四章 『世界そのものにすら成り得る者』
秋の気持ちよさそうな空。
甲冑に身を包んだ屈強な男達が争いあっていた。
「何を苦戦している!相手は我等の十分の一にしかすぎないんだぞ!」
熊のような巨体を揺らしながら、男が叫んでいる。
「しかしながらカーネル将軍。例の奴が此度の戦にも出てきていまして・・・」
「っく・・・また奴か。力で駄目なら数で押せ。十で駄目なら百で攻め殺せ!」
一万近くの兵たちの中で一際目を引くものがいた。
その存在感、その強さ、その黒き甲冑に身を包んだものは、まさに勇者の名にふさわしい戦いぶりであった。
「死ねえええええ!!」
勇者は振り下ろされた剣を避け、敵を突き刺し、横に払って剣を抜く。
間をおかずに攻めてくる二人を振りぬいた剣で、真一文字になぎ払う。
正面に構える敵の頭に向かい飛びあがる。
飛び立った後に黒き者の存在していた空間に、槍が数本交差する。
頭を踏み台にして、もう一度飛ぶ。
降り立つ勇者を待ちかねていた剣と槍の大群は、黒き鎧の強靭な皮膚を傷つけることなく、砕け折れた。
そして、恐れおののき逃げ出そうとする兵の中に一人が、黒騎士の剣の犠牲になる。
心臓を一突きされ絶命した彼は、剣先を生やしたまま前へと進む。
だんだんと加速しながら、人込みを砂煙をあげて突破していく。
それは数百メートルほど進み止まる。
彼を支えていた剣は抜かれ、その場に崩れ落ちる。
自然と黒騎士の前の人海が、真っ二つに割れた。
割れた海を駆け、目標の相手に詰め寄る。
「ええい!不甲斐ない者共め!こうなったら儂自ら相手してやるわ!」
熊のような男は自分の背丈ほどの大剣を軽々と持ち上げ、ブンブン振り回して肩に構える。
「儂はカーネル・アス。此度は儂直々にお前の相手をしてやる。ありがたく思え!」
二つに割れた人海を渡り切った相手に対し、大剣を向けて言い放つ。
それを聞いてか聞かずか黒い騎士は、猪突する。
鋭い突き、連続した剣撃の嵐、それらをカーネルは、その巨体に似合わない俊敏な動きでかわしていた。
「もらった!!」
カーネルは一瞬の隙をついて、渾身の力で斬り込む。
ガンッと鈍い音がした。
「な・・・」
彼の一撃は、腕一本で受けられていた。
しかし、それを彼が理解するときには、彼の魂は肉体と永久の別れをしていた。
「敵将、カーネル討ちとったり」
その場に澄んだ声が響く。
驚くことにその長身の黒騎士は女性であった。
フルヘルムを脱ぎ、緩やかなウェーブのかかったブロンドの美しい少女が顔を出す。
「これ以上の戦いは無意味だ。皆降伏されよ」
凛とした声が響いた。
戦意を失い逃げようとして斬られる者、自害する者、降伏する者と様々であった。
彼女は静かにその光景を見ていた。
手には敵将の首が握られている。
血の赤でつくられた海は、夕焼けの橙と混じり、微妙な色彩を放っていた。
黒き騎士、フランチェスカ・バートンは、足早に赤い絨毯の上を歩いていた。
バートン家は国王に代々仕える騎士の家系であり、その権威は武人の身の上でありながら、政治にまで大きな影響力をもっていた。
しかしながらそれも過去のことになりつつあった。
フランチェスカの父、スコット・バートンが病で急死し、バートン家を支える男子がいなかったためである。
そのために一人娘のフランチェスカが、家宝の黒い鎧をまとい戦場を駆けるようになったのである。
鎧は稀代の名工マチス・クーガル作のブラッティーメイルと呼ばれる代物で、使う者に力を与える代わりに、何か大事なものを失うという呪われた鎧である。
「散々だったね」
フランチェスカの後方から声がかけられた。
見ると、フランチェスカと同じくらいの背の高さの男が、笑顔で立っていた。
フランチェスカは大きくため息をつくと、表情豊かに話し始める。
「そうなんですのよ。ミューズ先生。あいつらときたら私の戦功にいちいちケチをつけるんですのよ。確かに私自身がすごいというよりもこの鎧がすごいんですけど、だからってあんなに責めなくてもいいですわよね」
ミューズはそうだねと、うなずく。
「私だって戦場は怖いんです。それなのに・・・」
ミューズはうなだれるフランチェスカの頭を優しくなでる。
そして、またそうだねと優しく声をかける。
ミューズはフランチェスカの家庭教師をしていたこともあり、この王宮においてフランチェスカが唯一信用できる相手であった。
そして、ミューズに対して特別な思いも持っていた。
「そろそろ行かなくては」
形式上の礼をして、彼はゆっくりと立ち去った。
「バートン家再興・・・遠い夢のようだわ・・・血のにおいに慣れたとはいえ、死臭のする私を嫌いにならないかと思うと、こんなにも怖いなんて・・・戦場の恐怖なんて微塵も感じないのに・・・私っておかしいのかしら」
「一体いつまで待たせるつもりだ」
