土煙の中に
雲ひとつない空の下。
穏やかな旅路につきまとうのは、心の暗雲。
疲れを知らない身体とは裏腹に、心配事が胸を巣食う。
薬師マーキムや先の宿で聞いた話を総合すると、どう考えても魔術学院の街イウォルではクエストが待ち構えている。しかも、歓迎したくない類のそれだ。
この際、回れ右をして戻ってもよいのではないか。ファラーシャの鞄は、どうしても必要なものではない。
「うーん? セレンがやりたいようにすればいいよ。シオンは何があってもだいじょうぶだから、気にしないでよ。こうしてどこかに行くのも、楽しいし」
「うんうん、私もセレンといっしょなら、どこでもいいよー」
真剣に今後の方針を問えば、白紙の委任状が渡される始末である。信頼はありがたいが、それに応えられるだけの実力が、今の自分には足りない気がする。セレンはより一層、レベルアップを図る必要性を感じた。
かつてのシオンのことば通りに、どこへでもいっしょに行けるだけの力があれば、きっと迷わずに済む。
それは迫りくる暗雲を断つ、確かなものだと……この時のセレンは、信じて疑っていなかった。
気まぐれに飛び回る蝶妖精や、食べられる木の実を教えてくれる熊妖精のおかげで、実際旅路は楽しいばかりだ。笑い声の絶えない、とはこのことだろう。
街道を進む旅路も三日目。
イウォルまであと少し、という時、彼らはそれを目にした。
土煙が、舞う。
まだ遥か遠いと思っていたそれが、ながめている間にもどんどん近づく。セレンはクレイモアを構え、そして……土煙を上げているモノを視認し、呆気に取られた。
「シオン、あれ……」
「あー……馬妖精、かな」
いや、名称じゃなくて。
シオンが戦闘態勢に入らない様子に、セレンは見た目よりも強くないのかとクレイモアを持つ手に力をこめた。
「え、セレン、ダメだよ!」
が、攻撃態勢を整える自身に、シオンの制止が入る。
肩にいたファラーシャもまた、頬へとへばりつく。
「ひと、乗ってるよー!」
そのことばとほぼ同時に、土埃を巻き起こしながら、目の前で馬妖精は制止する。確かに、その背にはひとがいた。プレイヤーだ。
一目見れば忘れないだろう、その容姿にセレンは目を剥く。
「どぅどぅ! いやあ、驚かせてしまったかな? すまない!」
ハハハッと馬上でさわやかな笑い声を上げたのは、見目麗しき……王子様、だった。
白馬に跨る、赤のマントに白い軍服風の短衣と白タイツ姿の美少年、である。ふわふわと柔らかな風合いの金髪が、太陽にきらめいた。
「この辺りで、妖精狩りが出ると聞いてね! 探しているんだが……見かけなかったかい?」
その問いかけに、白い歯までがきらめいたような気がした。
セレンは呆然としながらも、かぶりを横に振る。
「ひひーん。王子、訊き方に気をつけたほうがよござんすよ。世の中ってえのは世知辛いもんだ。この連中が例の妖精狩りだったらどうなさるおつもりでえ?」
「むむ、シルバーよ。おまえが口を挟むと途端にボクの印象が台なしだ。黙っていろ」
「ひひーん。走ってるあいだにゃあしゃべれねえんっすよ。あんた、手綱ばっしばししすぎ」
「ハハハッ」
ハハハッと笑いながら、王子と呼ばれた王子風な少年は手綱を引きまくっている。あまりの引きに、馬妖精の顎がのけぞるほどだ。本物の馬ならば、振り落とされても文句は言えない。だが、この馬もまた、妖精なのだろう。シオン同様、達者にしゃべっている。
身構えることがそもそも奇妙に思え、セレンはクレイモアを下ろした。
「ほら、見るがいいシルバーよ。妖精狩りが妖精であるおまえを見て、剣を下ろすと思うか?」
「ひひーん。そりゃあ王子、だいたいあんたを見りゃあ誰だってそうなりまさあ。あっしもそうでしたよ。ひょっとして、おぼえてねえっすか?」
