白銀の魔女
遠くから衝撃音らしき轟音と、助けを求める悲鳴が聞こえる。それに反応したアルフレッドが、誰よりも早く音の方向へ走り出した。アイザックが止める声にも耳を貸さず、ただひたすら音のする方向へ走って行く。
あれはきっとエラだ。遠くに聞こえるあの轟音に、聞きなれたバキバキという氷を生み出す音がした。何処にいる、何故こんな夜に戦っている。今夜は満月じゃないか、きっと無理をしているに違いない。一人で戦っているということは無いだろうが、それでもきっと無茶な戦い方をしている筈だ。
「エラ!」
叫んだ。何処にいる、返事をしろと何度も祈りながら、何処に敵が潜んでいるのかも分からないこの状況で、アルフレッドは叫びながら走り続けた。
暫く鳴り響いていた轟音が、突如静まり返る。頼むから居場所を示す何かを作り出していてほしい。空高くそびえる氷の柱でも、名前を呼び続ける自分の声に反応するでも、何でも良いから。
「エラ!どこだ!」
声に反応は無い。ザクザクと凍った雪を踏みしめる自分の足音。愛しい人の名前を呼ぶ自分の声と、荒くなった呼吸音。この広い雪原で迷ってしまわぬよう、アルフレッドは雪煙の立っていた方向だけを見つめて走り続けた。
それは突然だった。周囲に漂う鉄の匂い。思わず口元を腕で覆った。目の前に広がっているのは、地獄と言うに相応しい光景だった。無数に地面に突き刺さっているのか、そこから生えているのかも分からない氷柱の群れ。白銀を汚す鮮やかな赤。その中心に一際高い氷柱が立ち上がり、そこからだらりと真っ白な何かがぶら下がっている。
「何だ…これ」
ぽつりと零した疑問はすぐに解決した。見たことがあるからだ。勿論こんなにも酷い情況ではない。記憶にあるのは赤なんて見当たらない美しい氷の世界だったはずなのに、今目の前では鉄臭い赤がじっとりと主張していた。徐々に頭が冷静さを取り戻す。この赤が血液で、点々と転がった何かは肉の塊、人間の残骸である事を理解する。思わず胃の中身が競り上がってくるが、アルフレッドは必死で堪えた。
この惨状を作り上げたのは絶対にエラだ。ならばそのエラは何処にいる?満月の夜にこれだけ力を使えるのは素晴らしい事だが、その分反動で眠ってしまう彼女の姿が何処にも見当たらない。肉塊の中に紛れているのだろうか。それは絶対にない、だってこの氷の群れを作り出した術者が自らを肉塊に変えてしまうなんてあり得ないのだから。
「エラ…?」
チカチカと視界の端で何かが煌めく。それが上の方で煌めいている事に気が付き、そっと視線を上に向けた。満月を背にした巨大な氷の柱。そこから垂れ下がる真っ白な何か。それが何なのか分からなかったが、じっとそれを見つめているうちに気が付いた。
先程まで何度も名前を呼び続けていた女、エラだ。何がどうしてそうなっているのか分からない。分からないが、確かにエラは柱の天辺で意識を失っていた。
どくどくと心臓が早鐘を打つ。じっとりと嫌な汗が背中を伝う気がした。
「エラ!何してる!」
声を張り上げ、必死で氷の柱に縋った。もちろんその柱はつるつるとアルフレッドが登ろうとするのを拒絶し、大切そうにエラを守っているように思えた。
忌々しい氷めと怒りに身を任せて蹴りつけるが、勿論びくともしない。
「エラ!起きろ、降りてこい!」
せめて声が届いていればと願いながら、アルフレッドは何度も何度もエラの名を叫び続けた。それでも動かないエラは、もしかしたら息をしていないのではないかと嫌な想像をした時だった。
「アル!何だよこれ!」
後ろからアイザックの声がする。惨劇に驚きながらも、アルフレッドが縋りついている氷の柱が何なのかを理解したらしく、同じようにエラの名を叫んだ。仲間の誰かが耐え切れずに胃の中身をぶちまけたようだが、二人はそれに構っている場合ではない。
「お嬢!頼むよ起きてくれ!」
「エラ!迎えに来た!起きろ!」
ガンガンと拳が痛む事も気にせず、二人で柱を殴りつける。
パキンと甲高い音がした。
それが何の音なのか理解するよりも早く、氷の柱はキラキラと美しく散り、支えを失ったエラが落ちてくる。
「やばい!」
「ザックどけ!」
邪魔だとアイザックを押しのけ、無防備に落ちてくる白銀を何とか抱き留めたアルフレッドは、支えきれずに地面に倒れ込んだ。
腕の中に納まるエラが、うっすらと目を開けた。ずっと見たかった、エメラルドの瞳。生きている事に安堵したアルフレッドとアイザックが、もう一度優しくエラの名を呼んだ。
「アル…ザック…?」
「迎えに来たよ」
「おはようお嬢」
アルフレッドにそっと頭を撫でられ、漸くエラの意識は覚醒する。勢いよく二人の首に腕を回し、しっかりと捕まえるように抱きしめた。
「生きてる!二人とも生きてる!」
「当たり前だろー。ほらお嬢、流石に俺この体勢苦しい」
