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咆哮


 右手の中指。

 そこに嵌められた大きな円環には、乳白色の石があった。

 ことばもなく振られた男の腕からは風が放たれ、無造作に殺意をばらまく。


「させない!」


 熊妖精(シオン)が吠える。

 スキル怒りの咆哮アンガー・シュライエンとシステムが告げる。

 レベルアップによって得られたものか、セレンは初めてそれを見た。

 怒りによって身体能力を高め、各種耐性を上げる。身体強化(フォール)の上位互換だ。

 毛玉がセレンの前へと立ち塞がり、幾筋かの刃が切り裂いた。

 青い羽が宙を舞い、祝福の口づけが贈られる。瞬く間に癒しが訪れ、それを目の当たりにした男は舌打ちした。

 戦闘空間(室内)は学院寮の玄関ホールほどあったが、それでも男と壁面が近すぎる。熊妖精(シオン)が本性を顕せば容易く男を捕らえることもできそうだが、それと引き換えに壁面に飾られた命を散らすわけにはいかない。


 小さな影から踏み込み、前に出る。

 そのまま斬撃(スラッシュ)を打ち放つ。古ぼけた術衣の身頃が断たれ、ダメージ表示である光が舞った。苦悶の声があがる。


 セレンは男を見た。

 灰色の髪は視界を覆うほど下がり、その隙間から落ちくぼんだ眼窩が覗く。黒の術衣であっただろうものは形容しがたく薄汚れ、この場の鉄とガラスの檻に比べてあまりにもみすぼらしい。

 しかし、あの少女のことや瞬間的に放たれた魔法を思えば、何一つ油断する理由にはならなかった。


 左手が、熱い。

 覚えがあるそれが、彼を思い出させた。


「そろそろ来いよ、魔術師ナトゥール!」

「――契約者(コントラティスタ)セレン? 喚ばずとも、私は協力を惜しまないさ」


 複数の陣が壁面をぐるりと囲うように……逆に、男とセレンたちを捕らえるように、四方を覆う。

 自信すら声音から響かせながら現れた術衣の魔術師は、その囲いの外から念願の妖精狩りである男へ冷えたまなざしを向けた。それが驚愕に大きく見開かれる。


「魔術師オブライエン、何故……あなた、生きて……?」


 瞬間、甲高い音と共に陣が幾つかひび割れる。

 立ち上がった男の手には乳白色の宝珠の杖があり、口元は弧を描いていた。


「久しいな、友よ」


 親しみを込めて発されたことばに、セレンの剣が振るわれる。ただの牽制だが、オブライエンと呼ばれた男は当たりもしない剣先を避けるように後ずさった。


「――糸よ(シル)針となって(エギーユ・)我が意に従え(モーヴェレ・モーヴィ)……守り糸(ディフューザ)!」


 聞き覚えのある魔句タヴィーザが、薄暗い室内へと流れ込む。

 蜘蛛妖精ア・ラーニャから吐き出された糸が、ひび割れた魔法陣を補強するように紡がれた。

 裁縫師クロステルが床に降り立つと、操り人形のように纏わりついていたアニーの糸束が床に散る。

 そして、セレンの視線を受け、彼女は嬉しそうに手を振った。


「このくらいなら、私にもできますから! セレンさんは気にせず、やっつけちゃってくださいっ!」


 両手の拳を握りしめ言い放つと、魔術師ナトゥールの影へと隠れる。

 ある意味安心できる配置だと、セレンは頷いた。


 ダァァァンッ!!!!!


 同時に、唯一の扉が吹き飛ぶ。

 高らかな馬の嘶きが室内を占拠した。


「ひひーん。臭う、臭いやすぜ、王子。くっさい死人と花のにおいでもうぐっちゃぐちゃ。ここはきっと葬式中にちがいねぇ」

「シルバー、おまえの鼻もなかなか使えるじゃないか。ボクは久々におまえを見直したよ。だが、葬式中ではいろいろ間に合っていないんだが?」

「ひひーん。あんたに褒められるとケツがかゆくなりまさぁ。ちょっと掻いてもらってもいいっすかね?」


 馬妖精シュヴァルは後ろ脚で破った扉の破片を踏みつけ、そのまま魔術師オブライエンへ蹴り飛ばした。

 その横から回り込みながら、光り輝く金髪の王子は赤いマントを翻す。

 さすがに下馬はしていたが、きらめく白い歯と生み出された空気にセレンは視線を泳がせた。


「おぉ、我が友よ!」


 同じ呼びかけでもこれほど違うのか。

 全力の好意が炸裂した朗らかな呼びかけに合わせて、王子はセレンへ並ぶように駆けた。


「待たせてしまったな。すまない」

「いや……」

「待ってないし」


 反対側に立つ鋭い熊妖精シオンの返答に、寸分も待っていなかったセレンはそのまま言い淀む。

 王子はやわらかなまなざしを毛玉に向けてから、魔術師オブライエンをにらみつけた。


「悪に対して、多勢に無勢もなかろう。まして死人ならば、惜しむべき命もありはしないな」


 窪んだ眼窩の理由に、セレンは息を呑む。


 死んだ魔術師、引き取られた子ども、学院へと攫われた妖精――。

 複数の事実が原因を導き出す。


「惜しいとも」


 オブライエンは口を開いた。

 強く杖を床へ突き、低く響き渡らせるように男は語る。


「愛おしい子どもたちに、残さなければならないものがある。

 力はどれほどあっても足りない。金もだ。

 私は、まだ、死ぬわけにはいかない。

 研究成果を、残さなければ、そうだ、すべてを、集めて……」


 高らかな哄笑へと変わったその姿へ、重なるようにシステムが解除リベラセオを告げる。

 放たれた熊烈掌ブルーイン・パームは、容易く男を魔法陣へと叩きつけた。


「そんなの、知るもんか」


 熊妖精の唸り声が響く中、オブライエンはうめくことなくまた立ち上がる。

 手放されなかった杖を、掲げて。


「――そうだ。

 妖精狩りは、赦されない」


 背後から、魔術師ナトゥールも告げる。


「……頭さえ残れば、記憶を抜き取ることはできる」


 もはや揺らぎのひとつもなく、彼は殲滅を求めていた。

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