その指先に、光をまとって
「おお、見違えるなあ、にいちゃん!」
宿の主人フラウムが感嘆の声を上げる。セレンは肩の重みを揺すって、苦笑した。
「ちょっとまだ、重くて」
馴れるまでかなりの時間がかかりそうだ。胸元に抱く温もりには、もう馴れてしまったというのに。
銀貨を一枚差し出しながら言えば、フラウムは大きく頷いた。
「最初の剣ってなあそういうもんさ。それにしても……随分と張り込んだんじゃねえか?」
「おかげさまで、明日には宿代を稼ぎにいかないと」
「はっはあ、それで服は新しいの買えなかったクチかぁ」
「はい……」
みっともないと言えばそうなのだが、未だにセレンの胸元はカマキリの鎌に切り裂かれたままだ。そこへ蛹を突っ込んでいるので、ややほつれてもいる。だが、外はもう薄暗い。先立つものがない以上戦わなければならないが……今日はもう無理だ。
声までが気落ちしているのを自覚する間に、ニッとフラウムが笑む。
「そういうやつ、多いんだよなあ。……でも、あんた、ついてるぜ」
首を傾げると、フラウムは食堂のほうへと視線を向けた。そして、声を張り上げる。
「クロステル、ちょうどいいのがいるぞー!」
彼の視線の先を追い、振り向く。そこには中腰になった女の子がいた。こちらを見た弾みで、ふわりと金髪が舞う。愛らしい顔立ちが、今は少しおびえたように翳っていた。セレンとは異なり、オレンジ色のワンピースを身に纏った姿は人目を惹く。
その肩に、見覚えのあるモノがあった。
――蜘蛛、である。
思わずセレンの手が肩に伸びる。それを見て、女の子は身を震わせた。
「え、ええ!?」
「おいおい、そんなもん店の中で抜くなよ? あんた、ひょっとしてアレを魔物だって思ってんじゃねえだろうな」
剣の柄に手を掛けた時、フラウムから注意が飛んだ。アレ、が指し示すモノを理解し、セレンは確認するように問う。
「蜘蛛、だよな?」
「まあ、蜘蛛だけどな。妖精妖精。蜘蛛妖精ってんだよ」
妖精。
セレンはそのことばを聞いた途端、剣から手を離した。そして、完全に怯え切っている女の子に謝る。
「ごめん。そうだよな……魔物なわけないよな、肩乗ってんのに」
セレンが倒したものよりはまだ小さいが、同種の蜘蛛のようだった。青虫が妖精になるのだ。この世界なら、蜘蛛でもオケラでも妖精になるのだろう。たぶん。
そして、セレン自身も胸元から蛹を出す。
「うちのなんて青虫なんだ。今は蛹になっちゃったけどさ」
そう笑って言えば、女の子は席を立って駆け寄ってきた。物珍しいのか、じっくりとセレンの手の中を見ている。
「え、蛹って……蛹妖精、ですか?」
「ほほー、青虫妖精か。そりゃギャンブルだね、にいちゃん」
「あ、やっぱり?」
蛹になったばかりのころは緑だったのだが、ほんの少し見ないあいだに、茶色へと変わりつつある。フラウムの言により、セレンは察した。やはり、青虫妖精は、様々な種類へと進化する可能性があるのだ。どれだろうが虫であることには変わらない気はする。
「まあ、どんなんでも、もういいかな、と……」
「おお、そいつぁ契約者の鑑だね!」
契約妖精は一匹限定というわけではない。とりあえず、エルーカが目覚めたら、その先を考えればよい。そんな安易な気持ちで言えば、褒められてしまった。
女の子はセレンの目の前で首を傾げた。さらりと肩口から金髪が零れ落ちる。
「ギャンブルって、青虫なら蝶になるんじゃ……」
「いやいや、青虫妖精ってのはいろいろ進化するんで有名なのさ」
そしてフラウムは指折り数え始めた。蝶、蛾、蜂、蠅、カブトムシ……とそこまで聞いて、覚悟を決めていたセレンも蒼白になる。
「……ハエ?」
「そんなにあるんですか!? すごい……」
呆然としつつ、セレンはいきなり前言と覚悟を撤回したくなった。
その時、シュルシュルと不気味な音が発された。見ると、女の子の蜘蛛妖精が顎の中をもぐもぐさせている。
「あ、そうでした!」
ぽん、と彼女は両手を打つ。間近で見ると、その肌の白さとオレンジ色の服が際立った。ワンピースだと思っていたものは上衣で、中にはもう一枚、白い服を着込んでいるようだ。胸元は、上衣と共布で作られたリボンでまとめられている。