ぱしぱしとエラの腕を叩きながら、アイザックはいつものように間延びした声で笑った。まだ捕まったままのアルフレッドは、嬉しいような、恥ずかしいような複雑そうな顔をしているが、ずっと心配していた二人が揃って笑ってくれている事に安堵したエラは、今にも泣き出しそうな顔で涙を堪えていた。
「無茶しすぎだ。動けるか?」
「大丈夫」
アルフレッドから体を離し、立ち上がろうとしたエラが、呆然と此方を見ている人影に気付く。その瞬間、二人を守るように前に出ながら男たちに叫んだ。
「まだいたかゴミ共!」
パキパキと氷を生み出しながら、エラは威嚇するように叫ぶ。髪が淡く青白く発光し、本気で目の前の男たちを攻撃しようとしている事に気付いたアルフレッドが慌ててエラの体を抱き戻した。
「消え失せろゴミ共!お前らなんぞがこの地を踏むな!」
「待て、あいつらは仲間だ!」
抱きしめられてもまだ叫ぶエラに、アルフレッドが必死で声を掛ける。落ち着け、大丈夫だからと何度も耳元で囁き続けながら、食って掛かろうとするエラの体を押さえつけた。アイザックも慌ててエラの前に立ちはだかり、怯えている仲間たちを庇う。
「どうしたお嬢、落ち着こうぜ、な?」
「退けザック!人間なんか嫌いだ!お前ら全員そこの肉塊と同じにしてやる!」
「俺だって殆ど人間だ!アルだってそうだろ!どうしたんだよ本当に!」
エラの剣幕に気圧されながらも、アイザックはゆっくりとエラとの距離を縮めていく。アルフレッドに遠慮して抱きしめる事はしないが、視界から仲間たちを外すように体を寄せた。
フーフーと荒い呼吸を繰り返しながら、エラは怒りをぶちまけるように人間への恨みを吐き連ねた。
よくも我がテルミットを汚したな、よくも友人を、同胞を殺してくれたな、お前たちのせいで。支離滅裂な叫びは、徐々に勢いを失っていく。ボロボロと涙を流しながら、背中から自分を抱きしめているアルフレッドに体を預け、わんわんと声を上げて泣いた。
「…何かあったんだな」
「あめ、アメリアが!アメリアが殺された!人間共に!」
泣きながら話す内容に、アルフレッドとアイザックは息を飲んだ。自分たちもよくしてもらった友人が、この地で死んだ。守れなかったと泣き叫ぶエラが、体を丸めてごめんなさいと何度も何かに詫びる。きっと亡くしたばかりの友人に向けているのだろう。
「何が月の魔女だ!何が最強の盾だ!守れなきゃ何の意味もないのに!」
使いこなせもしないこんな力なんか要らない。昔から何度も言っていたその言葉が、今は悲痛な叫びとして雪原に響いた。
「嫌だ、もう嫌だ。何でアメリアが死ななきゃならなかった?私がもっと周囲を警戒していれば、後方部隊を潰されるなんて事にならなかったのに」
ひぐひぐとしゃくりあげながら、エラは静かに言葉を零す。もっと強く上官に警戒すべきだと進言すべきだった。地元なのだから、もっとしっかり警戒しておくべきだった。防壁を張るように氷の壁でも作っておけば良かった。そうすれば、アメリアは死ななかった。そんな言葉を吐き続けるエラを、アルフレッドはきつく抱きしめた。
「エラのせいじゃない。この肉塊たち、元は人間なんだろ?仇なんだな?」
こくこくと頷きながら、エラはまだ涙を零し続ける。よしよしと頭を撫でてやるアイザックが、今更ながら口元を抑えた。
「やられたのはエラのせいじゃない。もっときちんと仕事をしなかった上官の責任だ。エラは仇を討った。それで良い」
「でも…でも…!」
「新米のエラが何か意見したとして、聞いてくれるようなお優しい上官殿か?もしそうなら、きっと最初から警戒網を広げてる。そうじゃないから犠牲が出た。エラに何が出来た?」
諭すように優しく語り掛けるアルフレッドの声が、エラの耳元で心地よく響く。優しくて大好きなテノールの声。それを聞いているだけで、不思議と気分が落ち着いてきた。まだ鼻をすするのは止まらないが、落ち着いて周囲を確認する余裕が出てきてくれた。
無残に転がる肉の塊。夥しい数の氷柱の群れ。恐怖に引き攣った顔を向けるのは、皮一枚で胸元と繋がる人間の頭だった。
これを自分がやったのか。いくら同胞の仇とはいえ、自分たち魔族と同じような見た目をしたこの人間たちを、ここまで無残に殺したのか。
胃の辺りが熱い。口の中に唾液が溜まる。気分が悪くて仕方なかった。
見なくて良いとアルフレッドが目元を手で覆い隠してくれたが、鼻にこびりついた鉄臭さが消えてくれそうになかった。
「よく頑張った。エラの陣は何処?合流しに行こう」
あっちと指差した方向から、ぞろぞろと人影が此方に歩いてくる。一瞬警戒したアルフレッドとアイザックだったが、それがファータイルの軍人だと気付くと、力なく笑った。この惨状をどう説明しよう。ぐったりと眠ってしまうエラを揺さぶりながら、アルフレッドは深く息を吐いた。




