老いた魔法使い
エラの見た目は目立ちすぎる。真夜中なのを良い事に、アイザックは慣れたように城の裏手へ回る。警備が厳重な城に何故わざわざ今来なければならないのかと文句を言ったが、アイザックはそれを無視して進んで行った。
そうして押し込まれたのは、豪華な造りなのにどこか寂しい雰囲気を抱える部屋。やけに広いその部屋の中心に、ぽつんと置かれた大きなベッド。部屋の片隅に置かれたテーブルと、使われていない暖炉があるだけだ。
「何この部屋」
「アルとそのお母様の部屋」
「こんな寂しい部屋が!?」
思わず上げてしまった声に慌てるが、エラのその様子を眺めたアイザックはへらへらと楽しそうにしている。部屋の主であるアルフレッドの姿は無いが、腐れ縁とはいえ異性の部屋に入っているのが落ち着かない。そわそわと周囲を見回してみるが、親子が住んでいたにしては寂しすぎる部屋が広がるばかりだった。
「アル呼んでくる。多分誰も来ないだろうけど、念のため隠れとけよ。ベッドの影とか」
住まわせているのが仮に王の息子だというのに、隠し通路の一つもないのかと唖然とする。出来れば早々に居なくなってほしい存在だといつかアルフレッドが言っていたが、それは本人の思い込みなどではなく、王がそう望んでいるのでは無いかと思った。
さっさと部屋を出て行くアイザックを見送り、エラは仕方なく言われた通りに入り口から見えないようにベッドの影に座り込む。窓から注ぎ込む月明りに照らされながら、何だか疲れたなと息を吐いた。
アルフレッドの匂いがする。なんだか変な事を考えたなと眉間に皺を寄せ、不自然に膨らんだ胸元を探る。もう一度取り出した魔石は、透明の見事な球だ。中心で揺らめく黒い靄は恐らく魔力。これが誰かの魔力を溜めこんでいる事は何となく分かったが、ジェームズは魔力を溜めこんだ魔石を大事に隠しておく必要のある男だろうか。じっと揺らぐ魔力を見つめながら考えてみるが、エラには何も分からなかった。
「で、何か分かったか」
「それより俺からプレゼント」
「何だ気色の悪い…」
ぶつくさ文句を言うアルフレッドの声がする。ドアを閉じる音がした事を確認し、エラはそっとベッドのマットレス越しにひょっこりと頭を半分だけ出した。
「どーも」
「何してる!」
「大声出すなよ煩いなあ…これでもこっそり来てるんだからな」
ぶすっとむくれながら立ち上がると、エラは少し移動し、アルフレッドの目の前で偉そうに腰に両手を当ててアルフレッドを睨んだ。あんぐりと口を開けてエラを見つめるアルフレッドは微動だにしない。何故この女が今此処に居るのか、自分の私室に突然現れたこの女にどう言葉をかけるか。きっとそんな事を考えているのだろう。
「再会のハグでもしとく?」
冗談を言いながら笑って両腕を広げたエラに、アルフレッドは勢いよく抱き付いた。ぐえっと無様な声を漏らしながら、思っていたよりも熱烈なハグにどぎまぎとし、エラもアルフレッドの背中に腕を回す。
「何でいるんだ…」
「まあ色々とありまして。それよりアル、ちょっと苦しい」
「色々聞きたい。ちょっとそこ座れ」
「こっそり来てるんだから、さっさと用事済ませて城から退散したいんだけど…」
それを許してくれないらしいアルフレッドは、ぎりぎりと力を籠めてエラの両肩を捕まえて離さない。どうしてくれるんだとアイザックを睨んでみるが、今回は味方をしてくれないらしい。
「仮にも王子の私室だろ。何で見張りがいないんだ」
「ここが今は使われていない部屋だから。俺の部屋は今は移動されてる」
「成程ね…だからここに連れ込まれたのか」
納得したように溜息を吐くエラを睨みながら、アルフレッドはぎろりとエラのエメラルドの瞳を睨みつけた。
「何をした」
「何が…」
「デンバーだ。何をした」
「別に、ただお茶やら食事やらを共にして、か弱い乙女ですって顔してただけ。ああ…心配してるような事は何も無い。嘘だと思うなら本人に聞いてみなよ」
「もう聞いた。お前の腰に黒子があるって事も、左肩に傷跡がある事も」
奥歯を噛みしめながら睨むアルフレッドは、一体あの肉団子から何を聞いたのだろう。呆れたなあと天井に視線を向けながら、エラはふうとまた大きな息を吐く。
「左肩の傷は怪我をした時にアルも見てるだろ。腰の黒子ってどれの事?」
いい加減痛いから放せと苛立ちに身を任せてアルフレッドの手を振り払い、エラはアルフレッドに背中を向ける。パンツに仕舞っていたシャツを引き抜き、細くくびれた腰をその場で露わにしてみせた。
「私から見える位置には何も無いんだけど」
