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自覚

何処にでも愚かな馬鹿はいる。そう思い知ったのは、最前線とされるミングル地方バートン領を治めるクリントン家での出来事だった。


噂の夜空の三人が隊を率いてこの地を助けに来ると聞いていたバートン辺境伯、アーロ・クリントンはにたにたとした笑いを浮かべながら一向を出迎えた。

隊員たちは屋敷の近隣で陣を張らせて滞在させたが、夜空の三人は屋敷に迎え入れ、命一杯歓待してみせた。


「まさか我が屋敷にかの有名な夜空が滞在してくださるなんて!」


心底嬉しいと微笑みながら、アーロはこれでもかと贅沢な食事を提供し、温かい部屋とふかふかのベッドを提供する。

それは有難かったが、事ある毎に自分はどれだけ王家に貢献しているかを話して聞かせたがった。それを話されても私は何もしないと散々テオドールに袖にされているというのに、言葉のあちこちに自慢話が指し込まれる事に、エラもサラもうんざりしていた。


「それにしても、魔女様お二方は本当にお美しい」


それも何度聞いたか分からない。次期当主だと紹介された息子にも、美しいと散々褒めそやされた。


「ガルシア嬢、どうか私とひと時過ごしてくださいませんか」


そう微笑んでくる息子ことジュードは、うっとりとエラに微笑みかけながら手を差し出した。

「何故だ」

「私の心が貴方様に奪われてしまったからです」


何だ気色悪い。眉間に深々と皺を刻み込みながら、エラはそれを無視して廊下を進む。さっさと割り当てられた自室に戻り、少しだけで良いから休みたかった。

お前なんぞに使っている時間など無いのだ。少し休んだらこの地が今どうなっているのかアーロから聞き出し、作戦を考えて朝には出発だ。どう考えても無駄な時間を過ごしている暇は無い。


「ああそんな、冷たくなさらないで」

「御父上には感謝している。充分な食事と休息場所をご用意いただいた。だがそれとお前と共にひと時を過ごすことは話が別だ」


さっさと去れ。そう睨みつけて漸く辿り着いた部屋の扉を開くと、どうしたと言いたげなアルフレッドがエラを出迎えた。


「…どうかなさいましたか、魔女」

「ああ…私とひと時の甘い時間を過ごしたいと仰せでな。残念ながらそんな時間は欠片も無いのだが…」


やれやれと溜息を吐くと、瞬時にアルフレッドは威嚇するようにジュードを睨みつける。ぎくりと体を揺らしたジュードだったが、アルフレッドがただの従者だと思い込んだようで、余裕ありげな笑顔を浮かべてひらりと手を振った。


「会話の邪魔をしないでくれないか」

「何故貴様に指図されねばならない?」

「俺がこの家の息子だからだ。ただの客人、しかも下っ端が偉そうにするもんじゃない」


追い出してやろうか。乾いた笑いを漏らし、ジュードは勝ち誇った笑みを浮かべて見せた。


「下っ端、ね」


ふんと鼻を鳴らし、そう見えても仕方ないかと笑ったアルフレッドはそっとエラの体を抱き寄せる。

心奪われたと熱烈なアプローチをしていたジュードに見せ付けるように、エラの髪を一束取って唇を寄せる。


「何も持ってはいないが、俺は一応魔王ルーカスの息子でね。仮にも王子、君より立場は上なんだが」


じろりと睨みつけられたジュードは動く事すら出来ない。半端者、混ざり者とはいえ王子に「下っ端」と言った。黙ってされるがままになっているエラに信じられないと言いたげな目を向けて、口をあんぐりと開けるだけだった。


「殿下、御戯れも程々になさいませ」

「良いじゃないか、いつもやっている事だろう?」


誤解されるだろうがとじろりと睨みつけるが、うっとりと蕩けた顔のアルフレッドにやめるつもりは無いらしい。まだ何か?とジュードに微笑みかけ、エラをそっと部屋の中に引き入れると、そのままぱたりと扉を閉めた。


