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三章  『悲しみと絶望から解放する者』

 私が彼女と出会ったのは、四十年ぐらい前だったろうか。

 薪拾いの途中に倒れているのを見つけた。

 彼女はまるで西方の天使のようであった。

 いや、本物の天使だったのかもしれない。

 確か天使は両性具有であると聞いたことがあるが、現に彼女は男であり、女でもあった。

 背には翼があった。

 ただ全身傷だらけだったので、神々しいというよりも痛々しかった。

 翼はほとんど骨が浮き出ていた。

 私は好奇心から彼女を家へと連れ帰った。

 連れ帰った当初は、まるで手負いの獣の如く、手のつけられないものであった。

 よほどひどい目に遭ったのだろう。

 私の作った食事などは絶対に口にしなかった。

「何でも好きにすると良い。ここでは君に危害を加える者などいないのだから。ただ物を壊すのはやめてくれ。頼むから。食べ物は向こうにあるから、好きに調理して食べてくれ」

 彼女は私をにらみながら、私のぶかぶかの服を引きずって台所へ向かった。

 私はため息をひとつついて、彼女を見守ることにした。

 ガシャガシャと大きな音を立てながら、彼女の調理が始まった。

「・・・肉は・・・焼いた方がおいしいぞ」

「・・・わ、分かっている!」

(言葉はいけるのか。それにしても・・・)

 銀色の髪が日の光を受けてキラキラと輝いて、彼女の整った顔がさらに美しく見える。

 さらに痛々しい傷もむき出しになった翼の骨も高価な装飾品にすら見える。

 そんな神秘的な風景とは裏腹に、不器用に料理する彼女の姿は滑稽であった。

「私がしようか?」

「自分でできる!」

 彼女はまたキッと私をにらんだ。

 彼女の黒い瞳は、私の心を射抜くような力強さを持っていた。

 しばしの沈黙。

 見つめあう二人。

 そして、

「・・・こげとるぞ」

 キャッとかわいらしい声をあげて、またわたわたとしだした。

 結局、私の作り直した料理を食べることになった。

 さすがに異様な匂いのするスープと消し炭の如くなり果てた肉を食べるわけにはいかなかった。

「そう言えば、まだ名前を聞いていなかったな。私はスコット・バートン。薬屋をしている。ここら辺の薬草を集めては薬を作って、町で売って生活している。だから正確には行商人の方が正しいのかもしれないが、行商人という言葉の響きがなんとなく好きになれないから、薬屋ということにしておいてくれ。こんな辺ぴなところに住んでなきゃ、別に本当の薬屋として生活できるんだろうが、町のゴミゴミとした空気はあまり好きになれないからな。まあ、仕方ないわな。・・・そんなことはどうでもいいか。お前は?」

「・・・」

「まあ、言いたくないこともあろうから別段とがめたりしないが、名前ぐらい教えてくれてもいいだろ?」

「・・・シオン・ミカエル」

 それから彼女は、一言も言葉を発しなかった。

 捨て猫を拾ってきたのだと思うようにして、これ以上の会話を期待するのをやめた。

 外の初春の風はまだ肌寒く、捨て猫をまた捨てるのには忍びない。

 そして、いくつかの返答のない問いかけをした後、別にこの家に居たければいてもいいとだけ言って、山へ薬の材料をとりに行くことにした。

 帰ってくる頃には多分必要ないであろう薬の材料採取は、何とも憂鬱だ。

 殺菌効果のあるいくつかの薬草、消炎効果のある薬草たち、そして滋養強壮の飲み薬としての木々の新芽。

 今年は冬の寒さがまだ残っているというのに、意外にも草木にとっては春の訪れは早いようだ。

 思ったよりも早く材料がそろった。

 夕暮れ時に家に帰ってくると、家にはもう明かりがともっていた。

 どうやら捨て猫は、ここに居着くことに決めたらしい。

「ただいま」

 そう言って家に入ると、すでに食事の用意がされていた。

「世話になったから・・・」

 彼女のその微妙な表情を見て、苦笑しながら席に着く。

 そして、絶句する。

 奇妙な色のパスタソースとゆですぎて倍近いパスタ。

 料理だけは自分がせねば、そう私は心に誓うのだった。


 

