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奪われた月

エラが居ない。何処にも。

それに気が付いたのは、敵が撤退し残された死体を確認している時だった。多くは人間の死体だったが、エラに続いて突っ込んでいった魔族の死体もあった。


だが、何処にもエラらしき姿は無かった。


「何で…」


あの謎の爆発に巻き込まれ、体すら残さずに木っ端微塵になってしまったのか。そんな想像をした者は少なくなかった。アルフレッドもアイザックも想像し、心臓を握りつぶされるような苦しさを味わったが、それでも髪の毛すら残らないというのは可笑しい。


ザッカリーや他の隊長は大怪我をしたが、体が飛び散って肉塊になってしまった者はいなかった。ならば、恐らくエラも攻撃をまともに受けていたとしても体の一部を失っている程度だろう。


この場に居ないのなら、撤退していく人間を追いかけて行ったか、負傷ないしは何らかの術を使われ攫われたと考える方が妥当だろう。


「どうする」

「探すに決まってるだろ」

「お待ちよ。君たちがあの子を大切に思っている事は分かっているけれど、この隊は君たちの隊じゃない。好き勝手に行動されたら困るんだよ」


じろりと男二人から睨みつけられても、止めようとするハンスはただ冷静に二人を睨み返す。爆発に巻き込まれ利き腕を負傷しているが、まだ動けるからと指示を出して回っているのだ。


「お前に指図される覚えはない」

「階級は俺の方が上なんでね。君は魔王の息子だが、王位継承権も無いただの新米だろう?ならば俺に従ってもらう」


ぐっと奥歯を噛み締め、階級の差というやつを心底恨む。身分は王子だが、何も持たない王子に何の意味も無い。

従わなければならない。そんな事は分かり切っているが、今こうして言い争っている間、エラが何処でどうしているのか、無事でいるのかを案じてしまうのは仕方のない事。こんな所でうだうだとしている場合ではないのだ。


怪我をして動けなくなっているかもしれない。助けを求めているかもしれない。攫われているのなら、酷い扱いを受けているかもしれない。


何故あの時無駄死に覚悟で追いかけなかったのか。

何故あの時無理にでも押さえつけ、引き留めなかったのか。

何故魔王の息子でありながら、魔術が使えないのか。


何故、何故、どうして。


ぐるぐると考えが纏まらない。そんなアルフレッドの険しい表情に、アイザックがトントンと背中を叩く。


「俺らの隊を連れて行こう。幸い人間と半魔族ばっかでこの隊に加えられてたし、後方にいたから全員無事だろ」

「俺の話聞いていたのかな」


アルフレッドとアイザックの周りに吹く風が徐々に勢いを増す。ハンスの魔術ということくらいすぐ分かった。囲み込むように、威嚇するように吹く風が、二人の髪を巻き上げた。


「従えと言った。お望みならもっと上のやつから命令させるか?」

「心底俺が魔王の息子で良かったと思うよ」


アルフレッドの茶色の瞳に影が落ちる。生まれてから今まで、一度たりとも魔王の息子で良かったなんて思った事は無い。むしろ恨んですらいた。


人間である母を一瞬でも愛した。いや、愛して等いなかったかもしれないが、女として抱き、孕ませ、捨てた。

息子である自分を愛してくれた事など一度も無い。使えるかもしれないからとここまで生かしてくれたが、放置されていただけだ。大人になって食事を共にする事はあっても、駒として利用出来るか品定めしているようなあの視線が嫌いだった。


「俺はハワードの名を持つ者。半分だろうが関係無い。俺はお前に従わない」


ハワードという名は、この国では王家の名。その名を持つというだけで、あらゆる命令を跳ね除ける事も、反対に命令する事だって出来るのだ。


「行くぞアイザック。隊を集めろ」

「了解」

「従えと言っている!」

「黙れハンス・エドガー」


腰に帯びた剣に手をやりながら、アルフレッドは冷たくハンスを睨みつける。ぎくりと体を強張らせ、黙り込んだハンスはぎゅっと唇を引き結んだ。

穏やかに垂れた目が、何処となくルーカスと似ている気がした。


「ザッカリーに伝えろ。これよりハワード隊は別行動、単独で月の捜索及び奪還へ向かう」


そう言い残し、アルフレッドはハンスに背中を向けて歩き出す。自分の馬はアイザックが連れてきてくれるだろう。

遠くに見える山を睨みつけ、アルフレッドは寂しくなった手首をそっと摩った。


◆◆◆


ハワード隊と言ったは良いが、全員集めてもアルフレッドとアイザックを含めて十二人。小隊にすらなれない小さすぎる隊で、大隊として行動している人間たちにどこまでやれるだろう。


