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五章  『邂逅』  −1−

(天界へ戻る時とは少し違う。何処かへ飛ばされているのか?一体何処へ?一体誰が?何のため?)

 彼女は一瞬の闇の中で、そんなことを考えた。

 そして、体が落ちていく感覚が無くなると、目の前に世界が広がった。

 あたり一面岩だらけの荒涼とした大地。

 赤茶けた風が吹いている。

「すみません。貴方はこの世界の人間ですか?」

 不意に背後から声が聞こえる。 

 彼女はいつでも剣を抜けるようにしながら、振り返った。

 そこには黒い長髪の青年が立っていた。

 瞳が光の加減からか、猫の目のように輝いていた。

「誰だ?」

「金色の瞳、漆黒の髪の魔王・・・っと言っても分かりませんよね。ええっと確か名前は・・・マチス・クーガルという名前だったと思います。皆が私のことを魔王、魔王と呼ぶものですから、長い間私自身も自分の名前を忘れていたので、本当の名かどうか分かりかねますが。どうやら私は戦闘中に、こちらの世界に飛ばされたようなのです。飛ばされたというよりは、呼ばれたという方が正しいのかもしれませんが・・・あの、信じてもらえますか?出来れば元の世界に戻りたいので協力して欲しいのですが」

 男は始終笑顔を浮かべ、語っていた。

 それに対し、彼女は無表情のまま彼を見つめていた。

「やはり駄目ですか?」

「・・・魔王」

「ええ、魔王です」

「自然の摂理に反した大きな力を持つ者」

「ああ、まあ、そうですけど」

「神の天意に背きしものは何人といえども・・・私が斬る!」

「はあ・・・」

 彼女は剣を抜くと、素早く斬りかかった。

 迅雷の如き斬撃も彼に届かなかった。

 その代わりに強い衝撃が空気を震わせる。

 彼は無造作に手を前に出し、彼女の剣を受けていた。

 いや、正確には彼女の剣が、彼の目の前にある透明な壁のようなものに阻まれていたというべきだろうか。

 しばしの力比べの後、彼女は剣を引き、地を蹴って、空を背の翼で駆けた。

 天使が大地に降り立つと同時に、彼女は消えた。

 男が彼女の姿を見たのは、背後でもう一度強い衝撃が走った時であった。

「信じられないな」

 男はそう言いながら、すっと身を引いて一定の距離を置いた。

 そして、印を結んで何かを唱えた。

 大地が裂け、マグマが彼女を襲いかかった。

 しかし、彼女は逃げるどころか剣を顔の横に構える。

 マグマの向こうの魔王を見つめる。

「はあっ!」

 彼女は真っすぐにマグマに向け疾走する。

 強烈な突きの剣圧は、真っ二つにマグマを割った。

「まったく。本当に。何というか」

男は久方ぶりに感じる痛みというものに驚嘆しながらも、表情は変えない。

彼の頬と脇腹あたりに血がじわじわとにじむ。

 一方彼女の方は、肩を揺らして息を切らし、体からは黒いオーラが出ていた。

(あれは?)

 彼女は近づいてくる足音に、再び剣を構えた。

 剣を向けられた相手は、冷徹で無表情な天使とは逆に微笑んでいた。

 いや、彼もまた微笑みという仮面をかぶっているだけなのかもしれない。

(次で決める)

 足で地をならし、マグマを裂いた時と同じように構える。

 足音はまだ近づいてくる。

「たあっ!」

 地を蹴り、疾走する。

 あとから思い出したように地面が爆ぜる。

 突進する彼女を、常人であったなら目で追うことも困難だろう。

 すさまじい衝撃が走る・・・はずであった。

 先程まであった透明な壁は姿を消し、剣は彼の体を容赦なく貫いていた。

(何!?この男は死にたがっているのか?!)

 彼の表情は変わらず、微笑んだままだった。

 とめどなくあふれる血は、足元に血だまりをつくっていた。

(ならば望み通りに!)

 彼女は剣に力を込め、引き抜こうとしたが、力が入らなかった。

 黒いオーラが彼女を覆っていた。

「やはり呪いか・・・誰かにかけられたのか?・・・いや、ちがうな。自分で・・・馬鹿なことを」

(呪いだと?この男は何を言っている)

 男は静かに彼女の頭に手を置く。

(駄目だ。この至近距離では・・・やられる!)