お互いでお互いのせいにしているあたり、似た者同士である。
その、馬妖精の鼻先へとファラーシャが近づく。
「こんにちは! 私、馬妖精に会うの初めてー」
「ひひーん。おうっ! 蝶妖精に熊妖精の組み合わせも珍しいっすねえ」
その荒い鼻息に、ファラーシャが吹き飛ばされる。まっすぐセレンの胸元にまで戻り、片手で彼女を受け止めた。少し、髪が乱れている。
「こら、シルバー! レディに対してなんてことを!」
「ひひーん。こりゃあ、不可抗力ってやつで……」
銀白の毛並みを揺らして、馬妖精は頭を下げた。手の中のファラーシャはかぶりを横に振り、ピンと羽を伸ばして見せる。少し目を回しているようにも見えていたが、その無事を確認して、セレンもまた肩から力を抜く。
「小さいから、仕方ないよ」
「ひひーん。ほぅ、話のわかる御仁でよござんした」
「寛容な契約者でよかったな。ああ、名乗るのが遅れた」
ひらりと身軽に下馬し、少年はセレンへ片手を差し出した。
「ボクは王子だ。熊妖精を得た、幸運な契約者の名を訊いてもいいかな?」
名にも姿にも納得がいくのだが、微妙に納得していいものなのかが悩ましい。
「……セレンだ」
握手の習慣など、日本にはあまり浸透していない。
それでも、差し出された手を払うような真似はしない。セレンは剣を収め、その手を取った。
王子と名乗った少年の腰にも、細身の剣がある。しかし、握った手は驚くほどやわらかく感じた。
その碧眼も、同じ程やわらかく細められた。
「うん、シルバー。ボクの慧眼を褒め称えるがいい。許す」
「ひひーん。へぃへぃ、あっしの契約者はいつだって最高っす」
「慧眼を褒めていない気がするが、まあよかろう。夕飯は飼い葉二桶だからな!」
「ひひーん。倍に増えてらあ! マジ最高っす!!」
力強く握られた手はそのままに、馬と漫才を始める。
セレンは片手にファラーシャ、片手に王子様という現状に、ただ戸惑いを隠せない。その困りように、シオンが握り合う手の下側へと回り込んだ。
「オウジっていうのは、王の子っていう意味?」
「意味は合っている。誰もが命の王の子であり、故にボクは王子なのさ。死を抱くまでは、ボクは生と過ごす」
セレンからその手は離れ、次いでテディベアへと伸ばされる。黒々とした目はくるりと光を弾き、王子とは真逆の感情でもって応えた。
「ふぅん? 面白いね」
冷え冷えとした声音に、王子は手を引いた。そして、その名にふさわしい行動を選ぶ。
「失礼、熊妖精。あまりの愛らしさについ……ボクの不作法を許してくれるとうれしい」
膝を地につき、王子は謝罪した。視線の高さがシオンと合うような配慮に、テディベアも毒気を抜かれ、セレンを見上げる。
セレンは肩を竦めてみせた。自分もまた、同じ気持ちを抱かずにはいられない。
「気持ちはわかる。シオンはかわいいからな」
「むぅ。じゃあ、仕方ないか」
「ありがとう」
己の契約者のことばに気を良くし、シオンは謝罪を受け入れた。
王子はその場に立ち上がり、セレンに向き直る。
「感謝する、セレン。しかし、これほどの粒ぞろいがのこのこ歩いていて……ということは、こちらにはいない、か」
ひとりごち、王子は身を翻す。そして、流れるような動作で馬妖精へと跨った。
「邪魔をした。イウォルはこの先だ。知っているだろうが、あの街ではくれぐれも、短気を起こさないようにな。また会おう、友よ!」
視界にフレンド登録の要請が出現し……そのまま、馬上の人になった王子は、土煙を上げながら去っていく。
その奇妙な登場と退場に、セレンは少し迷い……「はい」をタップした。ようやく二人目が増えたフレンドリストは、旅路の先の不安を少し、やわらげてくれたような気がした。




