追跡
「シオン、自分で走れるよ!?」
「ダメだ!」
テディベアを小脇に抱え、セレンは人込みを縫うように駆けていく。
視界にはイウォルの概略図が浮かぶ。緑の印は変わらず、北へ向かっている。
本性を顕した熊妖精のほうが、セレンよりよほど速い。それは彼自身にもわかっていたが、中央に馬車道のある大通りである。歩道には多くのひとが行き交っており、そのサイズを考えればとても頼める状況ではなかった。別行動は、この状況ではもっとありえない。
そして、これまでの道のりでレベルアップをある程度果たし、敏捷度を上げたセレンなら、ファラーシャを示すアイコンの速度に、じゅうぶん追いつける。その目算もあった。
路地に入っていくこともなく、ひたすら北上を続けるアイコンを追いながら、セレンは疑問を抱く。
――あの、子どもじゃないのか……?
脳裏に浮かぶのは、やせ細った……薄汚い子どもの姿だ。
逃走し、妖精狩りへ引き渡すのであれば、断然自分のフィールドのほうが有利だろう。しかし、アイコンは大通りを行く。どこかで曲がることもなく、それはひた走っていた。
「え……っ」
不意に、ある一画でアイコンが停止する。
大通りはそこで二手に分かれていた。迷ったのだろうか。
迷ったのならいい。そのまま立ち尽くしていてくれれば、なおのこと。
都合の良い考えを羅列していれば、不安げにシオンが声を上げた。
「セレン、この先ってさ。ひょっとして」
「――シュフォール魔術学院……!」
他の区画よりもはるかに大きく表示された文字を、読み上げる。
既に、セレンにも行く先が見えていた。街門に見紛う校門が正面にあり、雅な装飾の鉄柵がぐるりと取り囲んでいる。その向こうには、街の外からも見えた尖塔がそびえ立っていた。アイコンの位置的には、校門の端、通用門あたりだろうか。
まさか、と思った。
想像は最悪の形で応えられ――緑のアイコンは魔術学院の内側へと進んでいく。
「ふざけんなよ、あの野郎……!」
魔術師ナトゥールに対し、言いようのない苛立ちが胸を渦巻く。契約者に印をつけるより、魔術師の管理をすべきではないか。
魔術師が絡んでいるとは聞いていたが、学院そのものに絡むとまでは思っていなかった。
そして、たどりついた校門前の通りを……離れようとしている、ひとりの少女の姿を見つけた。
「セレン!」
「シオン、頼む!」
抱えたテディベアを解き放つ。
解除した熊妖精(陽)は、その巨体を一瞬沈めた。そして、地響きにも似た震動を起こし、宙に舞う。ほんの数歩。少女の頭上を飛び越え、その行く手を遮った。
唸り声を上げる熊の前に、少女は身じろぎひとつせず、立ち尽くす。細かく震えている背を見て、セレンは唇を噛んだ。
花売りの少女だ。
最初から、すべて仕組まれていた。
緑のアイコンが、魔術学院の奥へと進んでいく。
セレンは顎をしゃくった。
「連れて行こう」
シオンはその意図を汲み、少女を掴み上げる。小さな悲鳴は、殆ど音にならなかった。その手に、花かごはない。ファラーシャがどのように連れ去られたのかを察し、気が急くままに踵を返す。
ほぼ同時に、通用門からひとり、兵が現れた。
「おい、何をしている!?」
「今、この子は花かごを預けたよな」
使命感に燃えた兵の問いかけだったが、槍を手にしたまま、そのことばに表情を揺らした。
「その中に、俺の蝶妖精がいたんだ!」
「何を……バカな。とにかく、すぐにその子を」
「順番が逆だろ。すぐにそこを通せ。文句があるなら」
セレンは、見えるように左手を翳した。
「魔術師ナトゥールに、全部言っとけ!」
怒号に合わせ、シオンは一歩、前に出る。片手に少女を掴んだまま、その腹から響く低い唸り声が、不吉な近い未来を想像させた。鋭い牙を剥き出しにし、兵を威嚇する。
その時、左手の刻印が――熱を帯びた。
熱を感じた直後、見覚えのある陣が宙に描かれる。
「――印が、二つに分かれようとはな。
契約者殿、何事かね」
その陣から、術衣に包まれた影が姿を見せた。
怪訝そうに尋ねる声に、セレンは驚きを呑み込んで言い返した。
「あんたのお望みの、妖精狩りじゃないのか? 魔術師ナトゥール」