やめなさいと黄色い声を上げて笑うアイザックと、言葉を失いながらへなへなとその場にへたり込むアルフレッド。フンと鼻を鳴らすエラは、不機嫌そうにシャツを降ろした。
「胸元に痣でもあるとか言われた?まだ信用出来ないならこの場で脱いでやる」
「悪かった、俺が悪かったからやめてくれ」
降参するように片手を上げたアルフレッドが、眉尻を下げながらエラを見る。隣で腹を抱えているアイザックと目が合うが、お前は何がしたいんだと睨むのは仕方のない事だろう。
「私が此処にいるのは内戦になると思ってるから。それを防ぎたくてウォード公の持ってる何かを探しに来た」
「何かって?」
「さあ?ザックも目的が同じで、昼間見つかったから一緒に行ってきたとこ」
これを見つけたと掌に乗せた球をアルフレッドに見せる。魔石だという事しか分からないらしいアルフレッドは、怪訝そうな顔をエラに向ける。残念ながら、そんな顔をされてもエラにもよく分からない。これが誰の魔力を溜めこんでいて、何のためにジェームズの書斎に隠されていたのか。
「まあまあ、取り敢えずお嬢はちょっと休もうぜ。どうせテルミットから休まずに来たんだろ?」
「流石に疲れた…ちょっと寝たい」
「寝とけ寝とけ。ここの警備甘めだし」
「良いのか…ここ城の奥じゃないか」
「良いんじゃね?この二日間、警備が強化される事も無かったし、万が一見回りが来ても元自分の部屋なんだから好きにさせろってアルが言えば良い」
それでどうにかなる立場なのかと疑問には思うが、そろそろエラの体力も限界だ。ここが安全ならばそれでいいと、エラはくらくらと揺れ始めた頭を抱える。足元がおぼつかない。
「良いよ、遠慮せずに眠ると良い」
使ってくれとエラの背中を押しながら、アルフレッドは漸く穏やかに微笑んだ。何故使われていない筈の部屋のベッドが綺麗に整えられているのだろう。それを聞く前に倒れ込んだエラは、重たくなった瞼を持ち上げる事が出来なかった。
「相当疲れてたんだな。もう寝てら」
「どうせ無茶ばかりしてるんだろ」
「で?何が俺の部屋は移動されてるって?しょっちゅうここで寝てるくせに」
「仮にも王子の部屋が見張りも無し。本気で必要とされていない存在だって、エラに知られたくないんだよ」
怒りに震えながらもとっさに吐いた嘘。エラに惨めな自分の立場をあまり知られたくないという小さなプライド。だが、見張りがおらず見回りに来るものも少ないというこの部屋は、悪だくみをするには丁度良い。問題はこの部屋に通じる隠し通路なんてものが無い事なのだが、部屋が一階にあるというだけで窓からの出入りは容易だ。実際、アルフレッドはよく窓から出入りしては息抜きを楽しんでいる。
「お嬢が起きたら動くか。俺はちと女王様に報告してくる」
「エラの事は」
「報告すべきだろ。動ける駒は出来るだけ増やせ、それが優秀ならば最優先で使え」
「…そうだな」
すやすやと眠るエラの頭を撫でながら、アルフレッドは小さく笑った。
◆◆◆
がやがやと煩い。人が寝ているのだからもっと気を使ってくれと文句を言いたくなり、エラはまだ重い瞼を無理矢理開けた。ベッドの周りは人影が幾つかある。アルフレッドがエラの左側に座り、アイザックが右側に座っている。女の寝ているベッドに座るのかと眉間に皺を寄せたところで、漸くエラの目が覚めた事に気付いたらしいアルフレッドがそっとエラの頭を撫でた。
「おはよう」
「…おはよう」
ゆっくりと伸びをしながら起き上がる。窓から注ぐ日の光。もう昼前だと笑われ、エラは自分が思っていたよりも深い眠りに落ちていた事を知った。慌てて周囲を見まわせば、ひらりと手を振る女がにこやかに微笑んだ。
「久しぶりね」
「サラ…何で」
「ここは私も住んでいる城よ?いちゃ悪い?」
「あー…そのいちいちムカつく話し方は紛れもなくサラだ」
「元気そうで安心したわ。それとこれ、お手柄よ」
サラの手に握られた球。夜中にエラが持ち出した魔石だ。ニタニタと心底嬉しそうに笑うサラは美しい女に成長していたが、中身はあまり変わらないらしい。
「これは魔法使いが使う記録用の魔石よ。勿論元はただの魔石だけれど、ここに文字やら術式、もっと凄いものだと音声まで保存できるんですって」
うっとりと頬を染めながら、サラは黒い靄が揺らぐ球に頬ずりしてみせた。
「それが何でウォード公の書斎に…」
「これがそれだけ大切な何かを記録しているって事よ。問題は、内容をどうやって確認するか」
スッと目を細めたサラが、手の中に納まる魔石を睨みつける。ころころとよく表情の変わる女だなと感心しながら、エラはふむ、と声を漏らして考え込む。
「そろそろ私も喋らせてもらっても良いかな」
