一章 『絶大な力をもって支配する者』
「汝、闇の深淵の使者なり。我は汝の糧なり。血肉の代価その力なり。暗黒刃」
そう唱えると日の光は闇にのまれ、剣となって敵をせん滅した。
魔法・・・その字のごとく悪しき力。
その力を使うものには、必ず死が付きまとう。
世界は、科学と魔法によって荒廃していった。
始まりは魔王と呼ばれる一人の魔法使いの出現によるものだった。
その大きすぎる力は、野心と恐怖に突き動かされた国々と相対した。
世界は彼に勝てなかった。
核も細菌もありとあらゆるものが彼を殺せなかった。
ただ、荒廃を生み、飢えや病に侵された人々が増えていった。
それから数十年の間この世の地獄が続いた。
しかし、ある日を境に魔王は、配下の者たちとともに忽然とその姿を消した。
もう何百年も昔の話である。
「師匠・・・あの、これからどうしたらいいんですか?」
川に手をつけて少年が困った顔をしている。
歳は17、8ぐらいだろうか。
ただ、その顔はまだあどけなさが残り、実際の年齢よりも若い感じを受ける。
師匠と呼ばれた長髪の青年は、釣竿を垂らしながら寝ていた。
「師匠!起きてください!」
「うっ、あ、え、ああ・・・何?」
「これからどうしたらいいんですか?」
「ああ、うん。えーと、水の流れは感じられたかな?水の分子の動きが分かったらいいんだけれど・・・」
「分かりません」
しばしの沈黙。
ZZZ・・・
「師匠、寝ないでください」
「ん。ああ、まあいい。あんまり集中してないようだけど?」
「そんなことはありません。全神経をこの手のひらに」
「それはやりすぎかな」
師匠は釣竿を軽く動かしながら、のんびりと言う。
「人間の体の70%は水分だったりする。自分の体の成分と外界の成分が、溶け合って漂う感覚だ。分かるかなあ?」
水面のきらめきを映して、青年の金色の瞳が時折光る。
「いえ。言っていることはわかりますが、さっぱりです」
「きっと体の中の水分が足りないのかもね。もっと水飲んだほうがいいよ」
「・・・」
「それにしても釣れないねえ」
「そうですね。もう餌ついてないですから」
などと、ほのぼのと二人は修行の毎日を過ごしていた。
少年は思う。
魔王と呼ばれるこの人は、こんなにも穏やかでボケボケだ。
我が師匠ながら、とてもすごい人のように思えない。
彼と出会った時、彼はもうこんなだった。
その日、雨が降っていた。
どんよりとした雲が空一面を覆っている。
「お願いです、先生。僕を弟子にしてください」
雨の中、土下座している少年がいる。
そして、それを見つめる青年がいる。
「・・・」
「僕にはやらなくてはならないことがあるんです。でも、僕にはそれを成し遂げる力がない。どうかお願いです。僕を弟子にしてください。先生の言うことなら何でもします。そうかお願いします。どうか・・・」
嘆願の声は延々と続いた。
青年はただ微笑んでいた。
そして、優しく少年の頭をなでる。
「顔をあげなさい。こんなところにいては風邪をひく。私の家まで少しあるが、大丈夫かい?」
青年はさしていた傘を差し出し、ゆっくりとした足取りで雨の中を歩きだした。
「・・・はい!」
その家は簡素な木造の家だった。
青年は中に入るとまず暖炉に火を入れ、着替えを取り出した。
「体をふいて、これに着替えるといい」
少年は言われる通りにし、それから食事の用意を手伝った。
「まあ、たいしたものはないが、遠慮なく食べなさい」
食事の間中、二人の間に全く会話はなかった。
ただ、食器の音と雨音が聞こえるのみであった。
食事の終わり時に青年がやっと口を開く。
「本当にたいしたものはなかったけれど、満足してもらえたかな?」
「はい」
「では、この雨が止んだら君は家に帰りなさい。ご両親も心配しているでしょうし」
もう弟子にしてくれるものだと勝手に思い込んでいた少年は、突然のことに驚愕した。
口は開くが、声は言葉になさなかった。
「私は弟子をとるつもりはない。ただ雨の中あのまま放っておくのも忍びないと思って、お客を家に連れてきただけだ。この雨が止んだら家に帰りなさい」
ガシャッと食器が音を立てて、また少年は土下座をしだした。
そして、また雨の中で聞いたセリフを何度も何度も繰り返した。
答えは返ってこなかった。
しばしの沈黙。
やがて、青年が思い出したように呟く。