「…っぶは!何だあれ!」


外に聞こえないように声は控えめだが、エラはばくばくと煩い心臓を鎮めようと自分の胸に手を当てながらその場に崩れ落ちた。

異性にあれだけ熱烈にアプローチされるような経験なんて無い。

いや、目の前で笑いを堪えられていないアルフレッドにはしょっちゅうアプローチされるようになったが、それだって慣れているわけではないのだ。


「何でこれから戦いに行くのにこんな…」

「月の魔女は婚約者もいないフリーの御令嬢。お近づきになりたい奴なんかゴロゴロいるんだよ」


涙目になりながら声を震わせるアルフレッドは、まだ床にへたり込んでいるエラにそっと手を差し出してくる。


「牽制するにしてもやりすぎだろうが!」

「良いだろ別に。俺がエラにご執心だって知ってるだろ?」

「ごしゅ…ああもう!出てけ馬鹿!」

「今出て行ったらさっさと追い出されたの見られて恥ずかしいだろ?」


やだよと拒否をするアルフレッドに、エラは真っ赤な顔をして睨みつけるしかなかった。

本当に、これから戦場へ行く筈なのに、見てきた民たちは皆苦しんでいたのに、アルフレッドは飄々としながらエラを口説く。

嫌だというわけでは無いが今はやめろと文句を言っても、忘れた頃にさらっと口説きに来るのだからタチが悪い。


「ほら、いつまでも床に座り込んでないで椅子に移動するなりしてくれ。誰か来たら面倒だろ」


使用人の誰かが呼びにくれば、すぐにでも月の魔女として振舞わねばならない。床にへたり込んでいる魔女の何処に威厳を感じるのだと呆れられ、今度こそエラはアルフレッドの差し出す手に掴まるしかなかった。


「居心地悪いんだよな、この屋敷」

「随分ジロジロ見られてるもんな」


テオドールとサラも観察対象にされているようだが、エラは更に注意深く観察されている。恐らく当主であるアーロがエラを狙っているからだろう。息子の嫁としてその血を引き込みたいと思っているのは、見ていればすぐに分かった。

月の魔女の義父、その子供の祖父となれば、箔が付くからだ。利用される息子は、美しい女を抱ける、妻にすれば周囲に自慢出来る、月の魔女の夫として振舞えるとしか考えていない。


何故どこまでも利用されなければならないのだと憤慨しながら、エラは促されるまま窓辺に置かれたソファーに体を預けた。


「あいつ好みじゃないんだよな」


ジュードは身長こそ高いが、ひょろりとしていて頼りない。癖のある黒髪をぴょこぴょこととさせ、それなりに整った顔立ちをしているとは思うのだが、それを自覚して微笑みかけてくるのが気色悪かった。


「エラにも好みがあったのか」

「私を何だと思ってるんだ…」

「どんなのが好みなんだ?」

「口説いてくるお前に話せと?」

「少しでもエラの好みに近付こうかと思って」


何を言っているんだと白けた目を向けるが、考えてみると好みらしい好みは、明確にこれといったものはあまりなかった。思い付いたものをただ並べ立てるだけだったが、アルフレッドはその言葉の残酷さに哀しそうな顔をする。


「私よりも背が高くて、剣が強くて、魔術が強くて、私のやる事に文句を言わない人」


魔術が使えない時点で問題外。そう理解したアルフレッドは、エラに見えないようにぐっと拳を握りしめる。自分が目の前の男を傷付けた事に気付きもせず、エラはジュードへの不満と文句をつらつらと並べ立てた。


「あれは絶対素手で勝てる。なーにが心奪われただ。たった一言挨拶をしただけなのに」


ああ気色悪かったと舌を出し、エラは頬杖をついて空を睨む。まだ機嫌が悪いのだろう。


「何で国を護って、家でも自分より弱い男を守らなきゃならないんだ」

「強い男に守られたい?」

「私だって普通の女だぞ。ただの女として夫の傍にいたいし、守られてみたいと思うくらい良いじゃないか」


それくらい強い男がいてくれればの話だけれどと付け足して、エラはちろりとアルフレッドを見る。

身長はエラよりも高い。抱き付いても顔はアルフレッドの胸板に届く程度。魔術は使えないが、確実に剣の腕はエラより上だ。王位継承権も無く、何も持たない王子様だが条件としてはこれ以上無い程良い男だと思う。


「くっ」


ぺちりと自分の頬を引っ叩き、エラは何を考えているんだと自分を叱る。

何してるんだと呆れたアルフレッドに「やめなさい」と頬を撫でられるが、アリだなと思ってしまった事実が恥ずかしくて堪らなかった。

というよりも、自分が男に甘えるとしたらアルフレッドかアイザックしかいない事に気付いてしまったのだ。また、アルフレッドとアイザックに甘えるといってもそれが微妙に違う事にも気付いていた。

