四、
掃除を終え、必要事項の連絡をし、身支度を整え、一斉に放たれる「さようなら」が響くと一気に閉じ込められた空気が解放される。
騒がしく教室を出る生徒。友達との会話に花を咲かせる生徒。ゆっくりと教室を出ようとする生徒。十人十色の行動が教室に慌ただしい切迫感を与えていく。
クラスで一番騒がしい武馬文香は軽いステップを踏みながら教室を出る。文香は言葉を発した。
「じゃあ、透くん、先に部室に行ってくるね」
文香は不規則に踏まれる徒歩で早々と進んでいった。それを見て透は「ちょっと」と止めようとしたが、既に遅かった。
部室空いていないのに────
透は心の中で苦笑いを浮かべていた。
職員室に寄って部室の鍵と紙を貰い、マネージャーを兼ねる翔也の元へ向かう。そして、彼を率いて部室へと向かった。
部室へと続く廊下。
窓の下にはサッカー部が汗を落としながら走っていく。落ちた水滴は地面を流れ、努力を写す水溜まりになりかけていた。
ながらで紙を見る翔也は感想を述べる。
「来週は……どこの部活動も募集しなかったんですね」
ため息の混ざりトーンが下がっていく。
そんなに楽しみにしていたのかと驚き、同情から労いの言葉をかけた。
何か返そうとするが、その時に部室前へと着いてしまった。
部員の文香と勝呂勝が待機している。颯爽と部屋を開けて入っていく。続いて三人も入っていった。
黒いカーテンが太陽を閉ざす。代わりに薄暗い部屋の中を電球が部屋を照らしていた。隅々に溜まる塵、小道具に溜まる埃。穢れた印象を払拭するように掃除された区域内が目に映る。
薄い文字が浮き出ているホワイトボードの前に立つ。翔也はそこに「来週のボランティア予定」と書く。
その間に部員の二人が遅れて入室した。
その内の一人、副部長のヨッシーは入室早々、口を開く。
「今日、もしかすると双葉ちゃんが来るって!」
その一言で緩和的で温かい空気が作り出される。幽霊部員で全く来ていなかった双葉が、久しぶりにここにやって来る。優しさで溢れた感情が空気に混じっていった。
ただ、ボードの前に立つ二人は穏やかではなかった。
翔也は淡々と書き続けている。どこか落胆した表情を何一つ変えず、何も動揺していない様子である。つまり、このことを知っていたのだろう。そのために紙を見てため息を漏らしたのだ。
透を襲う焦り。紙に書かれた内容を頭の中で深々と見回した。
滅多に現れない双葉が来るのだ。一緒に部活を行いたい。今日、来週行う部活の予定を説明し、来れる日には是非参加して貰おう。次の機会は来ないかも知れないという不安ものしかかっている。折角のチャンスを無駄にはしたくはない。そんな気持ちが充満する。
しかし────来週の部活の予定はなかった。
高揚していく身体。焦燥と困惑感が身体中を巡る。
どうしようもなく聳える壁を見上げることしか出来ない。後ろから壁が迫ってくる。挟まれる前に対処しなければならないが、どうにもならない。
目前の楽観な雰囲気がさらに不安にさせた。
部室の扉が開く。不安感が最高潮に達して身体を硬直させた。吹き出した汗を制服が吸水し、身体を重くする。
「みんな集まってるかー」
文太が眼に映る。
緊張の糸が途切れる。まだ問題が残っているが、その問題の直撃が遅れたことが安堵感に変えていった。心の中で軽くため息をついた。来たのが顧問で良かった────
「そうだ、今日は珍しく……」
「久しぶりだ」
安堵は束の間、瞬く間に焦燥へと戻っていく。
文太の背後から凛と登場する双葉。真っ赤に燃えた瞳が空を切る。
活動がないことをどのようにして伝えるか。無駄足に終わる双葉の姿を想像すると、口が重くなっていく。
双葉の登場で熱気に包まれる部室。しかし、時間が熱気を冷やしていった。透は口を開くことを余儀なくされた。
「えーっと、早速、募集状況を言いますね」
クラブボランティア部及びクラボラ部は主にこの学校で行われる部活動の手助けをする部活動である。他の部活動がヘルプを求め、そこにクラボラ部がヘルプに入る。仕組みとしては他の部活動が次の一週間で助けが欲しい日を予約。一日に入れられる募集は早い者勝ちで一つ。毎週金曜日に募集の状況を伝え、クラボラ部の部員が各自参加出来る日に参加するというものだ。
普段は募集が平均三つ程度が普通であり、募集なしは珍しい。しかし、今回は募集がなかった。それも双葉が来るという日に限って。
「来週の募集はないです……」
空気が凍り、ひんやりとした空風が流れる。冷たい空風が皮膚に接触し、心を冷却していく。しかし、焦燥で不完全燃焼した心には焼け石に水だった。
「えっ、ないのっ!!」「そうか、運が悪かったな」
驚きと失望の声が上がっていく。
双葉は口を開く。「まさか無駄足だとはな────」
恐れていた言葉が飛ぶ。その言葉は透を貫いて心を粉砕する。どうしようも出来ず目を横に背けた。
空白の時間。
その空白を最初に破ったのは文太だった。
「一つ連絡がある。いいか」
その連絡のお陰で砕かれた心の破片が一つに戻っていく。何もすることを設けず無駄足に終わらした罪悪感。顧問の連絡で罪悪感が急速に薄れていった。
「来週は募集がないのは残念だが、それもまた仕方ないこと。私からは告知がある」
皆が文太に視線を寄せる。
「先週から告知されてたボランティア情報の一つ、『不登校対策会 第四回』というボランティアがあったろ」
文太は緑色の紙を見せた。透のクラスでは教室の後ろに貼られていた紙だった。内容は一日目に不登校のテーマで講師の講義を聞き、グループでワークをすることと二日目に不登校の子どもと触れ合うこと。土日の二日間を使って行うイベントである。
「あれさ、誰も参加しなかったんだよな。そこで、クラボラ部に頼もうと思ったんだが、参加してくれるか?」
文太は続けた。「勿論、趣旨が違うのは分かるんだがな」
文太はいいか、と後押しをした。
透は残っていた罪悪感からか断ることが出来なかった。
「まあ、来週は募集ありませんでしたしいいですよ。それでいつですか?」
「イベントは来週の土日だ……」
部員らは首を傾げたり思い耽たりして来週の土日の予定を確認する。
透を初め四人が参加出来ると表明したが、二人は参加出来ないと明らかにした。残る双葉は沈黙していた。
重力が重く感じる。
その中でついに双葉は口を開いた。
「あたしは不参加する。」
重力は軽くなるのではなく、さらに重くなった。
その日の定例会は蓋を閉じた。皆部室を後にした。閑散としたその部屋に鍵をかける。その間に双葉は遠くに離れ、追いつくことが難しい距離まで離されていた。透は深いため息を吐いて小さくなっていく双葉の影を眺めた。