「これ無駄死に覚悟どころか自殺だろ…」

「だろうな」

「どうすんだよ、あいつらお嬢奪還だってすげー盛り上がってるけど」


後ろに続く男たちは、我らの月と鼻息荒くアルフレッドについてくる。

初対面では氷漬けにされるところだったが、落ち着きを取り戻したエラは真っ先に「申し訳なかった」と深々頭を下げたのだ。


「同胞に向かってゴミなどと酷い事を言った。どれだけ詰られ、殴られようと文句は言わない。許してくれとも言えない」


半端者、混ざり者、仲間じゃない。そんな扱いばかりを受けてきた隊員たちには、エラの素直な謝罪と仲間として扱おうとしてくれる態度が嬉しかった。

詫びてくれたのだからそれで良いと返せば、それでは気が済まないと言って出来る限りのもてなしをしてくれた。いるのが自分の実家であるガルシア邸なのだから、使用人に耳打ちをしてハワード隊に少し良い食事や酒をと指示をするなんて簡単な事。


出発する時も、気を付けて行くようにと念押しをされ、出来る限りの物資を渡してくれた。仲間、同胞だと言ってくれたあの女性は、人間と半魔族である隊員たちにとって生まれて初めて優しく接してくれた魔族の御令嬢だったのだ。


「お前たち、無駄死にする確率の方が高いがどうする?」


にたりと笑うアルフレッドの問いに、隊員たちはにんまりと笑ってみせた。


「月の為なら死んでも良い」

「だそうだが?」

「この隊馬鹿しかいねぇの?」


呆れたと溜息を吐くアイザックも、馬鹿の一人である。

もうずっと、人間たちの足跡を追って山を進み続けているが、エラが一緒に居るという痕跡すら見つからない。

このままエラを見つける事すら出来ず、人間の群れに囲まれるのではと誰かが不安に思い始めた頃、少し先の雪が他に比べて深く抉れているのが見えた。


「何だ」

「わかんね。見てくる」


馬を急がせるアイザックが、窪みの辺りで止まった。ゆっくりと馬から降りてしゃがみ込むと、ふるふると小さく首を振りながら雪の中から何かを掴んで持ち上げた。


「何があった」

「…お前、白銀の髪ってお嬢以外に見た事ある?」


大きく目を見開き、引き攣った顔をアルフレッドに向けたアイザックの手に握られているのは、僅かな血液が付着した白銀の髪だった。


「俺、お嬢しか見た事ねぇんだけど?」

「俺もだ」

「これ髪だよな?馬の尻尾とかじゃなくて!」


信じられない、信じたくないと首を振るアイザックからその毛束を奪い取り、するすると指を通す。

ひやりと冷たいそれは、滑らかに指の間を滑って行った。


「…エラだ」

「何がどうして…」

「進むぞ。奪われた」

「作戦は!」

「無い」


流石にいい加減にしろと止めるアイザックが、ぎくりと体を強張らせる。

血走った眼をしたアルフレッドが、歯を食いしばったまま山の向こうを睨みつけ、怒りで小刻みに震えているのだ。


「駄目だ、隊を連れて行こうと言ったのは俺だが、お嬢が暴れられない程の何かがあるんじゃ俺たちじゃ何も出来ないだろ。戻ろう、もう少し人数を増やしてから行けば良い」

「その間に何かあったらどうする!殺されたらもう二度とエラは俺たちの名を呼ぶことも、笑ってくれる事も無いんだぞ!」

「落ち着けって言ってんだろうがこの馬鹿!」


ばきりと鈍い音がする。

隊員たちが目を逸らしたのは、こめかみに青筋を浮かべたアイザックがアルフレッドの顔面を殴りつけたからだ。

ぼたぼたと鼻血を雪に落とし、何をするんだと勢いよくアイザックを睨みつけ、アルフレッドはよろりと体勢を直した。


「お前はこの隊の長だろ。冷静さを忘れてどうする?隊を率いるってのは、何を犠牲にしてでもお嬢を守る為に隊を使っていいって事じゃねぇだろうが!」


自分だって本当は今すぐにでもエラを追いかけたい。だが、二人程エラに思い入れの無い隊員たちを無理に付き合わせてはいけない。家族のいない自分たちとは違い、彼らには守るべき家族がいる。その人達を残して命を散らせるわけにはいかないのだ。


「隊を戻せ。お嬢の髪がここで見つかったなら、きっとお嬢はステプに連れて行かれる。今から馬を走らせて動けるやつらをかき集めて戻っても、相手は大所帯。動きは鈍い」


頼むから落ち着いてくれと真直ぐに向けられる真っ青な瞳を睨みつけながら、アルフレッドはもう一度山の向こうへ視線を向けた。


「…全速力で戻るそ」

「お前らも!死んでも良いとか軽率に言ってんじゃねぇ!俺らの月は死を何より悲しむからな!」


まとめ役なんかやらせるなとまだ文句を言うアイザックに急かされ、アルフレッドはもう一度馬にまたがり直す。

きっと無事だ。無事でいてくれなくては困る。どうしてエラが大人しく人間たちに連れて行かれているのかは分からないが、魔術が使えないようにされているのなら暴れる事も出来ないのだろう。

どうにかして魔術が使える領域内で取り返さなければならない。


「行くぞ」


小さく呻いたアルフレッドに従い、男たちは元来た道を戻るのだった。


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