サラの後ろにいた男が、遠慮がちに前に出る。サラの百面相に気を取られていたが、見慣れない男の存在を完全に無視してしまっていたのは流石にどうなのだろう。気が抜けているにも程がある。
「久しぶりだね。覚えていてくれているかな?」
にこりと微笑む男は、何処か見覚えがあった。記憶を遡り、男が誰なのかを思い出そうとするのだが、なかなか男の名前が出てこなかった。
「やっぱり老けたか…」
「あ、あ!分かったリュカ先生だ!」
黒目黒髪の魔法使い。年齢よりも若く見える筈のリュカは、記憶よりも随分老け込んでいた。黒髪には少しの白髪が混じり、目元や口元には皺が刻まれている。
「お久しぶりです。お元気でしたか」
「元気だよ。今は城に押し込まれててハイランドに帰れずにいるんだけれど」
タイミングを間違えたねぇと笑いながら、リュカはサラが持つ魔石をツンツンと突く。
「魔法使いの道具には魔法使い、だろう?サラ嬢が私を呼びつけたんだ」
「厳重な警備の中…?」
「いやあ大変だった。今頃騒がれていないかとヒヤヒヤしているところさ」
ね?とサラに笑いかけているが、サラはツンと澄ました顔をしてそっぽを向いた。今頃警備の者に探し回られているだろう。どうやって戻るつもりだと白い目を向けるが、サラはそれを気にするでもなく魔石をリュカに手渡した。
「これはどうやって使う物なのかしら」
「記録用の術式を使って記録する。確認する時はまた別の術式を使うんだ」
「その術式は再現できますか」
エラが食い気味にリュカに問う。残念そうな顔をしながら困ったように笑うリュカの表情に、若い魔族たちは落胆したように肩を落とした。
「ま、普通は無理だろうね。でも私はこれでも偉大な魔法使いと呼ばれる類の人間でね」
自分で言うのかとアイザックが呟くが、悪戯っぽく笑ったリュカはそれを気にしていないらしい。懐から取り出した四角い紙と、持ち運び用のペンとインクをテーブルに置くと、サラサラと何か描き始めた。
その様子をじっと見つめていると、リュカは静かに何かを唱え始める。何を言っているのか分からない異国の言葉のような何か。そっと紙の上に魔石を乗せると、魔石は煌々と光り輝き始めた。
「成程、文章のようだ。部屋を暗く出来るかな」
リュカの言葉にアルフレッドとアイザックがカーテンを閉めて行く。まだうっすらと明るい部屋だが、天井には細かな文字が浮かんでいた。
「良かった、読めそうだね」
「契約書かしら…貴殿を魔王とする為協力する代わりに、ステプへ手厚い支援を…」
ブツブツと呟きながら、サラは映し出された文字を頭に叩き込んでいく。
長ったらしい文章だが、簡単に纏めればジェームズを魔王にする為、ステプは協力をする事。その替わり、新体制となったファータイルは食糧支援をステプに優先的に行い、国交も今までよりも緩め、物のやり取りを簡易的な物にする事。
また、エラ・ガルシアをステプの魔法使いへの報酬とする為生きたままステプに連れてくる事。
「まさかここまでステプに優位な契約をするなんて…」
「どうせ反故にする気だろう。力では人間を叩き潰せるんだから」
サラの苦い声に、アルフレッドが鼻で笑う。エラを報酬として引き渡せというのが気に食わないらしい。
「何で私が報酬なんだか…暴れて全員殺すとか考えないのかね」
「そこまで狂暴と思ってないのかもしれないね。君はほら、見た目だけは儚げなお嬢様だから」
リュカの失礼な言葉に、エラは軽く睨みを入れる。だが、これで決定的な証拠は見つかった。大方記録を確認する為の術式は懐に仕舞い込んだ魔法使いに都度用意させるつもりだったのだろうが、リュカがたまたま城にいてくれて助かった。
「そういえば、リュカ先生は何故ファータイルに?」
「魔石の補充をしに来たのさ。暫くのんびりしてから帰ろうと思ったら、まさかこんな騒ぎに巻き込まれるとはね」
やれやれと肩を竦め、リュカは不満げに唇を尖らせる。久しぶりに来たからのんびりして帰ろうと呑気に考えていたのに、国の一大事だから来いと無理矢理連れて来られ、中立を貫く国の魔法使いだから戦いに協力出来ないと突っぱねれば、万が一にもステプ側に味方されては困るからと軟禁されたのだと言う。
「さっさと戻って研究に没頭したいんだけどねぇ…サラ嬢、解放してくれるよう魔王陛下に頼み込んでくれないかい?」
「さっさとこの騒動を終わらせた方が話は早いかと」
お断りだとにっこり微笑みながら、サラはまだ輝き続ける魔石を大事そうに抱え込む。術式を描いた紙から離れた魔石は、ぱたりと光を失った。
「さて、これを魔王陛下に突き付けましょうか」
にっこりと良い笑顔を浮かべながら、サラは機嫌良さげに駒たちを見まわした。




