無理を通せ
眉間の皺を深くし、魔術師ナトゥールはセレンからシオンへ視線を移す。その全身を見上げ、そして吊るされたままの少女をながめ、彼はわずかに首を傾げた。
「――きみの、妖精ならそこにいるのでは? 熊妖精、しかも、陽の属性の者だね」
「もうひとり、蝶妖精がいるんだ」
「ほぅ。……なるほど、隠していたか」
「嘘をつけ」などという否定を口にせず、ナトゥールは納得したように門兵へと向き直った。
「状況を、報告してもらおう」
槍を構え直し、直立不動となって門兵は声を張り上げた。
「その娘から、学院生アルムへ薬草を届けにきたと申し出がありました。直接の面会には別途許可が必要なので、薬草という花かごはこちらで預かりました。学院兵ジャスティンが、学院寮へと届けるべく向かっています。
ですが、そこの契約者が」
「ふむ、中に蝶妖精を仕込んだか。印の欠片を、内に刻んでいるならば道理だな。
――魔術師ナトゥールの名において命ず。
そこの娘は重要参考人となる。保護し、我が門下に引き渡せ。
もうひとつ、即座に学院兵ジャスティンを追い、花かごを確保せよ。学院生アルムに渡すな」
必要な部分の聞き取りを終えた途端、魔術師ナトゥールは口調を変え、門兵に言い渡した。兵は槍を地に突き立て、応えた。
「ハッ。魔術に光あれ!」
「ひとの未来に光あれ」
決まり文句を口にして、兵は熊妖精のほうへと駆け寄る。シオンはセレンへと顔を向けた。
アルムという生徒の手元に、ファラーシャがいるのであれば……もうその少女に用はない。厳密に言えば、少女の後ろ盾がたかが学生なのかどうかを調べる必要があるのだが、それは、セレンの仕事ではなさそうだった。
小さく頷けば、シオンは少女を兵へと手渡す。ひぅ、と喉を鳴らして涙を流す少女を、兵は受け取った。そのまま、門のほうへと入っていく。入れ替わりに、別の兵が通用門から出てきた。
魔術師ナトゥールは、セレンたちを促す。
「では、急ごうか。
このふたりは、妖精狩りにおける被害者かもしれない重要参考人だ。入校にあたり、印は刻んでいる」
「了解しました。記録します。双方、名を」
門兵はナトゥールの申し出を受け、左の手甲を翳した。そこには丸く大きな半球上の宝石があり、何か陣が刻まれている。
熊妖精はテディベアへと姿を変えた。小さな身体が、セレンへと駆け寄る。そのふわふわした耳のあたりへと、セレンは手を伸ばす。くしゃりと握れば、不安げなまなざしがセレンを見上げた。
「セレンと、シオンだ」
「契約者セレン、熊妖精シオンの両名を記録せよ」
セレンが名乗れば、魔術師ナトゥールは言い直した。
きらりと、宝石がきらめく。一瞬浮かび上がった印は、ナトゥールが刻んだものとはまた違う代物だった。
「ハッ。記録しました。どうぞ、お通り下さい。魔術に光あれ」
「ひとの未来に光あれ」
行こう、と小さな声がふたりを急かす。
その足元に、踏みつけられた花束がひとつ、残っていた。
開かれた通用門から、シュフォール魔術学院へと入る。広々とした前庭には馬車道と草木が美しく配置され、それ自体が陣のようにも見えた。そこへ、二頭曳きの幌のない馬車が現れる。また別の兵が、御者台に座っていた。
当然の乗り込む魔術師の後ろで、セレンはためらう。
「学院寮は校舎の裏手だ。無駄に体力を使うこともないだろう」
振り向き、彼はそう指摘した。
魔術師の言うとおり、緑のアイコンは敷地の奥へと進んでいる。
セレンは視線を落とした。己の契約者の思うところを察し、黒い瞳はきらめき、その黒いツメが服の裾を引く。
「セレン、シオンに乗って。そのほうが早い」
「――ああ。先に行かせてもらう!」
返事を待つこともなく、解除したシオンの背へと、セレンは乗せられた。今まで騎乗したことはなかったが、とりあえず、その硬い毛を握り締める。
感触がわかるのか、それに合わせてシオンは駆け出した。瞬く間に馬車が遠ざかる。何か、魔術師が叫んでいたが、元はと言えばすべて魔術学院のせいだ。もし、万が一そうでなくても、そういうことにしてしまえばいい。
身体が大きく上下に揺れる。
同じ契約妖精故にわかるのか、シオンもまた迷わず緑のアイコンを追いかけていた。その背から振り落とされないように、必死でセレンはしがみつく。いくつかの建物のとなりを抜け、いくつもの悲鳴を背にしながら、それでもシオンは駆けた。
間に合え、と願うセレンの祈りは届かず。
その建物の正面玄関では、ふたりの兵が剣を引き抜き、彼らと対峙することになった。
「待て、契約者!」
「この先は学院寮! 許可なしに学外の者が立ち入ることは許されん!」
学院内、しかも寮に兵士がいるという状況は、通常ありえないだろう。ということは、彼らのうちひとりは花かごの運んだ兵で、もうひとりは魔術師による伝令、と考えるほうが状況に合う。
既に、花かごは学院生アルムの手に渡ったのだとすれば。
問答無用に魔術師ナトゥールも引っ張ってくればよかったか、とセレンはシオンの上で舌打ちした。すると、熊妖精はその心のままに、吠えた。
窓ガラスまでもが割れそうなほどの咆哮は、これがリアルであれば建物の中にも響き渡っているだろう。
効果覿面。
兵の使命感すらもぽっきり折ったようで、ふたりそろって完全に剣先が下りている。その全身が震えている様子に、セレンはシオンの背を撫でた。
「――ファラーシャを、取り戻そう」
熊烈掌が発動する。
その一撃は、兵を吹き飛ばし、正面玄関の扉を物理的に大破させた。セレンの行く手を、ことば通り、切り拓く。
この世界において、優先すべきは妖精と、その絆だ。
セレンは、迷わなかった。