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別れの予感

人間はあまりエラに近寄ろうとしなかった。魔封じをしていても、魔族というだけで恐ろしいらしく、近寄るのは世話係にされたビルという男と、ニタニタ笑いながら嫌がらせをするデボラだけだった。


「楽しみだなあ、お前の魔力は無尽蔵なんだろ?どれだけの魔石をいっぱいに出来るかな」


まだ王都に辿り着くまでかなりあるというのに、デボラはすっかりエラの魔力を利用できると浮かれていた。

ビルの後ろで大人しくしているエラの顔を横から覗き込み、短くなってしまった髪の毛先をちょいちょいとつつく。

ビルはそれを呆れた目で見るだけだったが、何も喋ろうともせず、虚ろな目をするだけのエラの世話を焼いた。


「やっと山を出た…一番近い集落で休憩しよう。馬の疲労が酷い」


真冬の雪山は、馬にとって過酷な道のりだ。こまめな休息を必要とし、人間たちは丁寧に馬の世話をしていた。雑に扱うのはデボラくらいらしい。


「休憩ばっかで全然帰れないじゃん。面倒くさい…」

「仕方ないだろう。文句があるなら先に帰れば良い」

「空でも飛べって?どれだけ魔力消費するか知らないの?」


眉間に皺を寄せ、デボラはビルを睨みつける。間にエラを挟んでのやり取りだが、空を飛べる魔法があるのかとぼんやりと会話の一片を聞き取り、興味無さげに視線を下げる。


馬の背中は規則正しく揺れる。腕を繋がれ、バランスを取るのは大変だったが、この馬はよく躾けられているのか、ゆったりと歩く癖でもあるのか、不思議とただ跨っているだけでもなんとかなった。


「あー、そうだよ丁度良いのがここにいるじゃん」


良い事を思い付いた。そんなにんまりとした笑顔を浮かべ、デボラはいそいそと自分の胸元を漁り、真っ赤な魔石をころりと掌に出す。


「先に帰るよお」


掌の石をエラに握らせ、間違っても捨てられたりしないようにとその手を握り込む。さっさとしろと爪を立てられ、痛みに顔を顰めながらエラは言われた通りに魔石に魔力を籠めた。いっそこのまま弾けるまで注ぎ込んだらどうなるだろう。ぼんやりと考えていたが、結局それは叶わない。


「ああこの馬鹿!割れたらどうするんだよ!」


ばしりとエラの頬を張り、大事そうに魔石を握り込むと、無事かどうかを確かめる。キラキラと太陽の光を反射する石が無事である事を確認すると、にんまりと満足げに頬ずりをした。


「いいねぇ、最高の貯蔵庫だ」

「行くならさっさと行け。王都に着いたらどうせすぐ現れるんだろう」

「まあねぇ。それは私の物だよ。絶対逃がさないで」


そう言うのなら自分で運べと文句を言われても、寒いから早く帰りたいと唇を尖らせたデボラはひらひらと手を振る。

ぽんと小気味よい音をさせたかと思うと、デボラの右手には大きな杖が握られていた。


「じゃあねぇ魔族。また王都で会おうね」


出来れば会いたくない。白けた目を向け、杖に跨ったデボラをじっと見つめる。何故その杖は浮いている?これが魔法かと目を見張った途端、デボラは勢いよく空へと飛び立ち、スッと進んで行った。


「便利だよな、魔法」

「…空間転移」

「知ってるのか」


昔リュカが見せてくれた魔法だ。忌々しい魔封じの腕輪も、きっと空間転移魔法とやらを利用したのだろう。持っていないのなら警戒もしない。警戒していないなら、突然現れた物を嵌めるくらいの隙は作り出せるのだ。


あの態度は心底気に食わないが、デボラという魔法使いはよく出来る魔法使いらしい。


「さて、魔法の使えない俺たちは地道に進むぞ。そっちに乗るか?魔封じは外さないが」

「…お前の背中は見飽きた」

「はいはい」


可愛げのないと小さく呟く声が聞こえたが、久しぶりにきちんと景色を見られた気がする。腕を後ろに回されているせいで手綱はビルに握られているが、それでも離れられるだけで良い。


