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演者

「ガルシアを温めろ!死なせるな!」


ザッカリーの叫び声だ。氷はもう維持できそうになかった。雪の積もった地面だが、流石にこの高さから落ちたら痛いだろうななんてぼんやりと考えるが、柱の根元に集まった隊員たちが叫ぶ声に、そっと目を閉じながら、エラは弱弱しく氷の柱に手をぱちりと当てた。


キンと甲高い音と共に粉々に砕け散る氷。勝利を祝うように太陽がエラたちを照らし、砕けた氷たちをキラキラと輝かせる。

ゆっくりと落下していくエラの姿は、まるでこの地に舞い降りた妖精のようだった。


「急げ!この寒さの中濡れ鼠ではすぐに死ぬぞ!」

「炎の術者はいないか!火傷の手当てはすぐにしてやるから炎を!」

「ここにいる!」


周囲でがやがやと叫ばないでほしいが、今のエラはガタガタと体を震わせながらじっとしている事しか出来ない。何人かの男に抱えられ、誰かが防寒具を脱いだのかぐるぐると体に巻き付けられる。冷たい風に直に当てられるより随分マシになったが、それでも下がってしまった体温は上がらない。


「スミス・デンバー、貴様は裏切者として王都に送ってやる。この俺が直々にな!」


ああ、張り切っているなあザッカリー中隊長。うっすらと開けた目で、へたり込んだ肉団子を蹴りつける姿を見た。いい気味だ、ざまあみろ。にたりと笑ったエラは、そのまま意識を手放した。


◆◆◆


夜、夜よ。私はテルミットの女王であり、貴方様の忠実なる僕。憐れな魔族の為に戦いましょう。この命ある限り、私はこの氷の大地に立ち続ける事をお約束いたします。


白銀の髪をさらさらと揺らし、顔を見せぬように背中を向けた女が夜空に向かって歌うように語る。雪の降る雪原の夜でその恰好では寒いだろうに、女は真っ白な布を体に巻き付けて細い腕を月に向かって伸ばしていた。誰だ。お前は誰だ。そう問いたいのに、エラの体は動かない。エラの存在に気付く事もなく、女は氷を操り、王に捧げる花を作り上げていた。

パキパキと聞きなれた甲高い音がする。徐々に形を作っていくその花は、母が大好きだった百合の花だった。


「月の魔女」


漸く出た声に、女はゆっくりと振り向いた。透き通るような真っ白な肌。長く伸びた髪はエラと同じ白銀なのに、その瞳はアイスブルーの美しい女だった。


何だこれは。また可笑しな夢を見ているのか。にっこりと微笑みながら近付いてくる女は、作り物のように美しい。ひやりと冷たい手が、エラの頬に触れた。慈しむようにそっと撫でられる頬が心地よい。ああ、これは夢だ。実際に居たであろう疎ましき魔女の夢。伝えられている容姿の特徴は、美しく伸ばされた白銀の髪をした魔女という事だけ。瞳の色は話によって青だったり緑だったりと様々だが、この夢ではアイスブルーらしい。


「王よ、私たちの親愛なる夜。どうか、心穏やかな安寧を」


パキパキと耳元で響く氷の音。慌てて魔女の腕を振り払うが、徐々に体が動かせなくなってきた。何が起きたと自分の体を確認してみれば、ゆっくりと氷に覆われていた。何度砕こうと手を鳴らしてみても、うんともすんとも鳴らない手では砕けてくれない。にこにこと穏やかに微笑み続ける魔女が、もう一度エラの頬を撫でた。


◆◆◆


「っ…!」


がばりと体を起こす。恐る恐る自分の手を見てみるが、勿論凍り付いてなどいない。何だったんだと眉間に皺を寄せ、周囲を確認すれば、赤々と燃える炎が暖炉に収まる部屋だった。


「エラ…」


涙を浮かべたアデルの顔が目の前に広がる。思わず息を詰まらせると、アデルは勢いよくエラの体を抱きしめた。苦しいと文句を言おうにも、アデルはわんわんと声を上げながら泣くばかりだ。


「またこの子は無理をして!何てことをしてくれたの!」

「ごめんなさいお姉様…ちょっと、苦しい」

「これは罰よ!死ぬなら姉の腕で絞殺してやるわ!」


何てことを言うのだと苦笑しながら、エラは姉の体を抱き返す。生きているから安心してくれと言うように、細い背中を何度もぽんぽんと規則正しく叩いた。姉がいるという事は、ここは実家だ。外からまだ慌ただしい声が聞こえる。ここは安全だが、あれから何がどうなったのかまずは知りたい。

視線を部屋に走らせるが、どうやらアデル以外には誰もいないらしい。アデルに聞いたところで詳しい話など聞けそうも無いし、誰か呼んでもらった方が早いだろう。


「お姉様、あれから何がどうなったのか聞きたいの。誰か呼んできて」

「何よ、無事に目覚めた事を喜ぶ事も許してくれないなんて薄情な妹ね!」


涙に濡れた顔で睨まれても怖くも何ともないのだが、申し訳ないという気持ちは湧き上がってくる。ごめんなさいともう一度詫びるが、引く気が無い事は姉もよく知っているらしい。扉を勢いよく開くと、外で待機させていたハンスを呼びつけた。


