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後悔

エラの体調は二日経っても何も変わらなかった。むしろ魘されて全く眠れていないらしく、それに付き合うアルフレッドも酷く疲れていた。

別に頼まれたわけでもない。突き放そうと思えば突き放せた。だが、アルフレッドはそうしようとしない。いつだって傍に居て、蕩けた顔でエラの世話を焼く。周囲から「異常だ」と言われようが気にもならない。


傍を離れようとすれば不安げな顔で見上げ、行かないでと言いたげに服の裾をちょこんと摘まむ。その行動がどうにもいじらしくて、可愛らしく思えて堪らないのだ。


「ほーんと、気持ち悪いくらい異常だよお前」

「何か問題でも?」


アイザックが顔をしかめながらアルフレッドの顔を覗き込む。エラに付き合って殆ど眠っていないアルフレッドの目の下には、エラと同じく濃い隈が浮かんでいる。


疲れ切った顔をしているのに、何処か幸せそうな顔をしている腐れ縁が気持ち悪い。いい加減にしろと叱ったところでこの男が言う事を聞かないなんて分かり切っているのに、アイザックは何度も懲りずにやめろと言い続けた。


「エラが傷付いてこれだけ弱ってるのは、辛い事をさせると分かっていてやらせた俺たちの責任だろう」


漸くうつらうつらとし始めたエラの頭を撫でながら、アルフレッドは小さく零す。ベッドの脇に座り、エラはベッドの中で丸まっている。この光景はすっかり見慣れたものになっていた。


「俺たちがエラに近付いたのは、逃がさないように見張る為だった。友人として傍にいると約束してたって、この国に縛り付けたのは俺たちだろう」

「…お嬢が選んだ事だろ」

「選ばせたのは俺たちだ」

「俺たちが居なければ、お嬢は好きに生きられたとでも?」


あり得ない。小さく首を振ったアイザックは、ベッドに腰かけるアルフレッドの前で呆然と立ち尽くす。

確かにエラに辛い役目を負わせたのは自分たちだ。民がそれを望み、王がそれを望んだ。望んだからアルフレッドとアイザックを見張りとして傍に置き、それを分かっていて傍に居続けた。