 彼女の体は意志とは反対に、全く動くことができなかった。

 体を支えるのがやっとという状態である。

 ・・・

 男は彼女の髪をなでていた。

「何もおびえることなどない。これ以上罪を重ねる必要もない。ただもとに戻るだけ・・・それにしても乱雑な呪の組み方をしている」

「わ、私に触るな!」

 手を払いのけ、男に刺さったままだった剣を抜く。

 手足のしびれは残っていたが、深手相手ならやれると思い、剣を構える。

 目の前の相手は、おびえるどころか微笑んだままだった。

(くっ、侮辱しているのか?この私を)

 冷酷な能面の顔が少し歪む。

 剣を振りかぶったその時、彼女の体から黒いオーラがすさまじい勢いで噴き出した。

 そして、彼女の全身を覆い尽くす。

「ああぁぁぁ」

 彼女の悲鳴とともに、その姿は完全に闇の中へと消えていった。

 その闇の中で彼女は、夢を見た。

 いや、夢を見たと思いたかった。

 これは夢なのだと・・・


 

 私が持つ一番古い記憶は、赤い部屋の記憶。

 あたり一面が血で赤く染まっていた。

 部屋の中央のベッドのような台の上に、首のない羽根の生えた体があった。

 その周りに血で汚れた白い服を着た人が幾人かいた。

 そして、その中央に置かれた体をいじっていた。

 多分あれは私の体だったのだろう。

 一人が私が見つめているのに気付き、驚いて声を上げる。

 そして、そこにいる全員が私を見つめた。

 その中の太った一人が、私に何かを語りかける。

 言葉すら知らなかった私は、彼が何を話しているのか、その時は分からなかった。

 ただ下卑た笑みと嫌な感じは、今でも忘れられない。

 それから目をつむると、意識が遠のいた。


 

 二つ目の記憶もあの赤い部屋だった。

 けれど、今度は白い服を着た人たちはいなかった。

 その代わりに、皆が皆変な仮面をつけ、着飾った人々がいた。

 手には私の首から流れる血を注いだ盃を持ち、楽しそうに談笑している。

 その中にただ一人、盃に口をつけず、皆の話の輪にも入らず、私の顔を真剣に見つめる人がいた。

 私はまた気を失うまで彼をずっと見ていた。


 

 三度目の目覚めは、奇妙なことに体が痛むこともなく、見えるのは自分の体ではなく、白い天井だった。

 しばらくぼんやりと天井を見つめていた。

 ドアを開く音がして、誰かが来る。

 人が二人、私のもとへ向かってきた。

 一人は線の細い女性のような男性。

 もう一人は、その男性の後についてやってくる気難しそうなおじさんである。

 若い方の男は、私が目覚めていることに少し驚き、そして何か話した。

「気分はどうだい?どこか痛むかい?」

 私にはその時、彼の話す言葉が理解できなかった。

 彼の瞳を見つめることしか私はできないでいた。

 見つめているうちに、あの赤い部屋で見つめていた瞳と同じ瞳なのだと気づいた。

「引き続き彼女の世話を頼む、バート」

 若い男がまた何か言うと、歳をとった方の男が眉間にしわを寄せたまま、白髪交じりの頭を垂れる。

「承りました、ジョゼ様・・・しかし、本当にこれでよかったのでしょうか?」

「構わないさ。親類には僕から言うし、バートは何も気にする必要はない」

「・・・承知しました」

 若い方の男が、また私に何かを語りかける。

「食事はとれるかい?それとも何か飲み物の方がいいのかな?」

 私は何も答えられなかった。

「バート、少しだけ水を貰えないか?」

 彼はその赤くない液体をそっと私の口元にやった。

 私は恐る恐る少し口に含んだ。

 甘みが口の中に広がり、口の中でぬるくなったそれを飲み込みと、体中に広がるような感覚に襲われる。

 私は造作なく動く両手でコップをつかみ、一気に飲み干す。

 そして、むせた。


 

 その日から私は、幸せな鳥かごの中で、生活することとなった。

 私が会うことができる人は二人、この鳥かごの主人ジョゼとその執事のバートだけだった。

 それでも安らいで『夜』というものを迎え、まぶしくて見ることはできないが、血よりも赤い『太陽』というものも迎えることができるということは、私にとって幸せ以外の何物でもなかった。

