重たい王子様
外出日は皆朝から浮かれている。前夜から浮かれている者もいるが、二か月に一度の外出ならそうなるのも無理はない。当日は何処に行って、何を食べよう。楽しい一日を思い浮かべながら訓練に勤しむのは、一年目の頃から変わらない。
「お待たせ」
「俺も今来た。…なんか雰囲気違うな?」
「そう?実家から送られてきたから、着ないと勿体ないかなと思って」
変?とくるりと一周回ってみせたエラは、モスグリーンのロングスカートに白いブラウス姿だった。いつもより少しだけ踵の高い靴を履き、髪はアメリアにでもやってもらったのか、サイドの髪が可愛らしく編み込まれていた。ぶんぶんと首を振りながら、アルフレッドはそんなエラからさっと視線を逸らす。口元を抑えているのは笑いを堪えているからだと判断したエラは、面白くなさそうにむくれて踵を返す。
「どこ行くんだ」
「着替えてくる」
「何で!折角可愛いのに!」
慌ててエラの手首を掴み、絶対に宿舎に戻らせまいとその腕を軽く引く。思わず出てしまった素直な感想が非常に恥ずかしいが、折角可愛らしい恰好をしてきたエラが普段通りパッとしないパンツスタイルに戻ってしまっては勿体ない。まだ眉間に皺を寄せているエラがじろりとアルフレッドを睨むが、「可愛い。ほんとに、似合ってる」と何となくぎこちない言葉でなんとか宥めようと必死になってしまう。
「可愛いとかアルが言うんだ?」
「え、駄目か?」
「普段じゃじゃ馬とか問題児扱いしかしないから…あ、もしかして頭打った?熱ある?」
「失礼だなこの我儘娘!」
いつも通り頭を掻き回してやろうと手を持ち上げたが、アルフレッドはそのまま動きを止める。やられてなるものかと自分の手で頭を押さえているエラが、いつまでも動かないアルフレッドを怪訝そうに覗き込む。
自分の胸元程度しかない身長。うっすらと化粧をした普段と雰囲気の違う顔。キラキラと輝くエメラルドグリーンの瞳。さらさらと風に揺れる白銀の髪。どうしたと小首を傾げるその仕草が、素直に「可愛い」と思わせるには充分な破壊力を持っていた。
普段バカ騒ぎをする仲間として見ていたが、本来エラは可愛いのだ。少々釣り気味の目はクールな印象を与えるが、笑った顔はいつだって可愛いと思って四年間過ごしてきた。それが今はどうだ。二人で出かけるを分かっているのかいないのか、いつもより可愛らしく着飾ってくれている。
「俺の為に着飾ってくれている」と意味の分からない勘違いをしてしまいそうになるが、どうせエラにそんなつもりは無いのだ。実家から新しく服を送ってもらって、着ないのは勿体ないから着てきただけ。その服に合うようにと、同室の女子二人が手を加えてくれたのだろう。
「本当にどうした?体調悪いなら寝てる?」
「いや、元気。大丈夫」
「何で片言なんだよ…」
ふうと息を吐いたエラの頭越しに、女子エリアの窓から顔を覗かせるサラとアメリアが見える。二人揃って真顔で親指を立てて見せてくるのは何なのだ。エラは背中を向けていて見えていないが、アルフレッドはひくりと口元を引き攣らせた。
◆◆◆
ここ暫く同期達は何だか可笑しい。アイザックも含めた三人でいる時は変わらないが、アルフレッドとエラの二人でいる時は、やけに距離を置かれたり、遠目ににやにやと観察されたりする。エラはそれに気付いていないようだが、アルフレッドはそんな同期達に居心地の悪さを感じていた。
理由は分かりきっていた。アルフレッドはエラを恋愛対象として見ている。そんな噂のせいだろう。
「あ、ちょっと待って買い忘れた」
「何忘れたんだ?」
「髪紐。この間殆ど千切れたんだった」