エラに友人として傍に居たいなんて言っておきながら、結局縛り付けるだけになってしまったのだ。それをどれだけ後悔してももう遅い。


エラは傷付いた。体の傷は回復術ですっかり元通りだが、髪は短いまま。心の傷は深く大きい。癒えるまでにどれだけの時間がかかるだろう。癒える時は来るのだろうか。


もう折れてしまったのかもしれない。再び戦場で戦う日は来ないかもしれない。

月の魔女として民の前に引き摺り出される事に耐えられるのかすら分からない。


「明日の式典、逃げられたら良いのにな」

「逃がしてどうすんだよ…何処に行けって?」

「ほんの少し、明日の式典だけでも逃がしてやりたいんだ。何にも変わりはしないかもしれないけれど、それでも」


ほんの少しだけで良い。もう少しだけ、好きなだけ呆けている時間を与えてやりたかった。それが、アルフレッドなりの贖罪なのだ。


「あの女王様がそれを許すと思うか?そもそも魔王が許すわけないだろ」

「だろうな。我が父上は強欲で、しかも夜空を大層気に入っているのだから」


やれやれと大きな溜息を吐き、アルフレッドはじっと窓の外を睨みつける。

すっかり高く上って行った月。あれが沈んだら今度は太陽が昇ってくるのだ。そうなれば、エラはあっという間に部屋から引き摺り出され、嫌でも式典に出される。


何をさせられるかは何となく想像がついた。国を裏切った男の処刑と共に、勝利と終戦を高らかに宣言するのだ。


もうこれ以上目の前で誰かの命が散るところを見せたくない。そう思っているのに、エラは逃げる事を許されない。


「お前も式典に出るんだから少し寝た方が良い。隈が酷すぎる」

「別に俺は注目される事も無いし、大丈夫だろ」

「良いから寝ろって言ってんだよ。お嬢が起きたら俺が話し相手になるから」


アルフレッド以外にエラとまともに話が出来るのはアイザックだけだった。アイザックに縋りつく事はなかったが、それでも穏やかな会話をする程度ならしてやれる。


「二人揃って共倒れじゃ俺が心労でどうにかなるわ。良いから黙ってそこに横になって目閉じろ」


エラの隣を指差し、アイザックはじろりとアルフレッドを睨みつける。

未婚の男女が同じ部屋、同じベッドで眠る事を最初は良しとしていなかったが、もう今更だと諦めたらしい。


ここまで言い出したら何を言っても無駄だと判断し、アルフレッドは渋々エラの隣に体を横たえた。


「早く元気になってくれたら良いな」

「…そうだな」


男たち二人にそっと頭を撫でられるエラは、安心したような顔ですやすやと眠り続けた。


◆◆◆


それは朝を告げる鐘が高らかに鳴り響いたのとほぼ同時だった。

勢いよくバンと音を立てて開かれた扉から、むっすりと眉間に皺を寄せたサラが女中を引き連れて乗り込んできたのだ。


何事だと慌てて体を起こしたアルフレッドが、エラを守るように覆い被さり、アイザックもまたそんな二人の前に立ちふさがった。


「おはよう三人共。よく眠れたかしら?」


不機嫌さを隠した、いつもの鈴を転がしたような声。にっこりと微笑んでいる筈なのに、幼馴染三人組を見つめるその目は酷く冷たい。


「そこの愚鈍なお姫様を此方に渡しなさい。これから支度があるの」


パンパンと手を鳴らし、後ろに控えた女中たちに動けと命令をしたサラは、邪魔をするなと男たちを睨みつける。


「やめろ!」

「良いから引き摺り出しなさい」

「やめさせろ!」


アルフレッドが嫌がるエラを必死で抱きしめて守ろうとするが、女中たちは感情を押し殺したかのような、仮面をつけているような無表情でエラに手を伸ばす。

それを何度も叩き落とすが、次々に伸びてくる手がエラの体を狙った。


「貴様ら俺に従えないのか!」

「無駄よ。その子たちは私がランドルフ家から連れてきているの。つまりこの城の女中じゃない。貴方には従わないわ」


残念だったわねと可愛らしく微笑むサラが、心底憎らしい。

じっと黙ってアルフレッドを見つめる目が、エラの生み出す氷のように冷たかった。


「いや、やだ!」


悲鳴のようなエラの声。助けてくれと縋りつく細い腕がアルフレッドの腕に絡みついた。


「喚くだけなら子供でも出来るわ。いつからそんなに甘ったれになったの?少しはマシになったと思っていたのに残念だわ」


コツコツと控えめなヒールの音を響かせながら、サラが女中たちを押しのけてエラに近寄る。小さく震えながら、涙を浮かべた目でサラを見つめるエラに、今度は小さな声で語り掛ける。