 主のジョゼとはたまにしか会うことができなかったが、バートの方は一日中私の相手をしてくれた。

 彼はいつも眉間にしわが寄っていて、何かあるとそのしわが渓谷のようにさらに深くなる。

 いつの日だったか、食器を落として割った時など、そこの見えないクレバスのようだった。


 

 ある日、バートにとって不幸な日がやってきた。

 その日はジョゼも一緒にお茶を飲んでいた。

 もしその日ジョゼがいなければ、バートがのちの苦労を味わうことはなかったのかもしれない。

「やっぱり家で飲むお茶は最高だ。先日叔母さんのお茶会で飲んだお茶は、ひどいものだった。嫌味の嵐の中で飲むお茶ほど、まずいものはない」

「だから言ったではありませんか。行くべきではないと」

「やれ嫁は来ないのか、一回ぐらい会いたいものだとか、会わせられない理由でもあるのか、とか・・・はあ」

「ジョゼ様は当主なのですから、皆さまが気になさるのは当然ですな」

「いや、皆は私の金の方に興味が御有りだ」

「それは、あさましいことで。どうです、いっそのこと奥様をお披露目しては?」

「それはいかんだろ。彼女に金の亡者の相手をさせるのは、酷というものだ」

「そうですね・・・本当に。ジョゼ様がいけないのですよ。そもそも・・・」

「分かっている。仕様がないだろ、一目ぼれなのだから」

 バートは仕方ありませんねというため息を吐いた。

「彼女・・・バート、彼女の名は?」

「さあ、奥様は何も語りませんから。失語症というやつでは?」

「あの状況下で正気な精神をおかされたといっても不思議ではないからな」

「そんなにひどかったのですか?」

「ああ・・・」

「・・・なんでしたら、ジョゼ様が彼女の名前を付けて差し上げてはいかがですか?」

「そんな拾ってきた犬や猫じゃないのだから」

「ですが、名前がないといろいろ不便ですから」

 そうだなと唸ってジョゼは、名無しの私を見つめる。

 しばらくして、ゆっくりと呟く。

「ペス・・・なんてどうだろう?」

「なんだか犬みたいな名前ですな。もう少しましな名前をつけてはいかがです」

「何だ、バート。お前が名前をつけろと言ったんじゃないか。ケチをつけるのだったら、お前が名前をつければいいじゃないか!」

「主人の奥様のお名前を、従者の執事がつけてもよろしいので?」

「かまわん」

「そうですね・・・奥様の背の翼は、まるで天使のようです。ですから、ここは素直に天使からアンジェラやアンジェリカなどとつけてはいかがですか?」

「ペスで決まりだな」

「何故!?」

「安直すぎる」

「犬の名前よりはましかと」

「何?!」

 二人が大人げなく言い争っているのを、私はおろおろしながら見ていた。

 やがて、

「ペスがいいだろ?」

「いえ、アンジェラです。ね?」

 二人は私に問いかけた。

 私は悩みに悩みぬいて、ぎこちなく自分の名を口にした。

「・・・シオン・ミカエル?・・・それが君の名かい?」

 コクンとうなずく。

「バート、彼女は話すぞ」

「そうですね。よほどペスが嫌だったのでしょう。ペスなんて名になるくらいなら自分から名乗ろうと・・・」

「ほかにも何か話せるか?」

 私は首を振った。

 長い時間をかけて、彼らの言葉を聞きとれるくらいにはなってはいた。

 しかし、切られた舌がまだ完全に生えておらず、話すことは困難だった。

「バート」

「はい」

「これから彼女の世話にくわえて、言葉も教えなければいけないな。他にも教えなければいけに事が、いろいろとあるかもしれない」

「もしかして皆にお披露目になる気になられたのですか?」

「まさか。そんなことはしない。夫が妻と話したいと思ってはいけないかい?」

「いいえ」

「では、頼んだ」

「はい?」

 このとき本当に悩んだ。

 なんとなしに浮かんだ自分の名であろう名を名乗るべきか、犬の如くワンワンと鳴こうかと。

 その後、舌が完全に生えてからは話すことは苦にならなかった、

 しかしながら読み書きはというと、教師バートの手をわずらしてばかりだった。

 礼儀作法なども同様に・・・

 ごめんなさい、バート。


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