次いで女の子は、パッと片手を広げ、セレンに尋ねた。
「私、裁縫師のクロステルです! 本日仕事始めにつき、大特価の銅貨五枚で繕い物を承りますが、如何でしょうかっ!?」
ハイタッチ、ではなく、銅貨五枚。
その顔つきの必死さに、思わずセレンは破顔した。
「そりゃいいや。よろしく」
「やったーっ! アニー、初仕事ー!」
嬉しそうに報告するあたりは可愛いのだが、肩乗り蜘蛛の「シュルシュル」という鳴き声に、どうしてもセレンは背筋が寒くなるのだった。エルーカは寝ていて正解かもしれない。
「あ、服――替え、ないんですね……そうですよね……」
クロステルの向かい側の席へと促されたセレンは、「じゃあ、服を脱いで下さいね」と年頃の女の子に言われ、困惑しながらも従った。メニューから装備を外すという形を取れば、上衣のみが手元に出せる。上半身裸に剣ってどこの変態だと思ったが、ここは致し方ない。
そして片手にエルーカを持ったまま服を差し出せば、クロステルは受け取ってくれた。しかし、頬を赤く染め、しかも徐々にその視線が下がっていく。
いや、俺だって露出狂したくないんだけど……。
利用規約違反の注意事項も出なかったので、おそらく下さえ脱がなければ男の場合は問題ないのだろう。実は状況を理解しているとすれば大したものだが、そこまではわからない。
「替えあったら頼まないし……」
「そうですよね! すみません! じゃあ、さっそくやっちゃいますね!」
まるで痴漢だと非難されているような態度に、ついつい唇が尖ってしまうのは仕方がない。嘆息しながら言えば、クロステルは気を引き締めたように声を張り上げた。そして、テーブルに載せた蜘蛛妖精のアニーへと指先を差し出す。
「アニー、糸ちょうだい」
きらきらと明かりに煌く糸が、吐き出されていく。それを指先に纏わせ、彼女はそのことばを口にした。
「――糸よ、針となって我が意に従え」
魔句だろうか。
広げられたセレンの上衣に、その糸が伸びていく。彼女の心のままに、胸元のほつれや切り口を縫い合わせていった。
そして。
「修繕」
キーワードをクロステルが口にすれば、驚くことに、縫い合わせていたはずの部分が元通りに直った。否、元の形などもう覚えていないのだが、パッと見、そこが切り裂かれていたなどとはまったくわからないほどに修繕されていたのである。
「はい、できました!」
「――すごいな」
感嘆の声を洩らすと、クロステルは照れたように笑った。
「自分の服を縫った時に、結構熟練度が上がったんですよ。ほら、これ、かわいいでしょう?」
リボンを少し引っ張ってみせる。
頷くと、その表情が輝いた。丁寧な手つきで服を畳み、セレンへと差し出す。
銅貨を五枚と引き換えに、セレンは上衣を受け取った。そのまま、装備欄から着用する。
そして、気付く。
――青虫妖精の蛹を、上から入れるのが少々しんどい、と。
直してもらったものにケチをつけるわけにはいかない。
蛹は手に持ったまま、セレンは改めて礼を言った。
「ありがとう、助かった」
「こちらこそ! お役に立ててうれしいですー! あの、しばらくこのお店で夜は繕い物のおしごとさせてもらうつもりなので、御用あればぜひお願いします!」
皮とか布とかあれば、簡単なものでしたら作れますよ!と彼女のことばは続いた。
そこは曖昧に頷きながら、セレンは席を立つ。何となく空腹な気もするが、どちらかというと疲れがひどい。空腹度、疲労度という項目はどちらも見当たらないのだが、まずは休むことにした。
「また、機会があれば頼むよ」
「ありがとうございますー!」
すると、ぴこん、と音が鳴り、ウィンドウが開いた。
クロステルからの、フレンド登録の要請、である。
社交辞令は真っ向から受け止められたらしい。フレンド枠にひとりもいない現状に、セレンは断る理由が見つからなかった。「はい」を選んで追加する。
「セレンさん! これからも、よろしくお願いしますねっ」
今はとにかく、その笑顔と……蜘蛛の牙が、眩しかった。