施療院にて
ガメリオンの西門は大きく開かれていた。馬車は一台ずつ門番に止められているが、歩きで入る者には特に何もないらしい。初心者が初めに立ち寄る街としては当たり前なのだが、やはり厳重に門番が立つ様子には気が引き締まる。セレンは胸元を押さえたまま、門をくぐろうとした。
「おい、おまえ!」
その矢先に、早速声を掛けられた。身を震わせ、セレンは立ち止まる。腰にはナイフを佩いているものの、門番はもとより他にも帯剣をしている者は多い。武装が詰問の理由ではないとすぐに悟った。だからこそ、呼び止められる理由がわからない。それが、怖かった。
「――何か?」
胸元に抱く塊を強く握り込み、セレンはややきつめに尋ねた。門番はセレンの強張った表情を見ることなく、その胸元へと視線を落とした。
「怪我をしてるんじゃないのか!? だいじょうぶか?」
思ってもみない気遣いの発言に、セレンはとっさに返事ができなかった。
門番は指先を街壁沿いの通りへと向けた。
「この通りをまっすぐ南に進めば、施療院がある。診てもらうといい」
「……あの」
「ああ、対価は後払いでもかまわない。皿洗いなり、薬草取りなりを手伝えばいいさ。金がないことなんて気にするなよ」
セレンが言い淀む様子に、違うニュアンスを感じ取ったのか、親切にも門番は施療院について説明してくれた。そのことばのやりとりに、セレンはようやく訊きたいことを口にできた。
「そこって、妖精も診てもらえる?」
「妖精!? え、あ、おまえ、もう妖精と絆を深めてるのか!!?」
門番は驚き、セレンの周囲を見回す。だが、そこには何の姿も見えない。よって、違う解釈をした。
「風の眷属か? とにかく行ってみろ。悪いようにはならん!」
どうやら、妖精も施療院で癒してもらえるようだ。そのことに安堵して、セレンは頷いた。
「わかった、ありがとう」
「ついでだ。施療院の近くにフラウムの宿がある。そこも安くていい店だから、覚えておくといい」
もう一度そのことばに頷き、セレンは踵を返した。
門番の教えてくれた施療院は、地図にも表示があった。街に入らないと地図は切り替わらないらしい。重要施設らしき名称が、通りと区画が描かれた白地図にいくつも浮かび、その中に施療院もあった。名前を聞いたからだろうか。フラウムの宿も表示されている。
訪れた施療院の前には、広々とした車宿りがあった。何台も馬車が並んでおり、繋がれた馬は水を飲んでいる。
葉っぱのマークが描かれた看板を掲げているのが、施療院らしい。その看板の近くに、正面玄関らしき大扉があった。開かれたままのそこへと、足を向ける。出入りする者は多い。老若男女問わず、皆忙しそうな様子だった。
中は「病院」とひとことで言えるような雰囲気を持っていた。だが、待合室には殆ど人影がない。受付へと進むと、女性が心配そうに尋ねてきた。
「こちらは施療院です。
今日はどのようなご用件でしょうか?」
「――あの、妖精が……」
どう言えばいいのだろう。
迷うままに、セレンは胸元から蛹になってしまった青虫妖精を出した。
それを一目見て、女性は息を呑んだ。
「青虫妖精、ですね。もう蛹に……」
事情を察してもらえたようだ。セレンは拒絶されないことに安堵し、問いかけた。
「つい先ほど、敵からの攻撃を受けてこうなったんです。あの、これって羽化しますよね?」
「……つい、先ほどですか?」
そのおうむ返しに頷くと、女性は少し迷って視線を後方へと向けた。奥に部屋があるようだ。そちらから、促されたかのように男性が姿を見せた。白衣、と思ったものは白衣ではなく、白の術衣だった。片眼鏡を掛けた神経質そうな男性は、彼女の後ろに立った。相当身長が高い。身を屈め、彼は片眼鏡に手をやり、目を凝らす。
「ふむ。確かにまだ蛹になって間がないようだ」
納得したかのように頷き、更に身を乗り出す。
セレンは青虫妖精をよく見えるようにと差し出した。気をよくしたのか、彼は口元を歪めた。もともと神経質そうに見えるので、あまり好意的な笑みには見えない。しかし、そのことばはとてもやさしいものだった。
「運がよかったな。契約者も、自身も守り切るとは……大した妖精だ」
「――はい」
この青虫妖精を見るだけで、その状況が伝わるとは思わなかった。その男性は、妖精へと手を伸ばさなかった。ただ、セレンへと視線を向け、尋ねる。
