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偽り

月を手に入れた男。月も権力には弱かった。そう言われるようになるまで時間はそうかからなかった。もうこの数日毎日のようにデンバーと共にお茶をし、食事をしている。昼間はのんびりと庭を散歩し、穏やかに談笑する事にも徐々に慣れてきたが、内心穏やかでいられる程エラは大人しくない。気持ち悪いと何度も思いながら、自分は貴方に頼り切りのか弱い女ですと微笑み続けるのだ。


「今日のドレスもよく似合っているな」

「光栄ですわ。姉の見立てですの」

「姉君はセンスが良いな。おまけに美人ときた」


にたりと笑うな気色が悪い。ひくりと口角が引き攣るのを必死で堪えながら、むくれたような顔を作ってデンバーから顔を背けるようにそっぽを向いてみせる。


「姉にまで気を移さないでくださいまし」

「何、お前の方が美しいに決まっているではないか」


歩きながらそっと肩に手を回し、可愛いヤキモチを妬いたと思ったのか酷く機嫌をよくするのは狙い通りだが、非情に気持ちが悪い。ぞわぞわと背中を虫が這いずり回るような嫌な感覚が襲うが、小さく喉を鳴らすだけで悲鳴は飲み込んだ。堪えろ、この男はいつか絶対に凍り付かせてパンだ。それまでの我慢、内側から叩き潰す為の準備は念入りに。狩りをするには準備を念入りにしなければならないのは常識なのだから。


「謹慎は解けましたのに、私はまだドレスなのですか?」

「良いではないか。どうせ明日からまた戦地に出るのだ。ドレスもこれで見納めかと思うと名残惜しい」


するすると肩から腰へ手を降ろすのが気持ち悪い。触るな今すぐにでも殺してやろうかこの肉団子と内心罵倒しながら、エラはそっとデンバーから距離を取る。


「明日から戦地となりますと、私はまた小隊長、中隊長と行動を共にするのですね」

「私が直々に動いても良いのだがな。奴らにも仕事をさせてやらなくては」


上に立つ者は気を使うんだと笑っているが、何をすれば良いのか分からないだけだろう。どうせ水面下ではまた人間が此方に入ってくるのを手助けしているのだろうが、残念ながらその現場を抑える事はまだ出来ていない。想定外だったのは、デンバーがエラに自分のやっている事を気軽に話さなかった事だ。人間を手引きしている事は勿論、誰とやり取りをしているのかすら話そうとしない。よく顔を見る部下と話している時は、エラは部屋から追い出されてしまう。きっとあの男も反魔王派なのだろう。あれを手籠めにしてしまえば話は進むだろうが、それではデンバーに怪しまれる。馬鹿だが何も分かっていない程馬鹿ではない。中途半端に頭を使える馬鹿程面倒なものは無いだろう。


「ずっと気になっているのですけれど…お伺いしても宜しいですか?」

「なんだ」

「私を王家から解放してくださると仰せでしたが、どうするおつもりなのです?我が国は変わる必要があるとも仰せでしたが…」

「か弱い乙女が気にする事ではない」

「この国を変えるべく尽力してくださる方がいらっしゃるのでしょう?もし解放された後、今度はそのお方に囚われる…なんて事にはなりませんわね?」


じっと見つめるエメラルドグリーンの瞳に、デンバーはうっとりとした視線を向ける。今にも口づけでもされそうな距離に本能的に身体が仰け反り、殴ってしまいたい衝動に耐える。


「一体何方なのです?何も知らずにただ全てをお任せするなどとても…」

「ここだけの話に出来るな?」

「勿論ですとも」

「現魔王の弟、ジェームズ・ウォード公だ」

「…まさか」


あり得ない、それではクーデターじゃないかと言いたげな顔をして、エラはよろよろと後ろに後ずさる。勿論この話は知っているし、上手い事利用されているのが目の前でにんまり笑っているデンバーである事も知っている。あくまで何も知りません、そんな恐ろしい話は今聞きましたなんて顔をして、真っ青な顔でデンバーを見る。


