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月を想う者

あれだけ大きなことを言って出て行ったアルフレッド達が大人しく戻ってきた事に、ハンスは驚いた表情を隠そうともしなかった。

怪我人の手当や動ける者がどれだけいるのかを確認している最中、白銀の髪を持って戻ってきたアルフレッドは酷く不機嫌そうだった。


「おやまあ…」

「エラの髪だ。連れ去られた」

「そのようだ。で?奪還するにも無駄死に一択だから人手をかき集めに戻ってきたかな」


その通りだ、分かっているならさっさと人員を寄越せと、アルフレッドはじっとハンスを見つめる。

ふるふると小さく首を振ったハンスが、そこかしこの惨状を指しながらじっとアルフレッドを見た。


「どこからそんな人員を出すのか考えてくれないか」


あちこちに転がっている仲間たちは、皆消耗し怪我だらけだ。

少し離れたところには、丁寧に横たえられた魔族の遺体が並んでいる。

動けそうな者は皆動けない怪我人の為に動き回り、ほんの数人の回復術師たちは真っ青な顔をしながら回復魔法を使い続ける。


「元々俺たちは寄せ集め。君だって本来この場所は大隊が守るものだって分かってるだろう?見てくれよ、このお粗末な人数を」


ぐるりと辺りを見回しても、本来いるべき約八百程度の人員などいる筈も無かった。それどころか、中隊として機能出来る二百人もいるかすら怪しい。


「この戦いは長引きすぎた。そもそも俺たち魔族は人間に数じゃ勝てないんだよ。それをこれだけ削られて、いつ終わるのかも分からない戦いをまだ続けなきゃならないんだ」


静かに諭すハンスの顔もまた、色濃い疲労でげっそりとしていた。


「今生きているのは約百三十、満足に動けるのは八十ってところか」

「それしかいないのか…?」

「しかも隊長たちは多くが傷を負い、二名は死んだ」


遺体を並べた場所を指差し、ハンスは今度こそ頭を抱えて項垂れる。

終わりの見えない争い。自分もいつ死ぬか分からない恐怖と緊張。もう嫌だと零す事を、誰も責められなかった。


「いつ到着するのかも分からない援軍を待ちながらここを守らなきゃいけないんだ。どうやってエラを奪還しろって!」


声を荒げるハンスが珍しいのか、動き回っていた隊員たちが動きを止める。

皆疲れ切り、それでもやらなければならないからと必死動いている。


「どうにかするのが俺たちの仕事だろう」


苦しそうな声を絞り出しながら、一人の男が支えられながらアルフレッドたちの傍に歩いてくる。

あらゆる場所を包帯で巻かれ、その包帯は真っ赤に染まっていた。


「駄目だ動くなって言ったじゃないですか!」

「仕方ないだろう。そこの王子様がまだ駄々を捏ねるんだから」


顔の左側を酷くやられたのか、真っ赤に染まる包帯から覗く顔は肉が見えていた。

動けるような状態でない事くらい分かるのに、それでも必死で足を動かすザッカリーはじっとアルフレッドを見つめる。


「連れて行くならハンスの隊だけだ」

「何人残ってる」

「ハンス含めて十一名」


少なすぎる。眉間に皺を寄せたアルフレッドの言いたい事を理解したザッカリーが、これ以上は駄目だと言葉を続けた。


「夜と星には既に早馬を出した。少しは人手を分けてくれるだろう。それまで持ちこたえるには、ハンスの隊しか出してやれない」

「勘弁してくれ!俺たちはテルミットでも削られてるんだぞ?これ以上俺たちにどうしろって言うんだ!」

「月の奪還だ」


言うだけなら簡単だ。だが実際に動くとなれば話は別。たった二十名程度しかいない小隊にも満たない人数で、大隊を相手にしなければならないのだ。


多少削ってあるとはいえ、人数では圧倒的に不利。しかも少ない隊の半分は魔術が使えないお荷物だ。ハンスが項垂れて頭を抱えるのも無理は無かった。


「妹みたいだって言ってただろ。守ってやりたいと」

「守れるなら守りたいさ。けど、こんな…無理だろ…」


弱弱しく呟くハンスだったが、ザッカリーがその場に崩れ落ちると、慌ててその背中を摩った。


「無理は承知で頼む。連れて帰って来てくれ」

「何人死ぬか分からない」

「それでもだ。あれはこの国の希望なのだから」


ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返しながら、ザッカリーはハンスの腕を掴む。酷い出血であちこちを濡らしているその姿で、ハンスを見つめる目だけは真直ぐにキラキラと輝いた。


「…終わったら辞めてやる。こんなクソみたいな仕事」

「終わってから言え」


畜生と叫びながら、ハンスは漸く立ち上がる。やり場のない怒りで目を充血させ、じろりとアルフレッドを睨みつけた。


「死んだらお前のせいだ」

「恨むなら恨めば良い。嫌いなやつに恨まれてもなんとも思わないんでね」


しれっとした顔で言ってのけるアルフレッドが心底憎たらしいのか、ハンスは舌打ちをしながら自分の隊員へ声を投げた。


「月の奪還だ!死ぬ覚悟で行け!」


終わりの見えないこの争いに、助けられるかも、無事なのかも分からない無茶な行動。

ああ嫌だ、軍人になんてなるんじゃなかったと零しながら、ハンスはのろのろと歩き出した。


◆◆◆


エラ奪還隊が編成された頃、当のエラは無残に切られてしまった髪を整えられる事も無く、粗末な小屋の中に押し込められていた。休息だというが、もう既に人間側の領域へ足を踏み入れた。