アイザックへ持っている感情は、兄へ向けるものに似ている。だが、アルフレッドに向ける感情は、そうではない。


夫とするならば。


そこまで考えて、もう一度エラは自分の頬を引っ叩いた。


◆◆◆


ほんのりと引っ叩いた頬を赤くしながら、エラはもくもくと出された料理を咀嚼し飲み込む作業を続ける。

昼間出された料理と同じ、もしくはそれよりも豪勢な料理はとても美味だったが、道中見てきた住民たちを思うと、素直に美味しいと感激は出来ない。

サラとテオドールは出された酒を傾け、慣れた様子でカトラリーを操っていた。


「ご満足いただけましたかな?」

「ああ、とても良い味だったとシェフに伝えてくれ」


そっとナフキンで自分の口を拭いながら、テオドールはアーロに小さく微笑んだ。テオドールが微笑みかけてくれた事に感激しているのか、僅かに身体をテーブルに乗り出し、テオドールに視線を向けた。


「守備は上々、わざわざ夜空のお三方が前線に出られずとも、我らのみで充分にございます」


だからこの屋敷でのんびりしていると良い。そう言いたげな笑みを浮かべながら、今度はちらちらと黙っているエラに視線を向けた。やはり息子の嫁にと狙っているのだろう。一応立場は王子だからと一緒のテーブルに座っているアルフレッドが、その視線に気付いた途端テーブルの下でエラの手を取った。隣に座っているのはいつもの事だし何も気にしていないが、今この場でいつも通りの扱いをされるのは少々困る。

普段のエラに戻ってしまえば、今まで必死で取り繕ってきた月の魔女としてのイメージ像が崩れかねない。


「月の魔女様、我が息子はどうやら貴方様に心惹かれている様子。失礼ながら、婚約などはされないので?」

「私は自分よりも弱い男に興味は無い。好意をお持ちいただけたのは光栄だが、それを受け入れる気は無い」


つんと冷たい返事をしてみせても、諦めきれないのかアーロはじろりとジュードを睨みつける。上手い事やれと言い含めていたのだろうが、残念ながらエラにそのつもりが一切無いのだからどうにかなる筈もない。

睨みつけられたジュードが必死でエラの気を引こうとあれこれ話し掛けてくるのだが、興味が無いといった返事しかしないエラに、徐々に言葉数は少なくなっていった。


「あー…そう、アルフレッド殿下、殿下は月の魔女様と実に仲が宜しいご様子」

「士官学校時代の同期でね。同期と仲が良い事は、何も悪い事は無いだろう?」


一緒に戦う仲間なのだから、仲が悪いよりも良い方が良いに決まっている。それよりも、一応王子として扱ってくれるのは良いのだが、その目は確かに敵意を持っていた。お前みたいな混ざり者に何故へりくだらなければならない。この屋敷に招き入れ、食事と寝床を提供しなければならないのかと苛立っている事は、誰が見ても明らかだった。


「私が気に食わないのなら、他の隊員と同じく外で休もう」

「滅相も無い!王子殿下を丁重におもてなしするのは、我らの務めの一つですので…」

「そう言ってくれる優しい方で助かった。どうか我が弟を宜しく頼む」


駄目押しとばかりにテオドールが、にっこりとアーロに微笑みかける。次期魔王に直接頼まれてしまったのだ。無下に扱う事も出来なくなった事だろう。


「ああそうだ、私はお前に問いたい事がある」

「なんなりと」

「民が非常に疲弊しているように見える。東に軍を持って行かれたせいだということは分かるが…ここまで疲弊させる程連れて行かれるとは思えないのだが」


どうなっている。じろりと真っ黒な瞳を冷たく向けながら、テオドールはゆったりとテーブルに肘をついた。

何をしているせいで、あそこまで民が苦しんでいるのだと、無言の圧をにこにこと微笑み続ける。じわりと額に脂汗を浮かべたアーロの視線は、うろうろと落ち着きが無かった。


「王都で何が起きたか、お前も知っているな?そしてこれからこの国で何が起きるのかを」

「ウォード公のお話なら存じております。ですが…私も我が家も全くの無関係です!」

「無関係…ねぇ?」


ふうん?と小さく漏らし、焦げ茶色の瞳を一瞬伏せたアルフレッドがぎろりとアーロを睨みつける。背凭れにどっかりと体を預け、顎を僅かに上げて見下すような仕草をしながら腕を組む。そんな威圧的な態度を取れたのかと内心驚きながら、エラは我関せずといった表情でこくりと水を飲んだ。