「いやあ…すみません、なんか…」

「本当よ!なんだっていうの軍人って生き物は!何を考えているのか皆目見当も付かないわ!」

「国の為に身を粉にして働くだけですよ。軍人って生き物はね」


苦笑したハンスは、顔色の良さそうなエラを見て安心したように微笑む。ベッドの上で座ったままのエラの傍に置かれた椅子に腰かけると、穏やかな笑みを浮かべたままエラを見た。


「さて、これから話すのは一応軍の機密事項に当たるかもしれないから…お姉様には是非席を外していただきたい」

「お断りよ。何故可愛い妹を危険に晒すような男にはいどうぞと何度も妹を差し出さなければならないの!私貴方方が大嫌いだわ!」


あははと軽く笑うハンスは、困ったように眉尻を下げる。ここまで怒ったアデルを見るのは初めてなエラが、まあまあと制しながらそっと扉の方を指した。


「嫌と言っているの。今度はエラを何処に連れて行く気?何をさせようって言うの」

「お姉様。出て行ってください」

「嫌だと、言っているの。何度も言わせないでちょうだい」

「出て行けと言っている。何度も言わせるな」

「姉に向かって随分な物言いをするじゃないの。軍人がそんなに偉いって言うの?それとも月の魔女だからかしら?」


がるがると自分を挟んで言い合いを始めた姉妹に向かって両手を突き出しながら、ハンスは「まあ!まあまあ!」と何度も繰り返す。言って聞かないなら無理にでも追い出してやろうと立ち上がりかけたエラを押さえつけながら、ハンスはアデルを見て微笑んだ。


「お姉様の心配はよく分かります。これから話す事を誰にも漏らさないとお約束頂けるのなら、この場でお話致します」

「出来るなら最初からそうしなさいな」


フンと眉間に皺を寄せた顔で鼻を鳴らすと、アデルは不機嫌そうに両腕を組みベッドの端に腰かけた。小さく舌打ちをしながら、エラは布団の中に体を戻す。


「あー…まずエラ、君が気を失ってから大体半日だ。随分消耗したみたいだけれど、もう回復したようだね。流石としか言いようがない」

「半日…」


カーテンが閉められているのは夜だからかと納得したが、たった半日で起き上がれるまでに快復する自分の「普通ではない」体に感謝した。普段疎ましいとしか思わないこの体質に感謝する日が来るとは思わなかった。


「そしてここは君の実家であるガルシア邸だ。外の騒ぎは死者負傷者全員集めて誰が無事なのかを確認しているから。ついでに中では集められるだけ回復術師と医療班が治療にあたってくれているよ」

「何人、死にましたか」

「数え切れていない。だが半分も生き残らなかった」


ぐっと唇を噛んで、エラはあの時の地獄のような光景を思い出す。割れた地面に吸い込まれていく男の顔。助けてくれと叫ぶ声。痛みに耐える苦悶の表情。あれだけ多くの魔族が、たった数人の魔法使いにやられた。あの魔法は何だったのだ。あれだけの術を使うのなら、かなりの魔力が必要だろう。きっと、攫われた魔族の子供たちから集めた魔力を使ったに違いない。あんな魔法の為に、何も知らない子供たちを攫って利用するなんて。


「ザッカリー中隊長は既にデンバーを王都に連れて行ったよ。何人か一緒にくっ付いて行ってる」

「消耗しているのにですか!」

「消耗していようが何だろうが、これは最優先事項だ。幸い御父上からかなりの量の食糧と水をいただけたし、馬も借りられた。なんとでもなるよ」


水と食料があって、元気な馬がいたって辛いものに変わりはない。あの戦いでザッカリーはかなり消耗している筈だ。起き上がっている事すら辛いであろう体で、遠く離れた王都に裏切者を連れて行く。それは考えただけで視界がくらりと揺れる程大変な事だった。


「それと、俺たちは君にお礼を言わなければならない」

「は…」

「ありがとう。君がいてくれたおかげで、俺たちは生き残る事が出来た」


椅子から立ち上がり、ハンスは深々と頭を下げる。それをやめさせようと何を言っても、ハンスは頭を上げる事はなかった。


「君が守ってくれた。人間達を殲滅するには、君がいてくれないと無理だった。あれだけの数の魔法使いを相手にするのは骨が折れる。あんな魔法を使われ、足元もおぼつかない中攻撃魔法を打ち込まれたら、全滅だって有り得た」

「半数以上が死にました。守り切れていません」

「死んだ者は多い。だが生き残った者もまた多い。君は全滅を半壊程度に納めてくれた。それだけで、俺たちは君に感謝してもしきれない恩がある」


ありがとう。何度も繰り返しながら、ハンスはまだ深々と頭を下げたまま今度は詫びた。

嫌だと分かっているのに、デンバーに近付かせた。女としての危険があったにも関わらず、率先してエラを一人でデンバーの元に送ってしまった事。情けないが、任せる事しか出来なかった事を詫びた瞬間、勢いよく立ち上がったアデルがハンスの髪を掴んで引き上げた。