「その服は私の服だ。できれば汚さないでほしいのだが」
少年はあわてて立ち上がり、服をはたく。
その様子を青年は、微笑んでみていた。
「まあ、落ち着いて座りなさい。少しお話をしよう。ああ、そういえば君の名前をまだ聞いていなかったね」
「レイ。レイ・ラインゴットです」
「じゃあ、レイ。君は魔王というものを知っているかい?」
「魔王?おとぎ話に出てくるアレですか?」
レイは怪訝そうな顔をする。
「そう。その魔王が今、目の前にいる」
レイは彼をキョトンと見つめているだけだった。
突飛な話に思考がついてこなかった。
(この人は何を言っているのか?確かに先生は、金色の瞳をしているし、髪も黒い。だからと言ってどうしてこんな話を。僕はただ馬鹿にされているだけなのだろうか?)
「何万、何億という人を殺し、今もこうしてのうのうと生きている。あろうことか医者の真似ごとまでしている。レイ、君はこんな男の弟子になりたいと、本気で思うのかい?」
少年は、目の前の男が本当に数百年前に実在していたという、おとぎの国の住人だとは思えなかった。
それよりも彼の微笑みの中にある憂いと、悲しみのほうが気になっていた。
「それにしてもよく降る雨だね・・・川下の町も大変だろう」
「僕は力が欲しいんです。人を殺せるだけの力が・・・」
少年は、ぽつりとこぼす。
「だったらなおさら私の弟子になどなるべきではないよ」
青年は子供をあやすかのようにレイの頭をポンポンとたたいた。
「大きすぎる力は破滅しか招かない。殺したい相手も殺したくない相手もすべて殺してしまう。君は殺すべき相手を殺して、何を得たいというのか?心のもやもやを晴らしたいというだけならば、そのもやもやを背負って生きる道を進めるよ」
「でも、先生は・・・」
そのあとの言葉が続かなかった。
触れてはいけないものに触れたようで。
そのあとの言葉を青年が紡ぐ。
「そう、私は多くの命を奪ってきた。そしてこれからも。自分が自分であるために。それでも他人が人殺しをするのは、快くない。これは単なるエゴなのだが」
「では、どんな悪人であっても殺してはいけないと」
「私も悪人の一人だから何とも言えないが、善人、悪人という区別で殺したことはない。ただ私を襲ってきたものを殺してきただけだよ。自ら進んで殺したいとは思わない。それにこんな私でも殺すことへの罪の意識はある。こればかりは何人殺そうとなくならない。君は今憎いから殺す、でいいのかもしれない。しかし、そのあとはどうするんだい?憎しみをぶつける相手がいなくなったら。これから先晴れ晴れとした気持ちで生きていけるのか、それとも・・・」
「その時は・・・その時考えます」
「・・・それもいいのかもしれない・・・私は川下の町の様子を見てくるよ。私にも何かできることがあるかもしれない」
青年が出ていったドアを少年はずっと見つめていた。
(何故殺してはいけないのだ。あいつらを許せというのか)
少年は悩んでいた。
恨みを晴らす、そのことに対して何の疑問も抱いたことはなかった。
ふと、家族の顔が思い出される。
そして、あの夜の惨劇を。
あの頃はまだ僕は幼かったが、あの夜のことだけははっきりと覚えている。
その夜、野盗が村を襲った。
両親は、急いで兄と僕を物置に押し込む。
間もなく数人の野盗が、我が家に乗り込んできた。
僕はただ怖くて兄にしがみつくしかできなかった。
両親の悲鳴を耳をふさいで聞かないようにした。
恐怖でおびえるしかなかった僕を、兄はしっかりと抱きしめてくれた。
「大丈夫だから」
そう言った兄もまた震えていた。
怒りの表情で。
しばらくして、もう一度しっかりと兄は僕を抱きしめて、物置を飛び出した。
「お前は生きろ」
そう言い残して。
それから僕は、ただじっと耳をふさいで、目をつむり、すべてが終わるのを待った。
やがて辺りは静かになった。
もうこの村の人間は、僕以外いないのかもしれない。
物置の隙間から外の様子をうかがうと、まだそこには人がいた。
暗がりでもわかるほど黒い甲冑を着た男がいた。
所々についた血が、まるで鎧の装飾のようだ。
僕は彼の顔を忘れはしない。
憎しみが全身を支配した。
憎い、父さんを、母さんを、そして兄さんを殺したあいつらが。
何もできなかった自分自身が。
自分が憎い?