「この現状では、守りを甘くし人間共が雪崩れ込む隙を作っているようにも見えるんだがなあ」

「まさか!」


違うとふるふる横に首を振り、何度も同じように「違う」と呟き続ける。

ジェームズの悪事を暴いたのは此処に居るサラだ。…という事になっているが、夜空の三人が揃って自分を敵として睨みつけている事に顔色が悪い。

本当に違うと何度も「許してくれ」と懇願するアーロに、ジュードは何が起きていると困惑の目を向けた。


「ならば何故此処が重点的に狙われている?」

「知る由もありません!」

「見たところ貴殿は俺のような半魔族、そして人間を同胞とは思っていないらしい」

「それは…」


事実なのだろう。ぐっと言葉を詰まらせたアーロは、慌ててそんな事はないと言葉を続けたがもう遅い。言葉を詰まらせた時点で認めたようなものなのだから。


「この地に住まうのは半魔族や人間も多いと聞く。この混乱に乗じて間引きでもしようとしたか?」

「そんな、滅相も…」


テオドールの言葉に、アーロは視線をうろつかせる。どうして貴族ともあろう者がこんなにも表情を隠せないのかと呆れながら、エラは小さく溜息を吐いた。


「同胞と思わないのは結構。それはそれぞれの自由な思想というやつでしょう。ですが、この国に住まう者は等しく魔王ルーカス陛下の子供であると、貴方は分かっているのかしら」


にこりと微笑んだサラの声は、いつも通り鈴を転がしたように可愛らしい。酒のせいでほんのりと頬を染めて微笑むその姿は、とても美しい魔女にしか見えなかった。


「事実はどうあれ、道中見てきた現実は貴方がそういう思想を持った者であると証明しているようなもの。そんな男を辺境伯としてここに置いておくなんて危険だわ」

「何故!我が家は建国以来ずっと王家の為に戦ってきましたのに!」

「北の地で魔族の子供が消えている。それを知らないわけが無いな?」


ひくりとアーロの喉が鳴る。だらだらと脂汗を流し、どうすればこの糾弾から逃れられるかを必死で考えているようだが無駄だ。

北の地で魔族の子供が消えている。それと同時に、人間の子供も姿を消していた。王都に届く報告の殆どでは、人間の子供が姿を消しているという話は届いていなかったが、サラの作った鼠部隊はよく働いた。


人間の子供を労働力として提供する。代わりにクリントン家に被害が及ばないよう最小限の戦闘だけで済ませるように。

それがジェームズとの間に取り交わされた契約だった。


それを知ったのは城を出る直前の事。ジェームズの妻であるジュリアの亡骸が証拠として城に持って来ていた荷物の中に、通じている貴族や軍のお偉方の名前が幾つも見つかった。辺境伯であるこの男が、国を裏切る算段をしていた男と通じている。自分の護る家には被害を出さないでくれと無様な懇願をし、国の入り口をぱっかりと口を開けるように仕向けた。


それがどんな罪なのかを、この男が知らない筈が無い。


「これより貴様は辺境伯としての仕事をしなくて良い。王都へ連れて行く」

「そんな…」

「我が叔父、ジェームズ・ウォードは既に捕らえられている。後は蛆虫を見つけ出し、駆除するだけだ」


にっこりと穏やかに微笑んで見せるテオドールを絶望でいっぱいにした顔で見つめながら、アーロはテオドールの指示で部屋に雪崩れ込んでいた兵たちに拘束され、ずるずると引きずられていった。


「そんな…父上…?」

「ああ、ジュード。君も一応連れて行く事になっているんだ。君は次期当主、何も知りませんでしたで済むわけがないことくらい分かるだろう?」


にっこりと微笑むアルフレッドに、ジュードは怒りとも困惑とも、絶望ともとれる表情を向け、ぱくぱくと口を動かした。

助けてくれ、誰でも良い、俺は何も知らない。小さく呟くその声に、エラは小さく吹き出した。


「私がお前の妻にさせられる未来は完全に途絶えたようだ。安心したぞ、裏切り者の息子」


お前は今からそう蔑まされて生きるのだ。アーロは最悪処刑されるだろうが、恐らく何の関与もしていないジュードは家を潰される程度で済むだろう。この先どうやって生きて行くかよく考える時間が出来たなと笑いながら、エラはもう一口水を飲んだ。


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