「そういえば、その石はデボラが奪うと思ってたな」


きらきらとエラの胸元で揺れる魔石を見ながら、世間話をするようにビルがエラに声を掛ける。

勿論奪いに来た。だが殺す気で暴れたし、魔石をまじまじ見たデボラが「気持ちの悪い魔力が籠ってる」とエラを蹴りつけながら舌打ちをしたのだ。


もうその石は汚れているから必要ないと言い捨て、もう一度エラの腹につま先をめり込ませて以降、デボラはエラの石に興味を示さなかった。


アルフレッドの魔力を気持ちが悪いと言った。石が汚れているとも。なんて失礼な事をと文句を言ったが、デボラは全く興味が無いと鼻を鳴らすだけだった。それが心底憎らしい。


「強大な魔力を持つお月様でも魔石を身に付けるんだな。贈り物か?」


それに答えて何になる。ビルの言葉を無視し、ただ真直ぐ前だけを見るエラに、ビルはまだ質問を続けた。


「親からの贈り物?まさか恋人か?」


恋人ではない。怒っていたとはいえ、ただの幼馴染だ勘違いをするなと文句を言った相手からの贈り物。

アルフレッドの顔を思い出し、また熱くなった目頭に耐えるようにぎゅっと目を閉じた。その反応にぎくりと肩を揺らしたビルが慌てて話題を変えた。


「あー、そう!ステプの王都は暖かいんだ。雪なんか降らないし過ごしやすいぞ!」


冬はそれなりに冷えるが、それでもこの雪山よりはマシだと続け、エラの表情を伺う。ぎゅっと唇を噛み締めたままのエラは、ステプの王都がどうかなんて話に興味は無い。どうせ連れて行かれれば、どこか建物の中で幽閉されるだけなのだ。


尊き者として丁重に扱われるか、それとも化け物として薄暗くかび臭い場所に押し込まれるか。どちらでも良いが、結局やる事は同じだろう。


あれだけ望んでいた、月の魔女ではない人生。ファータイルから逃げて、ただのエラとして生きたいとあれだけ願っていたというのに。月の魔女としての人生から逃げられる筈なのに、これっぽちも嬉しくなかった。


「お、集落が見えてきたな。ちょっと休憩だ」


後ろに続いている人間達も、やっと休めるとほっと息を吐いた。

どうだって良い。何処に連れて行かれ、どんな扱いを受けようが興味は無い。

願わくば、この命が少しでも早く尽きてくれれば、それで良かった。


◆◆◆


人間達の集落は、エラという魔族の女を連れた隊を歓迎しなかった。

国の為に戦ってくれているからと、食事と休憩場所を提供する事はしてくれたが、早く出て行ってくれと厳しい目を遠巻きに向ける。


「あれが魔族…」

「ただの女の子じゃないか…」


こそこそとエラを観察しながら話す声には慣れてきた。元々目立つ見た目をしていたし、ファータイルでもエラは観察対象になりがちだった。


見たければ見れば良い。何か言いたい事があるのなら好きに言えば良い。


「綺麗な髪…」


住民の女がぽつりと呟く。


「折角綺麗な髪してるのに」


いつかアルフレッドに言われた言葉。訓練中に適当に纏められた髪を直しながら言われた言葉だった。さらさらと髪の間をすり抜けていくあの指が、恋しい。


「あのう、お水をお持ちしました」


遠慮がちにビルに話し掛ける少女が、すぐ傍に座っているエラをちらりと見る。何だと目だけを動かすと、少女はぎくりと体を強張らせた。


「ありがとう。ああ大丈夫、魔封じをしているし、反抗もしない大人しい魔族だから」

「はあ…」


怯えなくとも大丈夫だと安心させたいのだろうが、普通の人間にとって魔族というのは恐ろしいものだ。苦笑いをした少女は、ぺこりと頭を下げると慌ててその場から立ち去って行く。


「怖がられてるな」


集落に入ってから一言も話さないエラに、ビルはいつも通り食事を食べさせる。大人しくそれに従い、口を開くエラを見て、人間たちはまたざわざわと騒ぎだした。


「本当に大人しいな」

「ああ…俺たちの食糧を魔族に…」


好き勝手言いやがってと眉間に皺を寄せるが、差し出された食糧を無碍にする程の気力が無い。皿を蹴り落とすくらいは出来るかもしれないが、貴重な食糧を差し出してくれた人間の前でそんな事は出来ないし、もしやればまたビルが力任せに押し倒してくるだろう。あれはもう御免だ。


「一晩休んだら出発する約束なんだ。お前も少しは休めよ」


こくりと頷いたエラは、いよいよ祖国から引きはがされる事に僅かに怯えた。

この先何が起きるだろう。国はどうなるのだろう。アルフレッドとアイザックの亡骸は無事帰れているだろうか。


ツンと痛む鼻の奥を誤魔化すように、すんと小さく鼻を鳴らした。


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