あの時力があれば皆を助けることができただろうか?
それとも変わることなくおびえ続けていただろうか?・・・本当に憎いのは力なくおびえるだけだった幼き頃の自分に対してだ。
本当に力が欲しかったのはあの頃。
今ではない・・・ならば何故今力を求めるのか?
家族の敵を討つため。
それもある、しかしそれだけではない気がする・・・
もしかしたら無かったことにいたかったのかもしれない。
幼い無力な自分を。
力を手にしたからと言って、過去が消えるわけではない。
力を手にして・・・
『そのあとはどうするんだい?憎しみをぶつける相手がいなくなったら。これから先晴れ晴れとした気持ちで生きていけるのか、それとも・・・』
これから先・・・僕は一体どうしたいのだろうか?
分からない。
分からないけれど、けれども・・・
『その時になったら・・・』
レイは自分で言ったセリフに対して苦笑する。
そして、そうかと言ってゆっくり立ち上がる。
雨はいつの間にか止んでいて、優しい日差しが部屋の中にまで降り注いでいた。
レイの青い瞳は雲が晴れたように澄んでいた。
人は自分自身すら分からなくなる時がある。そんなとき自問自答しながら自分なりの答えを探そうとする者もいるだろう。レイもその一人。同じ問題であってもその時々によって答えは違うこともある。それでも答えを求めるのは、自分と真摯に向き合うことができるからだろう。レイはその中で一つの答えを手にしていた。
窓の外に人影が見える。
彼が帰ってきたのだ。
レイは意を決して表で彼を待つ。
「雨は上がったようだね」
「はい」
彼はいつも通り微笑んでいる。
レイはゆっくりとその場に土下座した。
そして、また雨の中でのセリフを口にした。
しかし、その口調には以前のような必死さはなく、穏やかなものだった。
「僕は両親と兄を殺したあいつらが憎い。あいつらを許すことはできないでしょう。これからもずっと。ですが、先生が殺すなと言うならば、それに従います。今は力が欲しい。力を手にした後のことは、その時に考えます。それに・・・」
「それに?」
「あいつらが襲ってきたときには、殺しても構いませんよね?」
しばしの沈黙。
そして、笑い声が聞こえる。
金色の瞳、漆黒の髪をもつ魔王が、声をあげて笑っていた。
「そうだな。それなら仕方がないな。・・・私は何も言えないな、それだと。・・・いいよ。君を弟子として迎えよう。君はいい悪人になれそうだ」
レイは、はい!と大きな返事ととびきりの笑顔で返事した。
「しかし、その前に一言いうことがある」
真面目な顔をして、彼がレイを見つめる。
「その服は私の服だ。できれば汚さないで欲しい」
レイは、あわてて服の泥を払おうとした。
しかし、服に染み込んだ汚れが取れるはずもなく、レイのあわてふためく様子を彼は、ただ微笑んで見つめていた。
爆撃の音と銃声が轟く。
銃弾が彼に届くことなく、彼を焼くことはなかった。
彼の目の前で止まる銃弾。
彼の周りだけ世界の理を無視いているような光景だった。
マッハを超える戦闘機も彼の前では、カトンボと変わりない。
「渦巻く大気は、我が心を喰らい大いなる風となる。彼の者にその力を示せ。風魔」
大きな竜巻が起こる。
彼の前には、死と破壊があった。
彼は目の前の惨状をただ見つめていた。
(またこの夢か)
彼の中の意識が覚醒する。
(私は初めから存在してはいけなかったのだろうか?)