「誰か知らない人が来ても出るんじゃないぞ」

 あたふたと着替えながら、朝食の跡片づけをしている天使に声をかける。

「あなたに心配されるほど私は愚かじゃないわ」

 テーブルの上を拭きながら、天使はややぶっきらぼうに言った。

「あなたに助けてもらったことには感謝しているわ。でも、地上の人間に守ってもらう必要はないわ。私の主は天におられるのよ」

「何回も聞いたよ。まったく、聖書なんて読ますんじゃなかったよ」

 そうぼやきながら、町へ仕事に出る用意をした。

 彼女の回復力は目覚ましく、もうすっかり良くなっていた。

 翼には羽のようなものも生えそろい、本物の天使のようにも見えた。

 しかし、彼女が本物の天使であるかどうかは、よく分からなかった。

 聖書のことも知らなかったし、神と言う存在のことも知らなかった。

 彼女は分厚い聖書を一気に読み終えた後、目を輝かせて、私に入るべき場所があると狂喜していた。

 そして、迎えが来るまでここにいることになった。

 闇雲に天国と言うところを探すよりも良いだろう、ということでそうなった。

 はたして本当に迎えが来るかはさておき、彼女がいてもいい場所があるということは大事なことだと思った。

 ただ心配なのは、彼女がここ最近常にだれかに狙われているように思えることであった。

 いや、思いすごしなのかもしれないが。

 彼女がここにきてから、森の方で不審な人物がうろつくようになったのは確かだ。

 彼らはどこかの役人のような雰囲気だった。

 私は必要以上に気にしないようにした。

 本当に彼らが、彼女を狙っているという証拠はないし、いらない心配をして彼女を不安にするのもどうかと思って。

「行ってくる」

「いってらっしゃい」

 お互いに怒気を含んだようなあいさつを交わし、にらみ合う。

 そして、苦笑して家を出た。


 それから幾日が過ぎた頃。

 その日の仕事が終わり、帰ってくると彼女の姿はなかった。

 かわりに前にうろついていた役人風の男たちの死体があった。

 部屋の内装は、大量の血で赤く塗りかえられている。

(彼女がやったのか?)


 