山の中で生活している人間の家を借りているらしいが、魔族の女を捕虜にしているというだけで、住民は悲鳴を上げた。魔封じをされ、暴れる気力すらない項垂れた女相手にだ。


何故我が家に魔族を入れねばならないのだと散々文句を言われたが、多少の金を握らせれば、そこの小屋を使っても良いと不満げに許可された。すぐさまその小屋に蹴り入れられ、固い地面に無様に倒れ込んだ。


普段のエラならばぎゃんぎゃんと文句を言うのだが、今のエラにそんな元気は無かった。


もうどうでも良い。国なんてどうでも良い。大切な友人をまた失った。自分のせいで。もっと考えて行動すべきだった。少しでも助けになればと思って渡したあの石が、アルフレッドとアイザックの首を飛ばしただろう。


魔力を持たない二人だ。抵抗する事も、何が起きたのか理解する事も出来ずに死んだに違いない。

どうか名札だけでも帰れますようにと祈りたくもない事を祈り、エラは倒れたまま静かに涙を流し続けた。


「生きてるか」

「殺してくれ」


生きているのが嫌になった。後ろ手に繋がれた腕を開放してくれたなら、自分でどうにでも出来る。人間に殺されるのは御免だが、今はもう呼吸をしている事すら嫌になっていた。


小屋の入り口から声を掛けてきた男は、地面に投げ出された時に助け起こしてくれた男だった。


「何か食べた方が良い。魔族も腹は減るだろう?」

「いらない。寄るな」

「そうもいかない。お前に死なれたら困るんだ」


男は困ったような顔をしながら、転がっているエラの前にしゃがみ込む。泣いていたことに気が付くと、そっとその涙を指で拭った。


「触れるな人間風情が!」

「情緒不安定かよ…それだけ元気なら食えるだろ」


起きろと無理に起こされても、目の前に温かいスープを出されても、エラは動く気になれなかった。

いつかもアルフレッドとアイザックと一緒にスープを食べた。あの時の具は何だっけ。シチューも食べた。こんな事ならアイザックが作ってくれた筋肉増強スープとやらのレシピを聞いておくんだった。


ぽろぽろと涙を流し始めたエラに、男はぽりぽりと頬を掻く。泣いている女の慰め方など知らぬと言いたいのだろうが、今は何でも良い、放っておいてほしかった。


「泣いても良いから食ってくれ。冷めちまう」

「いらないと、言っている…出て行け」

「食わせてこいって命令でね」


仕方ないと小さく呟いた男がスッと目を細めると、エラの喉元を掴んで地面に押し倒す。突然の衝撃に息が詰まるが、ギッと男を睨みつけ、使えもしない術を使おうと魔力を練った。


「ははあ…本当に魔術が使えないならただの女だな」


感心している様子だが、首をぐいぐいと圧迫されてははくはくと酸素を求めて口を開いてしまう。いい加減に離せと睨みつけた途端、男はエラが開けた口の中にスープを流し込んだ。


熱いと文句を言いたいがそれどころではない。必死で酸素を求めていたのだ。喉奥に飛び込んできた液体を吐き出そうと噎せ、顔にびたびたとスープが飛び散る。


「大人しく食えば良かったんだ。面倒な女だな」


デボラを諫め、紳士的に振舞おうとしていた男だった筈なのに、今はエラの首を抑え込みながらスープを落とす。苦しいと体を捩り、漸く止まったスープの雨に安堵し、げほげほと咳き込んだ。


「お前が国でどんな扱いを受けていようが関係ない。ここはステプ、俺たちの国だ」


冷たい目でエラを見下ろし、馬乗りになったまま男はまだ言葉を続ける。いつでもまた落とせるぞと皿を見せ付けながら。


「お前は捕虜だ。従え、食え、死なせるわけにはいかない」


お断りだ。生きていたくもない。人間に良いように扱われるなんて絶対に御免だ。どれだけ生きて、どこまで利用されれば良い。


自国にいようが、敵国にいようが利用される人生に、心底絶望した。


アルフレッドとアイザックがいてくれるから、居場所になってくれるから何とかやっていた。なりたくもなかった月の魔女として生きてく覚悟をした。

だがあの二人はもういない。いないのならもう意味は無いのだ。もう立つ事すら出来ない。呼吸をする事も、心臓を動かす事すらも。


「もう一度だけ言う。食え」


髪を掴んで引き起こされ、今度は匙で掬ったスープを口元に差し出される。

もう嫌だ。疲れた。抵抗する事すら面倒臭い。かぱりと口を開き、突っ込まれたスープを大人しく咀嚼し、飲み込む。


「良い子だ」


満足げに笑った男は、何度も同じ事を繰り返した。


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