「姉様!」

「お前は私の妹に何をさせたの!」


痛みに顔を歪めたハンスの頬を平手打ちし、アデルは怒りに染まった顔で叫ぶ。可笑しいと思った、あのエラがあんな醜悪な男にすり寄る筈が無い、何をさせたとハンスを詰り、髪を掴んだままの手を何度も揺する。


「あの男は美しい女性に目が無い。それを利用し、ガルシアを傍に行かせました」


痛みで言葉を詰まらせながら、ハンスはしっかりと言葉を紡ぐ。ぐっと一瞬言葉を詰まらせたアデルの手が、うっすらと発光している。


「姉様落ち着いて!何も無かったから!」

「黙りなさい!よくも、よくも月の魔女として利用しておきながら!まだこの子を利用するなんて!」


発光した手から魔力が漏れていた。じりじりと燃える魔力が、ハンスの髪を焦がし、ちぎれ、漸くその頭が解放された。上官になんて事をするんだと必死で姉の腕を抑え込むが、怒り狂ったアデルはまだハンスに怒鳴り散らす事をやめられないらしい。


「ふざけるんじゃないわよ!女を、エラを何だと思っているの!」

「ちょっと本当に姉様落ち着いて!」

「貴方もよ!軽々しく女を武器にするんじゃないわ!相手は男なの!力じゃ勝てないのよ?いくら貴方の力が強くとも、それは魔力だけ、腕力は私とそう変わらないわ!」


流石に鍛えているのでお姉様よりは強いですと反論する事は出来なかった。ぼろぼろと涙を零すアデルに、ごめんなさいと呟く事しか出来ない。


「お姉様のお怒りはごもっとも。ですが、ガルシアのおかげで、あの男が裏切者である事を掴めました。多くの目撃者を作る事も出来た。これで、反逆者を掴み、捕らえる事が出来る」

「国の為に女一人の純潔を犠牲にするくらいなんて事は無いと?」

「万が一何かあればすぐに止められるよう、必ず近くに誰か潜ませるようにしておりました。実家であるこの屋敷内ならば、使用人の方々も含め、大勢の目がある。あの男も無理矢理手籠めにするような事は出来ないと判断しております」

「それでも万全じゃないわ。真夜中に部屋に忍び込まれたら?まさか寝ずの番を置いていたわけなじゃいわよね」


エラに押さえつけられたまま、アデルはまだハンスを睨み続ける。黒く焦げてしまった髪の一部を見て少し動揺しているのか、声のトーンは少し落ち着いたようだった。


「その場合、驚いて攻撃してしまったと言い訳を使えます。攻撃してよいと指示をしております」


こくこくと何度も頷きながら、エラはお願いだから座れとアデルの体を引き寄せる。力負けしたアデルが不服そうにベッドに腰かけると、エラはぎゅうとその体に抱き付いた。


「お願いお姉様、怒らないで。笑っているお姉様が好きなの、笑って」

「笑えるわけないでしょうこの子は!」


ぐりぐりとエラの頭を掻き回しながら、アデルは今度はエラに標的を移したらしい。無茶をするなと言ったばかりなのにまた無茶をしたな、ずぶ濡れで震えて担ぎ込まれてくるとは何事だと怒鳴り散らしたところで、アルバートが扉を開いて入って来た。


「やかましいぞアデル」

「お父様も言ってやってくださいませ!この子全く懲りておりませんわ!」

「話は既に全て聞いた。ザッカリー中隊長殿からな」

「ああもう!あの方も殴っておくんでしたわ!」

「私がやっておいた」


何をしているんだと渋い顔をした娘に、アルバートは静かに頭を撫でた。


「お前がやっていたのはそういう事だったか」

「はい。お叱りはいくらでも」

「帰る場所を守りたかったのだろう。今アデルに相当言われたようだし、私はもう何も言わん」


ぽんぽんと頭を撫でながら、アルバートはおかえりと小さく笑った。もっときちんと叱ってくれと不服そうなアデルだが、父がそう言うのならと黙る事にしたようだ。


「王都はこれから騒ぎになるだろうな」

「反逆者は大物。騒ぎは相当なものになるでしょうね?」

「どうするエラ。残りのゴミは私がどうにでもしてやろう」

「…まさかここまで戯曲と同じ流れになるとは」

「陛下は本当に、夜空の戯曲がお好みだな」

「お望みならば、演者として出来るだけの事をしてさしあげましょうか」


にんまりと笑ったエラが、ゆったりとベッドから抜け出る。どうせ何を言っても無駄なのだろうと、アデルは溜息を吐きながら頭を抱えた。


「温かい恰好をしていきなさいな」

「はいお姉様。とびきり洒落た格好で演じてきますわね」


輝かんばかりの笑顔のエラを眺めながら、ハンスはやれやれと焦がされたばかりの髪をそっと撫でた。


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