第02話 霞
「働きすぎですね。このままだと寿命を縮めますよ」
かかりつけの医者の言葉に『死ねばもう仕事に行かなくて済む』と思った自分に愕然として会社を辞めたのが一か月ほど前のこと。三十路直前で過労死なんて笑えない冗談だ。
今日も朝から履歴書片手に面接を受けて回っているが、どこからも色よい返事をもらえていない。うまくいかない事ばかりで気ばかり焦っている。
貯金はすでに底をつき始めているし、老後のたくわえのために始めた株は値下がりしてしまって塩漬け状態だ。このまま就職先が見つからなければ損を覚悟して株を売って生活費に充てるしかなくなってしまう。
「くっそ……。辞めたのはブラック企業だったんだから、失業保険すぐにくれてもいいのに……」
失業保険をかなりあてにしていたのだが考えが甘かった。自己都合による退職の場合は待機期間等が長く、実際に一回目の保険料の振り込みが行われるのは約百二十日後になるらしい。
小腹も空いてきたし、昼休みで混雑する前に食事を済ませようかと思ったのだが、財布に残っている金額を思い出すと、ため息しかでない。なにしろちょっとしゃれた店で食事をしようにも、心もとない程度の金額しか入っていないのだ。
「今日は昼めし抜きだな……」
ちょうどその時だった。
不意に誰かの視線を感じて視線の主を探す。別に珍しいことじゃないし、誰もが幾度となく経験していることだろう。大抵の場合は誰も居ないか、居たとしても野良猫なんかの小動物が居るのが関の山だ。
だが、今日だけはちがっていた。ビルとビルの合間に着物姿の若い女性が倒れこんでいたのだ。彼女は助けを求めるように俺の目をじっとみていた。
道行く人は少なくないのに誰も彼女を助けようとしない。これが心理学でいうところの傍観者効果という奴だろうか、確かに俺も関わらないで済むなら関わり合いになりたくはない。
「はあ……。目が合っちゃったもんなあ……」
俺は諦めて倒れている女性の方へと向かう。何か発作でも起こしているのだろうか医療の知識なんてまるでないし、様子を伺って救急車を呼ぶくらいのことはしてもいいだろう。
しかし、二十歳になるかならないかだろうか、少し幼さを感じるがとんでもない美人だ。赤みががかった黒髪は上品にまとめられているし、和服のせいでよくわからないがスタイルもかなり良い方に入るはずだ。
俺は彼女のそばに跪くと抱え起こして声をかけた。
「大丈夫ですか? 救急車でも呼びますか?」
「ぉ……………………、おなかぺこぺこ……」
彼女がそういうのと同時に、女性としてあってはならない大音量でぐぅぅぅぅぅっとおなかの鳴った。心配して損した気分だ。呆れながら聞く。
「で、俺にどうしろと?」
「ごはんを」
まあ乗り掛かった舟だ。俺も腹が減ってたしファミレス程度ならごちそうしてやってもいいだろう。たしかすぐそこに大手チェーンファミレスがあったはずだ。
まだ空席が残っていたらしくすぐに席に案内される。店員は俺たちを席に案内し終わるとすぐにどこかへ行ってしまった。
「俺の名前は久世小太郎。君の名前は?」
「霞だよ」
霞と名乗った彼女は食い入るようにメニューを見つめながら面倒そうに答える。霞というのか名前なのか苗字なのかどっちともとれるな。
「ねえ……」
「どうした? どれにするか決まったか?」
「ええっと……、どれがいいのかわかんないんだけど……」
「はあ……、じゃあ俺が適当に頼んでいいか?」
聞いたところ霞には特に苦手な食べ物などはないという事なので、季節のスペシャルメニューと飲み物を頼む。ほどなくして実にファミレスらしい早さで料理が運ばれてきた。
「んぅぅぅ、これ美味しい」
霞はその小さな体のどこにそんなに入るんだと思うくらいの勢いで食べる。上品な食べ方をしているというのに俺より食べるペースが早い。あっという間に食べ終わった霞は名残惜しそうに言う。
「あのね。もうちょっと頼んでいい?」
大きな瞳をキラキラと輝かせ幸せそうに言われてはさすがにダメとは言いづらい。いったいどれだけ空腹だったんだ。
「俺も今は金がないんだから、いつかちゃんと返してくれよ」
霞の食欲が満足した時にはテーブルの上には食器の山が完成していた。どうみても俺の財布の中に残っている金額では足りないだろう。
「一応聞くけど、霞はお金を持ってたりは……」
「持ってないよ」
俺は頭を抱えながらレジへと向かいクレジットカードで支払う。請求が来るのは来月とはいえ、無職でニート状態の俺には結構つらい。
「ごちそうさまでした。小太郎は優しいね」
そういってほほ笑む霞は思わず息を呑むほどに美しかった。
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