「我らは成人と同時に魔王と国へ忠誠を誓っているのですよ?それを…そんな…」

「誓いなど何になる。破ったところで何かあるわけでもない。勿論これは反乱だ。だが勝てば正義は我らにある」


破ったところでその身を引きちぎられるわけでもない。その身を呪われるわけでもない。形式的な物でしかないと続けながら、デンバーはにちゃりと歯を見せながら笑った。


「己と息子の為にうら若き二人の乙女を手中に収め、枯れかけていた威厳を回復しようと画策する…薄汚いではないか。必要のない者は切り捨て、一時の欲求で王が人間などという薄汚い生き物と交わり子を成すとは」

「アルフレッド・ハワードの事ですか」

「仲が良いのだったか?あれは混ざり者、お前のような美しき魔女が親しくする相手ではない」


あ、もう駄目だ殴りたい。ぎゅっと拳を握りしめただけに留め必死で耐えるが、引き結んでしまった唇はデンバーに見られている。これをどう誤魔化す?この数日大人しくしていたのが全て演技だと見破られれば全てが無駄になる。それどころか警戒され、近寄る事すら出来なくなるだろう。戯曲に頼らないならば、月の魔女だろうと関係なく殺すだろう。それは何としてでも避けなければならない。帰る場所であるアルフレッドが待っているのだから。


「あれは王家から送られた見張りです。私が何処へも行かないよう、見張るのが役目なのです」

「そうとも。自分の息子であろうとも、奴は何でも使う。薄汚い男の元でぺこぺこと頭を下げ、分不相応な仕事をさせられるなんて嫌に決まっているだろう?」


分不相応なのは認めるが、それはデンバーが大隊長として相応しくない、もっと下の平の平でも甘い程度の男であるという話だ。彼の中ではもっと上にいけるのにという話をしたいのだろうが、それこそ分不相応だ。


「助けてくださるのがウォード公だという事は分かりました。ですが、何故人間と戦争をしているこの時に…?公とて人間に攻め込まれているこの状況を良く思いませんでしょう?」

「何、人間が此方に来ている混乱を利用しているだけだ。国外に目を向けている隙に足元を掬ってやるのよ」

「人間と手を組んでいるのですか…?」

「利用しているだけと言っているだろう?あれらは馬鹿だからな。どうせ最後には潰されるのに、今は必死になって我らの為に働いている」


案外あっさりとベラベラ喋り出した事に驚くが、そこまで話して大丈夫なのかと逆に不安になる。聞いたからにはただでは済まさんという事だろうか。周囲には誰もいない、デンバーとエラの二人だけ。実際には離れた場所で隠れているハンスかザッカリーがいる筈なのだが、デンバー側の誰かがいてもおかしくはない。だが、話し始めたこの状況を逃せない。


「だから…テルミットに人間が入り込んだのですか?」

「そうとも。まあそれなりの犠牲は必要になったが、作戦は上手い事いっている。近いうちにこの地には多くの兵が集まるだろう。そうなれば、魔王側の戦力を一気に削れる」

「ですが、どうやって人間が入り込んだのです?あの時私たちが最前にいた筈ですのに」

「その最前の長は私だろう?」


落ちた。やった。これで此奴が裏切者であるという言質は取った。まずはそれだけで良い。頼むからこの会話をきちんと上官たちが聞いていてくれと願いながら、エラは口元を両手で覆ってみせる。


「私共の、地図ですね…?」

「そうだ。利用した事は謝ろう。だがあれは大いに役に立ってくれた。我々の知らない細い道すら正確に載っているのだから」

「その口ぶりからすると、まだ人間たちはこのテルミットに潜んでいるのですね?」

「そうだが…先程からやけに突っ込んで聞いてくるな?」

「貴方様の事を良く知りたいと思ったのです」


まずい、深入りしすぎた。何とかこの場をやり過ごさなければ。どうすればいい、この男は自分の見た目を気に入っている。女として見ているのなら、女を使ってやるのが一番話は早いか。


「この先長い時間を共にするのです。ならば、知りたいと思うのは自然な事ではありませんか?」


そっとデンバーの丸い手を握り、出過ぎた事をしましたと小さく詫びて見せる。どうだ、これで少しは機嫌を直してくれ頼むからと願いながら、ちろりと上目遣いでデンバーの顔色を伺う。むふと鼻の穴を膨らませ、にんまり笑ったデンバーがそっとエラの手を握り返した。


「可愛らしい事を言うでは無いか。では、望み通り教えてやろう。今夜私の部屋に来るがいい」


それは絶対に嫌だ!

