心の奥底
アルフレッドとアイザックが別れの挨拶をしに来てから数ヶ月。あれから友人たちからの手紙は無い。きっとまだステプで動いているのだろう。彼らの無事を祈りながらも、エラは変化に巻き込まれ始めていた。
「久しぶりだねぇ、エラ」
「まだ寒さに慣れない?」
寒そうに体を縮こませるアメリアと顔を合わせるのは久しぶりだ。同じテルミットに配属となったが、アメリアは後方支援部隊、エラは前線部隊配属だ。おかげで、普段は山の中と麓に分かれて仕事をしている。
「もう何回目の冬か分からないけれど、やっぱり寒いのは苦手だよ…」
「そんなに分厚い防寒着着てるのに」
くすくすと笑ってやっても、アメリアはまだ寒いと首元の布をぐいと口元まで引き上げた。エラは防寒具を身に付けず、規定の軍服を着ているだけだ。その姿を見ているだけで寒いと小言を言われる事にはもう慣れたが、この寒さに強いという体質は正直有難い。もこもこと着ぶくれしていると動き難くて仕方ないのだから。
「さて、これで支援物資はおしまい。確認よろしくね」
「はい確かに。えーっと食糧がこれで…ちょっと待って、武器の補給これだけ?」
「仕方ないよ、殆ど北に持って行かれてるんだから」
「それにしたって…爆薬なんかどれだけあっても足りないのに」
「炎の術者多いんだから何とかなるでしょって。酷いよね、自分たちは安全で温かいお屋敷の中から指示出すだけなんだから」
ぶつくさと文句を言いたくなるのも仕方ない。いよいよ厳戒態勢を敷き始めたこの国では、お偉方というのは屋敷に籠りたがる。寒い土地で元気に先頭に立って指示を出す者は精々大隊長クラスまで。その上となれば、前線に立った経験すら怪しい者ばかり。いつかそうなる筈の元同期達は、まだまだ新米で皆現地で戦う者ばかりだった。
「精霊が嫌がるから爆薬はあまり使うなって上からの指示。北は特別に許可が下りて大量に持って行けたみたいだけれど、それでもやっぱり足りないみたいだよ」
「最前線は北になるだろうしなあ…仕方ないか」
そう溜息を吐いても、周囲でその話を聞いている他の隊員たちはエラをちらちらと見る。どうせ、この土地にはエラがいる。最強の盾として育てられた女がいるのだ。お前がいるから充分に武器も与えられないと文句を言いたいのだろう。その視線に気付いているアメリアが困ったように視線をうろつかせるが、向けられている本人のエラは大して気にしてもいない。慣れているのだ。
自分がいるから大丈夫。お前がいるならこの地は安心だ。何かあればお前が誰よりも前に出てくれるだろう?
そんな言葉を言われたのは、ほんの数日前の事。エラが普段行動しているのはザッカリー中隊ハンス小隊。中隊長であるザッカリーと小隊長であるハンスは信用できる上司であるが、更にその上である大隊長デンバーは駄目だ。軍人としてそれで良いのかと言いたくなる、でっぷりと太った体。いつ見ても何か食べている姿しか見ないその男は、自分よりも上の立場の者にはしっかり媚を売るが、下の者は自分の奴隷とでも思っているらしい。
「お前がいるのなら、俺は何があっても安全だな」
そうげらげらと口の端から食べ物の欠片を飛ばして笑う男が、エラは大嫌いだった。
「おい、行くぞ」
「はい先輩!じゃあね、エラ。無理しないで」
「うん、アメリアもね」
どうか無事で。そう笑い合う女たちは、ぐっと固く握手をしあった。
◆◆◆
警戒をするのは悪い事ではない。いつ何が起きても対応できるよう、最大限の努力をしておくことは、いつかの自分を救う事になる。そう言ったザッカリーは、誰よりもよく動いていた。上に立つ者はただふんぞり返っていれば良いわけでは無い。誰よりも自分が動き、付いてきてくれる者へ背中を見せるべきだといつでも言う。時折それがうざったく思う時もあるが、隊員たちは皆ザッカリーを尊敬し、信じてついて行く。
たとえ、真冬の山で吹雪に体を震わせようとも。
「流石にこれは冷えるんじゃないか?」
「そうですね…流石に一枚着ました」
「それでも秋用か」
くっくと喉を震わせるハンスは、しっかりと真冬仕様の分厚い防寒具姿だ。鼻先は寒さで真っ赤になっているし、出来るだけ肌を露出しないように小さく縮こまっている。どこもかしこもそんな隊員ばかりで、この数日のエラは率先して周囲の見回りをするようになっていた。有難がる隊員も多いが、その姿を見るとザッカリーは面白くなさそうな顔をするのだ。
「新米に任せきりにするとは…」
「私の唯一とも言える長所ですから。大隊長は何かあった時にすぐ動けるよう待機してください」
「偉そうに」
げしっと軽く脚を蹴られるが、その顔はありがたいとも、申し訳ないともとれる複雑そうな顔。そろそろもう一度周囲を見まわっておこうと、エラは軽く会釈をして歩き出す。