エラの髪は腰まで伸びた。邪魔だといつも文句を言うが、真直ぐな白銀の髪はさらさらと揺れている。切らないのかと聞いてみた事があるが、毛先まで魔力を纏わせる練習に丁度良いのだと、よく分からない事を言われたなと、アルフレッドは思い出す。
「じゃあさっきの雑貨屋か?」
「そう。ちょっと戻って良い?」
ちろりと視線を向けるエラは申し訳なさそうだが、身長差のせいで自然と上目遣いになるのはアルフレッドの心臓に悪い。どきりと跳ねた心臓に気付かないふりをしながら、アルフレッドは快く了承の返事をした。
王都の中心街は賑やかだ。道もよく整備されているし、店の者たちは皆楽しそうに商売をする。時折路地に生活に困窮しているであろう者がこそこそと隠れているが、大通りを歩いていさえすれば安全だ。それを知っているエラは、すたすたと目的の店を目指して歩いている。折角二人きりで外出しているというのに、凡そデートという雰囲気になりそうにない。意中の相手にその気が無いのだから仕方ない事なのだが、アルフレッドは自分からデートのつもりだったとか、そういう事を言えるような男ではない。
そもそもこの恋心をエラに伝えるつもりなど無いのだ。いつかエラは月の魔女としてこの国で崇められる。そんな美しき魔女の隣にいるのは、自分のような半端者ではないと思っているし、確実にエラよりも先に老いて死んでいく。そうなった時、エラはきっとあの美しいエメラルドグリーンの瞳が溶けて消えてしまうのではないかと思う程に泣くのだろう。それを考えると、簡単に好きだなんて言葉を伝える気にはなれなかった。
もっと普通の女の子だったら良かったのに。
俺が純粋な魔族だったら良かったのに。
いつかこの子は、自分でもアイザックでもない誰かと添い遂げるのだろうか。見知らぬ男の隣で幸せそうに微笑むのだろうか。もしもそうなった時、俺に居場所はあるのだろうか。許せるだろうか。笑ってやれるだろうか。
そんな、どろどろと重たい感情が溢れて止まらない。想像しただけでこんなにも嫉妬に狂ってしまいそうになるのなら、いっそ伝えてしまえば良いものを。そう自嘲気味に口元を緩ませて、アルフレッドはそっとエラの腰に手を添えた。
「人が増えてきた。ぶつかるなよ」
「子ども扱いしなくても…見た目はこんなでも、アルと同じ十九歳だからね」
「チビが何か言ってる」
「無駄に伸びやがって…」
悔しそうな顔をしても、腰に添えられた手を嫌がる素振りは無い。ここ数年訓練生として生活していても、元々御令嬢だったせいかエスコートには慣れているようだ。過去にこの子のエスコートをしたのは誰だろう。その手を今すぐ落としてしまいたいなんてまた頭のどうかしている事を考えて、アルフレッドは大きく息を吐いた。勿論、それが聞こえたエラはまた眉間に皺を寄せながらアルフレッドを見上げるのだ。
「髪留めは?たまには飾り気があっても良いんじゃないか?」
「訓練中にそんなの着けてたら壊すのが怖くて動けない」
なんでもない顔を作り、エラを見下ろす。折角可愛らしいのだから、もう少し色気というものを覚えても良いと思った。訓練中は難しくとも、こうして外出する日なり、休日や自由時間にちょっと髪留めを付けるくらい良いだろう。ふと目に入ったアクセサリーショップのショウウィンドウを指差してみるが、エラはあまり興味が無いらしい。年頃の女の子なら目を輝かせるだろうに、エラは普段から髪を纏めるのも適当な皮紐だ。魔力を一気に解放するとそれすら引きちぎってしまうからと、アルフレッドの提案に首を横に振った。
「指輪とか」
「剣握るのに邪魔だろ?」