いつもその答えは出なかった。
ただ彼の頭の中を罵倒と悲鳴が巡るだけだった。
「ふっふっふっ、見ていろ魔王め。きょうぐぁ年貢の納め時だあ。はっはっはっ」
道に迷ったその男の高笑いは続く。
「あの邪魔なのでどいてくれますか?」
「おお、すまん。時にそこいく美少年よ。道を尋ねたいのだが・・・」
無視して通り過ぎるレイ。
背にはたくさんの荷物を背負っている。
「つれないなあ。もう少し人に親切にしても罰は当たらないだろ。ああ、そうだ。申し遅れた、僕の名前はトーマス・ジェンダー。正義の大魔導士さ。まあ、ここに来たのも悪の権化ともいうべき魔王を退治にね。あの何百年も前に姿を消した魔王が、まだ生きてんだって、君知ってた、知らないよねえ。僕もおとぎ話の中の人物と会えるとは思ってもみなかったけどね。確かなところからの情報だから、多分真実だと思うんだけどね。まあ、そもそも何故僕がこのような使命を担ったかと言うと・・・」
トーマスと名乗るその男は、一人でいつまでも話していた。
ふとレイが立ち止まる。
「おっ、どうしたんだい?」
「魔王という人はそんなに悪い人なのでしょうか?」
「ん?何を言う。この世界の荒廃は、すべて魔王のせいではないか。そして、いまだに世界は真に平和というものにたどりつくことができないではないか」
「それは魔王一人のせいではないでしょ。確かに彼は多くに人の命を奪った。けれども、もう十分に彼は苦しんだ。その償いもしている。何百年という歳月をかけて」
「それは・・・」
「どんなに時間をかけても、罪が消えることはない。永遠に」
レイは突然の聞きなれた声に驚き、振り返った。
「師匠?!」
「少し遅いので迎えに来ましたよ」
そこには魔王と呼ばれた者の姿があった。
「金色の瞳に漆黒の髪。お前が魔王か?」
大気が揺らぐ。
「その通りです。そんなに殺気立って、この私に何の用ですか?」
「問答無用。貴様には死んでもらう。恒等なる業火の中で、時は・・・」
「師匠!」
「心配いらない。命を狙われることはよくあったことです。先に家に戻っていなさい」
そう言って、レイの頭をポンポンとたたく。
何度も振り返りながら、レイはその場を離れる。
トーマス・ジェンダーの頭上には、巨大な火炎球が現れていた。
「一瞬にしてすべてが終わる。恨みはないが消えてもらおう」
ジェンダーが命令を下すと、火炎球が魔王へと向かう。
それに対し、魔王は巨大な火炎球にただ手を差し出しただけだった。
火炎球は轟音をあげて霧散する。
信じられないことに魔王は、それを受け止めた。
いや、正確には魔王の前にある透明な障壁に阻まれたのだが・・・
「くっ。ならばこれならば!冷徹なる氷上の女神は、永久に続く生命の鎖を砕く・・・」
「なかなかの腕をお持ちですが、私に対しては何をやっても無意味なのですよ。何度やっても同じです。さて、私もそろそろいきますか。汝はその大いなる封印の中で紡ぐは、悠久の・・・」
お互いの魔法がぶつかり、世界が一瞬光に包まれる。
『来たれ、メシアよ』
誰かの声が聞こえた気がした。




