第70話 闇
俺と霞がおっさんに連れられて来たのは、商店街組合の事務所と書かれた部屋だった。中には商店街と同じくらい年季の入った事務机がいくつか並んでいる。
おっさんは組合長と書かれたプレートのある机へ近づくと、引き出しからなんの飾り気もない茶封筒を一通取り出す。そのままおっさんは尻ポケットから長財布を取り出し、紙幣を一枚抜き取って封筒に入れると、俺に向かって封筒を差し出す。
「これは?」
「寸志だよ。一等を渡すわけにはいかないからな。これを持って大人しく帰ってくれないかな」
一等が無いというのは分かる。実際に景品紹介のポスターには、何某様おめでとうございます。と、いう当選結果が貼られていたわけだし。だが、この組合長らしきおっさんの言動には引っかかる部分が多い。
「どうしてあんたは自分の財布から金を出すんだ? それに、一等を渡すわけにはいかない? 一等は誰かがもう当てたんじゃないのか?」
「細かい事をごちゃごちゃと……。タカリ目当てのヤカラなのはわかってるんだ。さっさと金を持って消えろ」
おっさんは顔を真っ赤にして俺に向かって喚き散らす。霞の能力は確かに不正と言われても文句が言えないレベルだが、だからといっていわれのない非難を黙って聞く必要はない。
「タカリなどと言われては黙って居られないな」
「人が穏便に済ませてやろうといってるのに、その態度はなんだ。お前らがやったことを騒いでる連中にバラしてもいいんだぞ?」
「いったい何をばらすというんだ? 俺は普通に福引を引いただけで、何もやってないぞ」
「やってない訳ないだろ。この金の玉を持ってきて、いかにも抽選器から出たかのように見せかけたんだろ?」
おっさんの発言に霞が「小太郎がそんなことするわけないよ。必要もないしね」と反論する。俺はこのおっさんが、不正をしたと確信していることが気になっていた。
「どうして自信満々で俺が不正をしたなんて言えるんだ? 手違いで一等が二つ入っていたのかもしれないじゃないか」
「言えるに決まってるだろ。あの抽選器には最初から当たりなんて一つも入れていないんだからな。一等なんて出すわけないだろうが、馬鹿か」
おっさんは事務所の隅に置いてある金庫へと近づいて行き、ダイヤルを回して扉をあける。
「ここにしまってある本来の当たり玉と見比べれば不正は一目瞭然のはずだ。せっかく穏便にすましてやろうと思ってたというのに……。警察に突き出してやるから覚悟しろよ」
鳳来の一件でまだ警察は俺の周りをうろちょろしている。後ろ暗いところは一切ないのだが、警察はこういったトラブルは大歓迎だろう。それにしても、このおっさんは自分が調べられるというリスクは考えていないのだろうか。調べられて困るのはおっさんの方だと思うのだが。
「覚悟するのはアンタだよ。組合長」
俺の思考を遮るようにかけられた声に振り向くと、そこにはスパイスショップの婆さんがICレコーダーを片手に立っていた。
「アンタの悪だくみは全て録音させてもらった。年貢の納め時だ」
「くっ、副会長……」
呟いたおっさんは先ほどまでの勢いはどこへやら、諦めたような表情でがっくりとうなだれてしまう。
なるほど婆さんは副会長で、会長の不正を暴きたかったという事か。そのために霞と俺に福引をやらせたかったと。
「霞ちゃんとボウヤのおかげだよ。会長、抽選器に当たり玉を入れたのはこのワタシさ。こうでもしなけりゃあ尻尾を掴ませなかっただろうからねえ。さあ、隠してある一等を出してもらおうか」
「わかった……」
おっさんは壁に掲げられた賞状が入った額の裏をごそごそと探ると、立派な水引で飾られたご祝儀袋を取り出す。
おっさんは未練がましくご祝儀袋を見つめた後、延ばされた婆さんに手渡す。婆さんは受け取ったご祝儀袋の中身を素早く確認すると、俺に差し出してくる。
「迷惑かけたね。これはアンタたちのもんだよ」
おっさんは食い入るようにご祝儀袋を見つめたまま、悔しそうな声で言う。
「一等を当たらないようにしてたのは、先代の会長の頃からそうだっただろ。どうして今になって急にそんなことを言い出すんだ」
「一等は見せるだけで当たらないようにするのは良いとしてもだ――」
俺と霞がほぼ同時に「いいのかよ!」とツッコミを入れる。婆さん不正がゆるせなかったという訳ではないのか。婆さんは俺と霞にちらりと視線を向けた後おっさんに向き直り、言葉を続ける。
「――あんたが一等をネコババするのは許せないね。せめて商店街の飲み会の目玉にすりゃあよかったんだ」
「だからと言って、こんなことをしたって何も変わらないだろう。そいつらが得をするだけでオレもお前も損をするだけじゃないか……」
がっくりと膝と両手をついた、決勝戦で燃え尽きた高校球児のような姿でつぶやくおっさん。対する婆さんは胸を張ってしたり顔でおっさんに言い放つ。
「ふん。会長だけがいい思いをしてるのが気に入らないからに決まってるじゃないか。それに、絶対に自分のものにならない一等なら、他の誰かにやったほうが恩が売れる分マシってもんだ」
いや恩に感じるどころか、婆さんもおっさんも張り倒してやりたいくらいなんだが。二人が口を開くたびに、どんどんスケールダウンしているように感じるのは、俺の気のせいではないだろう。随分腹の立つことを言われた気がするが、なんだかもう馬鹿かしくなってくる。
「ねえ小太郎……」
「ああそうだな。霞、帰るか」
霞もあきれ果てていたようで、口論を続けるおっさんと婆さんをしり目に俺と霞は、部屋へ帰るべく歩きはじめるのだった。買い物袋と、ペア一泊二日の温泉旅行チケットの入ったご祝儀袋を持って。