ひくりと引き攣った唇を必死で緩めながら、エラは恥ずかしそうな顔をしてそっと顔を背ける。


「仮にも王家の所有物ですもの。まだそれは…全てが収まりましたら、その時に」

「慎み深い女は好きだ。良いだろう、早々に終わらせてやらねばな」


終わった頃にはお前は肉塊だ!内なるエラがそう叫んだところで、この地獄のような時間は唐突に終わりを告げる。


「何をしているのですか」

「お父様!」


背後から聞こえた不機嫌そうな父の声。パッと振り返り、いそいそと父の後ろへ隠れると、アルバートはじろりとデンバーを睨みつけた。


「我が娘に、何か」

「何、上官と部下のちょっとした他愛もない会話をしながら散歩を楽しんでいたまで。明日からまた忙しくなりますからな」


では失礼とそそくさと逃げていくデンバーを見送ると、アルバートはこめかみに青筋を浮かべながら背中に隠れたエラを睨みつけた。


「何をしている、お前は」

「この国の為、テルミットの為に戦っております」

「男に…しかもあのように下衆な男にか」

「今は話せませんが理由があります。ご安心を、私は親に顔向けできないような事はしておりません」

「充分している。女を武器にするとは…!」

「お父様、どうかお怒りにならないで」


わなわなと震えながら娘の肩を掴む父の体に抱き着き、怖かった、気持ちが悪かったという感情を落ち着かせるように息を吐く。


「リアムとアデルが知らせてくれた。何か良くない事をしているようだと。まさかあのような…」

「お父様、そのまま私に説教をしたまま聞いてくださいませ。あれは裏切者、テルミットに人間が忍び込んでいる」


ぎくりと体を揺らしたアルバートが、娘の言う通り小言を繰り返し、娘の体をきつく抱きしめる。エラの顔を隠し、何処で誰が見ていてもエラが呟き続けている事を知られないように。


「この地を血で汚してしまう事をお許しください。でも私はこの地を愛しているの。大好きなお母様が眠るこの場所を守りたい。だから今準備をしているわ。どうかお願い、お父様は私たちを守って、助けて」

「何も知らない小娘が…そう簡単に男に身を寄せるなんて馬鹿な事をするんじゃない!母の思い出が溢れるこの庭で!」

「私は月の魔女、帰る場所も出来たの。だから私は大丈夫、いつだって強くいられる。あの人の所に笑って帰りたいの。なんにも持たない王子様の所に」


アルバートが息を飲む。そっと離された体と、信じられないと言いたげな顔に、エラは優しく微笑んだ。


「あの人と一緒にいたいの。だからお父様はどうか見守って」

「…お前の、望みなんだな」

「そうよ。望みの為に出来る事をするの」

「…わかった。全てが終わったら、その時にまた話をしよう。頼むから、危ない事をしてくれるな。父の寿命が縮んでしまう」

「あら、それは困りますわね」


くすくすと笑いながら、エラはぐるりと庭を見まわす。大好きな母と何度も歩いたこの庭で、思い出に溢れているこの場所で、エラは愛した人に「愛している」と囁かれた。何度も考えて漸く気が付いたこの感情は、アルフレッドに抱えた愛なのだ。アルフレッドを守りたい、共に生きる人を守りたい、この地を守りたい。守る為に出来る事はなんだってしよう。たとえどれだけ気持ちが悪くとも、恐ろしくても、やらねばならないのだ。


「リアムとアデルが心配している。今夜は家族だけで食事をしようか」

「…本当はね、あの人と食事するの嫌で仕方なかったの」


小さく耳元で囁いた娘に、アルバートは腹を抱えて大笑いする。楽し気な親子の姿は、屋敷の窓から覗き見る数人に親を懐かしく思わせていた。


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