簡易テントの周囲はエラが作り出した氷の壁で囲っており、テントに吹き付ける吹雪は最小限に抑えてあった。それでも寒いものは寒く、隊員たちは体力を消耗しないようにじっと大人しくしたままだ。体が冷え切らないように火の傍を離れられないのも仕方のない事。どこまでも氷に愛された女だと自嘲しながら、エラはぎゅっぎゅと雪を踏みしめながら歩き続けた。
どこまでも広がる雪原。木もそれなりに生えているが、周囲は真っ白に染まっており、どこに木があるのかさえ分からない。自分のいる場所が何処で、隊が何処にあるのか分からなくならないよう細心の注意を払いながら、慣れた足取りで雪を踏み固める。
今頃ステプはどんな季節なのだろう。山を越えてすぐならば、此処と同じように真冬なのだろう。こんな雪の中でくたばっていないだろうか。あの二人は無事だろうか。そんな事を考えるのは、見回り中のエラの日課になっていた。最後に会ったあの日が本当の最後になったらどうしよう。もしそうなったら、私の居場所は…?考えてはいけない。ぐるぐると考えてしまうのは宜しくない。
「んぐっ」
こうして隙が生まれるからだ。
口元を抑え込まれ、反応するより先に体を抑え込まれる。何が起きたと視線を周囲に向けるが、真白な世界では何が起きているのか掴み切れなかった。
地面に押さえつけられた体を必死で捻り、抑え込んでいるのが何なのかを確認する。どうやら人のようだが、防寒具と布で覆われた顔ではそれが男であるということしか分からず、誰なのかは分からない。まだそう遠くまで歩いていない。誰か気付いてくれと必死で雪を叩いた。
バキバキと音を立てて空へと伸びて行く氷の柱。誰かが気付いてくれるように、出来るだけ太くて高い柱を。望む通りにそそり立ってくれた柱を見上げるエラを押さえつける男が、小さく声を漏らした。
「あたりだ」
あたり。当たりとは何だ。抑え込まれた腕を握りしめ、その肉を凍り付かせる。悲鳴を上げまいと必死で唇を噛み締めているのか、男からはくぐもった声しか漏れて来ない。いつの間にか周囲は何人もの人影が囲んでいるが、これが味方ではなく敵である事しか分からなかった。
「何者だ貴様ら!」
腹の底から響く声。よくも私に触れたなと怒りを露わにし、エラは周囲へ魔力を放出してみせた。ただでさえ吹雪で凍えているのに、更に足元はごつごつとした氷が出現するのだ。寒さと恐怖でカチカチと体を震わせる者もいるが、エラはそんな事に構っている場合ではない。
ここである程度撃破し、一人だけ陣に持って帰る。それともすぐさま離脱し、陣へ報告すべきか。それとも柱に気付いた誰かが助けに来るのを待つべきか。
じりじりと周囲の敵へ威嚇するように魔力を放出したまま、エラは視線を走らせ続けた。
「連れて帰れ」
「こいつがいれば俺たちは遊んで暮らせる」
「こいつが当たり」
「北は外れ」
何を言っている。何が当たりで何が外れだ。そもそも獲物を前に何をぶつぶつ情報を落としてくれているのだ。じろじろとエラを舐めるように見つめる視線が鬱陶しくて堪らない。
「…お前たちステプの人間か?」
「魔王の愛人に教えてやるとでも」
「それが答えだな。で、誰があのクソ野郎の愛人だって!」
ダンッと苛立った気分のまま雪の上に足を振り下ろす。真直ぐに伸びた氷は、自分を魔王の愛人と言った男を一瞬で凍り付かせる。このまま手を叩けば、氷ごとその体は砕け散るだろう。人間に容赦してやるほど、エラは優しくない。お前たちが此方に攻めてくるから、何度でもその愚かな行為を繰り返すから、この国は私のようなただの女を月として求めるのだ。
「お前たちがいるから」
人間なんかがいるから。
「私は普通でいられない!」
バキンと鈍い音が響く。仲間が氷と共にバラバラに砕ける瞬間を目にした男たちは、怯えたような声を漏らしながらエラを見据える。お前たちがいなければ。お前たちが此方に来なければ。お前たちが、人間なんかがいるから。
その怒りを収める事が出来なかった。大人しくしてさえくれれば、もっと平和に、仕方なしに月としていられたのに。腐れ縁たちはステプなんて場所に行かなくて良かったのに。あの日の楽しい語らいをもっと楽しく、長く続けることが出来たのに。
「大嫌いだ」
これが答えだ。
ここ暫く抱き続けていたもやもやとした感情。その答えがこれ。心の奥底から思った。人間なんていなければ、私はもっと普通でいられる。この世界が魔族だけの国になってくれれば、かつての平和な治世を想って謳われる戯曲なんて廃れてくれるかもしれないのに。そうなれば、アルフレッドの傍にずっといられたかもしれないのに。
会いたい。あの人に、何も持たない優しくて少しだけ意地悪なあの人に会いたい。
「エラ!」
「くそ…引け!」
背後から聞こえるザッカリーの声。逃がすなという号令に、男たちが一斉に逃げていく敵を追いかける。すぐにあの人間達は捕まるだろう。
「ああ…最悪」
ぽつりと零した言葉は、怒号の嵐に消えた。