「もうすぐですよ」
暗い部屋で、影が二つ言い争っている。
「何度その台詞を聞いたと思っている」
「そう焦らずに・・・あの鎧さえなければ、ただの小娘なのだから」
「それはそうだが・・・」
「心配せずとも策はありますよ」
影の一つがにやりと笑った。
(私は一体何をしているのだろう)
そんなことを思いながら、広間のダンスホールの喧騒と音楽隊のテンポのいい曲を横目に、フランチェスカは警備の巡回をしていた。
今夜は国王主催の秋の豊穣祭のダンスパーティーが開かれていた。
本当ならば彼女も中の者たち同様に、きれいに着飾って踊っていたはずであろうが、本分は騎士であるということで、ダンスパーティーの招待を断ったのである。
「フランチェスカ様も皆と一緒に踊りになったらよろしかったのに」
隣でフランチェスカと同じように、警備の任を負った兵士が話しかける。
「そうね。でも私はきれいなドレスよりもこちらの方が似合っているから」
「そうですか」
残念そうに兵士はうなだれる。
そして、フランチェスカも自分の黒い金属で覆われた腕を見て、ため息をつく。
(やっぱり招待受けほうが良かったかしら?今頃本当はミューズ様と一緒に楽しくダンスを踊っていたのに。愛しのミューズ様は今一体どこで何をしているのかしら)
「でも、私はドレス姿のフランチェスカ様も見て見たい気もします。それはもう美しいでしょうに」
(もしかして他の女と!私というものがありながら。そんなまさか、あり得ないわ。ミューズ様に限って!)
フランチェスカの腕が自然と震える。
「いえ、別に下心などないんですよ。素直にそう思うんです。本当に・・・」
(でも、ミューズ様は頼まれたら断れない気のいい性格だから、そこにつけこむ奴が必ずいるはず。ミューズ様がそんな悪女に騙され、一緒に踊っていたとしたなら・・・その場でその女の首をはねる!のはまずいし・・・)
兵士はフランチェスカに絶えず話しかけていたが、話しかけられている方はそんなこと意に介さず、一人ぶつぶつと腕を組んで呟いていた。
「・・・ですから、もし良しければ私と今度ご一緒にお食事などいかがでしょうか?本当にもしよろしければでいいのですが。いろいろとご用事が御有りでしょうから。いかがでしょうか、私に貴方の時間をいただけませんか?」
(とりあえず行ってみることにしないと。こんなところでもやもやしていても仕方がないわ。行ってみて、あとは心のままに行動すればいいわ)
フランチェスカは自らの拳で、もう片方の掌を叩いた。
ガンッという金属音が二人の間に沈黙をつくった。
そして一人は一つの決断を下し、もう一人はその決断の答えを待った。
「決めた!行くわ!」
「本当ですか!?」
「ええ、もちろん!行って、気の向くまま首をはねる!」
そう言って、兵士の首に剣を突き付ける。
「・・・へ?」
「なんだか物騒なことになっているね」
穏やかな、そして品のある聞き覚えのある声。
「ミューズ様?!」
「やあ、少しいいかな?話があるのだが・・・」
「ええ、もちろん。いいわよね?」
同僚に同意を求める。
「今は巡回任務中なので、職務放棄はいかがなものかと・・・」
カチャッと剣が鳴る。
「ですが、少しの合間なら何も起きなければ、誰もとがめたりはしないでしょう」
兵士の声は上ずっていた。
「そう。そうね。では行きましょう、ミューズ様・・・ところで中の舞踏会はよろしいんですの?」
「ええ。中で飲みすぎて、酔いをさましに外へ出てきたということになってますから」
「そうなのですか」
心なしかフランチェスカの声のトーンが、少し高くなっている。
兵士は二人を呆然と見つめていた。
そして、二人の姿が舞踏会場の脇の森の中に消えて見えなくなると、一つ大きなため息をついた。
「そういえばスコット様が亡くなって久しいね」
「そうですわね。お父様が亡くなってもう五年になりますわ」
「五年か・・・この五年間いろいろなことがあった」
「そうですわね。今やミューズ様は宰相補佐役、私からしたら雲の上の人ですわ」
「そんなたいしたものではないよ。ただ私はスコット様の代わりをしているだけなのだから」
「そんなことはありません。今の地位はミューズ様の実力です」
「だと良いのだけれど。けれど、そういう君も今や一騎当千の黒騎士『黒衣の鷹』と呼ばれるほどじゃないか」
「でも、そんな変な名前で呼ばれても嬉しくありません」
ミューズは微笑みながらそうだねと答えた。
ふとフランチェスカは、立ち止った。
そして、ミューズの顔をまじまじと見つめる。
「本当にミューズ様は、あの頃と何も変わってないわ」
「そうかな」
「ミューズ様はあの頃と同じように優しくて、いつも微笑んでいらっしゃる。私もあの頃と同じでおてんばで、どうしようもない娘だわ」