「右利きなんだから、左手に嵌めたら良い」
「テルミットで金属なんか身に付けてたら即凍傷だよ」
苦笑されて漸く思い出す。テルミットは一年の殆どが冬の土地。真冬になれば吹雪く日だってあるし、身を突き刺すような寒さが当たり前。装身具を欲しがらないのは、そういう土地で育ったせいもあるのだろう。
「寒さに耐性あっても凍傷になるんだな」
「私を何だと…ああでも、ピアスは好き。外に出る時は筈すけど、屋内に居る時は付けてた」
エラはそう言いながら、ほらと耳を見せる。耳たぶに小さな穴の痕。もう数年付けていないから塞がってしまったと笑っているが、ドレスを着る事があるのならもう一度開け直す事もあるだろう。もしそうなったら、こっそり似合いそうな物を見繕ってプレゼントしても良いかもしれない。
「まあ、本当に私は自分を飾る事に興味無いから」
「ふうん…折角美人なのに勿体無いな」
ぽろりと零してしまった本音に、エラはぽかんと口を開ける。一瞬の間を置いて真っ赤に染まった顔が、アルフレッドを凝視した。本当に今日の腐れ縁は様子が可笑しい。ぱくぱくと魚のように口を動かし、何も言えないままエラは黙り込んだ。耳まで真っ赤に染まっている顔は何となく新鮮で、その顔がアルフレッドの意地悪な部分を刺激した。
「いつも男連中とばっかりつるんでるから女らしいところを忘れるんじゃないか?」
「うるっさいな!別に飾り立てなくても良いだろ必要不可欠なわけじゃないんだから!」
「似合うと思うんだよなあ。ああほら、あんな感じの飾りのついた髪紐とかどうだ?」
ショウウィンドウの奥に飾られる、輪の付いた髪紐。恐らく銀製のそれは、細かく透かし模様が彫り込まれた見事な物だった。紐の部分で髪を纏め、輪を開いて紐を隠すように留めるのだ。最近流行りのものらしいが、それはエラも僅かに興味を持ったらしい。
要らないと言いながらも、こういった細工を見るのは好きなのだろう。普通に女の子らしいところもあるんだなと口元を緩ませ、アルフレッドはエラを置いて店の中へ入る。外からそれを見ていたらしい店主が、にこにこと微笑みながらアルフレッドを迎え入れた。
「いらっしゃいませ。あちらの髪留めですか?」
「ええ、あれをください」
「畏まりました」
「ちょ、っと…!何してるんだよ!」
慌てて追いかけてきたエラが要らないと何度も首を振るが、奥から新しい物を持ってきた店主は更に微笑まし気ににこにことそのやり取りを眺める。代金を支払ったアルフレッドがそれを受け取り、「まあまあ」と宥めながらエラの髪をゆったりと纏める。アメリアが編み込んだのは髪のサイドだけで、後ろ髪はいつも通りサラサラと揺れる。そこを一つに纏め、購入したばかりの髪留めを飾った。緩く結ばれた毛束を、エラの左肩から前に垂らしてやる。くるりと前を向かせ、うんと頷いたアルフレッドは満足げだ。
「似合うじゃないか」
「ええ、とてもよくお似合いですよ」
「ええ…何してんの本当に…良いよこんな高いもの」
「一回支払ったものやっぱり返品なんて格好悪い事させないでくれよ」
にんまり笑ってみせれば、エラはそれ以上何も言えないのか、困った顔をしながら毛束を弄ぶ。もじもじと恥ずかしそうにしているその姿は、普段荒々しく戦う少女と同じ人物だとは思えない。小さく「ありがとう」と礼を言うと、更に恥ずかしそうにその場で俯いてしまった。
「よし、買い出しの続きをしよう」
意識してもらえない不満をほんの少し解消した気分で、アルフレッドは再びエラをエスコートする。カランカランと控えめに鳴る店のカウベルの音が、何となく心地よかった。