 ・・・

「それでその人たちは、その天使さんが殺しちゃったの?」

「さあ、それは私にも分からないよ」

 膝の上に乗った子の小さな顔が、私を覗き込む。

「神父様にも分からないこともあるのね」

 私の背中にもたれかかっている子が、微笑みながら話す。

「私にも分からないことはたくさんあるんだよ。いや、むしろ分からないことの方が多いかもしれない」

「それじゃ駄目だよ、神父様。ちゃんと勉強しないとお姉ちゃんに怒られるよ。だって今日算数の宿題わすれて、分からないって言ったら、お姉ちゃんに怒られたもん」

「はっはっはっ、そうだね。私ももっと勉強しないとね」

「よろしい。努力するように」

 子供たちの笑い声が、心地よく協会に響く。

 私の体もあの頃のように若くはなかった。

 もうこの子たちの重みを支えるだけの力しかない。

 あの時役人風の彼らのことをもう少し気にしていれば、私達にも違う未来があったのかもしれない。

 教会の扉が開く。

「こんなところにいたのね。もう遅いのだから、早く寝なさい」

「ええー、でもー。もう少しだけー」

「駄目です。ちゃんと寝ないと大きくなれないでしょ。それに明日も朝早く起きなきゃいけないでしょ」

「で・・・」

「駄目!早く寝る!」

 子供たちはしぶしぶと教会を出ていく。

「神父様も」

「ああ、分かっているよ。シオン」

 そこには彼女がいた。

 背には翼がないが、確かに彼女が。

 私の創り出した禁忌の彼女が。

 あれから私は薬屋をやめて、旅に出た。

 そして、ある技術に出会った。

 錬金術という科学のなれの果て。

 錬金術という技術は、私に幸福を与えてくれた。

 いや、私が錬金術で幸福というものさえも創りだしたのだ。

 ホムンクルスという人造人間を作り出す技術で、彼女を創り出した。

 その行為は人の道に外れていると分かってはいたが、それでも私は彼女を創らざるを得なかった。

 そして、私はその世界から遠ざかり、神に仕える身となることを決めた。

 彼女と一緒に。

 もしかしたらそれは、自分がしてきたことへの贖罪のつもりだったのかもしれない。

「そういえば、神父様のご友人の・・・なんて言ったかしら・・・」

「ムライ、それともアルキナかい?」

「ああ、そう。そのムライ様からお手紙が届いていますよ」

 赤いロウで封をされた手紙を受け取る。

 文面に目を通し、ため息をつく。

「どうされたのですか。何か悪い知らせでも書いてありましたか?」

「彼が亡くなったそうだ。彼はまだ若かったのに残念なことだ」

 言葉とは裏腹に、心には違う感情が浮かんでいた。

 手紙にはいくつかの謝辞、そして彼女が来るとだけ書かれていた。

 若いころ錬金術師の間では、彼女が来るというのは、自らの死を意味するのだと彼から教わった。

『詩的な表現をするのだな。死を女性に例えるなんて錬金術師らしくない気もするが、実によい表現だと思う』

『いや、違うのさ。本当に彼女がやってくるんだよ』

『・・・どういうことだい?』

『銀色の髪の天使が、私たちに罰を与えに来るのだよ。人の道に外れた者たちといっても、人は人、天使とは名ばかりの人殺しさ』

『銀色の髪・・・』

『天使の姿をした死神。私はそう思うがね』

『シオン・ミカエル・・・もしかしてその天使の名はシオン・ミカエルという名ではないですか?』

『よく知っているね。もしかして知り合いかい?』

『いえ・・・知り合いならもう私は、この世にいませんよ』

『それもそうだ』

 彼の笑い声は、いまだに脳裏に焼き付いている。

 いい奴だった。

 そして、私ももうすぐ彼のように過去形で語られる存在となるであろう。

 心配そうにシオンが見つめている。

「お気持ち察しあげます」

「そうか・・・」

「神父様?!」

 私はシオンを抱きしめ、愛していると囁く。

 彼女はコクンとうなずく。

 彼女の銀色の髪をなでる自分のしわくちゃの手を見て、年老いたなと実感する。

 この幸せがあとどれだけ続くのだろうかと考えていた時、ふと教会のステンドグラスをたたくような音がした。

「ああ、もう来てしまったのか…シオン。私にお客さんのようだ。君も早く寝なさい。明日も早いのだろう」

 彼女は怪訝そうな顔をして何か言いたそうにしていたが、私はあえて無視して外へ向かった。

 その夜は空気の澄んだ、月のきれいな夜だった。

 見上げるとそこには、翼の生えた彼女がいた。

 四十年前と変わらぬ同じ姿。

 冷たい瞳でこちらを見つめている。

 深紅の鎧をまとい、手にした剣をきらめかせながら、彼女は語る。

「神の天意に背きしものよ。禁忌を犯した罰、その血で償うがよい」

 月光を背に、風にたなびく銀色の何と美しいことか。

「久しぶりだね、シオン。全てが終わる前に一つ聞きたいことがある。いいかな?」

 彼女は答えない。

「・・・あの日、私の家で一体何が起こったのだ?あの役人風の男たちの死体は君がやったのか?あれから君の身に何が起きた?一体・・・」

「あの日?・・・貴様一体何を言っている」

「・・・シオン、君は本当にあのシオン・ミカエル・・・なのか?」

「私はシオン・ミカエル。神の天意に従い、罪人を裁く者」

 頬を涙が伝う。

 何の涙かは知らない。

 悲しいわけでも嬉しいわけでもなかった。

「そうか・・・シオン・・・君にもう一度会いたいと願ったときからこうなるかもしれないと思っていた。しかし、私はそれでも・・・」

 私は服の下に仕込んでいた爆薬に火をつけた。

「すまない。私と一緒に消えてくれ。あの子達のために。禁忌の彼女のために。そして、私のために」

「・・・愚かな」

 あたりを爆炎と轟音が包む。

『来たれ、メシアよ』

 誰かが彼女を呼んだような気がした。


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