狩る側、狩られる側
小さな礫が、頬や腕を掠める。
風にまぎれたそれは一瞬の視界を奪い、次いで王子の踏み出した足元に風の刃が向けられた。
馬妖精の嘶きが、己の契約者を守るべく弾く。
熊妖精の拳が風に乗った礫の軌道を逸らすのを横目に、セレンはクレイモアを突き入れる。
もう幾度目かの刺突は、また確かにオブライエンを穿っていた。
だが、男は倒れない。
「ひひーん。しぶといでやんすね」
「シルバー、おまえは控えていろ」
「ひひーん。もちろんでさぁ。あっしはあっしの契約者に忠実な愛馬でやんすよ」
その背に乗せられない以上、混戦するとかえって危険になると、馬妖精は後方から支援に徹していた。
未だに余裕のあるやりとりを聞き流しながら、セレンは間合いを取る。
しかし、窪んだ眼窩は見逃さない。
乳白色の宝珠がきらめき、新たに生み出された風の刃が腹部を裂く。大きく削られたHPに顔をしかめれば、すぐさま蝶妖精から癒しが与えられた。
その小さな呼吸は、荒い。
「ファラ」
これ以上はと押しとどめようとする契約者へ、蝶妖精はかぶりを大きく左右へ振る。
視界の端で、王子の剣が黒の術衣を薙ぐ。ダメージのきらめきが散るものの、それでもオブライエンは変わらず魔法を放つ。
「こんな……こんなのって」
震える声音が少女から漏れる。
HPダメージの蓄積が殆ど見られない光景に魔術師ナトゥールの術衣の端を握り、クロステルは己の蜘蛛妖精へと視線を走らせた。シュルシュルと音を立てながら、契約者の望むままに守り糸は紡がれ続けている。それがあるからこそ、ひび割れた魔法陣の向こうであっても、妖精たちの捕らわれた無数の檻は無傷でいられた。しかし、いつまでもつかと思えば。
剣戟も、魔法戦も、繰り広げられる激烈さに比べて時間の経過はさほどでもない。
だが、着実に削られているのは妖精狩りを狩る側のほうだった。
「何、何なの……?」
不意に。
鈴を鳴らすような、微かな戸惑いが、耳に届いた。
セレンが声の主を探せば、すぐに鉄とガラスの檻のひとつで赤い花が咲きほころぶさまが映った。頭部にふっくらとした複数の花弁を有した花妖精が、浮かび上がるように日射しを受けながら、声をあげている。
対して、周囲の檻の中では、未だにまぶたを閉ざした妖精たちが薄暗がりの中で眠りについていた。
天窓から射しこむ光が、本来壁にある妖精たちの檻に当たることはない。
セレンは視線をめぐらす。
床に落ちた天窓の一部……むき出しになった金具が、天窓から射しこむ微かな光を反射していた。
「――起こさないと」
力が足りない、と男は言った。
飾られた妖精たちは、ただの飾りではない。
今もなお奪われ続けているとしたら、それは。
「クロステル、鏡!」
セレンの叫びを受けて、少女は鞄へと手を入れる。そこから現れた小さな手鏡を見て、魔術師ナトゥールは喉を鳴らして嗤った。
「それでは小さいだろう」
天窓の真下へ、複数の魔法陣が描かれる。
守りの魔法陣とは異なり、それは水鏡のように変化した。小さな光を、より大きく反射するようにと光を拡大していく。
そして、壁面を飾る、鉄とガラスの檻を照らした。
「なっ」
驚愕が、オブライエンから漏れた。
赤、白、黒、黄、紫、橙、桃……様々な色が一斉に花開く、その光景にセレンは笑む。
「これで、終わりだよな!」
クレイモアの柄を握りしめ、斬撃を仕掛ける。王子もまた剣を手に駆け出した。
妖精たちの光が、周囲からオブライエンを、セレンたちを包んでいく。
それは祝福の光。
新たなる妖精の遊び場が足元へと広がる。その中で、セレンと王子の剣が、オブライエンの中で交差した。
乳白色の宝珠は、杖ごと砕け散る。
断末魔の声は上がらず、古ぼけた術衣はそのままに。
魔術師オブライエンの窪んだ眼窩に闇はなく、今は涙を浮かべ、ゆるりとセレンに向けられた瞳は若葉に似た薄い緑を湛えていた。
ずるりとその体がくずおれる。
ふたりが剣を引き抜くと同時に、妖精の遊び場の中心に魔術師オブライエンは伏した。王子は剣をその場に打ち捨て、男が仰向けになるように手を添える。
ただ息が詰まるほどの花々の芳香が、ひとりの愚かな魔術師の二度目の死出を彩っていた。