「逃げられないことくらい、分かっていたじゃない。私たちは生まれたその瞬間から生きる道が決まっている。訓練生時代から知っているでしょう?」


そっとエラの頬に伸ばされた手。びくりと怯えたように体を小さくしたエラだったが、優しく撫でられていると理解し、恐る恐る目を開いた。


「いつかアメリアが私に言ったのよ」


僅かに震えるサラの声に、その場にいる全員が目を見張る。

いつだって堂々として、凛とした姿を見せ付ける孤高のお嬢様。それがサラ・ランドルフという女だった筈だ。

それが今は、ぐっと涙を堪えながらぎこちなく微笑み、慈愛に満ちた目をエラに向けていた。


「戯曲に興味はないけれど、夜空が揃ったところを見てみたいって」

「アメリアが…?」

「式典服の試作品を作り始めた頃、少しだけアメリアとそんな話をしたのよ。きっと御伽噺のように綺麗だろうから、揃っているところが見たいってね」


ぽろりと零れたサラの涙が、ドレスの裾に小さな染みを作る。


「あの子ったら、結局一目も見られずにいなくなってしまったわ」


釣られたエラも、ぽろぽろと大粒の涙を零した。数少ない女子訓練生。特別な女二人を特別扱いせず、仲の良い友人として扱ってくれた。

誰よりも優しく、可愛らしく微笑んだ、普通に良きられる筈だった彼女は、もう二度と微笑んでくれない。名前を呼んでくれる事も、魔女としての姿を見てくれる事も無いのだ。


「私だってあの子が居なくなって寂しいわ。悔しいわよ。何が最強の剣よ、何が王の剣よ。あの子たった一人すら守れないなんて!」


耐えきれないと声を荒げたサラが声を詰まらせる。ずっとずっと耐えてきたのだ。大事な友人を亡くした。国の為、テオドールの為にと動いていたのに、たった一人の友人を守ってやる事すら出来なかった。


「もっと上手く動けていたら、後方支援部隊を襲撃されるなんて事なかったかもしれない。あの子が、アメリアが死ぬことだってなかったかもしれない。何度も考えたわよ!もっと他に良い方法があったんじゃないかって!」


号泣と言って良いだろう。声を荒げ、胸の内を曝け出すサラを久しぶりに見た。

訓練生時代、テオドールとの婚約が決まった時以来かもしれないなとぼんやりと考え、エラは頬に添えられたままのサラの手をそっと握った。


「サラのせいじゃない」

「この国の時期王の妻になるのよ。国を背負う一人になるの。それは戦争で死なせた人達への責任があるって事よ」

「今の王は殿下じゃない。王妃殿下はグレース様だ」


ぽつぽつとサラを庇うような言葉を吐くエラは、視線をさ迷わせながらも言葉を紡ぎ続ける。

戦争になったのも、回避出来なかったのも、止める事が出来なかったのも、大勢が死んだのもサラのせいではない。

勿論テオドールのせいでもない。悪いのは悪事を企てたジェームズと、それを御しきれなかったルーカスの責任だ。


「私のせいでないなら、貴方のせいでもないわ」


くしゃりと顔を歪めながら、サラは出てこいとエラの手をそっと引く。それを拒絶するようにアルフレッドはエラを抱きしめる腕に力を籠めるが、まだ迷いのあるエラはその腕の中に留まり続けた。


「私たちには役目があるわ。この国の象徴として立つのよ。立ち続けるしか無いの」

「…もう、疲れた」

「そうね、疲れたわ。でもこうなる事が分かっていて、貴方は一度でも月の魔女を演じてしまったの」


もう逃げる事は許されない。中庭で言われたのと同じ事を繰り返しながら、サラはもう一度エラの手を引いた。


「今だけで良い。ほんの少しで良いから立ちなさい。アメリアの望みなの、夜空の三人が揃うところが見たいって」

「見られないのに…?」

「この戦争で亡くなった人達への追悼式も兼ねているのよ」


亡くなった人達の名札が式典に集められ、別れの儀式をしてから家族の元へ帰される。アメリアの名札もそこにあるのだと小さく告げられた瞬間、エラはぎゅっと唇を噛み締めた。


「名札だけでも見に来るの。最後のお願いくらい聞いてあげましょうよ」

「…ほんとに、嫌な女」

「誉め言葉よ」


式典の詳しい内容はアルフレッドも知っていた。だが、敢えてエラには話していなかった。追悼も兼ねていると話せば、きっとどれだけ辛くても出ると言い出すと思ったのだ。


何故折角隠していたのに話してしまうのだとサラを睨みつけるが、そんなアルフレッドの視線を知らぬまま、エラはするりと腕の中から抜け出し、サラの手に引かれながら部屋を出て行く。


「エラ、行かなくて良い」

「アメリアの望みだから」

「辛いんだろ、無理するな」

「アル」


それ以上引き留めるなと小さく首を横に振りながら、アイザックはアルフレッドに視線を向けた。

大人しくサラに付いて行くエラの背中を見送る男二人は、魔女たちの疲れ切った姿に心を痛める事しか出来なかった。


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