が輝く髪飾りを着けられた。

誰が見ても、美しき魔女様というやつだ。


「式典が始まるまでにその暗い顔どうにかなさい」


エラを睨むサラも、深紅の上着を着てすっかり星の魔女様になっていた。化粧をされ、長い髪は綺麗に結い上げられている。

すっかり普段のサラ、強くて真直ぐ前だけを見る時期王妃だった。


「今更だけど、私は何をすれば良いの」

「何もしなくて良いわ。ただ私たちと一緒に、両陛下のお傍に立っていれば良い」


腰に細身の剣を差しながら、サラはぺらぺらと簡単にエラに求める事を説明した。

基本的にただ黙って真直ぐ前を見て立っていればそれで良い。ルーカスとグレースを中心に、エラがグレース側、サラがルーカス側に真横に立てばそれで良いのだ。


「テオは多少動くけれど、私たちは今回はあくまでお飾りよ。真直ぐ前を見て立っていれば良い。簡単でしょう?」


にこりと微笑むサラだったが、今のエラはそれすら恐ろしい。

王の言葉を聞こうと、大勢の人が詰めかけているだろう。真直ぐ前を見るという事は、集まった民衆をじっと見据えなければならないという事だ。今ですら吐きそうなのに、その場で耐えきる事が出来るだろうか。


「貴方もさっさと支度を済ませなさい。ほら、腰に剣。いつもの魔石はちゃんと服の中に隠しなさい」


せっせと世話を焼きながら、サラはエラの顔色を伺う。立っているだけで良いとは言ったが、今のエラの精神状態ではそれが厳しい事くらい分かっているのだ。

反乱を起こされかけた王が民衆の前に出る。恐らく何かしらの動きがあっても可笑しくはない。警備は普段よりも更に厳重にしてあるが、それでも万全かと問われれば若干の不安が残っていた。


「さあ行くわよ。しゃんとなさい」

「いたい」


ばしんと両肩を叩かれたエラが、小さく文句を零した。


◆◆◆


シンと静まり返った式典会場。広場を埋め尽くす程の人がいるというのに、誰も一言も言葉を発さない。

ルーカスの言葉だけが仰々しく響いていた。


「我が子たちよ、此度はよく働いてくれた。多くの犠牲が出たが、我が国は無事勝利を収める事となった」


どれだけの犠牲を出しただろう。大騒ぎとなった兄弟喧嘩のせいで、国を巻き込み大勢の人が死んだ。魔族も、人間も、どちらも多くの犠牲を出したのだ。

サラに言われた通り真直ぐに前だけを見つめるエラは、後ろ手に手を組みながら立ち続け、ぐっと唇を噛んだ。


民衆が立っている場所よりも数段高い場所で、偉そうに長々と喋るルーカスは、疲れ切った兵士たちの顔を端から端迄眺め、眉尻を僅かに下げる。


苦労を掛けたが、これから荒れてしまった土地を復興し、元の穏やかな生活に戻って行こうと優しく微笑む。


どれだけの者が、この戦争がこの男の弟が引き起こした事だと知っているだろう。弟すら制御できない王だというのに、国を率いていけるのか、疑問を持つ者だっているだろう。成人した時に誓ってしまった「己の命ある限り魔族とその王たる魔王陛下へ忠誠を」という言葉。