「おてんばというには、ちょっと暴れ過ぎているかもしれないけど」
「そうですわね」
二人の笑い声が、森の中に溶けて消えた。
「そうだ。話に夢中で大事なことを忘れていたよ」
そう言って、服の中から小さな小箱を取り出した。
ミューズは、疑問符のついた表情に微笑みと小箱を渡した。
「これを貴方に」
開いてみると、中には銀でできた指輪が収められていた。
驚き、そして歓喜の表情のまま頬を涙が伝う。
ミューズはとめどなくあふれる彼女の涙を拭い、髪をなでる。
「僕は、君はあの頃とは変わったと思う。あの頃幼くて可愛かった君・・・今はこんなにも美しく、素敵な女性に変わった・・・結婚してくれるかい?」
彼女はコクンとうなずくことしかできなかった。
ミューズはそれを見て満足そうに微笑む。
フランチェスカはゆっくりと目を閉じ、唇に彼の温もりを重なるのを待った。
しかし、彼の体温を感じることはできなかった。
不意に左手が無意識に動く。
手は剣の柄を握り・・・カンッ。
金属同士がぶつかり鳴り響く音。
音に驚き眼を見開くと、驚愕したミューズが目の前にいた。
そして、背後には鉄製の矢が落ちていた。
気がつくと後ろ手に剣を構えていた。
矢が暗闇の森の中から一本、二本、三本と続けざまに飛んでくる。
今度は自分の意思で、全てはたき落す。
「ミューズ様、敵です!早く中へ!」
「・・・ああ・・・」
茫然自失のミューズを放っておいて、フランチェスカは暗闇の中へと疾走する。
「許すまじ!絶対に殺す!」
いつにもまして俊敏な動きで、矢の放たれた方向へと向かう。
柄が壊れるのではないかというほど強く握られていた。
結局この日、フランチェスカの必死の追跡にもかかわらず、敵の姿をとらえることすらなかった。
『これを貴方に』
フランチェスカは指にあるそれを贈られた時のことを思い出し、幸せに浸っていた。
まさに夢心地であったが、突然馬のいななきが外からして、現実に引き戻された。
(あら、誰かお客様かしら?それとも・・・)
フランチェスカは、ベッドのそばにある部屋の雰囲気に合わない甲冑を見た。
あの舞踏会の暗殺未遂事件から幾日、平和すぎるほど平穏な日々が流れていた。
しかし、油断はできない。
そう思いながらも彼女は、このとき甲冑を身につけるのを礼儀を重んじてためらった。
「フランチェスカ様!」
従者の大きな声が、部屋まで届く。
(やはりお客様なのかしら?)
ゆっくりと階段を降りようとしていた時、また大きな声が聞こえる。
「来てはいけません!」
従者の警告と絶命の声がほぼ同時に聞こえた。
踵を返し、くっと唇をかみしめながら廊下を走り、自室へと急いだ。
「フランチェスカ!」
不意に背後から声がした。
聞きなれた声に振り向くと、そこにはミューズがいた。
「ミューズ・・・様・・・」
ミューズは息を切らし、血がべっとりとついた剣を携えやってきた。
白い服は返り血で赤く染まっている。
その姿は彼女には、姫のピンチに駆けつけた王子のように見えただろう。
「間に合ったようだね」
彼はいつものように微笑む。
フランチェスカは、自分だけの王子に抱きつこうとした。
「え?!」
腹のあたりに痛みが走る。
体に力が入らず、床に倒れこんだ。
見上げた王子の顔は、今まで彼女が見たこともない顔をしていた。
徐々に視界がぼやけてくる。
ただ従者達の悲鳴だけが、耳につくほど聞こえた。
「フッフッフッ。やったぞ!私はやったぞ!これで私は・・・」
ミューズはひきつった笑みをこぼしながら、歓喜に酔いしれていた。
しかし、それは長くは続かなかった。
それは、フランチェスカの部屋に飛び込んだ彼の前に現れた。
「だ、誰だ!お前は!」
彼の前に黒い甲冑が立ちふさがっていた。
返事はない。
ミューズは悪態をついて、震える手で剣を構え、斬りかかる。
カンカンという音と奇妙な掛け声が数秒続く。
そして、甲冑の手の剣が振りかぶられる。
「ひいいいいい」
逃げ出そうと背を向けた体は、真っ二つに分かれた。
黒い甲冑は歩き始める。
そして、血の惨劇は始まった。
ミューズの後にやってきた何人かの刺客は、何かを叫ぶ間もなくおもちゃのように首が飛んだ。
飛んできた仲間の首を見て恐れをなした者は・・・
(きっとこれは悪い夢に違いないわ。目が覚めたら、お父様とお母様と先生が私を起こしに来ているわ。お寝坊だと笑われるかしら。きっと・・・)
彼女のそばに大きい影が来る。
そして、彼女を抱きあげる。
「これは私の・・・そうね、夢だものね・・・私の呪われし鎧よ。私の全てを貴方にあげるわ。だから・・・だから、私の好きなミューズ様を返して・・・」
それからもう一度愛する者の名を呼び、静かに息を引き取った。
屋敷の中にもう生きている者はいなかった。
『来たれ、メシアよ』
声は空っぽの甲冑の中から聞こえた。