「蛹化は成功している。そっとしておいても、いつかは羽化するだろう。だが……傷を負っての蛹化だ。羽化の時期はこのままでは不明としか言えない。最良な方法は、力の強い妖精の遊び場へ招き入れられることだな。
さて、きみはこの妖精をどうしたいかね?」
それに合わせて、クエストウィンドウが開いた。
薬師なのか、と情報提供者の欄にある役職名で知る。妖精進化クエスト、と銘打たれたそれの内容は、端的に先ほど彼が述べたものがまとめられていた。受注し、成功すれば青虫妖精は進化……羽化する。
但し、力の強い妖精の遊び場の場所は、北の森とあった。最初の町の北側となれば、どのMMO(Massively Multiplayer Online)でも隔絶した強さを持つ敵が揃う場所だ。東西南の三か所でレベルを上げ、行く行くは北へと挑むのがセオリーである。セレンは青虫妖精の進化のためのクエストになっているが、他のプレイヤーにも内容は異なれど同じ北の森へ向かうクエストが存在するのだろう。
セレンの答えなど、一つしかなかった。
選択肢をタップすると、薬師マーキムは満足げに頷いた。受付の女性が柔らかく微笑み、机の上に幾つかの瓶を並べる。手のひらサイズのそれは、アンプルと言っても良いほど小さい。それらは回復薬だと説明を受けた。多種多様の回復薬があり、基本的には大きさと色合いで効果を判断するらしい。もちろん、アイテム表示である程度の簡潔な内容はわかる。ただ、並んだポーションから即座にどの効果を選ぶのか、といった際に必須の統一規格だ。そんなものがあることに驚き……改めて、この世界がゲーム世界であることを認識する。プレイヤーにやさしいのは大歓迎である。
今のセレンのHPを全快にできるほどの効能を持ったHP回復薬を五本、MP回復薬を三本の計八本を受け取る。ありがたく皮袋に収めた。
「その青虫妖精が羽化したら、ここに連れてきてもう一度見せてくれ。我ら人間の友として、妖精については学ぶべき点が多い。これは前払いだ。成功報酬として大銀貨一枚支払おう」
受注してから具体的な報酬の話になる、というのはなかなかブラックだなと思いながらも、薬師のことばにセレンは頷いた。もちろん、最大の報酬は青虫妖精の目覚めなので、口には出さない。むしろ、おまけがつくことはありがたかった。クエストウィンドウの表示に報酬欄が追加され、前払いの回復薬類や、成功報酬の大銀貨一枚の文字が現れる。
大銀貨ってどれくらいの価値だろうと疑問に思った途端、ウィンドウが追加された。親切設計である。銅貨一枚一C、というのがこの世界の通貨のようだ。大銀貨一枚は三百Cとなる。単位だけ教えられても物価がわからない。
「あの、例えばこのポーションっていくらくらいになりますか?」
「買えばそこそこ高いよ。HPで銅貨十五枚、MPなら銀貨一枚ってとこだね。MP回復薬は貴重だから、気軽には使いにくいかもな。そこのフラウムの宿なら、一泊できる値段だよ」
宿代に匹敵するポーションとなると、確かに気軽には使えない。
貴重品だと再認識して、セレンは礼を口にした。そして辞去しようとしたのだ、が。
「青虫妖精最優先なのは感心だが、きみも怪我をしてるじゃないか」
呆れ返った薬師のことばに、初めて自分のHPが削れていると気づいたのである。服だけではなく、胸までが断たれており、そこには赤い線が走っていた。痛みがないのでまったくわからない。抱えた蛹を胸元から取り出さなければ、ずっと気付かなかったかもしれない。
「そうだな。よし、治療費は前払いに追加してやろう。その代わり、北の森で何か薬草類を見つけたら、報告時に譲ってほしい。ちゃんと対価は払う」
薬師はそう言い放ち、返事も聞かずに一度奥へと引っ込んだ。すぐに戻ってきた彼の手には緑色の薬剤の塗られた湿布があり、受付から出てきてセレンの胸元へと貼り付ける。まるで吸収されるように、それは消えた。HPも全快している。
「怪我をしたら、まず施療院に来るといい。宿に泊まっても、HPが回復する量には限界があるからな」
宿泊による全快、というシステムではないと知り、セレンは納得した。施療院の存在価値が上がるわけだ。逆にMPは一晩休めば全快するという。やや現実じみた設定である。
再訪を約束し、セレンは今度こそ施療院を辞去した。そして早速、フラウムの宿へと向かい……
「いらっしゃい。うちは一泊銀貨一枚だよ」
そこの主人の発言に、無一文だったことを思い出すのだった。