それはいくら王に疑念を持っていようが、逆らう事は許されないという事だ。


「疲れていると思う。だがもう少しだけ、我らの為に働いてほしい」


お願いをするような口調だが、ルーカスのこの言葉は命令だ。疲れていようが知った事ではない。さっさと戦争の後処理をする為に働けという意味だ。


「知っている者も多いだろう。この国を裏切り、人間に売り渡そうとした男が数人いる事を」


数人の男たちが、衛兵に連れられて段の前に引き摺り出される。全員魔封じの枷をされ、口枷までされていた。


助けてくれと懇願するような視線を向けるデンバーが、うーうーと呻きながらエラを見つめる。大粒の涙を浮かべ、まだ生へ縋りつこうとする無様な姿に吐き気がした。


「この者らは私と、我が子たち、この国を裏切った者たちだ。この者らのせいで此度の戦争が起きてしまった」


心底悲しいと言いたげな顔で、憐れむような視線を弟であるジェームズに向けるルーカスだったが、当のジェームズは何も感じない、何も思わないといったような無表情だった。


サラに焼かれた顔面は完全に治癒しなかったらしく、至る所が焼け爛れた痕まみれだ。

その隣で真っ青な顔でカタカタと震え続ける男に、エラは見覚えがあった。バートン辺境伯、アーロだ。


息子であるジュードは死罪を免れたのだなとぼんやり考えたところで、視界の端でテオドールが動いた。


「此処に居る者だけではない。他にもまだ数名裏切者がいる。全て本日その命をもって償わせる事とした」


罪人のリストなのだろう。くるくると巻かれた長い紙を両親の間で開いたテオドールが、冷え切った目を叔父に向けていた。


「亡骸は王都の外れの空き地に放置する。好きに扱うが良い」


埋葬する事は許さない。腐り、動物の餌となり、骨だけになって漸く土に埋めてやる事を許される。死罪の中でも更に重い処遇に、観衆は小さく息を飲んだ。


「せめてもの慈悲だ。一撃で終わらせてやれ」


冷たく言い放つルーカスの言葉に、こくりと頷く衛兵の一人が高らかに号令を叫んだ。


構えろの言葉に、罪人一人に二人ずつ付いた衛兵たちが剣を構える。

嫌だとでも叫びたいのか、デンバーがまだくぐもった叫び声を上げた。


「落とせ!」


ちゃきりと小さく金属の音がした。

目を逸らす事くらい許してほしい。背中を踏みつけられ、暴れても逃げる事すら出来ない罪人たちの恨めしそうな目。デンバーの「よくも」と言いたげな目が、エラを捕らえて離さなかった。


「死ぬのはお前だ」


誰かが言った。

観衆の中から誰かが魔術を放った。一人だけではない、何人いるのかも分からない。複数の魔術で生み出された炎が、ルーカスに向かって放たれていた。


ルーカスを狙っていることくらい分かる。だが、今はグレースとテオドールもすぐ傍に居た。恐らく二人も巻き込まれるだろう。


「殿下!」


サラの甲高い声に、テオドールが父を守ろうと前に出る。駄目だと叫んだサラが、飛んできた火球の一つを弾き飛ばすように一回り大きな火球を生み出して放り投げる。


次から次へと迫ってくる火球。防ぎきれないと目を見開いたサラが、ちらりとエラを見た。


「追悼だって言ってたくせに!」


小さく文句を言いながら、エラは下から上に向かって手を振り上げた。咄嗟に生み出した氷の壁は、いつもの壁ではなく波が凍ったような形をしていた。


思っていたよりも薄くなってしまった壁は、あっさりと火球たちに砕かれてしまう。もう一度と魔力を練るが、今度は矢のように細く絞られた水がルーカス目掛けてその胸を貫こうと飛び込もうとしていた。


「父上お下がりを!」


魔力を練ろうとするテオドールだったが、水の矢はテオドールの魔術よりも早かった。眼前にそれが迫った瞬間、後ろに控えていたアルフレッドがテオドールの肩を掴んで引き倒した。


目の前に散った赤。ぐらりと揺れるアルフレッドの体。


「アル!」


エラの悲鳴と、何が起きたのか理解してしまった観衆の悲鳴と怒号。

魔術を放った者たちは既に取り押さえられているようだが、衛兵部隊はそうそうに王家一族を避難させようと囲み込んだ。


「アル、アル!」


倒れ込んだアルフレッドの胸がじわじわと赤で汚れていく。胸だけではない、体のあちこちから溢れて流れる血液が、式典用に作られた真っ白な段の床に小さな水たまりを作っていた。

息はある。だが、エラの声に反応はしてくれなかった。


「誰かすぐに手当てを!」


テオドールの命令に、衛兵は慌ててアルフレッドの体を起こす。ぷしゃりと吹き出した血液が、エラの式典服を汚した。


ああまただ。また大事な人を失ってしまう。失いたくないのに、折角生き残ってくれたのに。どうしてただ一緒に居てくれるだけで良いのに、それすら許してくれないのだろう。


「エラ、一先ず王家の避難が最優先よ。追撃されても良いように援護して」

「え…アルは?アルはどうなるんだよ!」

「落ち着きなさい。アルフレッドの治療をするにも、まずはこの場所から安全な城に運び込むのが最優先。アルフレッドを生かす為に貴方が出来る最善は何?」


狼狽えるエラを落ち着かせるように、サラはぐっとエラの肩を掴む。抱えられたアルフレッドが急いで運ばれていく。ルーカスとグレースも、沢山の衛兵に囲まれて移動し始めていた。


出来る事。自分に出来る事は何だ。

必死で動かない頭を動かし、うろうろと視線をさ迷わせるエラだったが、まだ諦めていないらしい賊が此方に向かって魔術を放ってきたらしい。


「全員殲滅出来たら楽なのに!」

「民衆を一人でも傷付けて御覧なさい。私が同じだけ貴方を傷付けてやるわ」


苛立ち紛れにダンと床を蹴りつける。目の前に高く聳えた壁が、放り投げられた火球の全てを受け止めて見せた。これが月だ。お前たちの望む月の魔女だと見せつけているような気分だった。


「宜しい。殿は任せるわ」

「さっさと城に押し込めとけ」


追悼の式典にもなる筈だったのによくも邪魔をしてくれたなと、苛立ちを露わにしながら、エラは何度も飛んでくる攻撃を防ぎ続けた。悲鳴を上げながら逃げ惑う民衆と、まだ死なないことに安堵したデンバーの視線が酷くうざったかった。


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